平野佳寿
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平野 佳寿 オリックス・バファローズ No.16 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府宇治市 |
生年月日 | 1984年3月8日(24歳) |
身長 体重 |
186cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
初出場 | 2006年3月26日 |
年俸 | 4,800万円(2008年) |
経歴 | |
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平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 -)はオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。背番号は16。
常時145km/以上・最速151km/hの速球と、スライダー、シュート、カーブ、フォークを駆使する先発型本格派右腕。四死球が少なく、ハイレベルな制球力も持ち味。
目次 |
[編集] 来歴
京都府宇治市に生まれる。小学3年時に「小倉リトルズ」という軟式少年野球部から野球を始め、中学時代に投手転向。中学時代は地元中学校の軟式野球部に所属。硬式に進んだのは高校から。鳥羽高校では2度甲子園に出場するが、腰痛もあって2番手投手に甘んじた。京都産業大学では2年生からエースとして活躍し、大学ナンバーワン右腕としての評価を確立する。彼が残した通算36勝、404奪三振は関西六大学リーグの新記録である。
2005年、希望枠でオリックスに入団。入団会見では「10勝以上勝って新人王を獲得したい」と話した。
[編集] プロ入り後
プロ初先発となった3月30日の楽天戦でプロ初勝利をあげ、続く4月6日のロッテ戦では新人で一番乗りとなる完封勝利を挙げた。ちなみに、前日まで完封勝利を挙げた投手がいなかったため、新人での2006年のシーズン一番乗りとなる完封勝利の可能性があったが、平野がこの日完封勝利を挙げた約9分前に日本ハムのダルビッシュ有がソフトバンクを完封したので、惜しくもシーズン一番乗りの完封勝利は逃した。
その後も長谷川滋利以来の新人3完封勝利を序盤戦にして達成するなど活躍を見せ、日本ハムの八木智哉とハイレベルな新人王争いを繰り広げ、平野・八木はともにオールスターに監督推薦で選ばれた。中村勝広監督が完投数で新人王をとらせようとしたためか、異常なまでに完投を強いる。また交流戦ではローテーションをずらしてまで巨人・阪神相手に平野を登板させた。その結果、オールスター後は僅か1勝止まり。序盤で試合を壊すなど成績が急激に低下。完投数は松坂大輔の13試合に次ぐリーグ2位の10試合、4完封を記録したものの、7勝11敗と二桁勝利を逃し、新人王争いは八木に軍配が上がった。
前年を上回る8勝をあげ、多くの面で改善が見られた。しかし、援護がなかったり、中盤に炎上するなど点の取られ方が悪く、前年同様にシーズン後半になると失速していく傾向も変わらず、リーグワーストの13敗を記録した。前年はリーグ2位の10完投を記録したが、この年はテリー・コリンズ新監督の方針により、100球前後の球数制限が設けられ、完投は7月24日の日本ハム戦(わずか98球での無四球完封勝利)・8月7日のロッテ戦で達成した2完封にとどまった。 また、球数制限を意識するあまり、ストライクゾーンに球を集め過ぎたのが災いしたか、シーズン序盤は被本塁打が多かった。中盤以降は減ったが、川越英隆に次いでリーグ2位の18被本塁打(前年は12)だった。
9月24日のロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で、抑えとして登板。「今後も抑えで起用したい」とコリンズ監督は発言したが、この年最終登板だった9月30日の西武戦(京セラドーム大阪)では先発を務めた。平野自身は先発を希望しており、2008年も先発が濃厚だが、抑えで起用される可能性も残った。
シーズンイン直前、肘痛になり、検査を受けたところ、“骨の断片が肘に入っている状態”(遊離軟骨)であることが判明。2008年3月27日、神戸市内の病院で、遊離軟骨の除去手術を受ける。球団発表によると、手術は無事に成功した。コリンズ監督によると、復帰までに3~4ヶ月はかかる見通しであるという。
[編集] エピソード
- 京都産業大学時代に、関西運動記者クラブによる、第49回(平成17年度)関西スポーツ賞(個人の部)に選出された。
- 一年目はオールスター前に8完投したが、夏場の疲労は明らかであった。中村勝広監督が「平野は新人王のために完投させる」と公言したあと、皮肉にも1勝しかできず新人王には遠く及ばなかった。
- 同じ京都出身の千葉ロッテ・今江敏晃に高校時代に本塁打を打たれているらしいが「今江は覚えていないかも」と、週刊ベースボール誌で話した。
