後藤光尊
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後藤光尊 オリックス・バファローズ No.24 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県南秋田郡八郎潟町 |
生年月日 | 1978年7月28日(29歳) |
身長 体重 |
175cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2001年 10巡目 |
初出場 | 2002年3月30日 |
年俸 | 4,500万円(2008年) |
経歴 | |
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後藤 光尊(ごとう みつたか、1978年7月27日 - )は、秋田県南秋田郡八郎潟町出身のオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(内野手)。背番号は24(2003年まで49、2006年まで1)。
目次 |
[編集] 人物・来歴
[編集] プロ入りまで
- 中学時代は野球とラグビーを掛け持ち、ラグビーの県大会で優勝した経験がある。
- 秋田県一の進学校秋田県立秋田高等学校(石井浩郎の後輩)の3年次にエースとして春の甲子園に出場。
- その後スポーツ推薦で法政大学に進学するが、入学後間もなく中退。翌1998年に川崎製鉄千葉に入社した。
- 同年、川崎製鉄千葉は都市対抗野球に出場して準優勝となり、後藤はその年最も優秀な活躍を収めた新人選手に贈られる若獅子賞を受賞した。
- 2001年、オリックスからドラフト10巡目で指名されて入団。
[編集] プロ入り後
ドラフト10巡目という下位指名ながら、6番指名打者で開幕スタメンの座をつかむ。4月には1番を打って3本の三塁打を記録し、長打力と足の速さを大いにアピールした。
開幕直後はケガで出遅れたものの、6月から2番、7月以降は9番遊撃手のレギュラーに定着。9月にはサヨナラ打を2本放つ活躍で、9本塁打とパンチ力もあるところを見せ付けた。
この年から背番号1を背負ったが、打率.259、1本塁打と不振で、塩崎真・平野恵一ら内野手のライバルに差をつけられた。
初の100試合以上に出場、自己最高打率の.295を記録するなど絶好調。遊撃手である阿部真宏の加入で、主に三塁手か指名打者での出場だった。長打力も走力もあるため、4番も含め全打順でスタメン出場するという快挙を成し遂げた。
中村紀洋が三塁に入ったため、塩崎や水口栄二らと二塁手のレギュラーを争う起用が考えられていた。しかし阿部の長期離脱、中村のケガなどで出番が増え、前半は3割を記録するなど貧打のオリックス打線の中で貴重な存在となった。後半失速したため打率は05年より落としたが、その代わり守備の安定度が増した。またこの年も2番と4番以外の全ての打順でスタメン出場し、一塁手2試合、二塁手72試合、三塁手11試合、遊撃手27試合を守った。この年から応援歌が新しいものへ変わった。
開幕時の構想ではルーキーの大引啓次が遊撃手に、新加入のグレッグ・ラロッカが三塁手に起用されたため、立場が苦しくなった。しかし阿部がケガで離脱した4・5月には二塁手で、ラロッカが離脱した6月には三塁手で、終盤大引が不調に陥ると遊撃手でと、さまざまなポジションを穴埋めする働きを見せた。9月17日のロッテ戦では延長に入り外野手をすべて使い切ったため、自身プロ初の左翼手の守備についた。(その時の心境を「練習はしていたけれど、“ビックリ”した。けど、1球ぐらい捕りたかった。」とコメントしている)
打撃の方は、序盤こそ打率が2割台前半に停滞していたものの、終盤にようやく復調。9月にはほぼ全試合に出場した。同じ守備位置・同じ打順で6試合以上連続してスタメン起用されることが1度もなかったにも関わらず、終わってみれば自己最多の107試合に出場、初の2桁本塁打、チーム4位の34打点を挙げた。この年は1番・3番・4番以外のすべての打順でスタメン出場し、二塁手72試合、三塁手11試合、遊撃手27試合、外野手1試合を守った。
屋根の無い球場(ドーム以外の球場)では新旧の応援歌を交互で演奏されるように変更された
[編集] 特徴
- 長打力も走力も兼ね備えておりどんな打順でもコンスタントに成績を残せるため、さまざまな打順でスタメン起用されてきた。
- 右投手からは3割を越える打率を残しているが、左投手だと1割にも満たない打率である。そのため左投手が得意な阿部真宏との併用が多い。
- 守備に関しては、とんでもない大ファインプレーをしてチームのピンチを救う場面も見られるが、とんでもないエラーをしてチームにピンチを招くことも少なくない。そのことからか「後藤が名手に見える動画」というものが存在する。
