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田尾安志 - Wikipedia

田尾安志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田尾安志
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市
香川県三豊市生まれ)
生年月日 1954年1月8日(54歳)
身長
体重
173cm
75kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1975年 1位
初出場 1976年
最終出場 1991年
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

田尾 安志(たお やすし、1954年1月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手外野手)・監督野球解説者

東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。

目次

[編集] 来歴・人物

現役時代は俊足巧打の外野手として鳴らした。イチローが子供の頃に憧れた選手としても知られる。打席での構えでバットをグルグル回す"円月打法"から広角に打ち分け、安打製造機と呼ばれた。

左利き(左投左打・食事も左)だが、ペンは右手。また、滅多な事がない限り関西弁を殆ど使わない。(これは、中日と西武時代に標準語をマスターした為。)

夫人は歌手のMADAM REY(マダムレイ)。子供が3人(男2人、女1人)おり、歯科医師田尾耕太郎は長男。次男は俳優として海外を目指し、長女はグラビア・雑誌・モデルとして活躍している。

[編集] 現役時代

1972年泉尾高校から、当初は早稲田大学を志すも同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻へ進学する。泉尾高校の野球部は田尾の入部時先輩部員は5人しかいない弱小野球部で、キャッチボールで田尾の球が取れないほどのレベルだった。3年の夏には2回戦で近大付属に勝ち、当時もっとも激戦区だった大阪でベスト4になる。同志社大学時代は投手で4番、登板しない日は野手として試合出場することが多かった。大学2年時から3年連続で日米大学野球の日本代表に選出された。

1976年ドラフト1位指名で中日ドラゴンズに入団。新人王を受賞。1982年、最多出塁。日本シリーズ初出場も西武に2勝4敗で敗れ、日本一ならず。1982年から1984年にかけて3年連続の最多安打もマークするも、1度も首位打者になれなかった。

1985年杉本正大石友好両選手との交換トレード西武ライオンズに移籍。日本シリーズに2度目の出場を果たすも、阪神に2勝4敗で敗れ、またも日本一ならず。このシリーズで、ノーアウト満塁の好機で初球に手を出しあっけなく凡打した事が当時の広岡達朗監督の逆鱗に触れ、翌年もフル出場させてもらえず放出の遠因とされる。1986年、日本シリーズ3度目の出場。広島を4勝3敗1分で下し、「三度目の正直」で初の日本一を経験する(これが選手として経験した唯一の日本一となった)。

1987年吉竹春樹前田耕司両選手との交換トレードにより学生時代からの念願だった阪神タイガースに移籍。先発出場の機会は減るもののここ一番の強さを発揮し、1988年には3本のサヨナラ本塁打(うち、巨人鹿取義隆から2本)を打つなど活躍する。1991年、現役引退。

[編集] 引退後

1991年に現役引退後は、スポーツキャスターに転身。フジテレビ、関西テレビ、東海テレビニッポン放送でプロ野球解説をする他、「プロ野球ニュース」(フジテレビ)、「週刊!田尾スポ」(関西テレビ、関西ローカル)のメインキャスターも務めた。

1992年-2004年フジテレビ関西テレビなどの野球解説者の傍ら、芸能界でのタレント活動にも参加。

野球評論の他に、タレント活動も展開。明るく爽やかなキャラクターで、幅広い層に親しまれている。釣りが趣味で、西田敏行主演の映画釣りバカ日誌9」にも出演した。(鹿児島県甑島を舞台とした作品で、風吹ジュンの従兄弟役で地元の海の釣り舟の船頭という役)また2005年1月までラジオ番組で共演していた松本秀夫アナウンサー(ニッポン放送)とは一緒に海釣りに出掛けることも多い。

2001年アジア大会で全日本代表チームのコーチに就任。

2005年、50年ぶりの新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任。意外にも自身初の球団の首脳陣の経験となる。しかし、38勝97敗1分と、成績不振を理由に同年シーズン終了を以って解任。解任後、宮城県では解任に反対する団体東北若鷲会が発足、署名活動が行われた。テレビでもみのもんたが、自身が司会を勤める朝の番組で田尾を解任した三木谷オーナー(当時)に対し、「経営者として最悪」と痛烈に批判した。楽天監督を退任した2005年シーズン終了後からは野球解説者として再始動。現在に至る。

