ザ・ワイド
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ザ・ワイド THE ワイド/THE WIDE |
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ジャンル | 情報・ワイドショー番組 |
放送時間 | 平日13:55 - 15:50(115分) |
放送期間 | 1993年4月5日 - 2007年9月28日(3650回) |
放送国 | 日本 |
制作局 | 日本テレビ・読売テレビ |
プロデューサー | 高橋正弘、山西敏之ほか |
出演者 | 司会 草野仁(開始~終了) 飯星景子 (1993年4月~1997年3月) 勝恵子 (1997年4月~1999年9月) 森富美 (1999年4月~2007年9月/ 日本テレビアナウンサー) レギュラーコメンテーター 石川敏男 有田芳生など NEWS撮って出し 久能靖 (1993年4月~2004年5月) 真山勇一 (2004年6月~2006年3月) 金子茂 (2006年4月~2007年9月) |
外部リンク | 日本テレビ/ザ・ワイド |
特記事項 : |
ザ・ワイド(THE WIDE)は、日本テレビ系列28局で、1993年4月5日から2007年9月28日(3650回)(後述)まで放送されたワイドショー・情報番組。日本テレビと読売テレビ(よみうりテレビ・ytv)の共同制作番組。生放送。ハイビジョン制作(地上デジタル放送のみ)。
番組開始当初からロゴやテロップなどでのタイトルの表記は「THE ワイド」、スタジオのセットの中の司会者席の後方にあるタイトルの表記は「THE WIDE」、番組表のタイトル表記は「ザ・ワイド」となっている。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 放送形態
放送時間は月~金曜日の13:55(番組本編は13:57スタート)~15:50(JST)で、港区東新橋(汐留)にある日本テレビ社屋「日テレタワー」のS4スタジオから放送していた。また、前番組の『午後は○○おもいッきりテレビ』終了後の13:53.45から15秒間の生放送予告(ジャンクション)を行っている。この番組は日本のテレビ番組で近年多用される様になったフライングスタート(いわゆる00分といった区切りの時間から少し早めに番組を始める事)の基礎とも言える番組である。
放送開始当初は日本テレビ系列でもネット局が少なく、札幌テレビ(ローカル番組とドラマ再放送枠を編成)と山梨放送(フジテレビのワイドショー番組の同時ネットを編成)では放送開始から半年遅れの1993年10月から、また北日本放送(時代劇やドラマ再放送を行っていた)は放送開始から1年遅れの1994年4月から、高知放送(フジテレビのワイドショー番組の同時ネットの後にサスペンスドラマを再放送していた)は放送開始から5年半遅れの1998年10月から、四国放送(フジテレビのワイドショー番組の同時ネットなどを編成)は放送開始から7年遅れの2000年4月からそれぞれ同時ネットを開始している。
ただ、その一方で長年全国でディレイネット(キー局より番組を数時間遅らせて放送する事)を行っていたテレビ朝日が『ザ・ニュースキャスター』(この番組と同じ1993年4月放送開始)以降ディレイネットを打ち切ったため、その代替として南海放送とクロスネット局である福井放送及び山口放送(当時)[1]では開始当初からこの番組を同時ネットした。
なお、番組開始時間が放送開始当初からのおよそ半年間は一部地域で13:55にテレビショッピングやローカル番組などのミニ番組を放送した後に14:00(14:02)から飛び乗りする放送局(青森放送・テレビ信州・テレビ金沢・福井放送など)もあった(これらは飛び乗り局向けのオープニングタイトル表示があった)。また、1996年から2000年9月まではCS★日テレでも放送され、沖縄県など日本テレビ系列局がない地域にも視聴する事ができた(CS★日テレでは芸能ニュースなど一部コーナーを権利の問題などでフィラーに差し替えられていた)。
但し、毎年8月の全国高等学校野球選手権大会の決勝戦開催日は、山梨放送・北日本放送(以上1994年~2000年)・福井放送(1993年~)・山口放送(1993年)・四国放送(2000年)・高知放送(1999年・2000年)・南海放送(1993年・1994年)の各局でテレビ朝日系列の朝日放送から同試合をネットするため、この番組を休止した時期があったが、山口県では1993年10月にテレビ朝日系列の山口朝日放送が、愛媛県では1995年4月に同系列の愛媛朝日テレビがそれぞれ開局し、山梨県・高知県・富山県はそれぞれ2001年からネット局がテレビ山梨・テレビ高知(以上TBS系列)・富山テレビ(フジテレビ系列)に移行したため(四国放送は2000年限りでネット打ち切り)、最終的に夏の甲子園決勝戦のためこの番組が休止となるのは福井放送のみとなった。
