中村武志
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中村 武志 横浜ベイスターズ No.86 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市右京区 |
生年月日 | 1967年3月17日(41歳) |
身長 体重 |
178cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1984年 1位 |
初出場 | 1987年 |
最終出場 | 2005年 |
経歴 | |
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中村 武志(なかむら たけし、1967年3月17日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)、現:横浜ベイスターズバッテリーコーチ。
愛称はたけし。中日時代に当時の星野仙一監督が彼を姓を付けずに「たけし」と呼んでいたことから馴染みのある解説者や応援などで使用されることが多い。中日時代の応援歌は若手の頃は『コンバット!』のオープニングテーマであった。
目次 |
[編集] 来歴・人物
花園高校では甲子園出場こそ無かったが強肩強打で知られ、1985年、ドラフト1位で中日に入団(竹田光訓のハズレ1位だった)。
入団3年目で正捕手に抜擢され、15年間にわたり長くマスクをかぶり続ける。持ち前の打撃も開花し、1991年には20本塁打をマーク。
しかし、2001年オフ、横浜ベイスターズからFA宣言した谷繁元信が入団することが決まると、出場機会を求めトレードを志願。その結果、金銭トレードへ横浜に移籍。事実上、正捕手同士の"交換トレード"となった。
横浜では相川亮二との併用で起用される事が多かったが、随所で重要な仕事をし、2003年には11本塁打をマークする。しかし、往年の強肩は見る影もなくなり、古巣・中日相手に1試合6盗塁を許したこともある。
2005年、さらに出場機会を求め、無償トレードによって新規参入球団東北楽天ゴールデンイーグルスに第1号選手として移籍。楽天では正捕手・藤井彰人のサポートとしての出場が多かった。この年、戦力外通告を受け、捕手として史上4人目(当時)の通算2000試合出場まであと55試合と迫りながら惜しくも現役引退、現役を21年間務めた。
2006年から湘南シーレックス(横浜の2軍)バッテリーコーチに就任し、2008年からは横浜一軍バッテリーコーチに就任。
[編集] エピソード
1986年シーズンオフにはフロントの整理対象選手に挙げられていたという。星野新監督は、ドラフト1位選手でありながらわずか高卒2年での戦力外に納得いかず、当時の加藤安雄バッテリーコーチ(明治大学の後輩)に壊れてもいいからとにかく練習させろと指示した。
その結果一軍定着となり、有名である鉄拳制裁であったが、山本昌が投げているときは山本の分まで殴られていた。これは、山本が叱られるとへこむ性格だったことが原因とされている。この鉄拳制裁のせいで顔が腫れてマスクが被れず試合に出られなかったことや、顔が変形したという逸話を持つ。相手チームの打者が打席に入る時、マスク越しに鼻血を出し、涙を流している中村を見て思わず同情してしまい、声をかけることもしばしばであったという。
星野監督の「怒られ役」となっていた中村だが、裏ではその分カバーされる部分も多かったとされる。
1991年7月19日の中日-巨人戦(ナゴヤ球場)、足を痛めてスタメン落ちしていた中村は8回裏に同点に追いつく代打満塁ホームラン、10回裏にはサヨナラホームランと2打席連続の劇的アーチを放った。
ちなみに、山本昌は一年先輩で同じ高卒。入団当初からファームで苦楽を共にし後に球界を代表する黄金バッテリーに。このバッテリーは1997年ナゴヤドーム初の公式戦と、2001年札幌ドーム初の公式戦における先発バッテリーでもある。
野口茂樹(現読売ジャイアンツ)や横浜の吉見祐治投手など弱気になりやすい投手にコントロールがままならない時にど真ん中にミットを構えたこともあった。構えた所に投手がボールを投げられなかったり、投球が際どくストライクゾーンから外れたとしても「うんうん」とうなずくなど、投手に対する配慮は現役時代を通じ定評があった。特に野口は、自身が好投しヒーローインタビューを受けた際も「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とのコメントからも信頼度をうかがい知ることができ、コーチとしての手腕にも注目される。
中日時代には世界デザイン博覧会のチケット発売のCMに出演した経験がある。
ベイスターズ移籍後の応援歌は若菜嘉晴の使いまわしだった。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
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1985年 | 中日 | 39 | 1軍出場なし | ||||||||||||||
1986年 | 1軍出場なし | ||||||||||||||||
1987年 | 43 | 113 | 12 | 24 | 3 | 0 | 3 | 36 | 11 | 2 | 1 | 0 | 5 | 19 | .212 | ||
1988年 | 98 | 267 | 30 | 63 | 18 | 0 | 5 | 96 | 21 | 2 | 8 | 1 | 30 | 63 | .236 | ||
1989年 | 125 | 352 | 23 | 95 | 12 | 0 | 7 | 128 | 41 | 2 | 9 | 2 | 57 | 94 | .270(19) | ||
1990年 | 97 | 256 | 22 | 64 | 9 | 0 | 7 | 94 | 21 | 1 | 6 | 1 | 19 | 43 | .250 | ||
