1989年の日本シリーズ
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[編集] 戦評
仰木彬監督率いる近鉄バファローズと藤田元司監督率いる読売ジャイアンツの対決となった1989年の日本シリーズ。第1戦から第3戦まで近鉄は12球団随一ともいえる先発投手陣と猛牛打線を武器に一気に3連勝、悲願の日本シリーズ初制覇へ一気に王手をかけた。逆には巨人はスキに付け入る事すらままならず、3戦いずれもいい様にやられてしまった。
このシリーズでまず有名な事柄は加藤哲郎投手の第3戦終了後のヒーロー・インタビューである。インタビューや彼の不遜な態度に尾ひれがつき「『巨人はロッテより弱い』と言い、この発言に触発された巨人の選手が発奮した」という筋書きである。
実際にこのシリーズの分岐点となったのは1敗もできない巨人が、第4戦を香田勲男の完封でものにした事である。第4戦香田の完封勝利の後、近鉄打線はそれまでが嘘の様に沈黙してしまう。逆に巨人打線は不振にあえいでいた主砲・原辰徳が第5戦に満塁アーチを放つなど崖っぷちから甦る。投手陣の活躍でリーグ優勝を果たした藤田巨人に対し(チーム防御率は2.56)、シーズン中から無理な起用を続けた結果投手陣が崩壊気味であった仰木近鉄の地力が完全に逆転してしまう。結局3連敗の後3連勝した巨人はそのまま最終戦も勢いは止まらず、引退を決意し出場をためらっていた中畑清が現役最後のホームランを打つなど圧勝、巨人は8年ぶり17度目の日本一に輝いた。
なお近鉄が3勝0敗から4連敗を喫した「最大の原因」は、もちろん加藤の報道に巨人の選手が発奮したためではない。近鉄が苦手とするタイプだった香田勲男に完封を喫し、データを分析すると第3戦の時点で既に近鉄打線の調子が下降、それ以降打線がつながらなくなりほとんど点が取れなくなってしまったである(第4戦のヒーローインタビューで香田は「うちは3連敗して言われたい放題でしたからね。気合入れました」と語っていた)。逆に仰木監督自身は第4戦で権藤の進言を受けて小野を先発起用したことを敗因に上げている(仰木のプランでは、エース阿波野を第4戦で先発起用、負けたとしても第7戦で三度阿波野の先発が可能となる)。
第7戦で駒田徳広が加藤からホームランを打ち、グラウンドを回りながら帽子を叩きつけて悔しがる加藤を横目で見て「バーカ!」と吐き捨てる姿は後日『珍プレー大賞』でよく取り上げられ、いつしか巨人ファンからすらもシリーズの象徴かのように語り継がれてしまった。他方で、自慢の猛牛打線による圧倒的な2連勝で藤井寺球場から送り出したはずが、最終戦までもつれ込んだ挙げ句、藤井寺で藤田巨人の胴上げを見せつけられたのであるから、近鉄ファンにとっては悪夢としか言い様が無い日本シリーズ後半戦であった。
このように先に王手をかけられながら4連勝を決めたのは1958年、1986年の西武ライオンズ(1958年は西鉄、1986年は西武)が優勝した事例に次いで2チーム・3回目のケースだった(ちなみに4連敗されたのは巨人と広島である)。
巨人はこの年近鉄と対戦した事で当時存在したパ・リーグの6球団全てとシリーズで対戦した。また、近鉄は3回目の出場だったが、1979年と1980年のシリーズでは大阪球場を近鉄側主催球場としたため、藤井寺球場でシリーズが開催されたのはこの年のみである(2001年のシリーズは大阪ドームで行われている)。
このシリーズに出場した巨人、近鉄の選手は2008年までに現役を引退している(最後の現役選手は2008年3月に引退した桑田真澄)。指揮を執った藤田・仰木両監督も鬼籍に入っている。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
10月21日 藤井寺 入場者23477人
巨人 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
近鉄 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | X | 4 |
(巨)●斎藤(1敗)、宮本-中尾
(近)○阿波野(1勝)-山下
本塁打
(巨)岡崎1号2ラン(2回阿波野)
[審判]パ五十嵐(球)セ福井 パ小林一 セ井野(塁)パ寺本 セ小林毅(外)