年内の放送は通常12月28日の仕事納めの頃で終了していた。また、新年は通常1月4日に12:00からの4時間に拡大した新春スペシャルを放送していたが、2007年の同日は「午後は○○おもいッきりテレビ」が通常放送(但し録画だが)されたため通常の13:55からの放送となった。その後、5日と8日は全国高等学校サッカー選手権大会の中継で休止していた(それ以前にも1月上旬に同番組のため休止となった時期があった)。
[編集] 番組の特徴
番組開始当初は、それまで14時台が読売テレビ制作(『2時のワイドショー』→『Beアップル2時!』)、15時台が日本テレビ制作(『午後は○○おもいッきりテレビ』『うわさのスタジオ』『キャッチ』『ごくらく生テレビ』など)のワイドショーを編成していたことがあり、ワイドショーではあまり前例のない東京の日本テレビと大阪の読売テレビのスタジオをリレーでつなぐ形態(オープニング、14:00台前半・日本テレビ→14:00台後半・よみうりテレビ→15:00台前半・日本テレビ→15:00台後半・よみうりテレビ→エンディング・両局のスタジオ内のリレー)を取っており、生放送の予告の際にもリレー形態時は東京からの内容の次に大阪からの内容を伝え、放送形態を番組のウリにもしていたが、1995年に入ると1月17日の阪神・淡路大震災、さらに同年3月20日のオウム真理教による地下鉄サリン事件など重大ニュースが急増した時期を境によみうりテレビからの放送時間枠が縮小・休止され、その後全編が日本テレビ本社のスタジオ(麹町→汐留)からの放送となり、番組終了に至るまでこのスタイルで放送された。(但し、関西関連のニュースや芸能情報を取り上げる場合、リポーターが取材先に居る都合で時折よみうりテレビのスタジオが使われる事があった。また、この時以降しばらく、読売テレビ枠休止(事実上の廃枠)に伴う代替として、よみうりテレビでは神田川俊郎が出演するミニ番組を15:50から10分間関西ローカルで放送していた。)。
この番組は、それまで芸能ニュース中心のワイドショーのあり方を、事件はもとより政治問題や社会問題までも積極的に取り上げ、現在のニュース性に比重を置いたワイドショーへと導いた番組でもある。特に1995年頃から2005年9月までに見られた各局の午後のワイドショー戦争において、同時間帯トップの視聴率を保持し、TBSの『スーパーワイド』~『ジャスト』、フジテレビの『ビッグトゥデイ』~『F2スマイル』、そしてテレビ朝日の『こんにちは2時』~『パワーワイド』など多数の裏ワイドショー番組を視聴率の低迷を理由に相次いで放送を終了させ、さらには午後のワイドショーからの撤退・再放送枠への変更等に追い込んでおり、同年10月からの半年間は同時間帯の全国ネットのワイドショーは同番組だけに留まっていた。その後、翌2006年4月からTBSで『2時ピタッ!』の放送を開始し、その後同年10月から『2時っチャオ!』に移行している。番組終了時の同時間帯での民放においての全国ネットのワイドショー番組はこの番組とTBSの『2時っチャオ!』(一部地域未ネット。準キー局の毎日放送では『ちちんぷいぷい』を放送。)があった。
番組前半はVTRを中心にニュースを多角的に伝える(日によって長い場合は30分程VTRとナレーションの進行が続いてオープニングCGを放送したり、オープニングとCMが入って再びVTRが始まり、スタジオ進行がまだ始まらない事もある。)。
殺人事件などの犯罪に対しては、専門家にプロファイリングを依頼しコメントしてもらう事をウリにしており、かつてはロバート・K・レスラー、小田晋、福島章などに依頼していたが、末期は北芝健などに依頼した。
長年放送されている番組でありながら番組の公式サイトが開設されず、2007年4月26日になってようやく開設された。但し、画像1枚だけで構成される非常に簡素なページであり、また前述の通り同年9月28日で番組が終了したため、開設期間はわずか5か月間となっている。
地上デジタル放送では、注目事件の判決が出た場合、16:9画面の左右両端に判決が書かれたテロップが表示される(ここでも番組中は画面上に速報テロップが表示される〈他局の裏番組でも同様〉)。
また、番組でオンエアされる取材映像と報道フロアからの映像は、たとえハイビジョン映像でも副調整室機器の関係で4:3にカットされる。しかし、「NEWS撮って出し」でオンエアされる映像のみ画質は高精細のままである(左右両端にサイドバーが出る〈但し日テレタワーのお天気カメラや一部地方局からのハイビジョン生中継を除く〉。また、特集で流される映像は編集の際に標準画質にダウンコンバートされてしまうため、画質も標準画質となる。)。
[編集] 出来事
- 番組開始当初は、統一教会を巡る霊感商法など一連の社会問題で、新体操選手として活躍していた山崎浩子がテッシー(一般人)と呼ばれた統一協会信者との合同結婚式参加でのXデー報道が各局で連日報道される中、当時メインキャスターを務め、またかつて自身も信者であり脱会した初代女性司会者の飯星景子との独占インタビューを放送した。揺れ動いていた山崎は飯星の説得によりその後統一協会を脱会し、テッシーとの婚約破棄に至った。
- 番組開始からしばらくの間はエンディングで視聴者プレゼントのコーナーがあった。中でも、放送開始2回目から1年少し程度の期間は終了間際に前日の視聴率を報告すると共に当日の視聴率を当てるクイズを放送(「おばあちゃんのひなたぼっこ」)し、それが終了すると次は番組中の内容から出題されるクイズ(「クイズ撮って出し」)に切り替えていた。
