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国鉄20系客車 - Wikipedia

国鉄20系客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ナハネフ22 1(鎌倉総合車両センター)2004年9月18日撮影 この車両は現在、鉄道博物館に保存されている
ナハネフ22 1(鎌倉総合車両センター)2004年9月18日撮影 この車両は現在、鉄道博物館に保存されている
ナハネフ22 1007(福岡市貝塚公園)2007年9月30日撮影
ナハネフ22 1007(福岡市貝塚公園)2007年9月30日撮影

国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年昭和33年)に開発した寝台特急列車客車である。

日本で初めて、同一系列・同一意匠の車両による「固定編成」を組むことを前提に設計された客車であり、冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両であった。青一色に統一された外観はデザイン的にも優れ、以後の客車寝台特急も含めて「ブルートレイン」と呼ばれる起源となった。

1958年10月から、東京博多間特急「あさかぜ」に投入され、運行を開始した。1986年(昭和61年)11月に定期運用を終え、1998年平成10年)までに全車廃車となった。

最初に投入された列車にちなみ「あさかぜ形客車」と呼ばれ、その設備の優秀さから登場当時は「走るホテル」とも評された。

目次

[編集] 沿革

1958年から1970年(昭和45年)までに合計16形式473両が製造[1]され、本州九州において長距離寝台特急に広く使用された。日本各地に寝台特急列車網を構築した功績は大きい。

1970年代後半からは設備の陳腐化により、本来の特急列車としての運用を離脱して急行列車臨時列車に用いられることが多くなった。1980年(昭和55年)10月の「あけぼの」の24系化を最後に特急での定期運用が消滅し、1986年11月には「だいせん」「ちくま」を最後に急行での定期運用も消滅した。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には主に臨時列車用として東日本旅客鉄道(JR東日本)に34両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に63両が承継され、「カートレイン」や「シュプール号」などの臨時列車に使用された。しかし、老朽化により年々数を減らすと同時に運用の機会も減少し、末期には予備車扱いで少数が残されるのみであった。

1997年11月、JR西日本により新大阪岡山行の快速「さよなら20系客車」が運転され、これが当系列の最終運用となった。この列車の牽引機にはEF58形150号機が使用され、新大阪駅では記念式典が行われた。JR東日本でも1996年までに廃車されたが、さよなら運転は行われなかった。

なお、末期は14系や24系と近似した塗装に変更され、白帯が一本削除されていた。

[編集] 構造

TR55形台車
TR55形台車
カヤ21発電機室内
カヤ21発電機室内
カヤ21内のPAG1形発電機銘盤
カヤ21内のPAG1形発電機銘盤

車体構造は、10系客車の延長上にある軽量構造である。国鉄で最初に、全車両に空調装置空気バネ台車(TR55系台車[2])を完全装備し、著しい居住性の向上を成し遂げた。

当初の最高速度は在来型客車と同様95km/hだったが、のちに1968年10月1日のダイヤ改正に向け、ブレーキシステムをAREB電磁指令式自動空気ブレーキに改良[3]し110km/h運転を可能とした。この改良により、以後営業運転時は原則として牽引機関車EF65形500番台(P形)のように110km/h運転に備えて編成増圧ブレーキ装置、電磁指令ブレーキ回路等を増設したものに限定されることとなり、また110km/h運転とはならない場合でも増圧圧縮空気や空気バネへの空気圧供給源として元空気ダメ管(MRP管)の引き通しが求められたため、EF58形(P形)のように機関車を選ぶこととなった[4]

大断面の丸い屋根が特徴的で、編成最後尾に連結される緩急車は2面の曲面ガラス[5]を用いた流線型デザインを備え、一方で運用により編成の中間に入る緩急車は別途専用形式が起こされ、全体の意匠を統一した編成によって非常に流麗な外観となっていた。