2005年3月26日の、記念すべきパシフィック・リーグ公式戦開幕試合(対千葉ロッテマリーンズ戦、千葉マリンスタジアム)では、田尾自らがスターティングナインの発表を行った。なお、監督としてはヒットエンドラン作戦を多用したが、「燃えよドラゴンズ!'79」では「♪7番田尾がヒットエンドラン~」と歌われている。

2006年9月1日の、田尾が監督時代に残した、楽天球団としても田尾監督自身としても1年目の2005年の楽天球団の勝星である38勝越えの39勝目を懸けたソフトバンク戦に於いて、ニッポン放送の中継の解説を行う。(試合は2対2の延長10回表に大量7点を失い楽天敗戦。以後も連敗で足踏みを続けた。)田尾本人は「2年連続の最下位で寂しい話だけどよく頑張っている」と評し、昨年は他球団在籍で、田尾とは戦いを共にしていないホセ・フェルナンデス鉄平らで層の厚くなった戦力に目を向ける一方で、田尾が監督時代に既に素質を見抜いていた有銘兼久の先発起用が遅くなった点などの1年目の負の部分が生かされていない点に言及していた。

2007年2月18日東京マラソン2007に参加し、完走した。その後、同年12月9日ホノルルマラソンにも夫婦で出場(TBSの番組企画)、完走している。

[編集] エピソード

  • 柔和な風貌とは対照的に、自分の考え・主張に強いこだわりを持つ人物である。中日時代は選手会長として球団側に物申す選手であった(人気・実力を持ちながらトレードに出されたのはそれが一因とされる。後述)。また、西武時代には当時の森祇晶監督から、「清原和博三塁にして、秋山幸二中堅とし、石毛宏典遊撃、田尾が一塁を守ったらどうか」と言われたが田尾は反対している。そのため田尾はスタメンで起用される回数が少なくなった。阪神時代も、チーム成績が低迷したため若手育成目的の選手起用をする村山実監督に対し、勝つための野球をすべきであると主張した。
  • 徒党を組んだり派閥を作ったりすることも嫌っていた。しかし、田尾とは対照的に率先的にチームで派閥作りをしてきた星野仙一は、星野と犬猿の仲である谷沢健一と親しくしている田尾を見て、実際は同僚としての付き合いに過ぎなかったものを「田尾が谷沢派に属している」と勘違いしてしまい、知人などに田尾とは付き合わないように忠告していたという(この経緯は田尾の著書に書かれている)。それを知った田尾は星野に説明して何とかその誤解を晴らした。現在でも田尾と星野は親交が深く、田尾が楽天の監督に就任した際も星野からテレビやホームページでエールを送られ、監督解任された際も星野が田尾を擁護した。
  • 解任発表後、仙台市内でファンが集まり、解任反対の署名活動を行った。仙台のファン達にどれだけ親しまれていたかが分かる。また最終戦では福岡Yahoo!JAPANドーム全体から「田尾コール」が起きた。仙台での人気が高かっためか、解任後もNTT東日本CMに出演していた。
  • 1982年、田尾は長崎啓二大洋)と、終盤戦に熾烈な首位打者争いを展開しており、シーズン最終戦の対大洋戦(横浜スタジアム)を僅差の打率2位で迎えた。長崎は打率温存のため欠場した。この試合で田尾は関根潤三監督の指示を受けた大洋投手陣の露骨な敬遠攻めに遭い、5打席全てを敬遠。最終打席でカウント0-3から、山口忠良投手の投じる明らかなボール球を2球連続して空振りし抗議の意を示す(この瞬間、中日ファンならずとも球場全体に怒号が鳴り響いた)。しかし直後に三塁コーチの黒江透修が飛び出し「これ以上ファンを興奮させるな」と咎め結局、最後のボールを見送って四球。そのまま打率2位に終わり、惜しくも首位打者を逃した。(長崎とは僅か1厘差の.350)この試合で中日は1974年以来8年ぶりのリーグ優勝を決めたものの、田尾にとっては苦い一戦となってしまった。張本勲は負けぶりが悪いと批判した。この5打席連続敬遠のおかげで、出塁王のタイトルを獲得した。その後、関根とはフジテレビの解説者として再会、はじめは気まずく話しかけることもなかったというが、関根の「時々あの敬遠の場面を夢に見て目を覚ますことがある」「当時の大洋では個人成績だけがニュースになる状態だった」と聞かされ、わだかまりがなくなった。16年に及ぶ現役生活で遂に首位打者には縁がなかったが、1982年から1984年に渡って3年連続でセ・リーグ最多安打を記録した。首位打者を争った長崎とはのちに1987年の1シーズン、阪神でともにプレーしている。田尾、長崎ともにプロ入り前は阪神に入団することを希望していたという点でも奇妙な符合があった。