- 1994年に発生したオウム真理教による松本サリン事件では、第一発見者が無実である事に早い段階で気付き、アメリカから生物化学兵器の権威で軍事兵器の専門家 カイル・オルソンを呼んで立証した。
- 1996年10月に右下に表示される3行の固定テロップのそれまでの手書き調が初めて廃止され、普通の字体になった。なお、この頃はその他のワイドショー番組でもちょうど手書き調から普通の文字に順次移行している過度期の頃でもあった。この最初の変更以後でも、字体の変更を何度も行っていた。詳しくは後述する。
- 1997年4月、オープニングテーマが最初に変更。
- 1999年には、野村沙知代と浅香光代の確執に端を発したいわゆるサッチー騒動で、番組では野村の数々の横暴ぶりを徹底取材し、スタンスもサッチー(野村)批判に徹していた。そしてサッチー騒動が最も過熱していた時期には冒頭から1時間以上もの時間を割いて連日この件を取り上げていた。また、野村自身へのリポーターの突撃取材に対して、野村は凄まじい勢いで激怒し、リポーターに罵声を浴びせた。
- その年の4月にはオープニングテーマも変更された。
- 2001年4月3日事件。本項、謝罪などのエピソードを参照。
- 2002年に女性デュオのあみん(岡村孝子・加藤晴子)が、加藤がコーラスで参加した岡村のニューアルバムのプロモーションのために番組に出演し、彼女たちの大ヒット曲である「待つわ」をワンコーラス披露した。なお、これが縁かどうかは不明だが、後に岡村の「真実の泉」がエンディングテーマに起用されている。
- 2004年4月1日より、日本テレビとよみうりテレビの共同制作であった体制を、よみうりテレビが中心となった制作体制に移行したため、エンドロールのクレジットタイトルでよみうりテレビが上位にクレジットされるようになった(但し、従来と同様に番組の進行とネットワーク配信並びに全国スポンサーのセールスは日本テレビから行われている。)。
- 2005年1月に番組開約11年9ヶ月目にして初めてタイトルロゴを変更すると共に、オープニングテーマも変更された。
- 2006年3月21日はワールド・ベースボール・クラシックの放送時間を延長したため、15:15からの放送となり、全編に渡って内容を変更し、同大会の試合の模様を伝えた(この日の放送時間は15:15~16:30の75分間)。番組中には大会MVPに選ばれた松坂大輔(当時西武ライオンズ)へのインタビューの生中継(聞き手は高校時代に松坂と夏の甲子園準々決勝で投げ合ったNTVアナウンサーの上重聡)も挿入された。因みに、この日の視聴率が前番組の「WBC」に引き続き視聴していた視聴者がほぼ多く、関東で28.7%、関西で29.9%と、東西共に番組最高視聴率をマークした。
- 2006年7月17日(海の日)には、放送時間の大半を秋田児童連続殺害事件の被疑者による実娘の殺害嫌疑の報道に費やし、番組の最後に同被疑者が秋田児童連続殺害事件について起訴され、被告人となった事を報じた。また、同じ海の日である翌2007年7月16日には新潟県中越沖地震の最新情報を中心に放送した。
- 2006年9月12日には『15:30から間もなく、6日前の9月6日に秋篠宮文仁親王と秋篠宮妃紀子の間に生まれた親王の命名の儀が行われる』と報じたが、待っても待っても宮内庁から命名発表が届かず、出演者が本気で焦り始めるが、ついに発表なきままその日の番組報道が終了し、その数秒後に他局のNHK総合テレビが「名は悠仁(ひさひと)、皇族の方々が自分の名前の代わりに身の回りの品々につける文字や図案であるお印(しるし)はコウヤマキ」と速報で発表した。その頃、日本テレビではCMの真っ最中という最悪のタイミングであったが、数秒間のエンディングの所で無理矢理テロップ文字で親王の名とお印をねじ込んだ。
- 2006年11月23日には、不倫交際報道が報じられた杉田かおるが事実誤認を理由にスタジオに乱入するという事件が発生した。杉田はたまたま別番組の収録のために日本テレビの楽屋で番組を見ており、「草野をぶん殴る」と息巻いていた報道された。
- 2007年5月7日頃から1週間程、地上デジタル放送では4:3での映像放送時に左右サイドバー部分にリポーターの駒井千佳子がコラムを執筆している日テレの携帯サイト(日テレ★エンタ)の宣伝テロップが常時表示された。
- 2007年5月30日には、藤原紀香&陣内智則結婚披露宴直前スペシャルとして、披露宴会場近くの神戸メリケンパークオリエンタルホテルに特設スタジオを設置して全編生中継した(草野もこの披露宴に出席した関係から)。技術はytvの本社技術スタッフが担当した。なお、披露宴の模様は19時から単発特別番組扱いで放送した。
- 2007年9月12日は番組開始の約1時間前に安倍晋三内閣総理大臣辞任表明のニュースが飛び込んだため、急遽全編をこの内容に変更した。なお、本来は午前中に秋田地方裁判所で行われた「秋田連続児童殺害事件初公判」を放送する予定だった。