編成の一端に連結された電源車により、編成内の冷暖房や食堂車調理設備等の電源の一切を供給する集中電源方式を採用した最初の系列でもあり、従来型客車が装備した蒸気暖房や車軸駆動冷房、石炭レンジなどをすべて排除した「完全電化」車である。電源車には三相交流600V電源を供給するPAG1形ディーゼル駆動発電機を搭載したが、架線電源を利用する電動発電機を併設した形式(カニ22形)も存在した。なお電源車を採用したことにより、牽引・走行性能が確保されていれば、暖房供給装置を持たない機関車でも20系列車の営業運転に使用できることとなったが、のちに前述のブレーキ改良による制約が新たに生じた。

また、1人用個室(ナロネ20形・ナロネ22形に設置)は本系列で初めて採用されたもので、「ルーメット」と称された。

扉は自動ドアとはなっておらず、電磁弁で遠隔ロックのみ可能な手動式折り戸であった。登場当初は、各車両にドアボーイが配置されドア開閉作業が行われていたが、末期(1980年代後半)になると開閉は乗客が自分で行わなければならなかった。

[編集] 形式

[編集] 新造形式

原則として車両番号は製造メーカーで区別され、下2桁が1~49は日本車輌製造(日車)、51~99は日立製作所となっていたが、のちに例外が生じた[6]。なお、日立は1963年の「みずほ」用を最後に製造から撤退したため、大部分が日車製である。

おおむね共通の設計で製造されたが、食堂車と個室寝台車(ナロネ20)については内部デザインを各社に委ねる形となった。日立製の食堂車は斬新なデザインで外部からの評価は高かった。

[編集] マニ20

電源荷物車。1958年に最初に製造された電源車。全長18m、自重40.6トン。荷物室(荷重3トン)を設置していることから、形式の分類は荷物車を示す「ニ」が与えられている。全長が短く荷物室も小さいため1次車3両(1、51、52)のみの製造にとどまった。1977年に全廃。

[編集] カニ21

電源荷物車。1959年の2次車から登場。マニ20の全長を20.5mに延長し、荷物室を5トン積みに拡大。自重が43トンになったため、記号も「カニ」になった。途中増備の3両は遠隔自動制御装置が装備されており100番台に分類された(下2桁は基本番台の続番)。ただし、この装置は基本番台にも取り付けられたため100番台との差異はなくなっている。20系電源車としては最も多い29両(1〜21、25〜27、51、52、122〜124)が製造された。一部は後述するカヤ21に改造されている。

[編集] カニ22

電源荷物車。1960年より製造。MG(電動発電機)を併設しており、直流電化区間ではパンタグラフ(屋根上に2基設置)から集電してMGによって給電を行っていた。主に「さくら」「みずほ」に使われたが、自重が59トンにも達し軸重が16トンとなるため、線路規格の高い区間でしか使用できないという制約[7]があるほか、荷物室の荷重も2トンと小さいことから、6両(1〜3、51〜53)が製造されたにとどまり、1965年頃までにMGとパンタグラフを撤去し、ディーゼル発電機のみ使用となった。1975年に2両が24系に編入改造されてカニ25となった。詳細は後述

[編集] ナロネ20

一等個室寝台車(1人用、2人用)。下り方は中央に通路を挟んで1人用個室(ルーメット)が10室あり、内部は腰掛と補助腰掛があって、寝台は壁に垂直に埋め込んであるものを腰掛上に倒して用いる構造。上り方は2段式2人用個室が4室設けられていた。各室とも洗面台が設置されており、さらに便所は洋風便器が設置されているなど、「走るホテル」の名にふさわしい設備を誇った。登場時の等級は全車2等A寝台。1958年に1次車3両(1、2、51)が製造されたのみで、終始品川客車区所属で「あさかぜ」専用で使われた。1975年に運用を外され、翌年までに全廃された。

[編集] ナロネ21

一等寝台車(開放式)。プルマン式の開放式寝台で、通路を挟んで2段の寝台が線路方向に28人分設置、喫煙コーナーも設置されていた。一等寝台としては標準的な仕様であり、全部で59両(1〜4、51〜55、101〜147、151〜153)が製造された。100番台は車掌室付で、基本番台ものちに取付工事によって500番台に改番された。のちに一部が座席車ナハ21に改造されている。