1991年 | 104 | 333 | 42 | 90 | 13 | 0 | 20 | 163 | 62 | 5 | 9 | 4 | 24 | 74 | .270 | ||
1992年 | 113 | 351 | 25 | 86 | 16 | 4 | 6 | 128 | 31 | 1 | 3 | 1 | 36 | 57 | .245 | ||
1993年 | 127 | 404 | 38 | 88 | 11 | 0 | 18 | 153 | 46 | 0 | 8 | 1 | 48 | 116 | .218(28) | ||
1994年 | 125 | 398 | 37 | 102 | 16 | 0 | 9 | 145 | 50 | 1 | 8 | 0 | 50 | 48 | .256(24) | ||
1995年 | 94 | 301 | 26 | 77 | 10 | 0 | 8 | 111 | 32 | 2 | 2 | 0 | 32 | 57 | .256 | ||
1996年 | 115 | 376 | 45 | 102 | 11 | 1 | 12 | 151 | 37 | 2 | 2 | 2 | 42 | 51 | .271(30) | ||
1997年 | 102 | 280 | 27 | 65 | 15 | 0 | 8 | 104 | 36 | 0 | 2 | 3 | 29 | 42 | .232 | ||
1998年 | 128 | 407 | 27 | 96 | 18 | 4 | 5 | 137 | 42 | 2 | 7 | 2 | 52 | 65 | .236(33) | ||
1999年 | 127 | 395 | 31 | 79 | 12 | 0 | 6 | 109 | 42 | 3 | 13 | 3 | 28 | 65 | .200(31) | ||
2000年 | 126 | 356 | 26 | 87 | 10 | 0 | 4 | 109 | 34 | 2 | 16 | 1 | 44 | 68 | .244 | ||
2001年 | 134 | 412 | 29 | 109 | 16 | 0 | 2 | 131 | 27 | 1 | 10 | 1 | 32 | 59 | .265(26) | ||
2002年 | 横浜 | 107 | 283 | 22 | 57 | 8 | 0 | 5 | 80 | 19 | 0 | 1 | 2 | 16 | 72 | .201 | |
2003年 | 79 | 209 | 23 | 56 | 8 | 0 | 11 | 97 | 37 | 3 | 8 | 1 | 12 | 35 | .268 | ||
2004年 | 47 | 101 | 6 | 20 | 4 | 0 | 1 | 27 | 8 | 0 | 5 | 0 | 5 | 19 | .198 | ||
2005年 | 楽天 | 64 | 111 | 8 | 20 | 4 | 0 | 0 | 24 | 7 | 0 | 1 | 0 | 7 | 25 | .180 | |
通算成績 | 1955 | 5705 | 499 | 1380 | 214 | 9 | 137 | 2023 | 604 | 29 | 119 | 25 | 568 | 1072 | .242 |
[編集] タイトル・表彰
- オールスターゲーム出場:8回 (1988年~1991年、1993年、1996年、1998年、2001年)
[編集] 関連項目
監督 |
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85大矢明彦 |
コーチ |
72弘田澄男(ヘッド兼打撃)|71波留敏夫(打撃)|77斉藤明夫(投手チーフ)|75野村弘樹(投手)| 79水谷新太郎(内野守備)|73青山道雄(外野守備)|82高橋雅裕(走塁)|86中村武志(バッテリー)| 98片平保彦(バッテリー補佐)|87塚原賢治(ストレングス&コンディショニング)|70ジョン・ターニー(S&C) |
湘南シーレックス |
76田代富雄(監督)|78高木由一(チーフ)|80中根仁(打撃)|74吉田篤史(投手)| 83武藤潤一郎(投手)|81万永貴司(内野守備走塁)|90井上純(外野守備走塁)|84秋元宏作(バッテリー)| 93三浦正行(バッテリー)|89谷川哲也(S&Cチーフ)|95平野元章(S&C)|96杉村繁(育成総合) |
投手 |
10ウッド|11山口俊|12吉川輝昭|13那須野巧|14小林太志|15高宮和也|16川村丈夫|17加藤武治| 18三浦大輔|19染田賢作|20木塚敦志|21吉見祐治|22高崎健太郎|24寺原隼人|27山北茂利| 28秦裕二|30土肥義弘|32松家卓弘|34三橋直樹|35牛田成樹|36入来祐作|37岡本直也| 38桑原謙太朗|41小山田保裕|42ヒューズ|43北篤|44石井裕也|45吉原道臣|46田中健二朗|47工藤公康| 48ウィリアムス|54橋本太郎|57真田裕貴|58阿斗里|60佐藤祥万|64マットホワイト|99横山道哉 |
捕手 |
8相川亮二|29新沼慎二|49斉藤俊雄|59黒羽根利規|61武山真吾|62高森勇気 |
内野手 |
3ジェイジェイ|4北川利之|5石井琢朗|7仁志敏久|23藤田一也|25村田修一| 26佐伯貴弘|52石川雄洋|53野中信吾|55呉本成徳|56斉藤秀光|63梶谷隆幸 |
外野手 |
00河野友軌|0小関竜也|1金城龍彦|2内川聖一|6ビグビー|9下窪陽介|31吉村裕基| 33大西宏明|39内藤雄太|40桑原義行|50下園辰哉|51鈴木尚典|65西崎伸洋|67坂本大空也 |
育成選手 |
111関口雄大(外野手)|112杉本昌都(捕手) |
中日ドラゴンズ 1984年ドラフト指名選手 |
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1位:中村武志 / 2位:川畑泰博 / 3位:古川利行 / 4位:江本晃一 / 5位:米村明 / 6位:神山一義 |