- 2007年9月28日、最終回を迎えた。番組ラストで草野から視聴者に感謝の言葉が述べられた。なお、歴代の女性司会者であった飯星景子(初代)、勝恵子(二代目)は登場しなかった。
[編集] 謝罪などのエピソード
- 2001年4月3日事件。「森喜朗総理大臣が辞任しないのは、任期を延ばすことで退職金を多くもらうためだ」という週刊誌記事を番組で紹介し、記事を書いた税理士にインタビューを入れた映像を放送した。この時「総理大臣の退職金は1年以上務めないと支給されないから、総理就任1年目にあたる4月5日まで辞めないのではないか」と報じたが、実際は退職金は在職6ヶ月以上でも支給されるので、退職金算定の仕組みについても誤認があった。番組は自民党内部などから強い抗議を受け、翌日の放送で謝罪した。
- 2004年12月に奈良県内で発生した少女誘拐事件の犯人に対して、コメンテーターの市川が「犯人に言いたいのは今度やったら絶対捕まるぞ、と。捕まりたくなかったら絶対にやるな」という発言をし、1時間程してから謝罪が入った。司会の草野が「先程誤解を与える様な表現がありまして…」と言い、市川は「もちろん犯人が捕まって欲しいのは当たり前ですが、もう2度と罪を犯して欲しくないと思い、あんな表現をしてしまいました。」と釈明した。
[編集] 生中継
重要な事でない限り、ほとんどがIP回線によるIP中継方式を取っている。これはワイドショー番組という事から画質性よりも情報の多様性が問われるためである。但し、これは関東広域圏内からの中継に限った事である。
地方局が中継する際にハイビジョン中継車で行っている場合はハイビジョンで中継する事もあるが、画質は高精細のままである。但し、最近はハイビジョン中継でも4:3の標準画質にカットされる場合もある。
だが、2007年春に行われた東国原英夫宮崎県知事とのインタビュー中継では、通常放送していないテレビ宮崎が裏送りで行った事がある。但し、東国原知事は当時UMKの社屋の中で司会の草野と対談した。
[編集] 番組に対する批判
[編集] 番組の終焉
先述の通り、この番組は『午後は○○おもいッきりテレビ』と共に2007年9月28日を以って終了した。終了に至った背景には、読売テレビが制作から完全撤退する事を日本テレビ側に伝えたため、同局単独で制作費を賄う事が困難である事に加え、多くの裏番組(関東ではTBSの『2時っチャオ!』・フジテレビの『チャンネルα』・テレビ朝日のドラマ・サスペンスの再放送、関西では毎日放送の『ちちんぷいぷい』と朝日放送のサスペンスの再放送・関西テレビのドラマの再放送)の視聴率も好調で、同時間帯の視聴率1位こそ守っていたが、それでも全盛期程の勢いも見られなくなり、番組開始当初とほぼ同じ水準に戻った事にから午後枠の積極的な大改編に踏み切る事となった(他にも視聴者ターゲットを若年層に向けたい同局の意向もあった)。番組終了は改編期よりかなり前の時点で決定されていた事が出演者のブログ等から覗う事ができる。
[編集] 番組終了後
なお、番組終了後はネット局全体でローカルセールス枠に衣替えされ、日本テレビ(関東)ではこの枠にドラマなどを再放送する『ドラバラZONE』と山口智充(DonDokoDon)や友近を司会者に迎えた新情報番組『くちコミ☆ジョニー!』(月~木15:55~16:53)を開始。そのため、日テレは下記で述べる『情報ライブ ミヤネ屋』が放送されない。よって、日本テレビに関しては1979年4月にスタートした『2時のワイドショー』から数えて、日本テレビは28年半続いた14時台のワイドショーが姿を消した。だが、その代替番組として、2007年10月1日から時間帯は繰り上がって異なるものの、『午後は○○おもいッきりテレビ』の後を受けて開始された『おもいッきりイイ!!テレビ』で、ニュースはもちろん、芸能情報などの内容も扱っている。(-イイ!!テレビからニュースや芸能情報を扱い始めたという情報は間違い。)
また、読売テレビではこの番組が終了するまで関西ローカル番組で直後に放送されていた朝日放送出身のフリーアナウンサー・宮根誠司の冠番組『情報ライブ ミヤネ屋』が13:55~16:43(金のみ~16:50)に放送時間を変更する事が決定し、枠を拡大し放送している。日本テレビ以外の日本テレビ系列局(他局とのクロスネット局である福井放送含む)計26局(2007年10月当初。現在は計27局。)は『ドラバラZONE』に真っ向から対立する形で本番組終了後の2007年10月1日から後枠として『ミヤネ屋』ネットに乗り換えており、これらの局も『ミヤネ屋』を放送している。但し、各局の編成との兼ね合いで各地で放送時間が異なるので、番組途中での飛び乗り・飛び降りポイントを設けている。なお、福岡放送、山梨放送は同月9日から『ミヤネ屋』を放送開始した。また、テレビ信州は当番組終了後から2007年12月まで唯一、『ドラバラZONE』を日本テレビからネット受け(再放送番組として異例の同時ネットである)をしていたが、2008年1月より『ミヤネ屋』のネットを開始した。因みに、初代女性司会者の飯星景子は現在『ミヤネ屋』月曜日のコメンテーターとして出演している(2008年3月までは火曜・木曜日には同時間帯に生放送の『2時っチャオ!』(TBS系)のコメンテーターも務めていた)。
