国鉄EF81形電気機関車
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国鉄EF81形電気機関車 | |||
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全長 | 18600mm | ||
全幅 | 2900mm | ||
全高 | 4221mm (1 - 74) 4251mm (75 - ) | ||
運転整備重量 | 100.8t | ||
電気方式 | 直流1,500V
交流20kV (50/60Hz) |
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軸配置 | Bo-Bo-Bo | ||
主電動機 | 直流直巻電動機 (MT52A) ×6基 | ||
歯車比 | 18:69 = 1:3.83 | ||
駆動方式 | 1段歯車減速ツリカケ式 | ||
台車形式 | DT138(両端)DT139(中間) | ||
1時間定格出力 | 2,550kW(直流)2,370kW(交流) | ||
1時間定格引張力 | 19980kgf(195.8kN)(直流) 18,200kgf(178.4kN)(交流) |
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1時間定格速度 | 45.7km/h(直流)45.1km/h(交流) | ||
最高運転速度 | 110km/h | ||
ブレーキ装置 | EL14AS空気ブレーキ | ||
備考 | 基本番台 |
EF81形電気機関車(イーエフ81がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1968年(昭和43年)から、日本貨物鉄道(JR貨物)が1989年(平成元年)から製作した交流直流両用電気機関車である。
目次 |
[編集] 概要
異なる方式で電化が進捗した日本海縦貫線において、 50 Hz および 60 Hz の交流電化区間と直流電化区間を直通して走行できる三電源方式の電気機関車として開発された。
本線用の交直両用電気機関車としては、1962年(昭和37年)から常磐線でEF80形が使用されていた。同形式は重量軽減のため1台車1モーター方式などの特殊な設計方針が採られ、長距離・広範囲に運用する標準機とするには保守や性能の面で課題が少なくないものであった。
昭和40年代には既に直流機・交流機とも標準化が達成された。これらの設計や運用の経験を基に、当時の直流標準電気機関車であるEF65形を基本とした、広汎に使用できる標準形式の交直流機関車として本形式の開発が進められ、1968年(昭和43年)に量産先行機が日立製作所で完成した。これがEF81形である。
本形式は1979年(昭和54年)までに156両が日立製作所・三菱重工業で製作され、当初想定の日本海縦貫線や常磐線をはじめ、一部仕様を変更した車両が関門トンネル区間の特殊用途にも使用された。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化では156両全機が東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)の各旅客会社とJR貨物に承継され、JR貨物では増大する輸送量に対応するため1989年(平成元年)から本形式を再製作した。
現在までに本形式の総製造数は164両に達し、汎用性の高さと後継機開発の遅延もあって近年まで全機が使用されてきたが、旅客会社では機関車牽引列車が減少し、JR貨物ではEH500形やEF510形の製作開始に伴い、初期車を中心に淘汰が開始された。しかしながら、現在でもJR各社で長距離の寝台特急や貨物列車の牽引に重用されている。
[編集] 構造
※ここでは設計当初の仕様について記述し、後年の変更箇所については当該節にて記述する。
車体は国鉄新型電気機関車の標準形態で、交直機器を収容するため機器室を拡大し、全長は 18 m 級、幅 2900 mm の大型車体となった。本形式1両での列車牽引を前提に設計され、重連運転のための総括制御装置は装備せず、また、正面の貫通扉も装備しない。正面窓上部左右に2灯の前照灯、正面下部左右に2灯の標識灯を配し、正面窓直下にステンレスの飾り帯を配する意匠はEF65形やEF80形などと同一の様式である。外部塗色は交直流車両標準の赤13号(ローズピンク)である。
