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藤井秀悟 - Wikipedia

藤井秀悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤井秀悟
北海道日本ハムファイターズ No.18
基本情報
国籍 日本
出身地 愛媛県伊予市
生年月日 1977年5月12日(31歳)
身長
体重
175cm
86kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 1999年 2位(逆指名)
初出場 2000年4月1日
年俸 7,500万円
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

藤井 秀悟ふじい しゅうご1977年5月12日-)は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手投手)である。左投げ左打ち。愛媛県伊予市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

1993年から1995年まで今治西高校に在学。「伊予の怪腕」と呼ばれ、1年時(1993年)夏の高校野球愛媛県大会・決勝で平井正史(現・中日)を擁する宇和島東高校と戦い3-5で惜敗。1995年に選抜高等学校野球大会出場、打っては4番の大活躍でベスト4に残るものの、投球中に左肘関節を脱臼してしまい、以降左肘は古傷となる。同年夏の県大会では、怪我の影響で1試合も登板することができずに松山商業高校に4-5で敗れる。

1996年早稲田大学人間科学部に進学。在学中はエースとして活躍する。東京六大学リーグ通算48試合登板24勝10敗、防御率1.91、249奪三振。2年生春にベストナインに選ばれた。1999年秋のドラフト会議ではヤクルトに2位指名(逆指名)され入団した。

2000年巨人戦でプロ初勝利。2001年開幕から先発ローテーションに定着。巨人戦に滅法強く「巨人キラー」と呼ばれた。6月17日広島戦でプロ初完封勝利。その後も閉幕まで好調を維持し、チームのリーグ優勝に貢献。セ・リーグ最多勝のタイトルを獲得、ベストナインを受賞した。近鉄との日本シリーズでは第2戦に先発したが、中村紀洋(現・中日)に本塁打を浴びるなど、不安定な内容で6回途中降板。黒星はつかなかったが、チームは敗戦した。

2002年には、シーズンの開幕投手を務めた。

2003年開幕前から左肘の違和感を訴えることがあったが、開幕直後に左肘靭帯断裂が発覚して手術。結局、1試合登板しただけでこの年を棒に振った。2004年5月26日中日戦で、故障からの復帰初登板を果たすが、その後は不安定な投球内容が多く、ひざの怪我で離脱することもあった。

2005年前半は4月6日の中日戦で14奪三振を奪ったのをきっかけに安定感抜群の投球を披露した。防御率奪三振でリーグトップを独走。ほとんど7回まで1~3失点に抑え試合を作るも毎回のように見殺しにされ、白星に恵まれなかったが、実質エースとして投手陣を牽引した。9月に入った時点で防御率、奪三振の2部門でリーグ1位だったが、血行障害を発症した9月だけで防御率が1点以上悪化するなど大きく失速して無冠に終わる。しかしながら3年ぶりの二桁勝利で大手術からの復活を印象付けた。

2006年4月16日に中日戦(松山坊っちゃんスタジアム)で地元初勝利を飾った。しかし、前年とは別人のような不安定な投球が続き、同年8月10日、不振のため二軍落ち。

2007年も好投するが、打線の援護に恵まれない試合が目立った。同年7月4日の阪神戦で通算50勝を達成。

2008年1月11日坂元弥太郎三木肇と共に、日本ハム川島慶三橋本義隆押本健彦との3対3の交換トレードが発表され、1月18日に公示された。

同年4月19日福岡ソフトバンクホークス相手に移籍後、初勝利。

球持ちが良く、かつ躍動感あふれる投球フォームが特徴的。球速はあまりないもののキレのあるストレートやスライダー、鋭く沈むチェンジアップなどが持ち球。これらのボールを低めに集める制球が抜群。しかし、肘の怪我から安定感がなくなってしまい、成績が低迷。大リーグ志向が強いことと若手の積極起用の構想から外れるなどが重なり、左の先発補強として2007年シーズンからずっと狙っていた日本ハムとトレードとなる。

2006年以前は試合は作っても味方打線の援護になかなか恵まれず、完投しても敗戦投手になることが多く、逆に援護に恵まれた時には味方の中継ぎ陣が総崩れして勝ち星を消されてしまうこともあった。

[編集] タイトル・表彰・記録

[編集] タイトル

[編集] 表彰

[編集] 初記録

投手記録

打撃記録

[編集] 通算成績(2007年シーズン終了時)

年度


































2000年 ヤクルト 31 1 0 0 0 0 0 137 32.1 23 5 18 2 36 3 1 18 17 4.73
2001年 27 14 8 0 2 1 0 707 173.1 145 24 64 3 124 4 0 62 61 3.17
2002年 28 10 9 0 5 1 3 789 195.2 167 25 44 5 171 6 0 72 67 3.08
2003年 1 0 0 0 0 0 0 12 2.2 3 0 1 1 1 0 0 1 1 3.38
2004年 15 4 6 0 0 0 0 356 78.1 91 16 28 7 73 0 0 53 48 5.51
2005年 28 10 12 0 0 0 0 740 176.0 156 24 64 2 143 5 0 70 67 3.43
2006年 東京ヤクルト 27 7 8 0 1 0 0 553 128.2 124 15 45 6 88 4 1 64 63 4.41
2007年 25 7 10 0 0 0 0 539 123.0 123 18 53 3 96 2 0 71 69 5.05
通算成績 182 53 53 0 8 2 3 3833 910.0 832 127 317 29 732 24 2 411 393 3.89

