稲葉篤紀
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稲葉 篤紀 北海道日本ハムファイターズ No.41 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県西春日井郡師勝町(現北名古屋市) |
生年月日 | 1972年8月3日(35歳) |
身長 体重 |
186cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 右翼手、一塁手、中堅手 |
プロ入り | 1994年 3位 |
初出場 | 1995年6月21日 |
年俸 | 2億4,000万円(2008年) |
経歴 | |
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稲葉 篤紀(いなば あつのり、1972年8月3日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
中京高校(現・中京大附属中京高校)では3年夏の愛知県大会決勝でイチローのいた愛工大名電高に敗れた。卒業後は法政大学に進み3年次の春から一塁手としてレギュラーに定着。同年の第22回日米大学野球の代表に選ばれた。4年次には春季リーグでベストナインに選ばれ、第23回日米大学野球の代表にも選ばれている。
1994年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。外野手としての練習を始める。一年目の1995年から一軍で出場し、初打席初本塁打を放ったほか、ブロスのノーヒットノーラン達成時には好捕でこれを助けるなど、チームの優勝に貢献した。1996年からは中軸を打ち、守備力でもヤクルトの3度の日本シリーズ優勝に貢献した。1997年にはチーム2位の21本塁打を放つなど長打力もあり、特に2001年は25本塁打、自己最多の90打点という成績を残して初のベストナインに選ばれた。
2004年オフにフリーエージェント(FA)宣言。メジャーリーグへの移籍を希望したが断念し、翌年2月に日本ハムへ移籍した。FAによってセントラル・リーグ球団からパシフィック・リーグ球団に移籍したのは、1995年の仲田幸司(阪神→千葉ロッテ)以来9年ぶり。
2006年には自己2番目の打率.307、打点75と自己最多の26本塁打を記録し、日本ハムの日本一に貢献。アジアシリーズでは4番を打った。また森本稀哲、新庄剛志とともにゴールデングラブ賞のパ・リーグ外野手部門を独占(1978年の阪急ブレーブス以来28年振り3回目)。
2007年は3番に定着し、オールスターゲームにも6年振りに出場。またプロ入り13年目で初となる個人タイトル・首位打者(打率.334)、リーグ最多安打(176安打)を獲得したほか、チームトップの打点87を記録した。しかし、日本シリーズでは徹底マークされ二塁打1本に終わるなど不振だった。
- 攻守交代時に全力疾走することが有名で、ヤクルト時代にはセ・リーグから表彰を受けた。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 |
打 率 |
出 塁 率 |
失 策 |
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1995年 | ヤクルト | 41 | 67 | 248 | 215 | 22 | 66 | 10 | 0 | 8 | 100 | 40 | 3 | 2 | 2 | 1 | 25 | 5 | 33 | 5 | .307 | .390 | 1 |
1996年 | 125 | 496 | 436 | 63 | 135 | 26 | 3 | 11 | 200 | 53 | 9 | 5 | 7 | 7 | 38 | 8 | 66 | 9 | .310 | .370 | 3 | ||
1997年 | 130 | 494 | 439 | 71 | 117 | 24 | 4 | 21 | 212 | 65 | 9 | 6 | 10 | 1 | 37 | 7 | 67 | 6 | .267 | .333 | 5 | ||
1998年 | 88 | 280 | 258 | 29 | 72 | 17 | 2 | 5 | 108 | 23 | 4 | 2 | 2 | 1 | 13 | 6 | 42 | 2 | .279 | .327 | 7 | ||
1999年 | 68 | 142 | 132 | 15 | 35 | 11 | 1 | 2 | 54 | 22 | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 1 | 26 | 3 | .265 | .305 | 2 | ||
2000年 | 87 | 290 | 274 | 36 | 77 | 13 | 0 | 11 | 123 | 30 | 0 | 0 | 4 | 2 | 8 | 2 | 42 | 2 | .281 | .304 | 0 | ||
2001年 | 138 | 601 | 527 | 94 | 164 | 32 | 5 | 25 | 281 | 90 | 5 | 4 | 13 | 2 | 43 | 16 | 89 | 6 | .311 | .379 | 4 | ||
2002年 | 116 | 488 | 448 | 59 | 119 | 19 | 3 | 10 | 174 | 39 | 3 | 1 | 8 | 4 | 21 | 7 | 77 | 2 | .266 | .306 | 0 | ||
