加藤大輔
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加藤大輔 オリックス・バファローズ No.15 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県豊前市 |
生年月日 | 1980年7月27日(27歳) |
身長 体重 |
179cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2002年 自由獲得枠 |
初出場 | 2003年4月8日 |
年俸 | 6,500万円(2008年) |
経歴 | |
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加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は福岡県豊前市出身のオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] プレイスタイル
- 150km/hを超える速球が持ち味で、日本球界ではあまり見られない変化球、ナックル・カーブを投げる。ナックル・カーブは変化が大きく捕球が難しいため、登板時は主に日高剛が捕手を務めている。
- 稀にスライダーも投げるが、球種が少ない為、単調な配球になると打ち込まれる脆さもある。しかし、持ち前の剛速球で打者を次々と凡退させる事も少なくない。
[編集] 来歴
九州国際大学付属高等学校、神奈川大学を経て2002年に自由枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。松坂大輔、藤川球児らと同学年であり、いわゆる松坂世代の好投手の1人。高校時代は春夏とも甲子園に出場は叶わなかった。(3年生のときは、現在横浜の村田修一を擁する東福岡高が春夏連続出場)
[編集] プロ入り後
先発にリリーフにと活躍し、43試合に登板した。酷使気味で夏場以降は球威が落ち、防御率は5点台に落ちた。
故障が響き、1試合の登板に終わる。
萩原淳、香月良太、歌藤達夫、菊地原毅、大久保勝信らと強力リリーフ陣を形成。60試合に登板し、防御率2.76と好成績を収める。
先発での活躍も期待されていたが、リリーフ陣の中心として活躍。クローザーを任されることもあった。チーム最多の61試合に登板し防御率3.10の成績だった。要所で打ち込まれ6敗を喫し、奪三振も半分以下に減ってしまい、不満の残るシーズンとなってしまった。とはいえ、前年活躍した他の中継ぎ陣が軒並み成績を落とす中、加藤だけはまずまずの成績を残して評価を上げた。
前年と同じく開幕当初から主にセットアッパーとして起用されていたが、クローザーを務めていたランス・カーターが先発へ異動となり、クローザーに指名された。63試合登板し、26セーブを上げ、防御率2.59とクローザーとして活躍した。また、第24回アジア野球選手権大会兼北京オリンピック予選の日本代表として国内の合宿に参加していたが、出場枠の件があり開催地の台湾へ向かう直前の最終候補には選出されなかった。これについて本人は「折角選出してもらったが最終的に選ばれなかったのはまだまだ自分の実力不足だと言う事でしょう。北京の本選(五輪)では選出される様に2008年の前半シーズンを頑張る」と前向きな感想を述べていた。
[編集] エピソード
- 加藤は大学時代、複数球団が獲得を目指す有力選手であった。オリックス入団を決めた理由は「自分が調子の悪かったときもずっと見ていてくれた」から。中日ドラゴンズのスカウト陣については「中日は後から来て金の話しかしなかった」と語っている。
- 入団会見で契約金の使い道を聞かれ「双子の妹を大学に行かせたいので学費にしたい」と答え、妹想いの兄である事を伺わせた。2人の妹が双子なのであり、加藤自身は双子ではない。
- ナックル・カーブは高校時代、縦変化の変化球を習得するため練習した際にフォークやチェンジアップ等はうまくいかなかったが、ナックル・カーブだけは初めから鋭い変化をしたため、武器にすることにしたらしい。
- 2005年の春季キャンプで行われた紅白戦でMVPに輝いたが、仰木彬監督が横峯ファミリーと親交があったことから、加藤に「横峯さくらと1日デート権」が贈られた。全8試合の「宮古島杯」でMVP選手に選ばれ、宮古牛1頭を獲得した。
- 2007年4月28日、9回にソフトバンクの松中信彦に勝ち越しの2ラン本塁打を打たれて敗戦投手になった際、コリンズ監督は報道陣に「彼はグレートだ」と4回も繰り返し、加藤を信頼している事を強調した。
- 2007年、オールスターゲームに初出場(第2戦、6回から登板)。変化球をほとんどつかわず直球勝負をみせ、2回を被安打1、失点1と好投した。だが三者凡退で抑えた6回は、テレビ中継ではこの日先発だった楽天・田中将大とゲスト解説の野村克也との問答が繰り広げられ、投球内容にはほとんど触れてもらえなかった。やっとゲーム中心の中継に戻った7回、この回先頭の広島・新井貴浩(現阪神)に初球をレフトスタンドに運ばれた。