番組終了から約1ヶ月後の2007年11月中旬頃、週刊新潮に草野仁と有田芳生の取材記事が掲載され、番組の思い出を語っていた。また、草野は一部に「(草野自身が日本テレビ上層部に)自分の給料を半分下げても良いから番組を続けてくれ」と直談判したと報じられたことについて「事実無根のこと」と否定した。また、草野は同番組の後枠を再放送に切り替えた日本テレビの対応を疑問視するのと同時に、同番組終了後在京唯一の14・15時台の情報番組となったTBSの『2時っチャオ!』に対して、「若者向けの軽いノリの番組」と批判的なコメントをした(但し、2007年12月12日には、その『2時っチャオ!』のゲストトークコーナーに草野が出演している。尤も、これは草野がその年の司会を担当した『日本有線大賞』の番宣を兼ねたものでもあるが)。なお平日5日間の生番組であった当番組終了後、草野の収入は半減したと言われている。また、草野は同年10月以降から前述の『2時っチャオ!』も含めいろいろな番組にゲスト出演している。
なお、関東地区のみで放送の次番組の『ドラバラZONE』は『ザ・ワイド』視聴者が前述にもある『2時っチャオ!』に流れてしまった影響で平均視聴率1~2%と『ザ・ワイド』放送時に到底及ばないものとなった(対照的に2007年10月以降、『2時っチャオ!』は『ザ・ワイド』の晩年期の平均視聴率に値する8%程度のものをコンスタントに記録している)。これにより、『ドラバラZONE』は同じく視聴率対決において大惨敗した『くちコミ☆ジョニー!』と共に2008年3月28日を以ってわずか半年で終了し、2008年3月31日から『情報ライブ ミヤネ屋』が、日本テレビでも放送開始された(月 - 金曜日の14時台をネットし、15~16時台は関東ローカル扱いで『アナ☆パラ』を放送)。
[編集] 出演者
[編集] 司会
[編集] ニュースコーナー
前時間帯の番組『午後は○○おもいッきりテレビ』の情報特急便と同じキャスターが担当。
[編集] リポーター・インタビュアー
[編集] コメンテーター
(曜日)は出演日
- 芦田多恵(不明)
- 有田芳生(月~金)
- 石川敏男(同上)
- 市川森一(木)
- 牛尾奈緒美(元フジテレビアナウンサー、明治大学情報コミュニケーション学部准教授)(不明)
- 加藤タキ(月~水・金のうちいずれか)
- 香坂みゆき(火・木)
- 斉藤慶子(不明)
- 湯川れい子(月)
- やくみつる(水)
- 南美希子(水・木)
- 織作峰子(火・木・金のうちいずれか)
- 鳥井守幸(火)
- デーブ・スペクター(月・水・金のいずれか)
- ヨーコ・ゼッターランド(木)(司会の草野は義父である)※場合により火曜日に出演する事もある
- 岩田公雄(読売テレビ解説委員)(不定期)
- 佐藤喜宣(杏林大学医学部法医学教室教授)(月)
- タカアンドトシ(隔週金曜日)
[編集] ナレーション
[編集] 読売テレビ制作コーナー
- 司会
- コメンテーター
など
[編集] 備考
- 日本テレビがニュースや芸能情報に特化していたのに対し、よみうりテレビは各曜日に『2時のワイドショー』の流れを組むレギュラーコーナーを設けて14・15時台にそれぞれ別の企画を行っていた。「NEWS関西焼き」「パーティーファッション」「夫婦晴れたりくもったり」「なんでやねん」という番組独自のコーナーを設定したり、「女の悩み110番」(「夫婦110番」からタイトル変更)「神田川料理道場」といった「2時のワイドショー」から続くコーナーも設定していた。また、日により提供クレジットの入れ換えもよみうりテレビから行われていた。
- 日本テレビのスタジオが出演者だけだったのに対し、よみうりテレビのスタジオには観客(主婦中心)を入れていた。
[編集] コーナー
- ワイドニューストクソウ部(2006年9月まではワイドニュース特捜部)(2006年4月~〈同年10月にアレンジ変更〉2007年9月)
- NEWS撮って出し(1993年4月~2007年9月)
- 久能靖(元日本テレビアナウンサー、報道記者)(1993年4月~2004年5月)
- 真山勇一(元日本テレビ報道記者)(2004年6月~2006年3月)
- 金子茂(日本テレビ報道記者、元アナウンサー)(2006年4月~2007年9月)
- 開始当初からある唯一のコーナーで、ニュースコーナー。開始当初は前番組の『午後は○○おもいッきりテレビ』の情報特急便に比べて久能の駄洒落が少なかった。また、このコーナーは正式には「○○キャスターのNEWS撮って出し」(2004年頃~)となっており、「○○」の中には久能担当時代は「久能」が、真山担当時代は「真山」が、金子担当時代は「金子」とそれぞれ付いていた(但し久能担当時代はタイトルロゴに「久能キャスターの」は入っていなかった)。
- 私は見た!人生の交差点
- かつて情報ツウで放送していた「プロは見た!感動!劇場」を継続した企画。
- わが人生に歌あり
- 芸能人が思い出の曲について語る。
[編集] 過去のコーナー
- 特ダネファイル(1998年頃~2003年12月)
- もぎたてデリ(2004年1月~12月)
- ニュース人物ワイド(2005年1月~2006年3月)
- 今日は誕生日わたしはだ~れ?
