池谷公二郎
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池谷公二郎 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県静岡市 |
生年月日 | 1952年6月28日(55歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1972年 1位 |
初出場 | 1974年6月29日 大洋戦(広島) |
最終出場 | 1985年10月24日 中日戦(広島) |
経歴 | |
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池谷 公二郎(いけがや こうじろう、1952年6月28日 - )は、プロ野球選手(投手)、野球解説者。静岡県静岡市葵区出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
静岡商業高校時代、新浦壽夫の存在もあり控え投手。新浦が1年で中途退学し巨人に入団したため、2年時にはエースとして期待されたが伸び悩み、松島英雄(元大洋)の控え。3年生でエースとなり県内ではほぼ負け知らずであったが、夏の県大会では2回戦で番狂わせの敗退。好投手として知られてはいたが、社会人野球入りしてから一気に伸びたといえる。金指造船所に入社するも1年も経たず野球部が解散、特別措置で近鉄に7位指名されたがそれを拒んで日本楽器に移籍。1972年、都市対抗野球大会では主にリリーフとして活躍し優勝に貢献。ドラフト1位で広島東洋カープに指名されたが、入団は翌年1973年シーズン終了後。エース新美敏が日拓ホームフライヤーズ(現日ハム)入団するため、主力投手が二人抜ける事態になる会社側から待ったがかかったためであり、池谷自身も会社に恩義を感じていたためと言われている。他球団の指名の可能性もあったが、仁義を通して1973年のドラフト会議前に広島入りした。
赤ヘル投手陣の一角として、1975年カープ悲願の初優勝年には外木場義郎の20勝に次ぐ18勝、翌・1976年には20勝を挙げて最多勝を獲得、沢村賞を受賞。3度のセ・リーグ優勝と2度の日本一に貢献した。その一方で高めのストレート勝負は一発の危険と隣り合わせであり、かつ広島市民球場をホームグラウンドとしていたことから被本塁打も多く1977年には48被本塁打を記録し、これはプロ野球記録となっている。
右腕を腰の後ろまで回し、左腕を高く掲げ、遠心力で投げるシーソーのようなダイナミックなフォームから「シーソー投法」あるいは「ぎっこんばったん投法」とも呼ばれた。バッターとの真っ向勝負を挑み1976年、77年と二年連続奪三振王にもなった。王貞治は引退を決意した一因は池谷のストレートの伸びについていけなくなった事もあると自著に書いている。しかし、ダイナミックな投法で当然のように肩を痛め、その後は思った成績は残せず1985年、古葉竹識監督の勇退とともに引退。
その後解説者を経てコーチとしてカープに復帰。巨人でも投手コーチを務め、現在は日本テレビ・広島テレビ・ラジオ日本の野球解説者。カープでは津田恒実と双璧、と言われる程人柄のいい人物として知られ広島のローカル番組にもよく出演している。
現在はわかりやすい解説が売りの解説者として好評を博しているが、解説者を始めた初期には、結論の多くを「~(選手名)の気持ちが勝ったから/負けたから」と帰結させる解説スタイルが批判を受け一時期は選手の心情の説明でさえも、しばしば「気持ち」という言葉を避ける事も見られた。
次男の陽輔(ようすけ)は法政大学ラグビー部でレギュラーとして活躍し、現在はサントリーサンゴリアスに所属している。
[編集] 略歴
- 身長・体重 178cm・85kg
- 血液型 O型
- 打 右投げ右打ち
- 球歴 静岡商高→金指造船→日本楽器→広島(1974年~1985年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1972年・1位(広島東洋カープ、ただし入団は翌年)
- 守備位置 投手
[編集] 所属球団
- 広島東洋カープ(1974年~1985年)
- 広島東洋カープ・一軍投手コーチ(1989年~1993年)
- 読売ジャイアンツ・一軍投手コーチ(1998年、2004年)
- 読売ジャイアンツ・二軍投手コーチ(1999年~2001年)
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
- 初出場 1974年6月29日 対大洋ホエールズ戦(広島市民球場)
- 初勝利 1974年7月26日 対中日ドラゴンズ戦(広島市民球場)
- 最多勝 1回(1976年)
- 最多奪三振 2回(1976年~1977年)
- ベストナイン 1回(1976年)
- 沢村賞 1回(1976年)
- オールスター出場 2回(1975年~1976年)
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四 球 |
勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 被安打 | 被本 塁打 |
与四 死球 |
奪三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974年 | 広島 | 22 | 1 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 46 | 51 | 8 | 18 | 25 | 26 | 5.09 |
1975年 | 45 | 10 | 2 | 2 | 18 | 11 | 1 | 244 | 242 | 22 | 67 | 131 | 90 | 3.32(15) | |
1976年 | 51 | 18 | 3 | 4 | 20 | 15 | 3 | 290.1 | 271 | 35 | 79 | 207 | 105 | 3.26(4) | |
1977年 | 44 | 12 | 1 | 2 | 11 | 16 | 5 | 226 | 241 | 48 | 68 | 176 | 131 | 5.22(22) | |
1978年 | 35 | 10 | 0 | 0 | 13 | 7 | 1 | 208.1 | 212 | 27 | 97 | 132 | 98 | 4.24(17) | |
1979年 | 32 | 7 | 2 | 0 | 12 | 8 | 0 | 168 | 165 | 38 | 53 | 124 | 91 | 4.88(20) | |
1980年 | 28 | 7 | 1 | 1 | 9 | 6 | 0 | 169.1 | 162 | 21 | 47 | 107 | 62 | 3.30(11) | |
1981年 | 25 | 5 | 1 | 1 | 10 | 7 | 0 | 130.2 | 156 | 18 | 35 | 98 | 67 | 4.60(21) | |
1982年 | 17 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 0 | 60.2 | 71 | 7 | 21 | 27 | 34 | 5.02 | |
1983年 | 14 | 2 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 60.1 | 70 | 11 | 15 | 23 | 28 | 4.18 | |
1984年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5.2 | 8 | 1 | 6 | 2 | 2 | 6.35 | |
1985年 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 14 | 2 | 6 | 4 | 8 | 5.54 | |
通算成績 | 325 | 72 | 10 | 10 | 103 | 84 | 10 | 1622.1 | 1663 | 238 | 512 | 1056 | 744 | 4.13 |
[編集] 現在の出演番組
[編集] 関連項目
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近鉄バファローズ 1971年ドラフト指名選手 |
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1位:佐々木恭介 / 2位:梨田昌崇 / 3位:橘健治 / 4位:羽田耕一 / 5位:上水流洋 / 6位:平野光泰 7位:池谷公二郎 / 8位:薮内正彦 / 9位:宮本実 |
広島東洋カープ 1972年ドラフト指名選手 |
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1位:池谷公二郎 / 2位:松林茂 / 3位:萩野友康 / 4位:長島吉邦 / 5位:小俣進 / 6位:青木康彰 7位:竹桝和也 / 8位:木本茂美 / 9位:木山英求 |