阿部真宏
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阿部 真宏 オリックス・バファローズ No.4 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県川崎市高津区 |
生年月日 | 1978年5月12日(30歳) |
身長 体重 |
182cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手、二塁手 |
プロ入り | 2000年 4位 |
初出場 | 2001年3月24日 |
年俸 | 4,500万円(2008年) |
経歴 | |
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阿部 真宏(あべ まさひろ、1978年5月12日 - )は、オリックス・バファローズの遊撃手(時に二塁手)。神奈川県川崎市高津区出身。
目次 |
[編集] 経歴
横浜高校時代は幕田賢治と共にクリーンナップを担い、夏の甲子園では4番を務めた。又横浜高の当時のエースは現東京ヤクルトスワローズの松井光介である。また同級生にプロロードレーサーの山本雅道もいる。その後法政大学に進学、下級生の頃から遊撃手(一時三塁手に転向)のレギュラーとして同級生の広瀬純とともに3番や4番を任され、優勝に大きく貢献した。
[編集] プロ入り後
攻守に平均的な実力を持つ選手である。三振の少ない打撃も魅力だが、彼の持ち味はなんといっても守備である。動きが柔らかくて守備範囲も広く、一部のファンからは球界でもナンバーワンに値するとも言われている。ただし、50m走6秒3と足の速さは平均レベルであり、強肩というほどに肩は強くないために、メディア等に表立って評価されることはない。
2001年にドラフト4位で大阪近鉄バファローズに入団(背番号41)。1年目の4月15日、日本ハムファイターズ戦でサヨナラ安打を放つなど戦力として期待されたが、ショーン・ギルバートの入団によって育成重視のために2軍落ち。
しかし2002年、ギルバートの退団に伴ってほぼレギュラーの座を獲得する。打率は2割を少し上回る程度だったが、高須洋介などのライバルを出し抜いた最大の理由は安定した守備力だった。
2003年には課題の打撃を克服し、右打ちの精度を高めることで出塁率を上げ、シーズン終盤まで3割を維持した。下位打線で粘り強い打撃を見せ、規定打席に到達。打率.291をマークした。しかし、2004年は打率を落としてしまった。
2004年の分配ドラフトでオリックスへ入団(背番号4)。2005年のシーズンにおいては見事にレギュラーを再獲得し、規定打席未満ながら打率.281をマークした。
2006年は右手首の故障で3ヶ月戦線離脱し、その間に後藤光尊に遊撃手のポジションを奪われ、復帰後も全く活躍できず打率.217と不本意な成績に終わった。
2007年はルーキーの大引啓次に遊撃手のレギュラーを譲り、「2番・二塁手」で開幕スタメン出場した。しかしシーズン序盤に離脱し、復帰後も8月に絶不調に陥るなど、波が激しく安定しなかった。右投手に極端に弱いため、右投手に強い後藤光尊との併用が最後まで続く結果となった。
- 2005年のセパ交流戦の横浜対オリックス戦(横浜スタジアム)に於いて、同カードの初戦の中継をしたtvkが、交流戦の初年度を記念してか日頃は中継しないオリックスの選手のために?、阿部と同じくオリックスの平野恵一の両選手の高校時代の神奈川大会の活躍(阿部は横浜高校、平野は桐蔭学園高校)の秘蔵VTRを流すといった粋な計らいを行った。
- 2007年6月2日のセパ交流戦の横浜戦(スカイマークスタジアム)は、阿部が一軍に復帰した直後の試合だったが、決勝点になるヒットを放ち、試合後のヒーローインタビューに臨み、(この試合はナイター)「いやぁ二軍はほとんどデーゲームなんで、今の時間は昨日までならもう疲れて寝ている時間です」と答え、場内の爆笑を誘った。
[編集] 年度別成績
年度 | 球団 | 背番号 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 刺 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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2001 | 大阪近鉄 | 41 | 44 | 103 | 93 | 6 | 18 | 3 | 0 | 0 | 21 | 11 | 1 | 0 | 3 | 1 | 6 | 0 | 10 | 5 | .194 |
2002 | 125 | 382 | 338 | 28 | 71 | 16 | 2 | 6 | 109 | 29 | 0 | 2 | 23 | 5 | 21 | 5 | 49 | 3 | .210 | ||
2003 | 111 | 447 | 398 | 58 | 116 | 28 | 1 | 6 | 164 | 43 | 6 | 0 | 11 | 4 | 33 | 1 | 37 | 7 | .291 | ||
2004 | 123 | 443 | 380 | 47 | 94 | 21 | 2 | 7 | 140 | 50 | 3 | 2 | 11 | 3 | 42 | 7 | 46 | 11 | .247 | ||
2005 | オリックス | 4 | 127 | 396 | 331 | 24 | 93 | 13 | 1 | 2 | 114 | 35 | 5 | 2 | 17 | 6 | 37 | 5 | 45 | 10 | .281 |
2006 | 67 | 235 | 203 | 15 | 44 | 5 | 0 | 3 | 58 | 21 | 4 | 2 | 13 | 1 | 17 | 1 | 24 | 3 | .217 | ||
2007 | 77 | 281 | 239 | 30 | 62 | 14 | 1 | 0 | 78 | 18 | 2 | 1 | 18 | 1 | 18 | 5 | 21 | 4 | .259 | ||
通算 | 674 | 2297 | 1982 | 208 | 498 | 100 | 7 | 24 | 684 | 207 | 21 | 9 | 96 | 21 | 174 | 24 | 232 | 43 | .251 |
年度 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2001 | - | 16 | 22 | 24 | 2 | 7 | .958 | - | 30 | 28 | 51 | 2 | 14 | .975 | ||||||||||
2002 | - | 28 | 12 | 14 | 0 | 2 | 1.000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 118 | 131 | 302 | 12 | 42 | .973 | |||||
2003 | - | 63 | 21 | 40 | 0 | 4 | 1.000 | - | 111 | 141 | 289 | 8 | 67 | .982 | ||||||||||
2004 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 4 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | - | 118 | 197 | 360 | 7 | 84 | .988 | |||||
2005 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 4 | 8 | 9 | 0 | 2 | 1.000 | 10 | 5 | 19 | 0 | 0 | 1.000 | 118 | 155 | 303 | 7 | 64 | .985 |
2006 | - | 19 | 32 | 53 | 1 | 8 | .988 | - | 49 | 66 | 179 | 4 | 34 | .984 | ||||||||||
2007 | - | 69 | 145 | 216 | 4 | 35 | .989 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 7 | 5 | 31 | 0 | 2 | 1.000 | |||||
通算 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 203 | 244 | 361 | 7 | 59 | .988 | 13 | 5 | 19 | 0 | 0 | 1.000 | 551 | 723 | 1515 | 40 | 307 | .982 |
[編集] 記録
- 初出場:2001年3月24日対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、9回表に代走として途中出場
- 初安打:2001年4月6日対オリックスブルーウェーブ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回表にカルロス・プリードから
- 初本塁打:2002年5月15日対西武ライオンズ8回戦(大阪ドーム)、2回裏に後藤光貴から
- 初打点:2001年4月8日対オリックスブルーウェーブ3回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に戎信行から
- 初盗塁:2001年5月10日対西武ライオンズ8回戦(西武ドーム)、3回表に三盗
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |
大阪近鉄バファローズ 2000年ドラフト指名選手 |
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1位:山本省吾 / 2位:愛敬尚史 / 3位:近澤昌志 / 4位:阿部真宏 / 5位:牧田明久 / 6位:金谷剛 |