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川崎憲次郎 - Wikipedia

川崎憲次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川崎 憲次郎
基本情報
国籍 日本
出身地 大分県佐伯市
生年月日 1971年1月8日(37歳)
身長
体重
180cm
78kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1988年 ドラフト1位
初出場 1989年5月9日
最終出場 2004年10月3日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

川崎 憲次郎かわさき けんじろう1971年1月8日 - )は、野球解説者。元プロ野球選手大分県佐伯市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

1988年津久見高校3年の時に甲子園に春夏連続出場を果たし、いずれもベスト8に進出。同年ドラフトでヤクルトスワローズから1位指名され入団し1年目から4勝を挙げる。2年目の1990年、シーズン12勝(13敗)を挙げてローテーションに定着する。その後、故障により一時戦列を離れたが復活し、石井一久伊藤智仁らとヤクルト黄金時代を支えた。1990年9月8日巨人戦で吉村禎章に優勝を決めるサヨナラ本塁打を浴びている。

伝家の宝刀シュートを武器に巨人キラーとして名を馳せ、長嶋監督をして「顔を見るのもいや」と言わしめた。

一時故障のため成績も下降していたが、復調した1998年に17勝し、16勝の巨人桑田真澄を抑えて沢村賞最多勝を獲得した。

2000年の巨人戦で工藤公康と投げあい、ともに完投して0-1で敗れた。この試合はこの年のベストゲームの一つに数えられている。

2000年オフにFA宣言星野仙一監督の呼びかけに応えて当時としては破格の4年契約で中日ドラゴンズに移籍する。移籍当初は巨人キラーとして期待されたがその頃から度重なる右肩痛に悩まされるようになり、3年間一軍登板無しに終わった。その間、2003年にはオールスターゲームのファン投票で「川崎祭」と呼ばれる騒動に巻き込まれる(詳細は同項目の参照のこと)。2004年シーズン開幕戦、落合博満監督により唐突ともいえる開幕投手に指名され話題を呼び、シーズン中は3度(事実上は2回)先発の機会を与えられるも、結局中日で1勝もできず(2004年記録0勝1敗)、同シーズン本拠地最終戦(対ヤクルト戦)を最後に現役引退した。

[編集] 2004年、3度の先発と引退登板

2004年1月2日それまで中日での1軍登板は無かった川崎に落合監督から1本の電話が入る、それは後に4月2日の開幕投手へと繋がる電話であった。結局、その試合では打ち込まれるもチームは逆転勝利。その後4月30日の対横浜戦に先発するも1死もとれずに5失点で降板しチームは敗退。結局その1敗が中日移籍後の最初で最後の成績となった。時は流れチームの優勝が決まった翌日の10月2日、落合監督から直接、戦力外通告を受け、引退を決意した彼を待ち受けていたのは古巣ヤクルトとの試合での引退登板であった。10月3日の引退登板では1回表に劇的な三者三振(古田宮本岩村)を取る。とくに怪我を圧して出場した1番古田(後にヤクルト監督)との対決は見る者を熱くさせ、三振のあと二人は抱擁を交わした。さらに中日、ヤクルト両ナインからの胴上げ、セレモニーといった盛り沢山の試合であった。一度も戦力になれなかった中日、FAで出て行ってしまったヤクルト両球団の粋な計らいに川崎は感動のあまり人目もはばからず号泣、記者会見でも言葉にならないほどであった。引退後、各インタビュー、雑誌の取材でも「現役生活で一番の思い出に残る試合は?」の問いに迷わず彼はこの試合を挙げている。

[編集] 背番号

  • 17 (1989年~2000年)
  • 20 (2001年~2004年)

[編集] 年度別・通算成績

年度 チーム 試合数 勝数 敗数 セーブ 奪三振 防御率
1989 ヤクルト 23 4 4 1 86 3.94
1990 ヤクルト 29 12 13 0 154 4.05
1991 ヤクルト 38 14 9 1 148 2.91
1993 ヤクルト 27 10 9 0 108 3.48
1994 ヤクルト 20 6 9 0 67 4.79
1995 ヤクルト 7 3 0 0 19 1.82
1996 ヤクルト 5 0 0 0 2 3.86
1997 ヤクルト 22 7 5 0 48 4.19
1998 ヤクルト 29 17 10 0 94 3.04
1999 ヤクルト 24 7 11 0 79 3.85
2000 ヤクルト 20 8 10 0 66 3.55
2004 中日 3 0 1 0 3 34.71
通算 237 88 82 2 874 3.69

[編集] 対巨人戦成績

  • 対巨人戦の通算対戦成績は29勝(24敗)。現在の現役選手での1位は中日ドラゴンズの山本昌

[編集] 主なタイトル

[編集] 現在の出演番組

[編集] 関連項目

先代:
伊東昭光
セ・リーグカムバック賞
1993年
次代:
彦野利勝
先代:
西口文也
沢村賞
1998年
次代:
上原浩治
先代:
山本昌
セ・リーグ最多勝投手
1998年
次代:
上原浩治
先代:
宣銅烈1996年1999年
中日ドラゴンズ背番号20番投手
2001年2004年
次代:
中田賢一2005年~)
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1988年ドラフト指名選手
1位:川崎憲次郎 / 2位:岡幸俊 / 3位:笘篠賢治 / 4位:幸田正広 / 5位:関根毅 / 6位:天野武文


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