[編集] ナロネ22

一等寝台車(1人用個室、開放式合造)。1959年に「さくら」の運行開始(「平和」を改称)にあたり登場。下り方はナロネ20と同じ1人用個室を6室設置し、喫煙コーナーを挟んで上り方には開放式の寝台が16人分設置されていた。8両(1〜3、51〜55)が製造され、「さくら」のほか、東京〜九州ブルトレ各列車に連結された。1969年より車掌室の設置により全車原番号+100となった。ナロネ20同様、終始品川客車区所属で1978年までに全廃された。

[編集] ナロ20

一等座席車(旧特ロ)。20系は当初全車寝台ではなく一部を座席としていたため設定された。当形式は全席がリクライニングシートを備え、定員48名。座席部分の床が通路よりも一段上がった構造になっていたほか、読書灯を設けていたのも特徴である。全部で9両(1〜5、51〜54)が製造されたが、3両を残してB寝台車に改造され、ナハネ20 500番台(501〜503、506〜508)となった。残った3両はナロネ20と共に「あさかぜ」に1975年まで連結され、翌年に全廃となった。

[編集] ナハ20

二等座席車。ナロ20と同様の座席車。回転式クロスシートを装備、定員は64名。座席部分の床はナロ20と同じく1段上がっていた。また、売店と物置も設置されていた。1958年に3両(1、51、52)が製造されたにとどまり、「あさかぜ」のち「はくつる」に連結されていたが、1966年尾久客車区に異動。1971年1972年にナハネ20 510番台(512、510、511)に改造、B寝台車になった。

[編集] ナハフ20

二等座席緩急車。最後部に連結される非貫通式・流線型の緩急車で、最後部は半分が車掌室、半分は展望室として乗客に開放されていた。客室はナハ20に順じており、定員は68名。全部で9両(1〜6、51〜53)が製造されたが、1958年と1959年製の1〜3と51、52は当時の製造技術面の問題で妻部の窓ガラスが平面4枚窓、それ以外は曲面ガラス2枚窓が採用された[8]。1965年以降寝台車に改造され、ナハネフ20に3両、ナハネ20 500番台に1両、ナハネフ22 500番台に5両が改造されて形式消滅した。

[編集] ナハフ21

二等座席緩急車。編成中間に挟み分割併合に対応するため、切妻・貫通式とした形式。1959年の2次車より製造。客室はナハ20に準じ、定員は60名。売店も設置された。10両(1〜4、51〜56)が製造されたが、1965年以降ナハネフ21に6両、ナハネフ23 500番台に4両が改造されて形式消滅した。

[編集] ナハネ20

20系車両の洗面台(ナハネフ22 18)
20系車両の洗面台(ナハネフ22 18)

二等寝台車。車内は側廊下式の3段式寝台が9ボックス54人分並ぶ。寝台の大きさは10系と同レベルであるが、冷暖房完備で快適性に優れていた。便所は和風便器が2室、洗面台は3基設置されている。また、給仕室が設置されている。最多の252両(1〜49、51〜91、101〜149、201〜249、301〜364)が製造された。1968年よりナロ20、ナハフ20から合計10両が本形式に改造、500番台(501〜513。504、505、509は欠番)となった。

[編集] ナハネフ22

ナハネフ22 18 1980年代半ば川尻客車区にて撮影
ナハネフ22 18 1980年代半ば川尻客車区にて撮影

二等寝台緩急車。全車寝台化の方針変更により、1964年よりナハフ20形に代わって製造を開始した。ナハフ20形と同様に非貫通式となっており、車掌室と展望室が設けられている。寝台はナハネ20と同様の3段式が8ボックス48人分設置されており、便所・洗面所もナハネ20と同じである。車掌室とは別に乗務員室も設置されている。26両(1〜26、日車製のみ)が新造されたほか、ナハフ20から5両が改造され500番台を名乗った。なお、ナハフ20からの改造車は車体を新製しており差異はない。

[編集] ナハネフ23

二等寝台緩急車。ナハフ21同様の切妻・貫通式でナハネフ22同様に1964年より製造された。寝台はナハネフ22同様の48人分だが、ナハフ21にあった売店はない。20両(1〜20、日車製のみ)が新製されたほか、ナハフ21より4両が改造されて500番台を名乗る。ナハネフ22 500番台同様、車体を新製している。