2003年 | 69 | 289 | 260 | 46 | 71 | 8 | 3 | 11 | 118 | 30 | 4 | 1 | 3 | 1 | 18 | 7 | 48 | 6 | .273 | .336 | 1 | ||
2004年 | 135 | 473 | 437 | 61 | 116 | 20 | 3 | 18 | 196 | 45 | 6 | 3 | 5 | 2 | 23 | 6 | 85 | 3 | .265 | .310 | 2 | ||
2005年 | 日本ハム | 58 | 127 | 441 | 414 | 55 | 112 | 28 | 4 | 15 | 193 | 54 | 3 | 3 | 1 | 1 | 21 | 4 | 82 | 5 | .271 | .311 | 2 |
2006年 | 41 | 128 | 518 | 473 | 66 | 145 | 20 | 2 | 26 | 247 | 75 | 5 | 5 | 6 | 2 | 27 | 10 | 74 | 6 | .307 | .355 | 3 | |
2007年 | 137 | 579 | 527 | 61 | 176 | 39 | 0 | 17 | 266 | 87 | 6 | 3 | 0 | 4 | 35 | 13 | 69 | 10 | .334 | .387 | 2 | ||
通算成績 | 1415 | 5339 | 4840 | 678 | 1405 | 267 | 30 | 180 | 2272 | 653 | 60 | 36 | 62 | 29 | 316 | 92 | 800 | 65 | .290 | .338 | 32 |
※太字はリーグ最高。
[編集] 守備成績
年度 | 外野 | 一塁 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1995 | 63 | 89 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 16 | 1 | 1 | 2 | .944 |
1996 | 122 | 213 | 10 | 3 | 4 | .987 | 2 | 14 | 1 | 0 | 1 | 1.000 |
1997 | 127 | 224 | 5 | 5 | 5 | .979 | 9 | 30 | 0 | 0 | 3 | 1.000 |
1998 | 70 | 87 | 0 | 5 | 0 | .946 | 20 | 146 | 9 | 2 | 13 | .987 |
1999 | 25 | 41 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 6 | 36 | 4 | 2 | 0 | .952 |
2000 | 76 | 129 | 5 | 0 | 2 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2001 | 137 | 278 | 12 | 4 | 1 | .986 | - | |||||
2002 | 115 | 215 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||
2003 | 69 | 145 | 6 | 1 | 0 | .993 | - | |||||
2004 | 130 | 248 | 3 | 2 | 0 | .992 | - | |||||
2005 | 125 | 244 | 14 | 2 | 7 | .992 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 |
2006 | 126 | 275 | 7 | 3 | 1 | .989 | - | |||||
2007 | 123 | 255 | 4 | 2 | 1 | .992 | 2 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1.000 |
- ※太字はリーグ最高
- ※2007年シーズン終了時点
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] タイトル
- 首位打者:1回(2007年)
- 最多安打:1回(2007年)
- ベストナイン:3回(セ・リーグ外野手部門:2001年、パ・リーグ外野手部門:2006年、2007年)
- ゴールデングラブ賞:2回(パ・リーグ外野手部門:2006年~2007年)
- 日本シリーズMVP:1回(2006年)
[編集] 表彰
- オールスターゲーム出場:3回(1996年、2001年、2007年)
- スピードアップ賞:2回(2000年、2001年) ※2001年はスワロー・エクスプレス賞(セ・リーグ会長特別表彰)として
- 月間MVP:2回(パ・リーグ野手部門:2006年7月度、2007年9月度)
[編集] 記録
- 日本シリーズ(5試合制)最多打点:1回(2006年、7打点はシリーズタイ記録)
[編集] 初記録
- 初出場・初先発出場:1995年6月21日、対広島東洋13回戦(広島市民球場) - 8番・一塁手で先発出場
- 初安打・初本塁打・初打点:同上 - 2回表、投手:紀藤真琴
- 初盗塁:1995年8月3日、対阪神21回戦(阪神甲子園球場) - 6回表、投手:藪恵壹、捕手:木戸克彦(二盗)
[編集] 稲葉ジャンプ
