多田野数人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多田野 数人 北海道日本ハムファイターズ No.16 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都墨田区 |
生年月日 | 1980年4月25日(28歳) |
身長 体重 |
181cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目 |
初出場 | MLB / 2004年4月27日 NPB / 2008年5月2日 |
年俸 | 3,000万円(2008年) |
経歴 | |
|
|
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
多田野 数人(ただの かずひと、1980年4月25日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
来歴
高校・大学時代~渡米
高校3年の夏、千葉県予選では4回戦以外無失点で抑える活躍で、八千代松陰高等学校を初の甲子園(第80回大会に導いた。本大会は初戦でPL学園高等学校に敗れた。
立教大学時代には松坂世代の1人として、和田毅(早稲田大学)、土居龍太郎(法政大学)、長田秀一郎(慶應義塾大学)、一場靖弘(明治大学)らと投げ合い、大学通算56試合で20勝16敗、防御率1.51、奪三振334(通算5位)の成績を残す。特に和田とは全日本選抜でチームメイトとなり、現在も親交がある仲だが、この二人は「右の多田野、左の和田」と並び称されるほど高い注目を浴びる存在だった。また、上重聡(日本テレビアナウンサー)は立教大学の同期生である。
東京六大学リーグ屈指の右腕投手と高く評価され、プロ野球ドラフト会議での上位指名は確実と見られていたが、後述のスキャンダルにより日本球界での指名を受けることなく渡米。各球団の入団テストを受け、2003年にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約をした。
米球界時代
1Aからスタートした2003年シーズンには3Aまで昇格し、翌2004年4月24日には日本人21人目のメジャー昇格を果たした。日本でのプロ球界を経ることなくメジャー昇格した日本人選手は、マック鈴木に続き2人目である。7月2日(現地時間)のシンシナティ・レッズ戦ではメジャー初先発初勝利を挙げた。2005年シーズンまでの2年間で主に中継ぎとしてメジャー15試合に登板した。しかしあくまでもマイナー契約であり、メジャー契約の選手が故障者リスト入りなどしたときの代わりとして使われるだけで、メジャー契約は最後まで叶わなかった。
2006年4月1日(日本時間)付でインディアンスから戦力外通告を受けたが、4月4日(日本時間)にはオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結び、メジャーへの挑戦を続けた。同年のシーズン終了後には日本へ戻り、9月22日から10月12日まで四国アイランドリーグにスポット参戦した。所属チームは徳島インディゴソックスだった。
2007年も引き続きアスレチックスとマイナー契約。2Aと3Aで19試合に登板し、8勝7敗・防御率4.86・奪三振133の成績を残すとともに、3Aサクラメント・リバーキャッツがパシフィック・コーストリーグで優勝した時の胴上げ投手ともなったが、10月17日に解雇された。アスレチックスに所属した2年間でのメジャー復帰は叶わなかった。
日本プロ野球時代
2007年のオフシーズンに広島東洋カープや北海道日本ハムファイターズが獲得に動いているという報道がなされたが、同年11月19日に開催されたプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)にて、日本ハムから1巡目指名を受けた。契約金6000万円、新人としては異例の年俸3000万円で契約した。現時点では松坂世代最後のプロ入りであり、松坂世代最後の秘密兵器と言われている。なお多田野は日本ハムが大場翔太(東洋大学)と服部泰卓(トヨタ自動車)の交渉権獲得に相次いで失敗した後に指名されたが、大場は多田野の高校の後輩であり、交流がある。2008年の年始には一緒に自主トレを行った。
その2008年1月6日、都内でランニング中に転倒し左手首を骨折。日本ハム入団時に多田野は異例の「メジャー待遇」として千葉県鎌ヶ谷市にある選手寮への入寮を免除されていたが、リハビリのため結局入寮している。同月18日に破片状になった骨の回復手術。その後、キャンプ期間中からシーズン開幕まで2ヶ月以上のリハビリ及び調整を行い、同年5月2日に一軍登録、その日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発。7回を被安打1、奪三振4、失点0で、日本球界初登板にして勝利投手となった。
年度別投手成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
勝 率 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
Q S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | CLE | 32 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | 50.1 | 55 | 6 | 18 | 3 | 39 | 2 | 0 | 30 | 26 | 4.65 | 1.450 | 2 |
2005年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 4.0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.25 | 1.000 | 0 | ||
MLB(実働2年) | 15 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 | 54.1 | 59 | 6 | 18 | 3 | 40 | 2 | 0 | 31 | 27 | 4.47 | 1.417 | 2 |