- 放送日当日が誕生日の有名人を紹介していた。
- 金曜ランキング(2005年頃~番組末期頃、ナレーション:野沢雅子)
- 「好きな芸能人ベスト10」など、10位→1位のランキングを紹介していた。
[編集] タイムテーブル
- 13:55 ニュース・芸能情報(2本)
- 14:45 特集
- 15:13 ワイドニューストクソウ部
- 15:30 金子キャスターのNEWS撮って出し
- 15:45 エンディング
※13:53.45に15秒間の生放送予告(ジャンクション)(一部地域を除く)
[編集] 主題歌
これらの曲はすべてエンディングテーマで流れる。
- 1993年4月5日~ - ほんとうに愛ができること/中村雅俊
- 1996年 - ずっと許してる/マルシア
- 2000年 - 明日への扉/草野仁
- 2002年1月~3月 - あなたに会いたい/MIO
- 2002年4月~6月 - Alice/我那覇美奈
- 2002年7月~9月 - 雨上がり/ふれあい
- 2002年10月~12月 - 空白(Al「空白」より)/松本哲也
- 2003年1月~3月 - ペンギンたちの夢/The Kaleidoscope
- 2003年4月~6月 - CLOSE/楠木あや
- 2003年7月~9月 - SMILE ~笑顔の君へ~/松田悟志
- 2003年10月~12月 - 真実の泉(Al「TEAR DROPS」より)/岡村孝子
- 2004年1月~3月 - 宵待ち(Al「Odyssey」より)/浅田信一
- 2004年4月~6月 - 虹をわたる風のように/SORA
- 2004年7月~10月 - brand-new days/Ruppina
- 2004年10月~11月 - 君に逢いたくて/Gackt
- 2004年12月 - 12月のLove song/Gackt
- 2005年1月~4月 - ふたりの街で/YuU
- 2005年4月~7月 - ベストパートナー/ダ・カーポ
- 2005年7月~9月 - ひとつぶの雨/サーカス
- 2005年10月~12月 - ひとつひとつ/aki
- 2006年1月~3月 - Smile/諫山実生
- 2006年4月~6月 - 泣かないで/kaede
- 2006年7月~9月 - コトノハ/kaede
- 2006年10月~12月 - Crazy'bout you/森大輔
- 2007年1月~3月 - platinum/RSP
- 2007年4月~6月 - 種/竹仲絵里
- 2007年7月 - 誰より好きなのに/sowelu
- 2007年8月 - Lifetime Respect -女編-/RSP
- 2007年9月 - Love Songは今も/加山雄三
[編集] 備考
番組初の主題歌に選ばれた中村雅俊は、初回の放送で歌手でもあるよみうりテレビ側キャスター円広志にVTRでエールを送った。また、2000年にはメインキャスター草野仁の歌手デビュー曲となる『明日への扉』が主題歌として採用された。
[編集] ネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日・放送時間 |
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関東広域圏 | 日本テレビ放送網(NTV) ザ・ワイド制作局、キー局 |
日本テレビ系列 | 月曜~金曜 13:55~15:50 |
近畿広域圏 | 讀賣テレビ放送(ytv) ザ・ワイド制作局 |
月曜~金曜 13:55~15:49[2] |
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北海道 | 札幌テレビ放送(STV) | 月曜~金曜 13:55~15:50 |
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青森県 | 青森放送(RAB) | ||
岩手県 | テレビ岩手(TVI)※[3] | ||
宮城県 | 宮城テレビ放送(MMT) | ||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | ||
山形県 | 山形放送(YBC) | ||
福島県 | 福島中央テレビ(FCT) | ||
山梨県 | 山梨放送(YBS) | ||
新潟県 | テレビ新潟放送網(TeNY) | ||
長野県 | テレビ信州(TSB) | ||
静岡県 | 静岡第一テレビ(SDT) | ||
富山県 | 北日本放送(KNB) | ||
石川県 | テレビ金沢(KTK) | ||
福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ系列・テレビ朝日系列 (クロスネット局) |
|
中京広域圏 | 中京テレビ放送(CTV) | 日本テレビ系列 | |
鳥取県 島根県 |
日本海テレビジョン放送(NKT) | ||
広島県 | 広島テレビ放送(HTV) | ||
山口県 | 山口放送(KRY) | ||
徳島県 | 四国放送(JRT) | ||
香川県 岡山県 |
西日本放送(RNC) | ||
愛媛県 | 南海放送(RNB) | ||
高知県 | 高知放送(RKC) | ||
福岡県 佐賀県 |
福岡放送(FBS) | ||
長崎県 | 長崎国際テレビ(NIB) | ||
熊本県 | 熊本県民テレビ(KKT) | ||
鹿児島県 沖縄県北部(一部)[4] |
鹿児島讀賣テレビ(KYT) |
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネットしない理由 |
---|---|---|---|
大分県 | テレビ大分(TOS) | フジテレビ系列・ 日本テレビ系列 (クロスネット局) |
