田代富雄
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田代 富雄 横浜ベイスターズ No.76 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県小田原市 |
生年月日 | 1954年7月9日(53歳) |
身長 体重 |
185cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1972年 ドラフト3位 |
初出場 | 1976年4月4日 |
最終出場 | 1991年10月10日 |
経歴 | |
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田代 富雄(たしろ とみお 1954年7月9日 ‐ )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。2007年から横浜ベイスターズの二軍、湘南シーレックスの監督を務める。現役時代のポジションは内野手。
目次 |
[編集] 来歴・人物
最初は投手で、小田原市立酒匂中学校在学時はエースだった。藤沢商業高等学校(現藤沢翔陵高等学校)に進学し、2年生の時、野手(三塁手)に転向した。卒業後、1973年に大洋ホエールズに入団。1976年、1軍に昇格した。長打に魅力があるスラッガーで、通算1081三振と三振の数も多かった。松原誠のあとを受け四番に座る。オバQというニックネームは、風貌がオバケのQ太郎に似ていたという説もあるが、ホームランがオバケのようにボールが飛んでいくからという説もある。現役前半は主に三塁、後半は一塁を守る事が多かった。
引退後はtvk・ニッポン放送で野球解説をする傍ら、神奈川県茅ヶ崎市でラーメン店を経営。1995年より横浜ベイスターズ打撃コーチに就任。それと相前後してラーメン店は廃業した。 また若手育成にも定評があり、(金城、村田、吉村)といった主力野手を育てた人物である。とりわけ多村仁は田代の指導に絶大な信頼を寄せていた。
[編集] エピソード
- 田代のホームラン量産は、当然敵チームにとっても難問であった。悪名高い広島市民球場や阪神甲子園球場では、サードを守る田代に近い三塁側内野席にファンが集まり辛辣な野次を飛ばした。標的はオバQと呼ばれたその顔に集中し、「ワリャ顔なんとかせいやぁ(お前、顔を直せよ)」など理不尽なものだった。
- 大洋(のちに横浜大洋)では、松原誠と共にそうは多くいない長距離打者で、大きい滞空時間の長い放物線を描くホームランを量産し、全盛期の横浜大洋初期時代にヘルメットの横に、球団の制度で打ったホームランの数だけ星印★を付けていたが、その星印が上の方(頭頂部)に近いぐらいになる程ホームランを量産した。田代が出てきた時は、大洋のみならず久々のホームランバッターの登場だったので、当時のマスコミが大きく取り上げた。
- 大洋の長距離砲として多くのホームランを量産した反面打率は低く、「人間扇風機」とあだ名が付いた様に3度のシーズン最多三振を喫するなど三振の多い打者でもあった。しかし、その三振の多さが「三振かホームラン」と言う田代のバッティングを証明するものであり、多くのファンの心に刻み込まれている。
- 意外にもオールスターゲームは1977年の一度しか出場していない。
- 引退した年のオフにゴルフ場で長嶋茂雄に会った際、選手に対して行うような励ましを受け、思わず頷いてしまった。
- 横浜スタジアム初の場外ホームランを打っている。
[編集] 略歴
- 高校は藤沢商高(現藤沢翔陵高等学校)に在学。
- 1973年 ドラフト3位で大洋(現・横浜)に入団。背番号は生涯26番だった。
- 1977年 プロ入り初の130試合フル出場。オールスターゲームにはこの年のみ出場。
- 1979年 開幕戦で3本塁打を放つ。
- 1980年 自己最多の36本塁打を記録。
- 1986年6月18日 正田耕三と激突し、左手首骨折。その故障で1977年からの2桁本塁打の記録がこの年でストップ。
- 1991年10月10日 現役引退。その日の引退試合・対阪神タイガース最終戦(横浜スタジアム)で、最終打席に葛西稔から逆転満塁本塁打を放った。当初の予定では最後まで出場させる予定だったが、この満塁本塁打を最後の打席とすべく、試合途中で交代、そのまま引退となった。
[編集] 年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
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1973年 | 大洋 | 26 | 1軍出場なし | ||||||||||||||
1974年 | 1軍出場なし | ||||||||||||||||
1975年 | 1軍出場なし | ||||||||||||||||
1976年 | 89 | 235 | 18 | 60 | 8 | 1 | 8 | 94 | 21 | 0 | 2 | 0 | 10 | 56 | .255 | ||
1977年 | 130 | 484 | 79 | 146 | 25 | 3 | 35 | 282 | 88 | 2 | 0 | 6 | 59 | 118 | .302(16) | ||
1978年 | 129 | 472 | 66 | 136 | 28 | 2 | 27 | 249 | 104 | 1 | 0 | 6 | 49 | 94 | .288(21) | ||