記録(日本プロ野球)
初記録(2008年5月末現在)
投手成績
- 初登板・初先発登板:2008年5月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス9回戦(札幌ドーム) ― 先発
- 初奪三振:同上 ― 3回表二死、打者:渡辺直人
- 初勝利:同上
打撃成績
- 初安打:2008年5月29日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場) ― 5回表無死、投手:石川雅規
スキャンダル
2002年の夏ごろからネット掲示板や週刊誌で、「ゲイビデオに多田野そっくりの男が野球部の後輩たちと出演している」との噂が流れ、立教大学野球部の監督が事実を認めた[1]。
この時、多田野はプロ野球ドラフト会議の目玉選手の一人として、複数のプロ球団による争奪戦が展開され、一時は横浜ベイスターズが自由獲得枠で獲得することが決定したと報じられていた[要出典]。しかし、横浜はドラフト直前で指名を回避し、その理由を「諸般の事情を総合的に検討した結果」と説明した[2]。その後、福岡ダイエーホークスが獲得に乗り出すなどの動きもあったが、2002年のドラフト会議では、どの球団も多田野を指名しなかった。当時のスポーツメディアは、ドラフト直前に多田野が右肩と右肘の治療を理由にインターコンチネンタル杯出場を回避していたので、「故障のため指名回避」と伝えた。
2004年に、アメリカでもゲイビデオ出演の過去が伝えられ、記者会見で「大学時代に(そのような)ビデオに出たことがあり、今はとても後悔しています。当時は若くお金が必要でした。たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません」「僕はゲイではありません。これだけははっきりと真実を伝えたかった」と説明した。
プレースタイル
大きく振りかぶりながら、最終的に野手のような手投げで投げる、ギクシャクした独特の変則フォームを駆使する。高校時代に指導者からフォームを直すように言われたことがあった。大学時代は「最速153km/hの本格派」などといわれていたが、メジャーリーグから帰ってきたときは最速140km/h程度で、MLB特有のどのボールも微妙に揺れて芯やタイミングを外す投球術を身に付けてきた(ただし左手首が完治しておらず投球の際に上手く折り畳めないため、完治すれば球速はこれ以上出ると思われる)。
球種はスライダー、ツーシーム、チェンジアップ、フォークなど。サインは5種類[3] と明かしている。特にスライダーは切れ味が鋭く、鬼スライダーとも呼ばれる。[4]チェンジアップは数種類投げ分け、もっとも遅いものは球速90km/h台である。また、ツーシームはメジャー仕込みと思われる。
他に大きな山なりの弧を描く、60~70km/hの超スローボール「ただのボール(英語ではeephus pitchと呼ばれる)」を持つ。メジャー時代、アレックス・ロドリゲスに対して投げ、三塁ゴロに打ち取ったこともある。日本でも2008年6月18日のセ・パ交流戦・対広島東洋カープ(広島市民球場)、スコット・シーボルに対する投球で披露し、ショートゴロに打ち取った。このときはテレビカメラの撮影範囲外まで投球が上がり、「消える魔球」と呼ばれてスピードガンによる計測も出来なかった。本人談によると、「流れを変えたかった」とのこと[5]。なお、この時の球速は北海道テレビ放送「イチオシ!」と同年6月19日のスカイパーフェクTV!フジテレビ739「プロ野球ニュース」において投打間の距離と時間から計算した数値として約40km/hであったと放送された。
四死球が極端に少ないことも特徴として挙げられる。
また、二軍戦初登板を観戦した東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラーが、「どんな球種を投げているのか分からない」とコメントしたことがある。
エピソード
脚注
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
監督 |
---|
88梨田昌孝 |
コーチ |
78福良淳一(ヘッド)|74厚沢和幸(投手)|81吉井理人(投手)|77中島輝士(打撃)|82平野謙(打撃)|89真喜志康永(内野守備)|87清水雅治(外野守備走塁) |
二軍監督・コーチ |
72水上善雄(監督兼内野守備)|80野村収(投手)|73島崎毅(投手)|71山中潔(バッテリー)|76大村巌(打撃)|83荒井幸雄(打撃)|75川名慎一(外野守備走塁) |
投手 |
11ダルビッシュ有|12歌藤達夫|13須永英輝|14グリン|16多田野数人|17宮本賢|18藤井秀悟|19中村泰広|20糸数敬作|21武田久|22建山義紀|25宮西尚生|27江尻慎太郎|28金澤健人|29八木智哉|30坂元弥太郎|34吉川光夫|35木下達生|36マイケル中村|38武田勝|42スウィーニー|43星野八千穂|44山本一徳|46植村祐介|47菊地和正|48津田大樹|49内山雄介|57松山傑|59金森敬之|60伊藤剛|66ダース・ローマシュ匡|67豊島明好|68浅沼寿紀 |
捕手 |
2高橋信二|32中嶋聡(バッテリーコーチ兼任)|37小山桂司|56駒居鉄平|62今成亮太|63渡部龍一|64鶴岡慎也 |
内野手 |
3田中賢介|4飯山裕志|5稲田直人|6中田翔|8金子誠|9小田智之|23尾崎匡哉|24陽仲壽|31小谷野栄一|33三木肇|39ボッツ|45今浪隆博|50市川卓|58高口隆行 |
外野手 |
1森本稀哲|7坪井智哉|10スレッジ|26糸井嘉男|40金子洋平|41稲葉篤紀|51村田和哉|52紺田敏正|53工藤隆人|54大平成一|55佐藤吉宏|65鵜久森淳志 |
北海道日本ハムファイターズ 2007年ドラフト指名選手 |
---|
大学生・社会人 - 1巡目:多田野数人 / 3巡目:宮西尚生 / 4巡目:村田和哉 |
高校生 − 1巡目:中田翔 / 3巡目:津田大樹 / 4巡目:大平成一 / 5巡目:松山傑 / 6巡目:豊島明好 / 7巡目:浅沼寿紀 |