ローカル枠(遅れネットなどの放送)になっているため |
宮崎県 | テレビ宮崎(UMK) | フジテレビ系列・ 日本テレビ系列・ テレビ朝日系列 (トリプルネット局) |
ローカル枠(FNS系に準じたものとなっている)になっているため |
[編集] スタッフ
- 構成:中条原始・後藤直・城田光男・久利一・猪鼻浩行・大久保政男・森政行・倉野満
- TM:古井戸博
- 美術:箕田英二(ytv)、小林俊輔(日テレアート)
- タイトルグラフィックス:空気モーショングラフィックス・ケネックジャパン
- 音効:片岡幸司(サウンドエフェクト)/橋本いづみ・見浪史郎(サウンドプロ企画)
- TK:塚越倫子・西岡八生子
- ニュースD:藤永京子・藤田日登美(日によって異なる)
- PD:武澤忠、森浩一
- プロデューサー:山本一宗(ytv)/千葉知紀(NTV)/山田哲也(AX-ON)/野尻仁(ytv)
- チーフプロデューサー:高橋正弘(NTV)/山西敏之(ytv)
- 制作:小石川伸哉(ytv)
- 制作協力:AX-ON(旧:日本テレビエンタープライズ)(仲田恵一)、NiTRo
- 製作著作:よみうりテレビ・日本テレビ
[編集] 歴代のスタッフ
- チーフプロデューサー:斎藤三朗→森岡正彦→林隆一郎→高橋正弘(復帰)→後藤東(いずれもNTV)
- プロデューサー:松井守(ytv)・染井将吾(NTV・報道局→2007年情報番組CP)、菱田義和、結城豊弘(ytv)
- TM:坂本親保→吾妻光良
[編集] 歴代セット
番組開始から全セット・司会者席の後方に「THE WIDE」と書いてあるが、2・3代目以降はセットが変わるたびに年々小さくなっていっていた。日本テレビの2・3代目については赤いサイズ大の丸いボール真ん中の黒い枠の中に虹色に「THE WIDE」と書いてある同じ物が置かれていた。またytvのセットは2代目まで存在した。
- 初代:1993年4月~1996年3月
- 日本テレビは、司会者席後方の赤い丸いボール真ん中に「THE WIDE」と金色の細い文字で書かれているもの。赤い丸いボールは後の2・3代目よりは若干、サイズは小となっている。
- ytvは、下手の司会者席背後の細い鉄板を連ねたセットの上に「THE WIDE」と金色の細い文字で書かれており、日本テレビの物に比べるとふた回りほど大きい。
- 2代目:1996年4月~1998年3月
- 日本テレビは、前述通り司会者席後方の赤い丸いボールが変わった。前述。
- ytvは、中央後方の司会者の背後のT字型のマホガニーのセットの上に「THE WIDE」の文字が置かれているが、先代のものに比べるとやや小さめ。
- 3代目:1998年4月~2001年3月
- 先代をマイナーチェンジ。前述の通り、司会者席背景以外の場所はセットをほぼ変更。
- 4代目:2001年4月~2004年2月
- 麹町旧社屋の最後セット。司会者席後ろの2代目・3代目と続いた同じ赤い丸いボールを変更。赤い丸いボールが約1/2ほどのサイズになり、黒い枠がなくなり、「THE WIDE」の文字がそのまま書かれる。文字は虹色から銀色に変更。
- 5代目:2004年2月~12月
- 汐留新社屋へ移転に従い変更。初代以来、サイズは2度変わっているものの先代までのすべてのセットにあった司会者席背景「THE WIDE」の文字後ろの赤いボールが初めてなくなるがセットの他の場所に小さい青、緑、黄、赤のボールが置かれる。「THE WIDE」の文字は銀色でセットの柱につながれる。
- 6代目:2005年1月~2007年3月
- 司会者席後方の「THE WIDE」文字が過去1番ミニサイズで、戸棚に置かれている。
- 7代目:2007年4月~9月
- 最後のセットは、先代をマイナーチェンジ。先代にオレンジ色の置き物が追加。歴代のセットでは半年間という一番短い期間のセットとなった。
[編集] 通常時の右下固定テロップ
基本的には各時期、字体を変更している(1996年10月~2001年3月は数度字体が変わっているがいつ変わっているか不明のため、一括する)。
- 1993年4月~1996年10月
- 当時ワイドショー主流の手書き調。文字は白地に黒枠。
- 1996年10月~2001年3月
- 手書きを廃止。文字は手書き時代に引き続き白地に黒枠。1行目の文字背景に色がつけられる(主に赤、青、緑、紫4色)。何度か字体が変更しているがそれは省略する。
- 2001年4月~2004年3月
- 1行目に引き続き、2・3行目にも文字背景に色がつく(主に赤、青、緑、紫4色)。文字は引き続き白地に黒枠。
- 2004年4月~12月
- 上の1行目の右端にタイトルが小さく「THE ワイド」と表示される、文字自体も始めてカラー化した。1行目背景は先代に引き続き主に赤、青、緑、紫4色。1行目とは違い、2・3行目の背景は黒系の灰色。
- 2005年1月~2007年3月
- 文字背景は1・2・3行すべて赤のみ。しかし、表示方法は2001年4月~2004年3月の時とは違うもので同時期にオープニング・タイトルロゴが変更されたが、そのオープニングCGをデザインした赤色の文字背景となった。文字は再び白地に黒枠に戻されるが、初の斜めの字体になった。先代に引き続き、一部文字だけ黄色地に黒枠という黄色の文字など、違う色を表示されることもあった。
- 2007年4月~9月
- 文字背景は白、そのまた後ろに赤い背景となる。再びタイトルが今度は右下に小さく「THE ワイド」と表示される。文字は再び平行な字に戻される。1行目は背景なしの白地黒枠(特集等、黄色単色の時もあり)、2・3行目文字は主に黒(・赤・青・緑も表示あり)の各単色。
[編集] 歴代タイトルロゴ
- 初代:1993年4月~2004年12月
- 2代目:2005年1月~2007年9月
[編集] 歴代オープニングテーマ
- 初代:1993年4月~1997年3月