  • チームが広島と激しく優勝争いをしていた1984年のシーズン中、選手会長として優勝時の年俸アップを球団に打診したが色よい返事が得られなかった。優勝を逸してシーズンが終わった後「お望み通り2位になりましたよ」と球団サイドとの話し合いで発言し、これがトレードにつながったと言われている。
  • 阪神時代の1988年には、上述のように村山監督の方針で出場機会が限られる中で(80試合160打席)、代打によるものも含めて3本のサヨナラホームランを放った。シーズン3本のサヨナラ本塁打は当時のプロ野球記録だったが(のち1993年にヤクルトジャック・ハウエルが更新、現在は5本)、田尾の場合シーズン4本塁打のうち3本がサヨナラ本塁打だった。
  • 趣味はギターで、作詞作曲も行うほどの腕前。現役時代にさだまさしとジョイントライブを行ったこともある。また、CBS・ソニーよりシングル「主人公」(さだまさしの楽曲のカヴァー)をリリースしたほか、現役引退後は一時期「さだ企画」(さだまさしの事務所)に所属していた。
  • 夫人は歌手のマダムレイ。夫人の母が平和台球場ウグイス嬢経験者だったこと、夫人の父が医師医療法人経営者だったことと田尾が実弟を白血病で若くして失ったことにより健康管理に注目するようになったことが夫人との出会い・結婚のきっかけだった。夫人は主としてライブハウスでの演奏活動を中心に行っているが、イーグルス監督在任中はライブ活動を中断して田尾のサポート活動に専念していた。しかし、監督解任後の2006年からMADAM REY(マダムレイ)として再び活動を再開している。
  • 人気も実力も絶頂期にあった中日時代の1982年に、花王シャンプーのCMに出演。共演の三田寛子(当時新人)に中日の'CD'の帽子をかぶせ二人で村下孝蔵の「初恋」を歌うシーンがあった。住友林業のCMにも出演したことがある。後に、当時田尾に憧れていたというイチローもこの会社のCMに出演した。
  • プレイステーション2ソフト「プロ野球スピリッツ2004」でゲーム内で初めて解説担当となったが、続編「プロ野球スピリッツ2004クライマックス」で解説を降りる(監督就任の為)。しかし2006年4月発売の「プロ野球スピリッツ3」で再び解説に復活した。
  • 上記のように愚直な一面は家族に対しても向けられ、実子も野球をしていたが「お前の実力では飯を食えない」と諭し野球をあきらめさせたという。
  • 現役引退を決断した理由は視力の悪化。体力はまだまだやれる自信があったと後年語っている。
  • 西武移籍時の選手名鑑ではニックネームが「タオタオ坊や」となっていた。
  • 楽天三木谷オーナーとの確執が取りざたされている。本人は、そんな事は無いように笑顔で振舞っているが、今なお講演やテレビ出演毎に批判を繰り返しており、確執は根深い。これは、自身が「企業名の『楽天』という文字を入れないで欲しい」と三木谷本人に言い、三木谷が「いいですねえ」と答えたのにも関わらずユニフォームに「RAKUTEN」の文字を入れられたなどの事が挙げられる。
  • ゴールデンイーグルス監督退任後、2006年に行列のできる法律相談所でゲスト出演。その時に「3年契約で契約解除したので、残りの契約分は功労金を出すが、楽天に対しての悪口を言えばカットする覚書だったので頭に来て功労金は要らない」と言っていた。(但し2006年の1年間は楽天が保障したとの事)
  • 2005年1月に「ミュージックステーション」にモーニング娘。が東北楽天ゴールデンイーグルスの球団歌を歌う時に、田尾が仙台から出演をしたが、その際出演のSMAP中居正広が田尾の「円月殺法」の真似を見せていた。

[編集] 初代イーグルス監督として

日本代表コーチは経験しているものの、プロ球団でのコーチ経験すら無い人間を監督にしてしまったことが低迷の一因といった意見もあるが、力量はともかく「最下位になるしかないチームで最下位になった監督」である。