[編集] ナシ20

ナシ20 24(交通科学博物館)2007年3月2日撮影
ナシ20 24(交通科学博物館)2007年3月2日撮影

食堂車。厨房は完全電化され、冷蔵庫や電気レンジが設置されるなど近代化された。食堂部分は通路を挟んで4人掛けのテーブルが設置され、定員は40名。日車製と日立製で内装に違いがあるのが特徴。
日車製は、照明は中央と窓側にカバー付の蛍光灯を照らす方式、冷房の吹出口は連続タイプ、食堂と厨房の仕切りはキノコ形[9]といった比較的シンプルなデザイン。一方、日立製は照明は間接照明とダウンライトを使用、冷房の吹出口はビルに多く見られる円形のもので、食堂と厨房の仕切りは円弧を描いたモダンなデザインであった。全部で36両(1〜29、51〜57)が製造された。1978年の「あさかぜ」編成の置き換えにより定期列車から撤退した。

[編集] 改造形式

(ナハ21を除き1960年~1969年の二等級制による)

[編集] マヤ20

簡易電源車。1963年(昭和38年)6月に「みずほ」を20系化する際、付属編成を門司大分間で別に運用する事で分割併合運用が生じたことから、分割された付属編成の電源を補う目的で、供奉車460号の改造実績を参考に旧型客車のオハシ30形を改造した簡易電源車マヤ20形2両(1・2)が門司に配置された。塗色は20系に合わせられたが、車体の大部分は種車であるオハシ30形の状態を残す一方、屋根にはラジエターファンが付くという特異な外観であった。なお短区間用なので荷物室は省略され、形式は職用車記号の「ヤ」となっている。

「みずほ」時代には事故対応で東京まで臨時編成の電源車として使用した実績もあり、1964年(昭和39年)10月に「みずほ」の付属編成が「富士」として独立した際は、定期運用から外れ1を休車とし2は予備電源車として門司に待機させた。予備車の間に数回故障した電源車の代車として使用され、品川から下り列車で手配される電源車と岡山辺りで交換されたこともあった。その後も1968年(昭和43年)頃に新大阪まで代走した記録もある。

1965年(昭和40年)10月改正時に長崎に転じ、長崎本線佐世保線で「さくら」・「あかつき」の付属編成用として使用される。このとき丸屋根のスハ32形からの改造で1両追加され(3)、更に1968年にも丸屋根のスハ32形から3両が改造されている(10番台。後述)。その後1972年3月改正で「さくら」が14系に置き替えられた際、2・3が廃車となり、「あかつき」の運用数減少で10も廃車された。最後は「あかつき」・「はやぶさ」(1968年10月から)用の付属編成用として、1・11・12が1975年(昭和50年)3月9日まで使用された。翌3月10日のダイヤ改正で運用を失い長崎駅に留置され、同年4月末には小倉工場で順次解体された。

なお1968年にスハ32形から改造された3両は発電用エンジンの出力向上により10番台に区分されており(10~12)、形式はそのままだが前位(機関車連結)側に荷物室が設けられた事で扉が2箇所とも残り窓割なども1~3とは異なっていた。また種車の個体差や改造時期により各車で細かい差異があった。

[編集] ナハネフ20

二等寝台緩急車。1964、5年にナハフ20を改造した形式。車体を流用しているため、窓割りの関係(2窓分で1ボックスとした)から寝台の1ボックスあたりの幅が広く、寝台はナハネフ22に比べ1ボックス6名分少ない42名分であった。3両(2〜4)が改造されたのみで、以後の改造は車体を載せ変えたナハネフ22 500番台に移行。1975年に全廃。

[編集] ナハネフ21

二等寝台緩急車。1964、5年にナハフ21を改造した形式。ナハネフ20同様、車体を流用している。売店は撤去し、7ボックス42名分の寝台を設置した。6両(1、3、4、51〜53)が改造されたが、やはり残りはナハネフ23 500番台に移行。1978年までに全廃。