従来の交流機では屋根上にあった断路器や遮断器、主ヒューズなどの特別高圧機器を室内に収容し、パンタグラフ以外の機器を屋外に露出させない構造としている。これは塩害と氷雪から電気機器を保護するための対策である。機器配置の関係から、主抵抗器は屋上に設けた大型のカバー内に納められた。パンタグラフは下枠交差式のPS22形で、小型軽量化と耐雪性能を向上している。
他の耐寒装備として、空気ブレーキ関係機器や砂撒き装置などにはヒーターを取りつけ、正面のスカート下部にはスノープラウ(雪かき器)を装備する。これら追加装備への対応として車体装備各部の軽量化を図り、運転整備重量は 100.8 t 、軸重 16.8 t に収めている。これはEF65形に対して約 5 % の重量増加である。
制御方式は国鉄直流電気機関車で一般的な抵抗制御方式で、交流電化区間では交流 20 kV を主変圧器と主整流器、主平滑リアクトルにより直流 1,500 V へ変換し、抵抗器を経由して速度を制御する。交流電気機関車で一般的な変圧器タップ制御は行わず、直流機のEF65形に交流対応機器を付加した構造[1]といえる。交流電化区間では 50 Hz / 60 Hz の両周波数に対応し、直流電化区間とあわせ3方式の電化区間を本形式1両で直通できる。
主電動機は国鉄新性能電気機関車の標準である直流直巻電動機MT52形を6基装備する。 2550 kW [2]の定格出力はEF65形と同等で、 10 ‰ の勾配上で 1200 t の列車を牽引できる。台車は揺れ枕を廃止し、構造を簡素化した新形式のDT138形(両端)DT139形(中間)を採用する[3]。
旅客列車のための装備として、直流区間の列車暖房用電源にサイリスタインバータを装備する。これは使用対象区間の日本海縦貫線で運用される客車が電気暖房を用いていたためである。交流区間の暖房用電源は主変圧器の3次巻線から供給される。
[編集] 形態区分
[編集] 基本番台
本形式の一般仕様車で、1968年(昭和43年) - 1979年(昭和54年)に152両 (1 - 152) が製作された。
- 1 - 38号機
- 1968年(昭和43年) - 1969年(昭和44年)に製作された。
- 1号機は1968年(昭和43年)製作の量産先行車で、屋上抵抗器カバー形状や内部機器が量産機と異なるほか、正面下部左側にタイフォンを装備した。1969年(昭和44年)製作の 2 以降が量産機で、1 の運用結果を基に各部を改良している。
- 正面中位の左右には通風孔を設け、車両番号はステンレスの切抜き文字を車体に直付けする。1 の正面タイフォンは後年の改造で撤去された。
- 20系客車の 110km/h 牽引対応として、増圧ブレーキ装置・電磁指令ブレーキ回路・元空気溜引き通し管・専用のジャンパ連結器(KE59形・KE72形)を装備している。
- 39 - 136号機
- 1972年(昭和47年) - 1977年(昭和52年)に製作された。
- 主制御器や主抵抗器・単位スイッチなど内部機器の仕様を改良し、運転台は計器盤などの操作機器や内装に人間工学に基づく改良がなされた。本区分以降、20系客車用のKE59形ジャンパ連結器は廃止されている。
- 外観上は正面の通風孔がなくなり、屋根上の機器カバー形状が変更された。標識灯は電球交換を車体外側から行う「外ハメ式」に変更し小型化した。車両番号は文字表記を一体化したブロックプレートとされた。
- 137 - 152号機
- 1979年(昭和54年)に製作された。
- 車体構造が変更され、前面窓上には一体型の庇が設けられた。車両番号板はエッチング仕上げである。主電動機は電機子軸の強度を向上したMT52B形に変更され、各機器の絶縁対策も強化された。
[編集] 300番台
1973年(昭和48年) - 1974年(昭和49年)に4両 (301 - 304) が製作された。
関門トンネルで使用されていたEF30形の増備車両として製作された。トンネル内は海水が滴下する高湿度環境であり、車体の腐食を防止するため車体外板をステンレスとし、車体下部全周に歪みを防ぐコルゲート加工を施している。外部塗色はステンレス地肌の無塗装で、車両番号は正面側面とも縁取付の番号板、正面の飾り帯は装備しない。電気暖房用の電源 (EG) は装備せず、運転台側面に電暖表示灯はない。
製作直後は門司機関区に配置されたが、国鉄時代の1978年(昭和53年)運用削減に伴い301・302が常磐線に転属[4]し、一般機と同一の赤13号塗装が施された。303・304は無塗装のままである。
