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斉藤明夫 - Wikipedia

斉藤明夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斉藤 明夫
横浜ベイスターズ No.77
基本情報
国籍 日本
出身地 京都府京都市伏見区
生年月日 1955年2月23日(53歳)
身長
体重
184cm
83kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1976年 ドラフト1位
初出場 1977年5月8日
最終出場 1993年10月22日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

斉藤 明夫(さいとう あきお、1955年2月23日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者1981年までの登録名及び本名は斉藤 明雄(読み同じ)。

大洋・横浜大洋・横浜全ての時代で活躍した唯一の選手である。力のあるストレートと挑発的なスローカーブを武器に活躍。

目次

[編集] 来歴・人物

花園高等学校を経て大阪商業大学へ進学。全日本大学野球選手権大会で2度の優勝投手に輝いた逸材として、1976年秋のドラフトで大洋から1位指名を受け入団。球団は斉藤への期待を込め、秋山登山下律夫らが付けたエースナンバーの17を与えた。

1977年は、新人ながら開幕1軍。8月30日の対巨人戦で、王貞治の本塁打世界記録(755本)達成を阻止したうえプロ初完封、一躍脚光を浴びる。このシーズンは8勝9敗で、西本聖を押し退けて新人王を獲得。翌1978年は、新築された横浜スタジアムのオープニングゲームに先発。見事に完投勝利し、同球場の公式戦勝利投手第一号となる。この頃からトレードマークの口ひげをたくわえるようになる。1981年には遠藤一彦と入れ替わりで抑え投手に転向。5勝15敗10Sをあげる。1982年登録名を「明雄」から「明夫」に改名。当時の日本記録である8連続Sとシーズン30Sを達成、リーグ最多セーブを記録する。さらに規定投球回に達し最優秀防御率のタイトルも獲得。1983年には10勝8敗22Sで最優秀救援投手のタイトルを獲得。1986年には2度目の最優秀救援投手となる。

しかし、1988年の開幕直後に右膝半月板を損傷し、先発投手に再転向。7月3日の対中日戦で、右投手では史上初、左右あわせても史上3人目の通算100勝100Sを達成する。1993年には投手兼任コーチに就任するも持病の右膝痛が悪化し(主治医には「60歳代の膝と同じ状態」と言われた)、現役引退を表明。10月20日の対ヤクルト戦で通算600試合登板を果たし、2日後の10月22日の対広島戦で現役最終登板。

引退後は1994年1995年フジテレビの解説者、1996年1999年横浜一軍投手コーチ、2000年2006年フジテレビおよびニッポン放送解説者、2007年より横浜一軍投手チーフコーチに復帰する。

[編集] エピソード

  • 口ヒゲをたくわえたいかつい風貌がトレードマークで、大洋ファンのみならず他球団のファンからも「ヒゲの斉藤」と呼ばれ記憶された。なお入団当初は眼鏡も装着していたが後にコンタクトレンズに切り替え、引退後は眼鏡着用に戻っている。
  • プロ野球史上で唯一、100勝100セーブをマークしながら優勝経験のない投手である(ただし、Aクラス経験はある)。そのためか、1998年にコーチとして優勝の瞬間を迎えたときは、現役選手と同じくらい喜んでいた。
  • 1992年に巨人に在籍していたロイド・モスビーに顔が似ていることを指摘され、かなり気にしていた。
  • 現役時代から「怒らせたら恐い」ことで有名であった。それは現役を離れてからも同じである。コーチ時代、横浜の投手・五十嵐英樹が巨人の吉原孝介危険球を与えた試合では、大乱闘に発展。その後乱闘自体は何とか静まったものの、本体とは関係無いところで巨人の井上真二に対して斉藤が激怒。今にも殴ろうとしていたため、横浜の波留敏夫秋元宏作井上純が3人がかりで必死で止めた。金網に押し付けるようにして止めていたが、波留が一瞬目を離した隙に再び襲い掛かろうとしたため、またもや数人で止められている。この場面は珍プレー好プレーで傑作とされ、何度も流されている。ちなみに、何故斉藤が井上真二に激怒したかは不明である。
  • マウンドでは恐い斉藤であったが、ベンチに戻れば穏やかであったとされる。記者の質問に関しても、斉藤の返答が記者に分かりづらかったり、理解できないようであれば、何度でも答えてくれると言うことで、番記者には好評であった。
  • 川崎時代に大洋に入団した選手の中で、横浜のユニフォームを着るまで現役を続けたのは斉藤ただ一人である。
  • 600試合登板を果たした1993年10月20日、すでに引退を表明していた斉藤は試合前からユニフォーム姿で横浜公園内に現れ、若手の加藤将斗とキャッチボールをしたり、通りすがるファンからのサインや握手に応じた。
  • 2001年からプロ野球マスターズリーグ・東京ドリームスに参加。2002年2003年シーズンには同リーグのMVPに輝いている。また、マスターズリーグでは極稀にみせる背面投げ(中日の小川健太郎投手が王貞治選手を抑えるためにうみだした投法)という珍投法でファンを沸かせている。現役時代もオープン戦で一度、披露したことがある。後にトリビアの泉でも横浜スタジアムで披露し、レフト前ヒットを打たれたが、「打たれたことよりも、ストライクが入って嬉しい」とコメントした。
  • 仏教系の高校出身のためか、学生時代からの仏教徒で、マウンドに上がる際に数珠を捲いて登板したこともある。
  • 1982年のオールスターゲーム戦で斉藤は7回から登板し延長11回まで5イニングを投げた。これはオールスターゲームにおける連続投球回数の日本記録であるが、現在のオールスターのルールでは延長戦なし1投手3イニングまでの投球のため、現行のルールである限りこの記録が破られる事はない。