近鉄阿波野秀幸、巨人斎藤雅樹の両エースの先発。近鉄は初回いきなり大石大二郎の先頭打者本塁打が出て先制。斎藤は続く新井宏昌、ラルフ・ブライアントにも連続ヒットを許す不安定な立ち上がり。一方の阿波野も初回こそ三者凡退に抑えたが、2回1死からウォーレン・クロマティにヒットを許す。続く呂明賜は打ち取ったものの、岡崎郁に逆転2ランを浴びてしまう。さらに4回にもクロマティ、呂の連打で追加点を許す苦しいピッチング。一方の斎藤は2回以降立ち直ったかにみえたが、6回2死1塁から鈴木貴久がレフトへライナーで突き刺さる同点2ラン。7回、先頭の山下和彦がセンターを破る三塁打で勝ち越しチャンス。斎藤は粘って2死までこぎつけたが、新井にレフト前に運ばれ、勝ち越し点を許した。5回以降立ち直った阿波野が完投。近鉄が先勝した。
[編集] 第2戦
10月22日 藤井寺 入場者24207人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
近鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | X | 6 |
(巨)●桑田(1敗)、鹿取、吉田-中尾
(近)山崎、加藤哲、○佐藤秀(1勝)、吉井-山下、光山
本塁打
(巨)中尾1号ソロ(9回佐藤秀)
[審判]セ小林毅(球)パ寺本 セ福井 パ小林一(塁)セ平光 パ牧野(外)
近鉄は山崎慎太郎、巨人は桑田真澄の先発。両投手ともピンチを迎えながらも無得点に抑えていたが、6回に試合が動く。まず巨人が2安打1四球で2死満塁としたあと、駒田徳広が中前に2点タイムリーを放つ。一方近鉄もその裏、2死1、3塁から淡口憲治が2点タイムリー二塁打で同点。さらに7回、ヒットと敬遠を含む2つの四球で2死満塁。ここでハーマン・リベラが走者一掃のタイムリー二塁打で3点を勝ち越し。さらに鈴木貴も連続二塁打を放ち、試合を決定づけた。巨人は9回、中尾孝義の本塁打で追い上げるも最後は吉井理人が後続を絶ち、近鉄が連勝した。
[編集] 第3戦
10月24日 東京ドーム 入場者45711人
近鉄 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(近)○加藤哲(1勝)、村田、S吉井(1S)-光山
(巨)●宮本(1敗)、水野、槙原、吉田、斎藤-中尾、山倉
本塁打
(近)光山1号2ラン(2回宮本)
[審判]パ牧野(球)セ平光 パ寺本 セ福井(塁)パ五十嵐 セ井野(外)
東京ドームに舞台を移しての第3戦、巨人は宮本和知、近鉄は加藤哲郎の先発。加藤はこの日のミーティングに遅刻、巨人選手のデータも「見たってピッチングが変わるわけじゃない」と一切見ずに登板したという。そんな加藤に巨人打線は5回1死までノーヒットに抑えられる苦戦。一方の近鉄は初回ブライアントのタイムリー二塁打、2回には光山の2ラン本塁打と効果的に加点し、優位に試合を進めた。加藤は7回途中まで無失点。1死からクロマティ、岡崎に連打されたところで、仰木監督は村田辰美、吉井とつなぎ、近鉄が完封勝ちで初の日本一に王手をかけた。加藤はヒーローインタビューでも余裕たっぷりのコメントであり、その後の記者団インタビューで「ロッテのほうが怖い」と発言。加藤は単に「ロッテのほうが怖い」と言っただけであり、伝えられるように「巨人はロッテより弱い」といったわけではないが、この後のシリーズの展開により、これがシリーズの流れを変えることになる。
[編集] 第4戦
10月25日 東京ドーム 入場者45825人
近鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | X | 5 |
(近)●小野(1敗)、池上、木下、山田-光山、山下
(巨)○香田(1勝)-中尾
[審判]セ井野(球)パ五十嵐 セ平光 パ寺本(塁)セ小林毅 パ小林一(外)
3連勝の近鉄は一気に勝負を決めるべく阿波野との予想もあったが、先発は小野和義。巨人は香田勲男。小野は12勝を挙げていたものシーズン終盤の故障リタイアから戻ってきたばかりで、本調子にはほど遠かった。巨人は初回、1死2塁から岡崎の犠牲フライで先制。6回、小野の球威が落ちたところを3安打2四球を集め3点を奪い、試合を決定づけた。香田は散発3安打、三塁も踏ませず完封。巨人が1勝目をあげた。
[編集] 第5戦
10月26日 東京ドーム 入場者45717人
近鉄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | X | 6 |
(近)●阿波野(1勝1敗)、吉井、村田、石本、高柳-山下
(巨)○斎藤(1勝1敗)-中尾
本塁打
(近)ブライアント1号ソロ(5回斎藤)
(巨)原1号満塁(7回吉井)
[審判]パ小林一(球)セ小林毅 パ五十嵐 セ平光(塁)パ牧野 セ福井(外)
