清川栄治
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清川 栄治 オリックス・バファローズ No.70 |
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市上京区 |
生年月日 | 1961年9月21日(46歳) |
身長 体重 |
176cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト外 |
初出場 | 1984年10月8日 |
最終出場 | 1998年 |
経歴 | |
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清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現オリックス・バファローズ一軍投手コーチ。
目次 |
[編集] 来歴・人物
京都商業高等学校から大阪商業大学を経て1984年、ドラフト外で広島に入団。中継ぎ投手として活躍し、438試合連続救援登板は日本記録であった(のち橋本武広が更新)。2008年に千葉ロッテの高木晃次に抜かれるまで114試合黒星ゼロの日本記録は保持していた。また1987年には29人連続で出塁を許さなかった。また登板106試合目にして初勝利を手にしたという珍しい記録も持つ。
1991年シーズン中に近鉄バファローズに移籍し、左の中継ぎとして登板。1998年に広島に復帰し、同年現役を引退した。
翌1999年より広島の投手コーチを務める。2006年をもって退団し、オリックスの投手コーチに就任。結婚経験無し。
[編集] エピソード
- 左のアンダースローという珍しいタイプのピッチャーだったが、これは入団1年目の春季キャンプのブルペンで他のピッチャーの投球を見て、「まともな投げ方では注目してもらえない」ということでオーバースローからアンダースローに投球フォームを変えたのがそもそものきっかけだった。ちなみにアンダースローは、高校2年の時にも永射保(当時クラウン)のフォームを見よう見まねで試みたことがあるという。
- しかし、自称「本格派の投手」。奪三振数が投球イニング数を上回っていることからもそのこだわりが見てとれる。
- 現在ではセットアッパーやホールド王など、中継ぎピッチャーも脚光を浴びているが、当時は江夏豊らの活躍で抑えピッチャーだけが目立ち、中継ぎピッチャーはまだ影が薄かった。激務の割りに給料が上がらないと悩んだ清川は、毎年年俸交渉の際に球団が差し出す、全登板試合の事細かい査定表以上に細かい記録を自分で付けて出し交渉に望んだ。その一例がインヘリテッド率と呼ばれるもので、自分の投球で本塁に返した走者の数を、前の投手が残した走者の数で割ったものであった。さすがに球団もその努力?には負けたようでそれなりの年俸アップを勝ち取った。中継ぎピッチャーの地位向上に幾らかの貢献はしているものと思われる。
- 1球投げただけでヒーローインタビューを受けたことがある。一死満塁のピンチで登板し、初球を打たせてセカンドゴロ併殺打の見事な火消しだった。
- 広島時代、先発を言い渡された試合があったが、その試合が雨で中止になり、以降先発での登板はなかった。
- 登板106試合目まで、勝ちもつかなければ負けもついていなかった。初勝利の感想は、「とうとう勝ってしまった」。なお、実際にはもっと早く初勝利を挙げるチャンスがあったが、その時津田恒実がリリーフに失敗して清川の勝ち星を消してしまった。津田はこの日の試合後、合宿所の清川の部屋に何度も謝りに来たという。
- 114試合連続負けなしの記録は本人も2006年に愛敬尚史(楽天)がこの記録に近づいて話題になった際まで知らなかったらしい。
- 近鉄時代、貴重な左のワンポイント・リリーフとして投手陣を支えていたが、当時ロッテに在籍していた西岡良洋との「左殺し」対決は一部のファンの間で伝説となっている。
[編集] 所属球団
- 広島東洋カープ(1984年~1991年途中、1998年)
- 近鉄バファローズ(1991年途中~1997年)
- 広島東洋カープ・二軍投手コーチ(1999年、2001年~2005年)
- 広島東洋カープ・一軍投手コーチ(2000年、2006年)
- オリックス・バファローズ・二軍(サーパス)投手コーチ(2007年~2008年5月21日)
- オリックス・バファローズ・一軍投手コーチ(2008年5月22日~)
[編集] 通算成績
年度 | 所属 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 打者 | 投球回 | 被本塁打 | 四球 | 死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 広 島 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1 | 4.50 |
1985 | 広 島 | 12 | 0 | 0 | 0 | 63 | 15 1/3 | 2 | 3 | 0 | 17 | 7 | 5 | 2.93 |
1986 | 広 島 | 50 | 0 | 0 | 1 | 166 | 42 1/3 | 4 | 10 | 2 | 45 | 14 | 12 | 2.55 |
1987 | 広 島 | 41 | 0 | 0 | 1 | 163 | 42 1/3 | 2 | 7 | 0 | 37 | 10 | 10 | 2.13 |
1988 | 広 島 | 39 | 3 | 1 | 1 | 172 | 41 1/3 | 5 | 10 | 2 | 43 | 14 | 13 | 2.83 |
1989 | 広 島 | 44 | 3 | 2 | 0 | 145 | 33 2/3 | 4 | 16 | 3 | 40 | 12 | 10 | 2.67 |
1990 | 広 島 | 22 | 0 | 0 | 0 | 84 | 18 | 3 | 7 | 0 | 18 | 10 | 8 | 4.00 |
1991 | 広 島 | 4 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2/3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 13.50 |
1991 | 近 鉄 | 30 | 2 | 3 | 4 | 115 | 28 | 4 | 10 | 0 | 30 | 8 | 7 | 2.25 |
1992 | 近 鉄 | 36 | 2 | 2 | 5 | 172 | 44 | 7 | 10 | 0 | 49 | 18 | 15 | 3.07 |
1993 | 近 鉄 | 23 | 1 | 0 | 0 | 91 | 21 | 3 | 5 | 2 | 25 | 8 | 8 | 3.43 |
1994 | 近 鉄 | 37 | 0 | 0 | 0 | 77 | 18 1/3 | 1 | 10 | 1 | 16 | 6 | 6 | 3.18 |
1995 | 近 鉄 | 39 | 1 | 1 | 0 | 131 | 33 2/3 | 5 | 12 | 1 | 28 | 11 | 11 | 2.94 |
1996 | 近 鉄 | 44 | 1 | 1 | 0 | 71 | 17 | 1 | 5 | 0 | 18 | 6 | 6 | 3.18 |
1997 | 近 鉄 | 7 | 0 | 0 | 0 | 17 | 3 | 1 | 2 | 1 | 3 | 5 | 5 | 15.00 |
1998 | 広 島 | 9 | 0 | 0 | 0 | 13 | 3 1/3 | 0 | 2 | 0 | 3 | 1 | 1 | 2.70 |
通算 | 438 | 13 | 10 | 12 | 1495 | 364 | 42 | 112 | 12 | 375 | 132 | 119 | 2.94 |
[編集] タイトル・表彰
[編集] 背番号
[編集] 関連項目
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |