島野育夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島野 育夫 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県宇都宮市 |
生年月日 | 1944年3月30日 |
没年月日 | 2007年12月15日(満63歳没) |
身長 体重 |
175cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1963年 |
初出場 | 1963年 |
最終出場 | 1980年 |
経歴 | |
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(外野手)。引退後はコーチ、野球解説者を務めた。
コーチ時代は、相手の癖を盗む特技を生かし、球界屈指の名参謀としてその名をとどろかせていた。特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあっては、島野が在籍していた時期は最下位になったことが一度もなく、関係者やファンからの信頼は非常に厚かった。
目次 |
[編集] 経歴
作新学院高校から社会人野球の明電舎に進み、1963年に中日ドラゴンズに入団。1968年シーズン途中に南海ホークスに移籍。野村克也選手兼任監督のもとで頭角を現し、1973年には61盗塁を記録するなど俊足巧打の一番打者、守ってはこの年のゴールデングラブ賞を受賞する強肩外野手として活躍、この年の南海の優勝に貢献する。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは最後の打者となってしまったが、翌年・翌々年もゴールデングラブ賞に輝く中心選手としてチームを牽引した。
1976年に阪神タイガースに移籍し、1980年をもって現役引退。
1982年、阪神の守備・走塁コーチに就任。8月31日の大洋ホエールズ戦で石橋貢の捕球に対する判定を巡って柴田猛とともに審判に暴行。審判を追い掛け回し、殴り続けるという残虐な行為が映像としてお茶の間に流れたこともあり、永久追放を求める声も出た。結果的に無期限出場停止の処分を受けるが、翌年解除された。1984年をもって退団。
1985年はサンテレビジョンで野球解説者を務め、解説者としてこの年優勝した阪神のビールかけに参加した。
1986年、中日のコーチに就任。翌1987年に星野仙一が監督に就き、そこから星野とともに活動する機会が増える(後述)。落合博満は現役引退後の著書で、中日が優勝を果たした1988年シーズン中、コーチ陣では島野だけが選手の相談役となり、起用法などの不満を聞いてやっていたと綴っている。鬼軍曹と呼ばれていたが、選手たちからも信頼されていた。
1992年、阪神のコーチに復帰。三塁ベースコーチを担当し、前年まで最下位と5位を行き来しどん底にあった阪神が終盤まで優勝争いを演じるほどの快進撃の一翼を担った。
1995年、中日に二軍監督として復帰。この年には休養した高木守道、徳武定祐の後を受け監督代行を務める。1999年の第2次星野政権のリーグ優勝に貢献。
2001年オフ、阪神の監督に招聘された星野仙一に従う形で阪神にコーチとして復帰。この時、島野は中日の二軍監督として残留することになっており、すでに発表済みでもあったが、それを一方的に破棄する格好になった。中日側からは批判の声があがったが、星野は「オレと島ちゃんはどんな名刀でも切り裂くことができない」と言い、非はこちらにあるが、勘弁してくれと中日サイドを説得したという。2003年に阪神がリーグ優勝を果たすのに大きく貢献した。当時健康問題を抱えていた星野が試合中にベンチで休み、それに代わってヘッドコーチの島野が実質上の采配をふるったこともあった。翌2004年、星野の勇退とともにコーチを辞任しフロント入りしたが、2005年に久万俊二郎オーナーの鶴の一声で一軍総合コーチに復帰した。
2006年には二軍監督に就任するが、4月26日から胃潰瘍による長期入院を余儀なくされ、シーズン中は立石充男二軍打撃兼守備コーチが監督代行を務めた。
2007年に二軍監督の役職を平田勝男に譲って現場から離れ、自らは総合特命コーチに就任。翌年からは球団アドバイザーに就く予定だったが、12月15日、胃癌のため兵庫県西宮市の病院で死去した。享年64(満63歳没)
[編集] 人物
- 現役時代は後輩の星野仙一に対し「おい星野」と呼び捨てにしていたが、星野は2歳年上の島野を「島ちゃん」と呼ぶ一方、監督とコーチという関係になった時から島野は「監督」と呼び敬語を使うようになり、それは死去まで変わらなかったという。また、星野の妻からの信頼も厚く、中日時代に交わした「主人を日本一にしてあげてください」という約束を守るために星野に追随して阪神に移籍したともいう。星野の妻が病死した際は葬儀にも納骨まで出席し、晩年まで墓参りを欠かさなかった。田淵幸一や山本浩二と星野の「友達」関係とはまた違う、職場関係を越えた深い仲にあった(デイリースポーツの島野コラムより)。
- 口癖は「そうねえ」「んまあねえ」。
- 趣味は手品。選手にマジックを披露することも度々あった。