1979年 | 124 | 357 | 41 | 84 | 12 | 2 | 19 | 157 | 54 | 0 | 1 | 1 | 32 | 86 | .235 | ||
1980年 | 128 | 472 | 74 | 140 | 22 | 4 | 36 | 278 | 94 | 6 | 1 | 4 | 52 | 104 | .297(11) | ||
1981年 | 130 | 489 | 62 | 131 | 19 | 1 | 30 | 242 | 81 | 8 | 0 | 7 | 44 | 90 | .268(26) | ||
1982年 | 124 | 469 | 66 | 119 | 21 | 2 | 27 | 225 | 83 | 1 | 1 | 4 | 51 | 102 | .254(31) | ||
1983年 | 119 | 442 | 60 | 111 | 23 | 2 | 28 | 222 | 91 | 2 | 1 | 5 | 38 | 88 | .251(35) | ||
1984年 | 130 | 479 | 56 | 125 | 14 | 2 | 21 | 206 | 71 | 4 | 1 | 6 | 57 | 95 | .261(31) | ||
1985年 | 110 | 366 | 44 | 95 | 14 | 1 | 24 | 183 | 68 | 0 | 0 | 2 | 35 | 94 | .260(33) | ||
1986年 | 67 | 200 | 22 | 48 | 9 | 0 | 13 | 96 | 40 | 0 | 0 | 4 | 18 | 52 | .240 | ||
1987年 | 82 | 229 | 19 | 56 | 13 | 1 | 5 | 86 | 28 | 4 | 1 | 0 | 13 | 46 | .245 | ||
1988年 | 46 | 91 | 5 | 27 | 4 | 0 | 1 | 34 | 16 | 0 | 0 | 1 | 5 | 17 | .297 | ||
1989年 | 55 | 106 | 7 | 25 | 4 | 0 | 0 | 29 | 5 | 1 | 2 | 1 | 6 | 21 | .236 | ||
1990年 | 51 | 58 | 5 | 17 | 4 | 0 | 3 | 30 | 19 | 0 | 0 | 3 | 13 | 16 | .293 | ||
1991年 | 12 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | .083 | ||
通算成績 | 1526 | 4961 | 625 | 1321 | 220 | 21 | 278 | 2417 | 867 | 29 | 10 | 50 | 484 | 1081 | .266 |
[編集] 記録・表彰
- 5試合連続本塁打(1977年4月5日~4月10日)
- オールスターゲーム出場:1回 (1977年)
[編集] 関連項目
監督 |
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85大矢明彦 |
コーチ |
72弘田澄男(ヘッド兼打撃)|71波留敏夫(打撃)|77斉藤明夫(投手チーフ)|75野村弘樹(投手)| 79水谷新太郎(内野守備)|73青山道雄(外野守備)|82高橋雅裕(走塁)|86中村武志(バッテリー)| 98片平保彦(バッテリー補佐)|87塚原賢治(ストレングス&コンディショニング)|70ジョン・ターニー(S&C) |
湘南シーレックス |
76田代富雄(監督)|78高木由一(チーフ)|80中根仁(打撃)|74吉田篤史(投手)| 83武藤潤一郎(投手)|81万永貴司(内野守備走塁)|90井上純(外野守備走塁)|84秋元宏作(バッテリー)| 93三浦正行(バッテリー)|89谷川哲也(S&Cチーフ)|95平野元章(S&C)|96杉村繁(育成総合) |
投手 |
10ウッド|11山口俊|12吉川輝昭|13那須野巧|14小林太志|15高宮和也|16川村丈夫|17加藤武治| 18三浦大輔|19染田賢作|20木塚敦志|21吉見祐治|22高崎健太郎|24寺原隼人|27山北茂利| 28秦裕二|30土肥義弘|32松家卓弘|34三橋直樹|35牛田成樹|36入来祐作|37岡本直也| 38桑原謙太朗|41小山田保裕|42ヒューズ|43北篤|44石井裕也|45吉原道臣|46田中健二朗|47工藤公康| 48ウィリアムス|54橋本太郎|57真田裕貴|58阿斗里|60佐藤祥万|64マットホワイト|99横山道哉 |
捕手 |
8相川亮二|29新沼慎二|49斉藤俊雄|59黒羽根利規|61武山真吾|62高森勇気 |
内野手 |
3ジェイジェイ|4北川利之|5石井琢朗|7仁志敏久|23藤田一也|25村田修一| 26佐伯貴弘|52石川雄洋|53野中信吾|55呉本成徳|56斉藤秀光|63梶谷隆幸 |
外野手 |
00河野友軌|0小関竜也|1金城龍彦|2内川聖一|6ビグビー|9下窪陽介|31吉村裕基| 33大西宏明|39内藤雄太|40桑原義行|50下園辰哉|51鈴木尚典|65西崎伸洋|67坂本大空也 |
育成選手 |
111関口雄大(外野手)|112杉本昌都(捕手) |
大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ) 1972年ドラフト指名選手 |
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1位:長崎慶一 / 2位:杉山知隆 / 3位:田代富雄 / 4位:益山性旭 / 5位:矢野俊一 / 6位:佐藤龍一郎 / 7位:清水透 |