大阪府立泉尾高等学校
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過去の名称 | 大阪府立第七高等女学校 大阪府立泉尾高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
校訓 | 純真清楚 |
設立年月日 | 1921年3月31日 |
創立記念日 | 6月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒551-0031 |
大阪府大阪市大正区泉尾3-19-50 北緯34度39分31.4秒東経135度28分12.9秒 |
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電話番号 | 06-6552-0026 |
FAX番号 | 06-6552-9798 |
外部リンク | 公式サイト |
大阪府立泉尾高等学校(おおさかふりつ いずおこうとうがっこう)は、大阪府大阪市大正区にある公立の高等学校。男女共学。
目次 |
[編集] 概要
全日制普通科を設置。コース制を実施し、多様な選択科目を設置している。また、英語と数学の授業では少人数指導も導入している。
[編集] 学園祭
毎年11月頃に保護者・保護者同伴の家族・卒業生・地域の幼稚園児・保育園児を招待している。
[編集] 地域との関わり
2004年、大正に根付いた文化「沖縄」に注目した生徒会執行部により文化祭で「エイサー」(出演した生徒達が「泉高=いずこう=エイサー」と命名。)を披露。翌2005年夏、地元商店街より生徒会執行部にチャリティー露店の出店依頼があり、依頼を受け、大盛況となる。同年11月、昨年の文化祭で取り組んだ「エイサー」と「沖縄」にちなんだ企画「沖縄戦スライド発表」をミックスした企画を行う。2006年2月、地元地域にある特別養護老人ホームに「エイサー」慰問実施。
[編集] 沿革
- 1921年(大正10年)3月31日 大阪府立第七高等女学校として開校。
- 1921年4月8日 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を仮校舎として授業を開始。
- 1922年4月1日 大阪府立泉尾高等女学校と改称。
- 1922年6月1日 市岡より移転。
- 1923年 地元の名士からスタインウェイのグランドピアノを寄贈される。
- 1923年6月 校章・制服を制定。
- 1924年2月23日 新築落成式を挙行(府立高等女学校初の鉄筋コンクリート校舎)。
- 1948年(昭和23年)5月28日 学制改革により今宮高校(旧制今宮中学校)と生徒を交流、男女共学の大阪府立泉尾高等学校と改称する。
- 1960年11月3日 長野県・白馬乗鞍高原に山岳・スキー合宿施設「泉嶺ヒュッテ」竣工。
- 1981年1月13日 新体育館兼講堂竣工。
- 1981年6月7日 創立60周年記念式典挙行。
- 1997年(平成9年) 新・同窓会館「白稜会白百合会館」竣工(創立70周年記念事業)。
- 2000年 オーストラリア海外研修(創立80周年記念事業)。
- 2001年 創立80周年記念式典挙行。
- 2002年 制服デザインを一新。
- 2006年11月18日 上記スタインウェイピアノが同窓会「白稜会」の援助で修復され、記念コンサートを開催。83年前の音色が復活し話題を呼ぶ。
- 2007年4月1日 大阪府公立高の新学区制導入に伴い、新第二学区となる。
[編集] 交通
- JR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線 大正駅から南西へ約1.2km
- 大正駅(大正橋バス停)から大阪市営バス乗車、永楽橋筋バス停下車、西へ約400m
[編集] 出身者
[編集] 政治
- 酒井豊 - 大阪府議会議員、第86代大阪府議会議長
[編集] 学者
- 姫野洋司 - 元大阪府立大学副学長
- 本間琢也 - 筑波大学名誉教授、元NEDO理事、燃料電池開発情報センター顧問
- 谷口靖弘 - 大阪芸術大学短期大学部教授
[編集] 芸術・芸能
- 礒田保男 - 建築家
- 菊伊都典江 - 箏曲・地歌
- 黒木曜子 - 歌手、1950年「ベサメ・ムーチョ」がヒット
- 柏木百代(柏木百代) - 女優、宝塚歌劇団
- 樋本栄 - オペラ歌手
- 水野正敏 - ベーシスト
- 高嶋悠光 - 書道家、「日本字てがみ協会」会長