山口和男 (野球)
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山口 和男 オリックス・バファローズ No.18 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市西区 |
生年月日 | 1974年5月11日(34歳) |
身長 体重 |
186cm 94kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1999年 1位 |
初出場 | 2000年4月2日 |
年俸 | 2,300万円(2008年) |
経歴 | |
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山口 和男(やまぐち かずお、1974年5月11日 - )は広島県出身のプロ野球選手で、オリックス・バファローズに所属する投手。
目次 |
[編集] 人物
プロ野球屈指の速球派投手。入団当初は元阪急の速球派投手山口高志と同じ背番号の14番をつけ、「山口2世」「山口の再来」と呼ばれ首脳陣の期待度も高かった。2002年158km/hをマーク、2005年5月11日にマーク・クルーン(横浜ベイスターズ)が球速159km/hを出すまで伊良部秀輝、五十嵐亮太と並んで日本最速タイ記録を保持していた。
[編集] 来歴
- 中学校は古田中学校、高校は山陽高、大学は広島電機大(現・広島国際学院大)、社会人は三菱自動車岡崎に在籍。
- 2000年 - 1999年のドラフト1位でオリックスに入団。26歳と遅いプロ入りで即戦力として期待されたが、2軍で0勝10敗と期待はずれの成績に終わってしまった。
- 尚、元同僚の岩下修一もこのとき4位でオリックスに指名され入団した。
[編集] プロ入り後
2度に渡り球速158km/hをマークし、シーズン途中からセットアッパーとして苦しい投手陣を救う。投球の8割がストレートという力で押すピッチングで、外国人投手にも負けない球威を誇った。大久保勝信離脱後はクローザーとしても6セーブをマーク。オールスターに初出場した。しかし9月に肩を痛めてチームを離脱。
肩の手術のため、登板なしに終わる。
肩の故障から復活、自己の好不調、チームの低迷などが重なったものの17セーブを挙げる。速球のスピードを少し落とし、キレで勝負するピッチングスタイルに変えたことで被打率が向上した。
メジャーリーグへのポスティング移籍を志願するが、中村勝広GMなどの慰留もあり残留。
前年以上に制球難などに苦しみ、4月には早くも抑えから中継ぎに降格。交流戦で巨人清原和博への抜けたストレートが頭部へ直撃(危険球退場)。仰木彬監督の逆鱗に触れ2軍に降格。故障から復活した大久保勝信が抑えに回り、以後しばらく低迷が続く。シーズン終盤に1軍復帰し、9月2日・3日に連投も好調時には遠く、再び降格。シーズンを2軍で終えた(この年清原との個人的対決のような視点ばかりが話題になったが、降格の原因は『清原に』死球を与えたためではない。翌年清原とチームメイトとなったことで山口は平謝りし、清原も「あれは事故」と返し危険球騒動自体は収束している)。またこの年、ウエスタンリーグで1イニング最多投球数を更新(76球)。
先発に転向。しかしオープン戦で楽天リックに危険球を与え退場。サーパスでは安定した投球内容好を見せるものの開幕から2軍生活が続く。シーズン終了直前に1軍昇格し中継ぎで登板したものの、9月18日の千葉ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で、里崎智也の頭部にボールを当ててしまい、またも危険球退場となってしまった。
4年振りに1軍未登板に終わった。サーパスでは再び中継ぎとして登板していた。
開幕当初は2軍だったが、4月上旬に中継ぎ要員として2年ぶりに1軍登板。4月8日のソフトバンク戦で4年振りに勝利投手となった。
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 完投 | 完封 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 防御率 |
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2000年 | オリックス | 9 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15.0 | 10 | 4 | 2.40 |
2001年 | 32 | 5 | 6 | 2 | 0 | 0 | 47.1 | 37 | 25 | 3.42 | |
2002年 | 41 | 2 | 3 | 6 | 0 | 0 | 54.0 | 49 | 19 | 2.50 | |
2003年 | 1軍登板なし | ||||||||||
2004年 | 40 | 3 | 3 | 17 | 0 | 0 | 42.2 | 43 | 18 | 3.80 | |
2005年 | 16 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 16.0 | 9 | 11 | 6.19 | |
2006年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.2 | 2 | 0 | 0.00 | |
2007年 | 1軍登板なし | ||||||||||
通算(8年) | 139 | 10 | 12 | 29 | 0 | 0 | 175.1 | 150 | 77 | 3.38 |
[編集] 記録
- 初登板:2000年4月2日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回表に救援登板
- 初奪三振:同上、9回表にフィル・クラークから
- 初勝利:2001年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ8回戦(千葉マリンスタジアム)、5回裏に救援登板・完了
- 初セーブ:2000年10月8日、対福岡ダイエーホークス25回戦(グリーンスタジアム神戸)
- オールスターゲーム出場1回(2002年)
[編集] 関連項目
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ) 1999年ドラフト指名選手 |
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1位:山口和男 / 2位:葛城育郎 / 3位:迎祐一郎 / 4位:岩下修一 |