平田勝男
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平田 勝男 阪神タイガース No.70 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 長崎県松浦市 |
生年月日 | 1959年7月31日(48歳) |
身長 体重 |
177cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 1981年 2位 |
初出場 | 1982年 |
最終出場 | 1994年 |
経歴 | |
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平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、長崎県松浦市出身の元プロ野球選手(内野手)。
現役時代は阪神タイガースに在籍し、主に遊撃手を務めた。引退後は野球解説者、コーチ、広報を経て、2007年シーズンよりタイガース二軍監督。
目次 |
[編集] 経歴
長崎海星高校時代には2年生でレギュラーとなり、1年先輩の好投手酒井圭一を擁して1976年夏の甲子園大会に出場し、ベスト4となる。翌1977年にも主将として春の甲子園に出場。このとき、くじを引き当てて開会式の選手宣誓を行っている。
卒業後は明治大学に進み、当時の野球部監督・島岡吉郎の指導を受ける。選手によく「愛のムチ」を奮った島岡にはよく殴られており、新聞記者に「なぜ御大(島岡監督)の暴力を記事にしないんですか?」と聞いたところ「殴られた選手が必ず良くなるのは、明治だけだ」と返されたことがある。大学時代からバントの技術には定評があり、出場した日米大学野球では、解説者に「平田のバントは百発百中」と紹介されていた。
1981年のドラフト2位で阪神から指名され入団。当時の平田は守備は一級品であったが打撃に関しては非力で、島岡監督は「プロに入っても成功しない」と考えていた。平田も島岡の考えに従い社会人へ進むことを決めており、入団交渉の際も別室で控え島岡に交渉を任せていた。島岡は阪神側に「平田はプロには行かせない」と断りを入れる。しかし当時の阪神監督で慶大OBの安藤統男が「六大学時代は島岡さんによくやられました」などとしきりに持ち上げたことに機嫌を良くした島岡は、別室に控えさせていた平田を呼び、「お前、阪神に行け」とその場で命令したと平田本人が後に語っている。
当時、阪神には好守の遊撃手として真弓明信がいたが、チーム事情もあって真弓を二塁(のちに外野)に押し退ける形で1983年後半から正遊撃手に定着し、1984年から1987年までダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を獲得する名手として活躍した。同じく阪神の名遊撃手として活躍した吉田義男に付けられた「蝶が舞い蜂が刺す」を受け継ぐほどであった。阪神が21年ぶりのセ・リーグ制覇、そして初の日本一に輝いた1985年には打撃も好調で、一時的ながら打率トップにも躍り出て、最終的には7番打者ながら50打点以上をマークした。また、この年に甲子園でのヤクルトスワローズ戦でプロ初の満塁ホームランを放っている。
若手選手への切り替えのためショートのレギュラーを和田豊に譲った1988年からは出番が減ったが、守備力とバントの技術で貴重な控えとして貢献した。1994年に引退。現役最終打席は監督から「振って来い」と送り出されるも、平田自身の判断による送りバントであった。
引退後は毎日放送・スポーツニッポンにて評論家活動をしていたが、1997年よりコーチとしてタイガースに復帰。2002年、大学の先輩である星野仙一監督就任を機に、監督専属広報及び専属運転手に就任。星野監督が勇退した2004年からヘッドコーチとして岡田彰布監督を支える。2005年9月7日の中日ドラゴンズ戦では、9回裏本塁のクロスプレーでの微妙な判定に対し、球審の橘高淳を突き飛ばして退場処分を受けた。本人は「つまづいてぶつかっただけ」と語ったが、審判団に猛抗議を繰り広げていた岡田監督をかばう形での退場であり、ファンからは「男を上げた」と評された。2006年10月、二軍監督に就任した。
[編集] 人物
現役時は、中西清起・平田・木戸克彦の3人で「NHKトリオ」と呼ばれていた。
ミッキーマウスに似ていることと、明るく外交的な性格からミッキーの愛称を取り、常に阪神ベンチのムードメーカーだった。同僚であったランディ・バースをはじめチームメイトにおもちゃのように扱われていた。引退後もファンに非常に人気が高く、広報時代も星野仙一監督よりも歓声が大きかったため、星野が嫉妬したこともあった。2005年のセ・リーグ優勝時のビールかけの時には、金本知憲の誘いに乗り、壇上に挨拶に上がった岡田監督に対し、「ヨッ!オカダっ!」と威勢良く呼び捨てにするということもあった。(阪神ファンの中では伝説にもなっている)
学生時代は、体育会系の多くの学生がそうであったように試験やレポートの勉強はおろそかであったが、当時明大教授であった栗本慎一郎が後に「レポートの文章に、一字一句参考書を楷書で書き写してきたのは平田だけだ。本来はこういう学生には単位はやらないが、平田の几帳面さに免じて単位を出した」と語るほど繊細な一面もある。この話は試験期間が近づくと毎年のように栗本が講義で話していた。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁 打 |
三塁 打 |
本塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死 球 |
三振 | 打率(順位) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982年 | 阪神 | 30 | 23 | 17 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 3 | 2 | .235 |
1983年 | 100 | 292 | 33 | 73 | 12 | 1 | 2 | 93 | 28 | 1 | 22 | 1 | 25 | 25 | .250 | ||
1984年 | 128 | 437 | 42 | 117 | 24 | 1 | 6 | 161 | 41 | 2 | 24 | 2 | 30 | 26 | .268(29) | ||
1985年 | 125 | 402 | 47 | 105 | 15 | 2 | 7 | 145 | 53 | 6 | 25 | 1 | 27 | 35 | .261(32) | ||
1986年 | 124 | 405 | 47 | 108 | 15 | 1 | 5 | 140 | 33 | 1 | 22 | 0 | 21 | 41 | .267(23) | ||
1987年 | 126 | 418 | 30 | 109 | 15 | 0 | 3 | 133 | 21 | 3 | 13 | 0 | 23 | 42 | .261(25) | ||
1988年 | 90 | 180 | 12 | 51 | 9 | 1 | 0 | 62 | 16 | 0 | 7 | 1 | 12 | 24 | .283 | ||
1989年 | 89 | 102 | 7 | 14 | 3 | 1 | 0 | 19 | 6 | 1 | 9 | 1 | 7 | 9 | .137 | ||
1990年 | 60 | 72 | 6 | 25 | 3 | 0 | 0 | 28 | 10 | 0 | 6 | 1 | 5 | 6 | .347 | ||
1991年 | 44 | 49 | 5 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | 0 | 2 | 0 | 3 | 8 | .265 | ||
1992年 | 40 | 48 | 2 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 6 | 3 | 5 | 0 | 2 | 8 | .167 | ||
1993年 | 29 | 28 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | .214 | ||
1994年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
通算成績 | 979 | 2450 | 235 | 633 | 100 | 7 | 23 | 816 | 220 | 19 | 138 | 8 | 158 | 229 | .258 |
[編集] タイトル・表彰
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
監督 |
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80岡田彰布 |
コーチ |
84久保康生(チーフ投手)|76吉竹春樹(チーフ野手兼打撃)|91木戸克彦(作戦兼バッテリー)|71中西清起(投手)|85広澤克実(打撃)|86和田豊(守備走塁)|89山脇光治(守備走塁)|81吉田康夫(バッテリー/ブルペン)|90続木敏之(トレーニング) |
二軍監督・コーチ |
78平田勝男(監督)|88立石充男(野手総合兼打撃)|70星野伸之(投手)|82葛西稔(投手)|73町田公二郎(打撃)|87中村豊(守備走塁)|79筒井壮(守備走塁)|83嶋田宗彦(バッテリー)|74伊藤敦規(トレーニング)|75遠山奬志(育成)|97加藤安雄(育成) |
投手 |
4ボーグルソン|12渡辺亮|13金村曉|14能見篤史|15太陽|16安藤優也|17金村大裕|18杉山直久|19筒井和也|20正田樹|21岩田稔|22藤川球児|26江草仁貴|27アッチソン|28福原忍|29小嶋達也|30久保田智之|34橋本健太郎|40桟原将司|41上園啓史|42下柳剛|46鶴直人|47白仁田寛和|48石川俊介|49若竹竜士|54ウィリアムス|56阿部健太|59黒田祐輔|61辻本賢人|62玉置隆|65清原大貴|67伊代野貴照|68横山龍之介|122オヘイダ(育成選手) |
捕手 |
2野口寿浩|38橋本良平|39矢野輝弘|45清水誉|57岡崎太一|60小宮山慎二|99狩野恵輔 |
内野手 |
00秀太|1鳥谷敬|3関本賢太郎|7今岡誠|9藤本敦士|25新井貴浩|32前田忠節|35坂克彦|36高濱卓也|37野原将志|44藤原通|50高橋光信|52バルディリス|63大城祐二|64森田一成|66大和|120田中慎太朗(育成選手) |
外野手 |
0庄田隆弘|5平野恵一|6金本知憲|8浅井良|24桧山進次郎|31林威助|33葛城育郎|43山田真介|51桜井広大|53赤星憲広|55フォード|58高橋勇丞 |
阪神タイガース 1981年ドラフト指名選手 |
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1位:源五郎丸洋 / 2位:平田勝男 / 3位:月山栄珠 / 4位:福家雅明 / 5位:藤本雄司 / 6位:服部浩一 |