源五郎丸洋
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源五郎丸 洋 Hiroshi Gengoroumaru |
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基本情報 | |
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出身地 | 日本佐賀県杵島郡江北町 |
生年月日 | 1964年1月15日(44歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1981年 1位 |
経歴 | |
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源五郎丸 洋 (げんごろうまる ひろし、1964年1月15日 - )は、佐賀県杵島郡江北町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
目次 |
[編集] 来歴・人物
日田林工出身。1981年のドラフトで阪神タイガースは電電九州の右田一彦投手を1位指名するが、抽選で右田は横浜大洋ホエールズに獲得され、外れ1位として指名された。
入団後はもっぱら「源五郎丸」の名字が注目され、「GENGOROUMARU」と12文字にも及ぶローマ字がユニフォームに正しく収まるかで議論が起こり、収まらない場合は最悪背番号を囲んで丸く書くか、上下二段にすることも考えたらしい(実際は問題なく収まった)。堤内健のTSUTSUMIUCHI、中野渡進のNAKANOWATARIと並び、NPBの選手の中でもっとも長いユニフォームの英名であったが、2007年に千葉ロッテマリーンズに入団した下敷領悠太のSHIMOSHIKIRYOが13文字で最長となった。
美しいフォームで入団当初は「村山2世」と呼ばれ、将来を嘱望された。
1982年のキャンプ中、故障。体ができあがってない成長期に体に負担がかかるフォームが原因だったともいわれている。球速は速かったらしく、掛布雅之がある番組で「怪我さえなければ間違いなく活躍していた選手だった。」と発言している。その後も一軍に一度も上がることなく1986年現役引退。滋賀県で「源五郎丸スポーツ&薬局」を開店した。
2007年現在は一部上場企業で事業所長を務める等、営業マンとして活躍している。また『元阪神タイガース源五郎丸洋による少年・少女野球教室 「夢応援隊」』を開催している。
[編集] 通算成績
一軍成績なし。
- 1983年 ウエスタンリーグ17試合 2勝4敗
- 1984年 ウエスタンリーグ19試合 3勝
- 1985年 ウエスタンリーグ8試合 1勝3敗2S
- 1986年 現役引退
[編集] 外部リンク
元阪神タイガース源五郎丸洋による少年・少女野球教室 「夢応援隊」
[編集] 関連項目
阪神タイガース 1981年ドラフト指名選手 |
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1位:源五郎丸洋 / 2位:平田勝男 / 3位:月山栄珠 / 4位:福家雅明 / 5位:藤本雄司 / 6位:服部浩一 |