当初は1両で牽引できる旅客列車中心の運用が組まれていたが、EF30形の淘汰にあたって貨物列車牽引用に総括制御装置を搭載し、重連運用が可能となった。現在は4両ともJR貨物の門司機関区に配置され、400番台・450番台と共通に使用されている。
[編集] 400番台
基本番台を重連運用できるよう総括制御機能を付加した区分で、1986年(昭和61年)から翌1987年(昭和62年)にかけて基本番台から14両(401 - 414)が国鉄小倉工場で改造された。日立製作所製の中期機を種車とし、改造工事は2両単位で行われた。
関門トンネル区間で使用されてきたEF30形の後継機として使用するため、トンネル対策の耐塩害措置を施し、貨物列車を牽引するための重連総括制御装置を追加[5]した。
車体は普通鋼製のままで、外部塗色も赤13号としている。列車暖房は使用しないため電気暖房用給電栓は撤去[6]された。
分割民営化時には、8両 (401 - 408) [7]はJR貨物門司機関区、6両 (409 - 414) はJR九州大分鉄道事業部大分車両センターに配置され、関門トンネルを経由する貨物列車・寝台特急に使用されてきた。2007年3月に門司機関区の2両 (404, 406) が富山機関区に転属し、日本海縦貫線でも使用されている。
- 改造前後の番号対比
- EF81 40・41・130・131・128・132・42・49・50・51・52・53・54・75→EF81 401 - 414
[編集] 500番台
JR移行後の貨物輸送量増加を受け、日本海縦貫線の輸送力を増強するためJR貨物が新造した区分で、1989年(平成元年)に3両 (501 - 503) が製作された。富山機関区に配置され、基本番台などと共通で日本海縦貫線の貨物列車に使用されている。
性能や基本的な構造は基本番台の最終増備車を踏襲したが、現代の規格に合わせて各部の仕様を変更している。旅客列車への使用は考慮されず、電気暖房用のインバータ装置やジャンパ栓は装備しない。
塗装は車体上部が濃淡ブルーの塗り分け、車体下部がライトグレー、運転室側扉はローズピンクのJR貨物標準配色である。台車は灰色とされた。車両番号表示は、正面は向かって右側、側面は向かって右側の運転台側扉後方に移され、書体も変更された。ステンレスの飾り帯は装備しない。
[編集] 450番台
1991年(平成3年)のダイヤ改正で本州-九州間貨物列車の増発に対応するため、従来より使用されている400番台の増備としてJR貨物が新造した区分で、1992年(平成4年)までに5両 (451 - 455) が製作された。
500番台の仕様を基に重連総括制御装置を追加した仕様で、機関車の向きが変わっても運用しやすいよう、ジャンパ栓は左右両側に装備する「両渡り」構造である。旅客列車の牽引は考慮されず、電気暖房用の各種装備はもたない。主電動機を車軸に装架する軸受を平軸受からコロ軸受に変更し、走行抵抗を低減している。
外部塗色は500番台と同様の配色であるが、車体下部全周に青色の帯を追加する。車両番号の標記位置や飾り帯をもたない正面の意匠も500番台と同一である。
451・452号機は灯火類を一体化のうえ正面下部に設置したが、1992年(平成4年)製の453 - 455号機は従来機と同一の正面上部に前照灯を配した。これは降雪地域において前照灯の着雪を防ぎ、前方視界を確保するためで、将来の転用を考慮し汎用性を向上させたものである。
製作当初は全車が門司機関区に配置されていたが、同区でEH500形の使用を開始した2007年3月18日のダイヤ改正に際し、453 - 455号機が富山機関区に転属した。
[編集] 運用の変遷・現況
- 国鉄時代
- 1969年(昭和44年)までに製作された最初のグループは富山第二機関区に配置され、同年9月の糸魚川 - 直江津の電化開業と同時に使用を開始した。
- 当初の使用区間は金沢 - 新潟操車場で、1972年(昭和47年)の羽越本線・白新線電化、1974年(昭和49年)の湖西線開業などを機に段階的に運用区間を拡大し、日本海縦貫線の大阪 - 秋田まで運用されるようになる。寝台特急「日本海」「つるぎ」、急行「きたぐに」などの優等列車のほか、普通列車や貨物列車にまで広汎に運用された。
- 1973年(昭和48年)には田端機関区・内郷機関区に配置され、常磐線・東北本線でも使用されるようになる。東北本線での運用は黒磯駅までの直流区間のみに留まったが、常磐線・水戸線ではEF80形と共用され、後に同形式を淘汰することとなる。同年には関門トンネル区間の列車増発対応として300番台が製作され、下関 - 門司間で使用を開始した。