[編集] 背番号

  • 17(1977年~1993年)
  • 77(1996年~1999年、2007年~)

[編集] 年度別投手成績

年度 チーム 登板 完投 完封 無四
勝利 敗戦 セーブ 投球回 被安打 被本
塁打
与四
死球
奪三振 自責点 防御率(順位)
1977年 大洋 38 3 1 0 8 9 0 141.1 156 17 64 87 69 4.40(18)
1978年 47 12 2 3 16 15 4 241.0 234 24 73 162 84 3.14(3)
1979年 37 10 2 1 11 6 0 196.1 198 25 59 138 88 4.04(15)
1980年 35 17 1 2 14 17 1 247.1 245 24 75 165 104 3.79(13)
1981年 47 3 0 0 5 15 10 169.1 195 18 65 100 81 4.31(18)
1982年 56 0 0 0 5 6 30 134.2 109 12 36 80 31 2.07(1)
1983年 54 0 0 0 10 8 22 116.0 113 14 47 67 46 3.57
1984年 43 1 1 0 11 6 10 94.0 115 10 33 53 51 4.88
1985年 55 0 0 0 9 5 18 109.2 93 9 22 72 26 2.13
1986年 44 0 0 0 5 6 23 78.0 62 10 13 49 16 1.85
1987年 39 0 0 0 4 1 15 70.2 57 6 16 36 17 2.17
1988年 24 2 0 1 5 4 0 105.2 114 4 29 38 41 3.49
1989年 18 5 2 1 8 6 0 117.1 127 12 36 49 42 3.22
1990年 24 6 1 2 10 7 0 150.1 144 15 41 98 68 4.07(19)
1991年 17 1 1 0 4 6 0 99.2 103 10 28 57 40 3.61
1992年 17 4 0 2 3 8 0 91.1 92 12 15 66 37 3.65
1993年 横浜 6 0 0 0 0 0 0 10.2 20 3 3 4 9 7.59
通算成績 601 64 11 12 128 125 133 2173.1 2177 225 655 1321 850 3.52
  • 表中の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 最優秀新人(1977年)
  • 最優秀防御率:1回(1982年)
  • 最優秀救援投手:2回(1983年、1986年)
  • 最多奪三振:1回(1978年)
  • オールスターゲーム出場:2回(1978年、1981年~1983年、1985年、1987年)
  • オールスターゲーム最多連続投球回数:5回(1982年)

[編集] 関連項目

先代:
田尾安志
セ・リーグ新人王
1977年
次代:
角盈男
先代:
池谷公二郎
セ・リーグ最多奪三振
1978年
次代:
新浦寿夫
先代:
江川卓
セ・リーグ最優秀防御率
1982年
次代:
福間納
先代:
山本和行
中西清起
セ・リーグ最優秀救援投手
1983年
1986年
次代:
山本和行
郭源治
大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)
1976年ドラフト指名選手
1位:斉藤明雄 / 2位:丸谷富美幸 / 3位:山村陽一 / 4位:坂本照彦 / 5位:安田尚弘 / 6位:西連寺隆


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