日本ハムでは得点圏にランナーを置いた状態で稲葉の打席を迎えると、一斉にファンが飛び跳ねる「稲葉ジャンプ」と呼ばれる応援が定着し、札幌ドームの試合ではその震動でカメラの映像が大きく揺れる。 この揺れは震度3~4に相当すると言われている。 この応援スタイルは外野スタンドの一角から発生、それがどんどん規模を増していつの間にか球場全体が飛び跳ねるようになった(ただし、札幌ドームでは内野スタンドで立ち上がって応援することは禁止されているが道内メディアは制止を呼び掛けるどころかマナー違反を助長している)。 本人は「イナバイブ」と名づけたが、マスコミやファンの間では「稲葉ジャンプ」という呼称が定着している。
札幌ドームは野球・サッカー等多目的競技施設としての性格を持ち、サッカー用の天然芝フィールドをドームに隣接する敷地で育成・維持している関係上、センター・バックスクリーンにあたる位置のスタンド・構造物を移動させてドーム内に天然芝フィールドを出し入れするため、カメラの設置されているセンター・バックスクリーンのスタンドは可動式のスタンドで柔構造の比較的揺れやすい仕掛けになっている。
前述の通りレフトスタンド以外では禁止行為にも関らず当たり前のように行われおり問題視されているのも事実である。今後ドーム側や球団、稲葉本人による注意喚起が期待される。
[編集] エピソード
- 上述のように、法大で一塁手に定着したのは3年春(1993年)からだが、試合そのものには1年春から出ており、スタメンで出た時は中軸を打つこともあった。しかし、稲葉が一塁手に定着できなかった理由は、2年上に当時4番を打つ一塁手がいた(その選手は、高校時代は遊撃手で大学では三塁手としてデビューしたが、稲葉が入部した頃は一塁手に専念していた)ことや、故障があったことが挙げられる。特に2年春は左翼手としてのスタメン起用も検討されていた(当時の週刊ベースボール増刊『東京六大学野球特集号』より)が、故障のため不出場に終わった。
- 野村克也(現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)がヤクルトの監督だった頃、息子の野村克則(当時、明大3年)目当てで東京六大学野球を観戦した際に、法大の稲葉のプレーが目に止まり「是非稲葉が欲しい」と獲得に至った。
- 本人は「もともと一塁手だった為、他の外野手のような大きく腕を振ることができず、捕球してから早く送球したいために手が頭の上に来る。そこ(頭の上)から強く投げることを体で覚えた」とファイターズマガジンのインタビューで語っており、ボールを捕ってから投げるまでが早いため強肩に見えるのではないかと話している。
- 2006年8月13日の千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)、無死一・二塁の場面で右翼フェンスを直撃する打球に対して一度捕球姿勢をとり、二塁走者のスタートを遅らせて生還を阻止するというトリックプレーを行った。また9月17日の同カード(札幌ドーム)でも一死一・三塁で同じプレーを行い、三塁走者・西岡剛の本塁突入を阻止した。
- 法大では経営学部で学んだが, 単位不足で卒業はしていない。
[編集] 背番号
[編集] 登場曲
- QUEEN:『I Was Born To Love You』 ※この曲にあわせてファンがメガホンを回す応援が定着している。
- EXILE:『銀河鉄道999 feat.VERBAL (m-flo)』※2008年3月28日より使用。得点圏に走者がいる場合には、「I Was Born To Love You」を使用している。
[編集] 関連項目
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監督 |
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88梨田昌孝 |
コーチ |
78福良淳一(ヘッド)|74厚沢和幸(投手)|81吉井理人(投手)|77中島輝士(打撃)|82平野謙(打撃)|89真喜志康永(内野守備)|87清水雅治(外野守備走塁) |
二軍監督・コーチ |
72水上善雄(監督兼内野守備)|80野村収(投手)|73島崎毅(投手)|71山中潔(バッテリー)|76大村巌(打撃)|83荒井幸雄(打撃)|75川名慎一(外野守備走塁) |
投手 |
11ダルビッシュ有|12歌藤達夫|13須永英輝|14グリン|16多田野数人|17宮本賢|18藤井秀悟|19中村泰広|20糸数敬作|21武田久|22建山義紀|25宮西尚生|27江尻慎太郎|28金澤健人|29八木智哉|30坂元弥太郎|34吉川光夫|35木下達生|36マイケル中村|38武田勝|42スウィーニー|43星野八千穂|44山本一徳|46植村祐介|47菊地和正|48津田大樹|49内山雄介|57松山傑|59金森敬之|60伊藤剛|66ダース・ローマシュ匡|67豊島明好|68浅沼寿紀 |
捕手 |
2高橋信二|32中嶋聡(バッテリーコーチ兼任)|37小山桂司|56駒居鉄平|62今成亮太|63渡部龍一|64鶴岡慎也 |
内野手 |
3田中賢介|4飯山裕志|5稲田直人|6中田翔|8金子誠|9小田智之|23尾崎匡哉|24陽仲壽|31小谷野栄一|33三木肇|39ボッツ|45今浪隆博|50市川卓|58高口隆行 |
外野手 |
1森本稀哲|7坪井智哉|10スレッジ|26糸井嘉男|40金子洋平|41稲葉篤紀|51村田和哉|52紺田敏正|53工藤隆人|54大平成一|55佐藤吉宏|65鵜久森淳志 |
ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ) 1994年ドラフト指名選手 |
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1位:北川哲也 / 2位:宮本慎也 / 3位:稲葉篤紀 / 4位:吉元伸二 |