- 理論的には国鉄の電化区間すべてを1両で運用できる本形式ではあるが、国鉄時代は長距離を通しての運用は多くない。長距離走行による過度の消耗を防ぐ他、北陸本線ではEF70形が、羽越本線・東北本線ではED75形などが既に多数使用され、製作コストの高い本形式を多用せずとも機関車の必要数を充足できる状況にあったことも影響する。
- 国鉄の合理化が進捗した1980年代以降、機関車の所要数を適正化する必要から、1両で長距離運用が可能な本形式が重用されるようになる。日本海縦貫線では交流区間でEF70形を、直流区間でEF58形やEF15形などを淘汰し、本形式による直通運用の比重が増加していった。
- JR東日本
- JR東日本では田端運転所・長岡車両センター・青森車両センターに配置する。域内の寝台特急牽引に使用されるほか、首都圏各線や日本海縦貫線で貨物列車を牽引する運用もある。外部塗色は順次変更され、交流電気機関車と同一の赤2号とされた。
- 田端運転所に所属する車両のうち、寝台特急に使用される車両は運用が区別されている。これは黒磯駅の交直切替を無停車で行う列車選別装置の取付や、主電動機の再整備などの改修工事を行ったためで、「北斗星」牽引機は車体側面に「銀の流星」[8]のパターン、「カシオペア」牽引機は白地に黄橙青の4色塗装に変更された。お召列車牽引に使用された81号機[9]や、側面に巨大な「EF81」のレタリングを施した95号機[10]とともに、「北斗星」「カシオペア」などの寝台特急、首都圏の貨物列車に使用される。
- 特異な仕様の車両として、電車を牽引するため双頭連結器を装備した車両がある。青森車両センター配置の 136・139 の2両で、青森地区の電車を郡山総合車両センターで検査する際の牽引機として使用される。電車牽引に必要なジャンパ連結器を増設した関係で、一般車とはスカート周辺やスノープロウの形状が異なる。
- 左:EF81 95「レインボー色」(2007年2月、常磐線 藤代-佐貫)
- 中:EF81 82「北斗星」牽引機(2005年3月、友部駅)
- 右:EF81 92「カシオペア」牽引機(2007年9月、宇都宮駅)
- JR西日本
- 福井地域鉄道部敦賀運転派出に配置され、寝台特急「トワイライトエクスプレス」「日本海」を牽引して大阪 - 青森の日本海縦貫線を走行する。
- 「トワイライトエクスプレス」牽引に使われる車両[11]は連結器を密着式自動連結器に交換し、塗色も客車と同一の緑2号+黄色の配色に変更されている。
- JR九州
- 分割民営化で400番台6両を承継し、大分鉄道事業部大分車両センターに配置する。関門トンネルを通過する寝台特急や貨物列車に使用するが、寝台特急の削減で運用が減少したため 410・411 の2両のみが残存する。
- 2005年の寝台特急「彗星」廃止後は、所属区のある大分までの定期運用がなくなったことでJR貨物門司機関区常駐となり、日常の検修作業を含め同社へ運用委託が行われている。
- 外部塗色は当初交流電気機関車と共通の赤2号とされたが、現在は全車が赤13号に復している。
- JR貨物
- 分割民営化では本形式56両を承継し、富山機関区・門司機関区に配置したほか、1989年(平成元年)以降、500番台・450番台を新規に製造している。これはJR移行直後の貨物列車増発に対応するためで、旅客会社でも長距離列車に使用する本形式には車両の余裕がなかったためである。2003年(平成15年)からはJR東日本の余剰車を購入し、富山機関区と東新潟機関区に配置した。
- 現在では本州内の配置は富山1か所に集約され、青森信号場 - 大阪貨物ターミナル間の日本海縦貫線で貨物列車に使用する。門司配置車は関門トンネルを含む幡生 - 福岡貨物ターミナル間で貨物列車に重連で使用されるほか、同区間を通過する寝台特急にも使用される。
- 外部塗色は基本番台・400番台[12]は赤13号であるが、JR東日本から購入した車両は購入時の赤2号のまま使用[13]されている。門司に配置される300番台は301・302[14]が赤13号、303・304[15]はステンレス地肌の無塗装である。
- 本形式の初期車は車齢35年を経過し、継続使用のための更新工事が順次行われている。内部機器の再整備・交換を行う他、主電動機を車軸に装架する軸受をコロ軸受に取替えた車両もある。これら更新工事を実施した車両は、車体下部全周または側面中央に白線を表示する。