- 亡くなる数か月前、神戸・三宮に創作洋食の店をオープンし、オーナーとして経営していた。島野が亡くなってからは夫人が店長兼オーナーを務めている。
- 長男は競輪選手の島野敦識。
[編集] 年度別打撃成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1963年 | 中日 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 |
1964年 | 44 | 27 | 8 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 | 11 | .185 | ||
1965年 | 35 | 99 | 155 | 23 | 30 | 2 | 3 | 2 | 44 | 14 | 14 | 3 | 2 | 9 | 36 | .194 | |
1966年 | 104 | 126 | 16 | 30 | 2 | 1 | 1 | 37 | 10 | 7 | 5 | 1 | 9 | 13 | .238 | ||
1967年 | 86 | 136 | 13 | 28 | 2 | 1 | 0 | 32 | 8 | 2 | 7 | 1 | 7 | 33 | .206 | ||
1968年 | 22 | 20 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | .100 | ||
南海 | 10 | 91 | 124 | 21 | 28 | 2 | 2 | 4 | 46 | 12 | 14 | 4 | 1 | 10 | 26 | .226 | |
1969年 | 119 | 380 | 38 | 101 | 12 | 2 | 6 | 135 | 28 | 21 | 6 | 1 | 25 | 58 | .266(20) | ||
1970年 | 81 | 154 | 20 | 45 | 5 | 1 | 1 | 55 | 9 | 5 | 2 | 0 | 9 | 18 | .292 | ||
1971年 | 82 | 84 | 17 | 15 | 0 | 0 | 0 | 15 | 3 | 7 | 0 | 0 | 5 | 19 | .179 | ||
1972年 | 85 | 185 | 28 | 52 | 5 | 4 | 0 | 65 | 14 | 12 | 1 | 3 | 14 | 16 | .281 | ||
1973年 | 130 | 559 | 68 | 141 | 17 | 2 | 2 | 168 | 28 | 61 | 8 | 0 | 27 | 46 | .252(24) | ||
1974年 | 106 | 380 | 55 | 104 | 17 | 6 | 2 | 139 | 25 | 30 | 2 | 3 | 28 | 39 | .274(13) | ||
1975年 | 103 | 375 | 44 | 86 | 11 | 4 | 2 | 111 | 30 | 28 | 4 | 2 | 21 | 34 | .229 | ||
1976年 | 阪神 | 8 | 78 | 67 | 16 | 12 | 2 | 0 | 0 | 14 | 2 | 11 | 3 | 0 | 3 | 21 | .179 |
1977年 | 68 | 65 | 15 | 17 | 3 | 0 | 1 | 23 | 9 | 7 | 5 | 0 | 6 | 10 | .262 | ||
1978年 | 89 | 179 | 22 | 34 | 8 | 1 | 3 | 53 | 16 | 9 | 4 | 1 | 12 | 30 | .190 | ||
1979年 | 43 | 12 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 14 | 0 | 0 | 2 | 3 | .250 | ||
1980年 | 35 | 0 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
通算成績 | 1466 | 3029 | 431 | 733 | 90 | 27 | 24 | 949 | 211 | 251 | 51 | 15 | 188 | 419 | .242 |
[編集] タイトル・表彰
[編集] 背番号
- 11(1963年 - 1964年)
- 33(1965年 - 1968年途中)
- 10(1968年途中 - 1975年)
- 8(1976年 - 1980年)
- 88(1981年 - 1984年)
- 76(1986年)
- 68(1987年 - 1989年)
- 81(1990年 - 1991年)
- 73(1992年 - 1994年)
- 91(1995年)
- 78(1996年 - 2003年)
- 91(2005年 - 2007年)
[編集] 関連項目
- 栃木県出身の人物一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 野村克也
- ドン・ブレイザー
- 星野仙一
- $10(テンダラー) - 2002年から熱血!!タイガース党(サンテレビ)で共演し、親交が深かった。
|