- 2007年9月5日、長男が誕生。同日にも登板し、見事無失点でセーブを挙げた。
- 同い年で同じくクローザーである阪神の藤川球児をライバル視している。
- ホームゲームで加藤がセーブがつく状態でマウンドに上がる際、彼のためだけの特別映像がスタジアムビジョンに流れる。
[編集] 背番号
- 14(2003年 - 2004年)
- 15(2005年 - )
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | HP | 完投 | 完封 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2003年 | オリックス | 43 | 4 | 4 | 9 | - | - | 0 | 0 | 69.2 | 75 | 41 | 40 | 5.17 |
2004年 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | 1.0 | 2 | 2 | 2 | 18.00 | |
2005年 | 60 | 6 | 3 | 2 | 23 | 29 | 0 | 0 | 81.2 | 83 | 29 | 25 | 2.76 | |
2006年 | 61 | 1 | 6 | 4 | 19 | 20 | 0 | 0 | 61.0 | 41 | 27 | 21 | 3.10 | |
2007年 | 63 | 3 | 4 | 26 | 4 | 7 | 0 | 0 | 73.0 | 71 | 21 | 21 | 2.59 | |
通算(5年) | 228 | 14 | 17 | 41 | 46 | 56 | 0 | 0 | 286.2 | 274 | 120 | 109 | 3.43 |
[編集] 記録
- 初登板:2003年4月8日、対日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、6回裏に救援登板
- 初奪三振:同上、6回裏にエンジェル・エチェバリアから
- 初勝利:2003年4月14日、対日本ハムファイターズ3回戦(Yahoo!BBスタジアム)、6回表に救援登板・完了
- 初セーブ:2003年4月22日、対西武ライオンズ5回戦(札幌ドーム)
- 初ホールド:2005年5月13日、対広島東洋カープ1回戦(スカイマークスタジアム)
- 3年連続60試合登板(2005年 - )
[編集] 関連項目
監督代行 |
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81大石大二郎 |
コーチ |
96住友平(チーフ)|70清川栄治(投手)|87赤堀元之(投手)|90水口栄二(打撃)|73小川博文(内野守備走塁) 74松山秀明(外野守備走塁)|85別府修作(バッテリー)|78米村理(トレーニング)|80赤川貴弘(コンディショニング) |
サーパス |
71古屋英夫(監督兼打撃)|75酒井勉(投手)|77弓岡敬二郎(チーフ兼守備走塁) 82三輪隆(バッテリー)|76大島公一(内野守備走塁)|72吉原孝介(ブルペン兼育成) 88安田昌玄(トレーニング)|84本屋敷俊介(コンディショニング) |
投手 |
6デイビー|11川越英隆|13清水章夫|14岸田護|15加藤大輔|16平野佳寿|17香月良太|18山口和男|19金子千尋|20山本省吾 21ユウキ|26康介|28小松聖|29小林賢司|33高木康成|34本柳和也|35大久保勝信|39鴨志田貴司|40宮本大輔|43菊地原毅 45光原逸裕|47延江大輔|48吉野誠|49中山慎也|50オルティズ|59梅村学人|62山崎正貴|65近藤一樹|68仁藤拓馬 91ヤング|94梶本達哉|99吉川勝成 |
捕手 |
22前田大輔|27日高剛|37辻俊哉|44鈴木郁洋|61伊藤光|67横山徹也|69土井健大 |
内野手 |
0森山周|2木元邦之|4阿部真宏|5清原和博|10大引啓次|23北川博敏|24後藤光尊|30ラロッカ 31塩崎真|42カブレラ|54一輝|56柴田亮輔|57裕次郎|58長田昌浩|60牧田勝吾|64田中彰 |
外野手 |
3村松有人|7濱中治|8ローズ|25迎祐一郎|32丹羽将弥|36下山真二|38平下晃司 41小瀬浩之|46古木克明|52坂口智隆|53相川良太|55岡田貴弘|63吉良俊則|66由田慎太郎 |
オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ) 2002年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:加藤大輔 / 2巡目:鈴木誠 / 4巡目:前田大輔 / 5巡目:菊池俊夫 6巡目:長田勝 / 7巡目:塩屋大輔 / 8巡目:中島俊哉 |