- 後継機の開発も行われ、日本海縦貫線では2002年(平成14年)からEF510形の使用が開始され、関門トンネル区間では 1300 t 列車を運用するため2007年(平成19年)からEH500形の使用を開始している。これら新形式の投入により、経年の高い初期車を中心に本形式の淘汰が始まっている。
[編集] 脚注
- ^ 本形式が用いる直流機関車の制御方式は交流機関車に比べ、動輪が空転したときの再粘着性能に劣るとされる。本形式は高感度の空転検出機構を装備し、空転発生時にはノッチ進段を止め、空転した軸に台車単位で空気ブレーキにより短時間制動させる機構を採用して引張力の低下を抑え、再粘着性能を確保している。自動でノッチを低速段に戻し、空転軸に滑り止めの砂を自動散布するEF65形とは異なる方式である。
- ^ 交流区間での定格出力は 2370 kW である。
- ^ 他形式では、同時期に製造された西武E851形電気機関車にも、この台車が採用された。また、1980年から製造されたEF64形電気機関車の1000番台にも、山岳路線用に改良されたDT138A(両端)DT139A(中間)台車が採用された。
- ^ 1985年に、門司に再転属している。
- ^ 重連総括用に追加されたジャンパ栓やホース類は片栓設置であり、運用時には向きが限定される。
- ^ JR九州所属機は後年、車体側面の電暖表示灯も撤去している。
- ^ 407と408は一時期、富山機関区に配置されていた。
- ^ “赤2号流星色”、俗に「北斗星カラー」等と呼ばれている。
- ^ 現在は「北斗星」牽引機と同一の配色であるが、手すり・連結器・車輪側面の銀色塗装、磨き出しの制輪子などの特徴が残る。
- ^ 1987年(昭和62年)に登場した14系欧風客車「スーパーエクスプレスレインボー」の塗装に合わせた配色で、客車の廃車後もそのままの塗装で使用される。
- ^ 運用によっては、「トワイライトエクスプレス」用の塗装変更機が「日本海」を牽引することもある。
- ^ 408は試験塗色として濃淡ブルーに白帯を配する塗装とされたが、富山機関区への転属後に赤13号に復した。
- ^ 一部には赤13号に復した車両が存在する。
- ^ 302は触車事故で車体が損傷し、片側の側面をコルゲート板ではなく平板で修復した。
- ^ 304は更新工事を実施し、車体に青色の飾り帯を付したが後に消されている。
[編集] 参考文献
- 鉄道ジャーナル社 『国鉄現役車両1983』 鉄道ジャーナル別冊No.4 1982年
- 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』 2003年10月号 No.444 RAILWAY TOPICS
- 鉄道ジャーナル社 『鉄道ジャーナル』 2005年5月号 No.463 特集:鉄道貨物輸送の現状
- 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 2000年1月号 No.680 特集:貨物輸送
- 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 2005年4月号 No.760 特集:EF81形電気機関車
[編集] 関連項目
- 旧型機関車
- B・D型機(貨物用) - EB10 / AB10 - ED10 - ED11 - ED12 - ED13 - ED14 - ED15 - ED16 - ED17 - ED18 - ED19 - ED23 - ED24
- D型機(旅客用)- ED50 - ED51 - ED52 - ED53 - ED54 - ED55(計画のみ) - ED56 - ED57
- F型機(貨物用)- EF10 - EF11 - EF12 - EF13 - EF14 - EF15 - EF16 - EF18
- F型機(旅客用)- EF50 - EF51 - EF52 - EF53 - EF54 - EF55 - EF56 - EF57 - EF58 - EF59
- H型機 - EH10
- アプト式 - EC40 - ED40 - ED41 - ED42
- 私鉄買収機
- ED20 - ED21 - ED22 - ED25 - ED26 - ED27 - ED28 - ED29 - ED30 / ED25II - ED31 - ED32 - ED33 / ED26II - ED34 / ED27II - ED35 / ED28II - ED36 - ED37 / ED29II - ED38 - ケED10 - デキ1(旧宇部) - ロコ1(旧富山地鉄) - デキ501(旧三信) - ロコ1100(旧南海)
- 開発史 - 日本の電気機関車史