[編集] カヤ21

カヤ21室内の空気圧縮機とタンク
カヤ21室内の空気圧縮機とタンク

電源車。1976〜8年にカニ21を改造した形式。20系の急行列車への格下げにより、一般型の荷物車を連結する事情により機関車からの増圧圧縮空気の供給に支障が生じ[10]、これを補うため電源車の荷物室を潰して空気圧縮機を搭載する改造が行われた。改造対象により荷物車を示すカニから職用車を示すカヤに改められた。番号は原番号を引き継いでいる。18両が改造された。

[編集] ナハ21

普通座席車。1977〜9年にナロネ21を改造した形式。急行への格下げにより座席車が必要になったため、中央通路式であった開放式A寝台の寝台部分を撤去(上段部分にあった小窓も廃止)、座席は固定し、1ボックスを増やした。便所も2箇所あったうち、洋風便器の1箇所は撤去し、1箇所のみとした。寝台車からの改造のため、天井が高く、またシートピッチもゆったりとしていた。

[編集] オニ23

オニ23 1
オニ23 1

1988年(昭和63年)に来日した「オリエント急行」の連結器変換用控車として、国鉄時代に除籍され日本国有鉄道清算事業団が所有していたナハネフ23 8を改造、復籍させた車両である。編成片側端部、スタッフカー側に連結され、ハイビジョンシアターカーとして使用された。

改造は日立製作所笠戸工場で施工し、塗色はプルマン車をイメージして上半分が白、下半分が紺に塗り分けられ、また他車と釣り合いを取るべく金色のロゴが書き込まれていた。「オリエント急行」と連結する洗面室側の連結器がねじ式となり、あわせてバッファーも装備された。車内は当時日立製作所が試作していたハイビジョンテレビのデモンストレーションコーナーとなっており[11]、そのため床下は水タンクおよび冷房装置1台が撤去され、ディーゼル発電機が設置された。

日本における「オリエント急行」の走行が終了したことで不要となり、以後使用されることなく廃車された。なお、もう片方の控車にはマニ50 2236が使用されたが、オリエント急行の荷物車にあわせ、青15号に塗られていた車体に金色の帯が巻かれ、レタリングが施された。

[編集] 備考

  • 等級については、一等車二等車の項を参照のこと。
  • 1960年以前の三等級制時代においては、一等→二等、二等→三等と読み替えのこと。
  • 1969年のモノクラス制以降、座席一等車はグリーン車・座席二等車は普通車に相当。
  • 寝台車については、A寝台B寝台の項も参照されたい。

[編集] 未成形式

[編集] オニ22

計画のみで製造は中止された形式。図面では一見してカニ22に類似した部分があるが、カニ22と比較して車体長が短いなどの相違点がある。

[編集] 改造

[編集] 国鉄時代の主な改造

1964年の東海道新幹線開業後、夜行特急列車の寝台専用列車化が推進される事となり、同年度以降、車体改造や、のち1968年~72年にかけては殆ど車体新造に近い形で寝台車への改造が行われた。ただしナロ20 4・5・54は1975年3月まで、「あさかぜ」用として一等車→グリーン車として使用され、そのまま廃車となった(詳細は上記の各形式も参照)。

B寝台車の一部は、老朽化した10系寝台車に替わる急行列車用として、三相交流440V電源の12系客車と併結可能なよう変圧器搭載などの改造を施され、1000番台・2000番台車となったが、こちらは12系との一括操作可能な自動ドア仕様になっている。

1970年代後半には急行列車への格下げに伴い、カヤ21、ナハ21の両形式が誕生している。詳細は上記の両形式を参照されたい。

カニ22形のうち2両は24系に転用されてカニ25形となった(カニ22 53・2→カニ25 1・2)。発電機の巻き替えにより電圧を600V→440Vに変更、ジャンパ連結器を交換している。外観は屋上パンタグラフ跡にベンチレーター(通風器)が追加された他、車両番号標記がペンキ塗りとなった以外は原型を留めていた。長崎に配置され、1975年3月から24系における、前述のマヤ20形の如き存在として「あかつき」に用いられた。先に2が1978年4月20日に廃車。1は同年向日町に転じ「彗星」、「明星」でも使用された後、1984年9月29日に廃車された。