[編集] 背番号

  • 23(2000年-2001年)
  • 18(2002年-)

[編集] エピソード

  • 同学年で高校野球・全日本選抜のチームメイトだった福留孝介(現シカゴ・カブス)とは大の仲良しで、藤井が福留の鹿児島県の実家に遊びに行ったこともあるという。ただし、プロ入り後の成績は福留が藤井をかなり打ち込んでいる。
  • 2001年5月22日の巨人戦(東京ドーム)で8対1とヤクルトの大量リードで迎えた9回表、藤井は二死三塁の場面で遊ゴロを打ち全力疾走した。自軍の大量リードの場面で投手は打ってはならないという「球界の暗黙のルール」[1]を破ったとして、巨人ベンチから野次を浴び、9回裏には動揺したためか失点を重ね、途中降板し完投を逃した。しかもその際マウンド上で泣いてしまい、更にはヒーローインタビューを拒否した。
  • 2001年、オールスターゲームに初出場する。このとき同じく初出場だった井川慶(当時阪神、現ニューヨーク・ヤンキース)が練習相手がおらず一人で壁あてをしていたのを見かけ、藤井はキャッチボールの相手を買って出たという。同じくサッカー通で『名探偵コナン』のファンという共通点もあり、井川とも交流がある。
  • 球界随一のサッカー通としても知られており、2002年サッカーワールドカップ日本ベルギー戦も観戦した。ただ、その後に風邪を引いて発熱し、自らが先発予定の試合で登板回避した。このため「自己管理がなっていない」として若松勉監督(当時)やコーチからこっぴどく叱られたという。
  • 2004年には横浜市内で交通事故を起こしてしまった。
  • 2005年5月5日の中日戦(ナゴヤドーム)では、タイロン・ウッズの顔付近へ投球してしまい、激怒したウッズに右頬を殴打されて軽症を負った。藤井には舌を出しながら投球するという癖があり、この癖をウッズに「藤井が自分を挑発している」と誤解されてしまったことが、暴行に至らしめた原因とされている。のちにウッズとは和解し握手をしている写真をブログに載せている。
  • マメな性格で、ブログはほぼ毎日更新し、1日に2、3回という更新頻度を誇る。1ヶ月の更新数をぞろ目にすることへのこだわりがあったが、2008年2月はぞろ目にできなかった。日本ハムに移籍後はヤクルト時代からのファンもそのまま応援続け、日本ハムファンからの応援も受けたこともあり、ヤクルト移籍前に比べコメントは数十倍に跳ね上がり、アメブロでは全体で50番内、スポーツ選手に限れば、認知度の高い元ボクシング世界チャンピオン竹原慎二に次ぐ2位をキープするほどの人気ぶりである。比較的露出の少く、知名度があがりにくい巨人阪神の以外のチームのプロ野球選手故に地上波テレビの出演が少ない中でこの人気を保つことはいかにブログの内容や藤井自身のキャラクターが魅力的か物語っている。
  • 漫画『名探偵コナン』のファンであり、登場曲は同作品に関連した曲である。
  • 大の愛犬家として知られ、チワワを6匹飼っている。
  • 漫画ダイヤのA』の主人公「沢村栄純」の投球フォームはこの藤井秀悟がモデルである。単行本4巻の帯にコメントを残している。
  • 2005年2006年の交流戦において、既にパ・リーグ全球団から勝利を挙げており、2008年以降の交流戦でヤクルトから勝ち星を挙げれば全球団勝利となる。
  • 日本ハムでチームメートとなった小谷野栄一とは非常に顔や背格好が似ており、時折ファンからも間違えられる他、自分たちでも入れ替わりを試みたことがあるほど。2人はすぐに意気投合し、ファンからもまとめて「双子」と呼ばれるほどである。

[編集]

  1. ^ 一方のチームが大量リードしている場面で、リードしているチームの投手が打ったり、走者盗塁をしたり、バントをしたりすると、負けているチームへの侮辱行為と見做す「暗黙の了解」がアメリカメジャーリーグを中心に存在し、日本にも影響を及ぼしている。このような侮辱行為があった場合、アメリカでは次の打席や次の試合で「報復」として死球が与えられるのが通例となっている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
M.バンチ
セ・リーグ最多勝投手
2001
次代:
上原浩治
K.ホッジス
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1999年ドラフト指名選手
1位:野口祥順 / 2位:藤井秀悟 / 3位:米野智人 / 4位:細見直樹 / 5位:花田真人 / 6位:本間忠


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