- 2代目:1997年4月~1999年3月
- ロゴ表示の後にテーマ曲が流れている際、アナウンサー読みの提供クレジットがあったのはこれまで。
- 3代目:1999年4月~2004年12月
- この代からオープニングテーマが流れる際に番組ロゴが表示された後にあるアナウンサー読みの提供クレジットがなくなる。
- 4代目:2005年1月~2007年9月
- 最後のオープニングテーマではこれまで外の様子を写していた画面をCG画面へ変更。2代目番組ロゴの最初で最後のオープニングとなった。
[編集] 脚注
- ^ ただし、福井放送は『Beアップル2時!』を、山口放送は『ごくらく生テレビ』をそれぞれ放送していた。いずれもテレビ朝日系列とのクロスネット局である。
- ^ 1分早い終了時刻となっているのは『サスペンス傑作劇場』(火~木)時代からの名残りで、『情報ライブ ミヤネ屋』と変更されて以降もステブレレスで直後の番組が開始されていたからである。
- ^ 年に数回県議会中継のためネットを休止する場合がある。
- ^ 沖縄県ではCS★日テレで一時放送されたのみ。当初の予定通りの新局開局がなされていれば、第1回から視聴可能だった。
[編集] 関連項目
- ワイドショー一覧
- おもいッきりイイ!!テレビ
- 日テレ系秋まつり - 2006年10月9日実施のイベント(2007年10月8日にも実施)
- 日テレ系春まつり - 2007年3月21日実施のイベント
- たかじんONE MAN - この番組をパロディー化した企画を持つ毎日放送制作の関西ローカル番組。2007年9月18日で終了した。
- ドラバラZONE(関東・長野県での後番組。長野県は、2008年から下記の『ミヤネ屋』をネットした。)
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ制作、上記地域と宮崎県・大分県以外での後番組。)
[編集] 備考
- 1995年に放送された金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)(堂本剛版)で、劇中にこの番組が登場しており、初代司会の草野仁と飯星景子が映っていた事がある。
- 土曜日の8:00~9:25に放送されている読売テレビ制作の情報番組『ウェークアップ!』→『ウェークアップ!ぷらす』(一部地域未ネット)では、東京から放送する場合にこの番組のセットが用いられていた。
- ニューヨーク・ヤンキースに在籍する松井秀喜は、ニューヨークの自宅から同番組をよく視聴していたそうである。
- 2007年9月27日には「ザ・ワイド ファイナル」で番組初期のオープニングテーマ曲の一部が放送された。
[編集] 外部リンク
[編集] 番組の変遷
[編集] 関東広域圏
日本テレビ 平日13:55~14:00枠(1993年4月~2007年9月) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ザ・ワイド
(→読売テレビとの共同制作) |
||
日本テレビ 平日14時台(1993年4月~2007年9月) | ||
ザ・ワイド
|
ドラバラZONE
※13:55~15:50 |
|
日本テレビ 平日15時台(1993年4月~2007年9月) | ||
ザ・ワイド
|
ドラバラZONE
※13:55~15:50 |
|
日本テレビ 平日15:45~15:50枠(1993年4月~2007年9月) | ||
不明
|
ザ・ワイド
|
ドラバラZONE
※13:55~15:50 |
※日本テレビでの実質的な後番組は『くちコミ☆ジョニー!』
[編集] 近畿広域圏
読売テレビ 平日13:55~14:00枠(1993年4月~2007年9月) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
ザ・ワイド
(→日本テレビとの共同制作) |
||
読売テレビ 平日14時台(1993年4月~2007年9月) | ||
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:43(金のみ16:50まで) |
|
読売テレビ 平日15時台(1993年4月~2007年9月) | ||
ごくらく生テレビ
(→日本テレビ制作全国ネット) |
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:43(金のみ16:50まで) |
読売テレビ 平日15:45~15:50枠(1993年4月~2007年9月) | ||
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:43(金のみ16:50まで) |
[編集] 中京広域圏
中京テレビ 平日13:55~14:00枠(1993年4月~2007年9月) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
中京テレビ 平日14時台(1993年4月~2007年9月) | ||
Beアップル2時!
(→読売テレビ制作全国ネット) |
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:41(金のみ16:48まで) |
中京テレビ 平日15時台(1993年4月~2007年9月) | ||
ごくらく生テレビ
(→日本テレビ制作全国ネット) |
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:41(金のみ16:48まで) |
中京テレビ 平日15:45~15:50枠(1993年4月~2007年9月) | ||
不明
|
ザ・ワイド
|
情報ライブ ミヤネ屋
※13:55~16:41(金のみ16:48まで) |