巨人が斎藤、近鉄が阿波野と第1戦と同じ顔合わせ。近鉄は5回、ブライアントがライトスタンドにライナーで突き刺さる豪快な先制ソロ。しかしその裏巨人は2死1、2塁から岡崎が2点タイムリー二塁打を放ち、逆転。7回1死無走者で阿波野に打順が回ったところで仰木監督は阿波野に代打を送る。その裏、リリーフした吉井に対し、先頭打者は投手の斎藤だったが、藤田監督は斎藤をそのまま打席に送った。その斎藤が中前打を放ち、出塁。1番簑田浩二の代打・緒方耕一が送りバント。続く勝呂博憲が四球、岡崎の二塁ゴロの間に斎藤が進塁して2死1、3塁。バッターは4番クロマティ、5番原辰徳と続く場面だったが、原はシリーズに入って18打席無安打の大不振だったこともあり、近鉄はクロマティを敬遠。しかし、この敬遠策に燃えた原はカウント2-1から吉井の低めストレートをジャストミート、打球はレフトスタンドへ吸い込まれた。シリーズ初安打が試合を決定づける満塁ホームラン。斎藤は結局ブライアントの本塁打による1点に抑え110球完投。流れは大きく巨人に傾いた。
[編集] 第6戦
10月28日 藤井寺 入場者23030人
巨人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
近鉄 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
(巨)○桑田(1勝1敗)、宮本、S水野(1S)-中尾
(近)●山崎(1敗)、佐藤秀、吉井-山下、光山
本塁打
(巨)岡崎2号ソロ(8回佐藤秀)
(近)リベラ1号ソロ(4回桑田)
[審判]セ福井(球)パ牧野 セ小林毅 パ五十嵐(塁)セ井野 パ寺本(外)
再び藤井寺球場に舞台を移しての第6戦は、近鉄山崎、巨人桑田という第2戦と同じ顔合わせ。4回、リベラの本塁打で近鉄が先制したが、巨人は5回表2死2、3塁から篠塚利夫がライト前に2点タイムリーヒットを放ち、逆転。8回岡崎の本塁打で突き放した。桑田は7回途中までリベラの一発による1失点に抑える好投。7回1死1、3塁のピンチを迎えたが、巨人は宮本、水野雄仁とつなぎ、逃げ切った。巨人が3連敗後の3連勝で日本一に逆王手をかけた。
[編集] 第7戦
10月29日 藤井寺 入場者23091人
巨人 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 8 |
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近鉄 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 5 |
(巨)○香田(2勝)、S宮本(1敗1S)-中尾
(近)●加藤哲(1勝1敗)、小野、高柳、村田、吉井-光山、山下
本塁打
(巨)駒田1号ソロ(2回加藤哲)、原2号2ラン(6回村田)、中畑1号ソロ(6回吉井)、クロマティ1号ソロ(7回吉井)
(近)真喜志1号ソロ(4回香田)、村上1号ソロ(5回香田)、大石2号ソロ(6回香田)
[審判]パ寺本(球)セ井野 パ牧野 セ小林毅(塁)パ小林一 セ平光(外)
近鉄は第3戦で好投した加藤をマウンドに送ったが、巨人の勢いを止めることはできなかった。2回、駒田が豪快に先制ソロホームラン。駒田はベースを回りながら加藤に「バーカ」と叫んだ。4回には中尾、川相昌弘の連続タイムリーなどで3点を追加、7回には原の2ラン、中畑清の代打本塁打でさらに3点、8回にもクロマティの本塁打で加点、優位に試合を進めた。近鉄は4回に真喜志、5回に村上隆行の本塁打、7回には第1戦の先頭打者本塁打以降無安打だった大石の26打席ぶりの安打となるシリーズ2号本塁打で反撃するが、失点が大きすぎた。8-3で迎えた9回、近鉄は意地の連打で2点を返したが、最後は村上がライトフライに倒れ、万事休す。巨人が日本シリーズ史上3度目の3連敗4連勝で8年ぶりの日本一を決めた。
[編集] 表彰選手
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:10月21日
- 第2戦:10月22日
- 第3戦:10月24日
- 第4戦:10月25日
- 第5戦:10月26日
- 第6戦:10月28日
- 第7戦:10月29日
-
- この年、NHK衛星第1テレビ及びNHK衛星第2テレビが本格的に始動し、プロ野球中継も衛星放送時代に突入した。日本シリーズに関しては録画中継の形式を採り、全試合、試合当日の夜に衛星第1テレビで放送された。
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:10月21日
- 第2戦:10月22日
- 第3戦:10月24日
- 第4戦:10月25日
- 第5戦:10月26日
- 第6戦:10月28日
- 第7戦:10月29日
[編集] 外部リンク
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