  • ゴールデンイーグルスの栄えある初代監督であったが、その2005年の采配を揮い始める直前に、「楽天の誰の将来に期待しますか」というインタビューに田尾は「3年後の坂克彦に期待します」という答えが即答で返ってきた。(坂は現在は阪神タイガースに在籍)
  • 初年度から、チームには猛打を誇った近鉄「いてまえ打線」の5番礒部、6番吉岡、7番川口(憲史)、8番藤井、9番前田(現阪神)が在籍していた。さらに2番打者高須を見出し、山崎を復活させ4番に固定させた田尾時代の功績により、イーグルス初年度から、チーム打撃成績はオリックスバファローズの上を行っている。現在フェルナンデスとリック、渡辺直人や鉄平などが加入したチームは、パリーグ屈指のマシンガン打線となっている。
  • 頑固なこだわりは監督時代も続き、三木谷浩史オーナーから若手重視の策を取るように求められてもベテランを起用し続けた。2005年9月28日、最後の采配を振るうことになったソフトバンク戦では、最後の打者の川口憲史に対してヒットエンドランのサインを出し、ランナーを動かす作戦を最後まで貫き通した。
  • 負けが込んだことでヒットエンドラン偏重などに不満が続出したが、采配への不満は投手陣の不調による結果論がほとんどといえる。俗に「野球の7割を占める」と言われる投手陣の陣容は残酷としか言いようの無いものにもかかわらず、それでもマーティ・キーナートGMなどは「88勝できる」などと豪語。現実は岩隈久志が球速低下などの怪我の兆候を出しながらも使い続けたり、一時しのぎのために抑えの投手を酷使するような負のスパイラルに陥った。結局球団は1年限りで野村克也に監督交替、田尾に負けさせることで視聴者を集めたようなかたちとなったが、野村監督就任後の2シーズンもチーム防御率が12球団最下位に沈む。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死
三振 打率(順位)
1976年 中日 2 67 166 19 46 6 3 3 67 21 0 0 0 17 27 .277
1977年 96 152 19 42 6 1 6 68 19 1 4 1 9 31 .276
1978年 102 339 42 93 12 0 11 138 47 3 2 3 28 62 .274
1979年 123 383 47 96 22 1 13 159 50 0 3 1 32 66 .251(32)
1980年 122 472 60 141 29 3 7 197 34 16 3 2 21 47 .299(9)
1981年 124 462 72 140 17 6 15 214 53 7 5 3 43 62 .303(10)
1982年 129 497 92 174 25 3 14 247 41 9 7 3 58 32 .350(2)
1983年 130 506 74 161 26 3 13 232 61 9 3 3 62 50 .318(3)
1984年 130 536 94 166 21 6 20 259 49 7 10 3 54 50 .310(10)
1985年 西武 127 477 66 128 21 5 13 198 60 1 2 3 52 33 .268(25)
1986年 106 313 42 83 12 2 8 123 28 6 5 2 21 35 .265
1987年 阪神 8 104 249 27 55 8 2 6 85 12 0 4 2 7 28 .221
1988年 80 140 21 42 9 0 4 63 21 1 2 1 17 18 .300
1989年 84 252 20 72 13 0 5 100 27 0 3 1 10 30 .286
1990年 119 386 41 108 14 0 11 155 50 2 2 0 40 56 .280(21)
1991年 40 84 2 13 0 1 0 15 1 0 0 0 9 18 .155
通算成績 1683 5414 738 1560 241 36 149 2320 574 58 55 28 480 644 .288
  • 表中の太字はリーグ最高

[編集] タイトル・表彰

[編集] 監督としてのチーム成績

年度 チーム 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
2005年 楽天 6位 136 38 97 1 .281 51.5 88 .255 5.67 51歳

※勝率1位とのゲーム差

[編集] 背番号

[編集] 過去の出演番組

[編集] 現在の出演番組

[編集] CM・広告

[編集] ディスコグラフィー

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
藤波行雄(1974年)
※1975年は該当者無し
セ・リーグ新人王
1976年
次代:
斉藤明雄
先代:
山本浩二
セ・リーグ最多出塁数
1982年
掛布雅之
次代:
掛布雅之
先代:
-
東北楽天ゴールデンイーグルス監督
2005年
次代:
野村克也2006年~)
※カッコ内は監督在任期間。
中日ドラゴンズ
1975年ドラフト指名選手
1位:田尾安志 / 2位:美口博 / 3位:青山久人 / 4位:早川実 / 5位:福田功 / 6位:関東孝雄
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