- 立ち上がりが悪く初回によく失点している。ランナーをためやすいが、それが持ち味だと本人も話している。
- 平野本人は、2007年シーズン前に、完投数を増やすことを目標の一つに挙げており、完投にこだわりがあるようである。
- ストレートのスピードは、平野の大きな武器である。調子が良い時は、初回から終盤まで、150キロ前後のスピードボールを投げ続けられる。2007年シーズンのパ・リーグにおける先発投手としての平均球速は、ダルビッシュ有に次ぐ2位であった。
- 2年目のシーズンでは、スライダー中心の投球から、カーブ、フォークを多めに使う投球に変化した。特に、フォークボールは鋭く変化し、この球で三振を奪うシーンが目立ち、奪三振数は1年目よりも増えた。
- 2007年7月24日の北海道日本ハムファイターズ戦(京セラドーム大阪)で完封勝利を収めたこの日、同姓の平野恵一が3回裏にライアン・グリンから先制1号ソロ、5回裏には追加点となる犠牲フライを放ち、平野佳を援護する活躍を見せた。2人とも試合後のお立ち台に上がり、「ダブル平野」でのお立ち台が初めて実現した。
- 良い時と悪い時の差が激しく、一時は、好投→炎上→好投→炎上を繰り返した。また、立ち上がりが良くても試合中盤、終盤に突然崩れることも多い。
- 千葉ロッテマリーンズ・北海道日本ハムファイターズとの相性が良い一方で、福岡ソフトバンクホークス・東北楽天ゴールデンイーグルスとの相性は悪い。特に、福岡ソフトバンクホークスは2007年の対戦防御率が8.85(4度の登板で0勝3敗)とかなり苦手にしており、過去2年で未だに白星を挙げたことがない。
- 所属チームの本拠地である、京セラドーム大阪における成績は、防御率3.25(2007年、投球回55と1/3)とそれなりに安定しているが、2勝5敗と勝ちに恵まれていない。
- 2007年の秋季キャンプではコリンズ監督に、チェンジアップの習得と直球の制球力向上を命じられた。2008年のキャンプや紅白戦等では、積極的にチェンジアップを投げ込んでいる。フリー打撃登板では、この球で空振りを奪うなど、修得に向けて大きく前進している。
- ロージンバックを付けすぎてボールが手から離れずボークを取られた事もある。
- 2008年シーズンでは、「チームにとっても、自分にとってもおめでたい年になれば」という意味を込めて、自身のグラブに“寿”の一文字を縫い込んだ。
- 「自身の成績がチームの勝敗を左右する。」と発言するなど、2008年シーズンは、“次期エース”ではなく、“エース”としての自覚をもって臨む決意を示している。
[編集] 年度別投手成績
年度 | 球団 | 登 板 |
勝 利 |
敗 北 |
セ 丨 ブ |
完 投 |
完 封 勝 |
無 四 球 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | オリックス | 26 | 7 | 11 | 0 | 10 | 4 | 0 | 730 | 172.1 | 182 | 12 | 39 | 6 | 105 | 3 | 2 | 82 | 73 | 3.81 |
2007年 | 27 | 8 | 13 | 0 | 2 | 2 | 1 | 710 | 171.2 | 172 | 18 | 28 | 5 | 124 | 1 | 0 | 75 | 71 | 3.72 | |
2008年 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
通算成績 | 53 | 15 | 24 | 0 | 12 | 6 | 1 | 1440 | 344 | 354 | 30 | 67 | 11 | 229 | 4 | 2 | 157 | 144 | 3.77 |
[編集] 記録
- 初登板:2006年3月26日、対西武ライオンズ2回戦(インボイスSEIBUドーム)、8回裏に救援
- 初先発・初勝利:2006年3月30日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(フルキャストスタジアム)、7回無失点
- 初奪三振:同上、1回裏に礒部公一から
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年4月6日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(大阪ドーム)
[編集] 関連項目
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |
オリックス・バファローズ 2005年ドラフト指名選手 |
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大学生・社会人 − 希望入団枠:平野佳寿 / 3巡目:岸田護 / 4巡目:森山周 / 5巡目:中山慎也 / 6巡目:妹尾軒作 |
高校生 − 1巡目:岡田貴弘 / 3巡目:柴田亮輔 |