1972年に発生した北陸トンネル火災事故後にとられた防火対策によって重量増(ナ級→オ級)となった。ただし形式・表記の変更は行わず、形式の前に白三角を追加する事で対応した。

[編集] ジョイフルトレイン「ホリデーパル」

ナハネ20 702
ナハネ20 702
ナハネフ23 14
ナハネフ23 14

「ホリデーパル」は、1984年(昭和59年)に当時の広島鉄道管理局が、幡生工場(現在の下関地域鉄道部下関車両センター)で製作したジョイフルトレインである。改造内容としては、寝台の下段の間をスペーサーで埋められるようにしてフラット化し、モケットの色をオレンジ色に変更して簡易個室として使用できるようにした程度で、スペーサーを外して通常のB寝台として使用することも可能であった。電源関係は元の20系のままであり、当然ながら未改造の車両との混結も可能であった。

この編成は、B寝台車6両(ナハネ20 325~329→701~705,ナハネフ22 21→701)と14系食堂車(オシ14 1)改造のラウンジカーオハ14 701からなり、これに電源車(カヤ21形)を連結して運用された。当初は20系標準色を纏っていたが、民営化後の1990年12月に白を基調としたオリジナル塗装に変更された。

オハ14 701は形式が示す如く14系そのものであって、サービス電源回路やブレーキ装置は14系のままで20系との変換装置を搭載していた。20系の他、元となった14系や12系とも連結可能だった。

ホリデーパルは登場から分割民営化後しばらくは団体専用列車だけでなく、多客時の臨時列車として上京する事もあった。そのため、カヤ21形1両(123)、ナハネフ23形1両(14)およびナハネ20形2両(331,335)が車内無改造のまま「ホリデーパル」新色に変更され、臨時寝台急行「玄海」などで運用された。「ホリデーパル」は、老朽化のため、塗装変更された電源車やオハ14 701を含め1997年(平成9年)3月31日に廃車された。


[編集] 保存車両

[編集] 参考文献

  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1985年3月号 No.444 特集・20系固定編成客車
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年7月号 No.763 特集・20系固定編成客車
  • 交友社『鉄道ファン』1993年11月号 No.391 20系特急形客車最後の特集
  • 中村光司「門鉄の簡易電源車 マヤ20」
鉄道友の会 編『車両研究 1960年代の鉄道車両』(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2003年12月号臨時増刊) p84~p95
  • JTBキャンブックス『幻の国鉄車両』(オニ22の図面と簡単な記述がある)

[編集] 脚注

  1. ^ その他形式からの改造編入6両あり、最終的には19形式479両となった。
  2. ^ 電源車については全車金属バネ台車で、マニ20形はTR54を、カニ21形はTR54Aを、そしてカニ22形はTR66を、それぞれ装着した。
  3. ^ その後、さらにブレーキの緩解防止対策で制御弁をAからKU1に換装したことによりCREBと称号変更された。
  4. ^ 独立した空気圧供給源を備える、後述のカヤ21形を連結した編成や、1000・2000番台車は除く。
  5. ^ 初期の車両は平面ガラス2枚の組み合わせ、また電源車は3枚の平面ガラスを使用。
  6. ^ ナハネ20 350~364は、車番下2桁が50番以降だが日車が製造。
  7. ^ 速度制限を受けずに走行可能なのは東海道本線山陽本線鹿児島本線熊本以北のみであった。
  8. ^ 同様の事例が近鉄10100系ビスタカーでもあった。詳しくは同項目参照。
  9. ^ 営団地下鉄6000系などで採用された貫通路に似た形状。
  10. ^ 20系の増圧圧縮空気は元空気溜め管によって機関車から供給されていたが、荷物車には元空気溜め管の引き通しがないため、荷物車を連結すると元空気溜め管から増圧圧縮空気を取ることができなくなる。
  11. ^ 日立製作所は「オリエント急行」来日に際してのメインスポンサーであった。

[編集] 外部リンク


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