坂元弥太郎
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坂元 弥太郎(さかもと やたろう、1982年5月24日 - )は、北海道日本ハムファイターズ所属の野球選手である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] アマチュア時代
広島県広島市で男ばかり四人兄弟の第二子として生まれ、埼玉県蕨市で育つ。中学卒業直前に実母が胃癌で逝去(享年44)。
浦和学院高校3年時(2000年)に夏の甲子園に出場。埼玉県大会決勝では中里篤史(現・中日ドラゴンズ)を擁して優勝候補筆頭だった春日部共栄高校をサヨナラで降した。なおこの時のサヨナラのセンター前打で本塁を陥れたのは坂元で、非凡な走塁も見せている。
甲子園でも滋賀県立八幡商業高校戦で1試合19奪三振(56年ぶりのタイ記録)を記録した。2回戦で福岡県代表の柳川高校に敗れた。同年秋、ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団した。
[編集] プロ入り後
1年目の2001年は二軍で先発として起用され、6勝6敗、防御率3.15の成績を残したが、一軍登板はならなかった。
翌2002年になると開幕一軍メンバーに選ばれ、4月3日に一軍初登板。中継ぎで好投を続け、5月12日には初先発の座を勝ち取る。自身の誕生日5月24日にプロ初勝利。勝ち運に恵まれない中、最終的には3勝9敗ながら、100奪三振、防御率3.68の好成績を残した。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出された。
2003年には背番号11を与えられ、次代のエースとしての活躍を期待されるが不振に陥り、2004年も一軍定着はできなかった。2005年、久々に開幕を一軍で迎えたが、4月半ばに右肩痛により一軍登録を抹消。8月には足首を手術。
2006年に背番号を45に変更。主に中継ぎで一軍30試合、二軍25試合に登板する。ただし先発としては8月18日の阪神タイガース戦で2回持たず8失点の乱調で、翌日には二軍降格を命じられた。
2007年は開幕から二軍で主に抑えとして好投。これが評価され8月3日に約1年ぶりに一軍に昇格。しかし一軍ではパッとせず、程無くして二軍に逆戻りする事になった。その後も二軍で抑えを務め続け、イースタン・リーグ新記録となる18セーブで最多セーブ投手のタイトルを得ている。
2008年1月18日に、川島慶三、橋本義隆、押本健彦との交換トレードで、藤井秀悟、三木肇と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍した。キャンプ・オープン戦では好調を維持し、開幕一軍の座を確保。開幕2試合目の3月22日対千葉ロッテマリーンズ戦7回表同点の場面で、先発藤井の後を受けて登板したが、制球定まらず移籍後初登板で、敗戦投手となった。
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] 年度別成績(2007年シーズン終了時)
年度 | 所 属 球 団 |
登 板 |
勝 利 |
敗 北 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 勝 |
無 四 球 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | ヤクルト | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
2002年 | 29 | 3 | 9 | 0 | 1 | 1 | 0 | 444 | 107.2 | 93 | 14 | 28 | 6 | 100 | 4 | 0 | 49 | 44 | 3.68 | |
2003年 | 32 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 247 | 54.0 | 71 | 14 | 19 | 1 | 44 | 1 | 0 | 40 | 36 | 6.00 | |
2004年 | 34 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 215 | 49.0 | 49 | 5 | 22 | 2 | 42 | 5 | 0 | 24 | 24 | 4.41 | |
2005年 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 46 | 10.0 | 14 | 2 | 3 | 1 | 7 | 1 | 0 | 10 | 10 | 9.00 | |
2006年 | 東京ヤクルト | 30 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 149 | 34.1 | 33 | 3 | 14 | 1 | 35 | 6 | 0 | 21 | 19 | 4.98 |
2007年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1.0 | 2 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | |
通算成績 | 132 | 12 | 14 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1108 | 256.0 | 262 | 39 | 88 | 11 | 230 | 17 | 0 | 145 | 134 | 4.71 |
[編集] 初記録
投手記録
- 初登板:2002年4月3日、対広島東洋カープ2回戦(明治神宮野球場) - 延長12回表に8番手として救援、打者:野村謙二郎
- 初奪三振:2002年4月9日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム) - 6回裏二死、打者:清原和博
- 初先発:2002年5月12日、対広島東洋カープ8回戦(長崎県営野球場)
- 初勝利:2002年5月24日、対横浜ベイスターズ6回戦(明治神宮野球場)
- 初完投・初完投勝:2002年9月18日、対広島東洋カープ22回戦(明治神宮野球場)
- 初完封勝:同上
打撃記録
- 初登板で対戦した第1打者に被本塁打
- 上記「初記録」の「初登板」の項を参照。
[編集] エピソード
- 2002年9月12日の阪神戦で先発登板したが、実はこの試合は山部太が先発予定だった。間違えて翌日登板予定の坂元の先発登板が告げられ、急遽登板する事になったものである。
- 平尾博嗣(現埼玉西武ライオンズ)の従妹にあたる浦和学院高校の一期後輩の女性と2003年に結婚、女児が二人いる。
[編集] 外部リンク
監督 |
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88梨田昌孝 |
コーチ |
78福良淳一(ヘッド)|74厚沢和幸(投手)|81吉井理人(投手)|77中島輝士(打撃)|82平野謙(打撃)|89真喜志康永(内野守備)|87清水雅治(外野守備走塁) |
二軍監督・コーチ |
72水上善雄(監督兼内野守備)|80野村収(投手)|73島崎毅(投手)|71山中潔(バッテリー)|76大村巌(打撃)|83荒井幸雄(打撃)|75川名慎一(外野守備走塁) |
投手 |
11ダルビッシュ有|12歌藤達夫|13須永英輝|14グリン|16多田野数人|17宮本賢|18藤井秀悟|19中村泰広|20糸数敬作|21武田久|22建山義紀|25宮西尚生|27江尻慎太郎|28金澤健人|29八木智哉|30坂元弥太郎|34吉川光夫|35木下達生|36マイケル中村|38武田勝|42スウィーニー|43星野八千穂|44山本一徳|46植村祐介|47菊地和正|48津田大樹|49内山雄介|57松山傑|59金森敬之|60伊藤剛|66ダース・ローマシュ匡|67豊島明好|68浅沼寿紀 |
捕手 |
2高橋信二|32中嶋聡(バッテリーコーチ兼任)|37小山桂司|56駒居鉄平|62今成亮太|63渡部龍一|64鶴岡慎也 |
内野手 |
3田中賢介|4飯山裕志|5稲田直人|6中田翔|8金子誠|9小田智之|23尾崎匡哉|24陽仲壽|31小谷野栄一|33三木肇|39ボッツ|45今浪隆博|50市川卓|58高口隆行 |
外野手 |
1森本稀哲|7坪井智哉|10スレッジ|26糸井嘉男|40金子洋平|41稲葉篤紀|51村田和哉|52紺田敏正|53工藤隆人|54大平成一|55佐藤吉宏|65鵜久森淳志 |
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 2000年ドラフト指名選手 |
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1位:平本学 / 2位:鎌田祐哉 / 3位:松谷秀幸 / 4位:坂元弥太郎 / 5位:畠山和洋 |