- また、初球の打率は5割を越えるものの、フルカウントになると1割くらいとなっている。そのためか追い込まれないうちにヒットを打とうとする姿勢をみせており、この姿勢を取ってから比較的良い成績を残せるようになったようである。その攻守にわたる極端なムラっ気は球界一といえるかもしれない。今後は対左投手への打撃と守備面の安定がレギュラー定着への課題といえる。
- 愛称はごっつ、あるいはチャラ夫。
- 夫人は元グラビアアイドルの斉藤ますみ。
2007年からは新監督のテリー・コリンズが1番を付ける事が決まり、背番号を24に変更(2006年のパ・リーグオールスター東西対抗から早速24番のユニフォームを着てプレーした)。
なお、コリンズ監督からは「MVPを獲得すれば背番号1を返還する」といわれているが、 その件に関して後藤はインタビューで「果てしなく無理です」と答えている。 近鉄バファローズの背番号1番(鈴木啓示)は2004年当時パ・リーグ唯一の永久欠番だったが、吸収合併先のオリックスで当時1番をつけていた後藤光尊が変更を拒否したため、引き継がれず消滅(オリックス側は念のため鈴木本人に確認したが、鈴木は「私の永久欠番は近鉄での記録によるものだから」という旨の回答をして引継ぎを断っている)。
バッティングに硬さがあり、長打力はあるのだがほとんど引張り気味、今後、レギュラー定着のためには逆方向へ大きなあたりが打てるようにすることが課題である。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | オリックス | 49 | 39 | 102 | 94 | 11 | 23 | 4 | 3 | 2 | 39 | 8 | 1 | 1 | 4 | 0 | 3 | 1 | 16 | 1 | .245 |
2003年 | 99 | 341 | 318 | 42 | 85 | 15 | 5 | 9 | 137 | 29 | 7 | 11 | 6 | 0 | 10 | 7 | 68 | 5 | .267 | ||
2004年 | 1 | 53 | 179 | 170 | 24 | 44 | 10 | 0 | 1 | 57 | 18 | 4 | 2 | 2 | 0 | 5 | 2 | 24 | 4 | .259 | |
2005年 | 105 | 347 | 325 | 49 | 96 | 27 | 2 | 9 | 154 | 42 | 6 | 4 | 2 | 0 | 11 | 9 | 32 | 12 | .295 | ||
2006年 | 95 | 307 | 290 | 26 | 78 | 14 | 2 | 3 | 105 | 21 | 4 | 0 | 4 | 0 | 11 | 2 | 51 | 2 | .269 | ||
2007年 | 24 | 107 | 337 | 314 | 28 | 80 | 16 | 2 | 10 | 130 | 34 | 5 | 7 | 4 | 3 | 14 | 2 | 26 | 7 | .255 | |
通算(5年) | 498 | 1613 | 1511 | 180 | 406 | 86 | 14 | 34 | 622 | 152 | 27 | 25 | 22 | 3 | 54 | 23 | 217 | 31 | .269 |
- 2007年シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2002年3月30日対大阪近鉄バファローズ1回戦(大阪ドーム)、6番・指名打者として先発出場
- 初盗塁:同上、6回表に二盗(投手:ショーン・バーグマン、捕手:藤井彰人)
- 初安打:同上、8回表に三澤興一から
- 初本塁打:2002年4月15日対大阪近鉄バファローズ3回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回裏にジェレミー・パウエルから
- 初打点:同上
[編集] 関連項目
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ) 2001年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:小川裕介 / 自由獲得枠:平野恵一 / 4巡目:島脇信也 / 5巡目:早川大輔 / 6巡目:肥田高志 7巡目:山本拓司 / 8巡目:辻竜太郎 / 9巡目:本柳和也 / 10巡目:後藤光尊 / 11巡目:牧田勝吾 12巡目:板倉康弘 / 13巡目:深谷亮司 / 14巡目:藤本博史 / 15巡目:橋本泰由 |