礒部公一
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礒部 公一 東北楽天ゴールデンイーグルス No.8 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県東広島市 |
生年月日 | 1974年3月12日(34歳) |
身長 体重 |
174cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手、捕手 |
プロ入り | 1996年 3位 |
初出場 | 1997年4月9日 |
経歴 | |
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礒部 公一(いそべ こういち、1974年3月12日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 近鉄時代
西条農高、三菱重工広島を経て、1997年、近鉄バファローズに捕手として入団。
その後数年間、捕手と、打力・強肩を生かした外野手との併用が続いたが、正捕手争い激化と盗塁を阻止できなくなったことにより(エピソードにて詳細は後述)、2001年シーズン開幕より外野手に専念。
同年には主に5番打者として全140試合に出場。打率3割2分・17本塁打・95打点を記録し、チーム12年ぶりのパ・リーグ優勝に大きく貢献。また、ベストナインにも輝いた。
2003年、大阪近鉄バファローズ最後の選手会長となる。
2004年6月、オリックス・ブルーウェーブへの吸収合併計画が浮上。当該チームの選手会長として労使交渉、署名活動など反対運動に奔走するが、結局阻止はならなかった。
[編集] 楽天時代
2005年、前年11月に行われた選手分配ドラフトで新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。近鉄時代に引き続き、チームの初代選手会長となる。
同年4月1日、フルキャストスタジアム宮城での西武ライオンズ戦で、岡本篤志投手から球団第1号ホームランをバックスクリーンに放った。楽天入りした時は3番としての活躍を期待されていたが、チャンスに弱い面がでてしまい、開幕以来ここまでノーヒット。この日は1番で起用され、いきなり結果を残した。以来、1番で起用されることが多くなった。シーズン終盤は5番に定着。
同年7月にはチーム唯一のオールスター出場をファン投票で果たす。第1戦で3打数2安打2打点と結果を出した。また、第2戦では途中出場。場所が関西の阪神甲子園球場だったこともあり、全パを応援するスタンドから大阪近鉄時代の応援歌が流れた。
2006年、FA権を取得。当初「優勝できるチームでプレーしたい」と行使を示唆する発言をしたが、近年の成績不振から最終的には行使せず、残留を選択。2007年も楽天でプレーすることになった。なお、チームの選手会長の座は近鉄時代からの同僚でもある高須洋介に譲った。
2007年、前半は3割以上のハイアベレージで首位打者争いに食い込んでいたが、交流戦を境に徐々に打率を落としていった。また夏には踵にデットボールを受け、打撲のため一時二軍落ちもした。シーズン序盤は不動の3番・ライトでの先発出場が多かったが、交流戦以降の不振や守備の衰えから鉄平、草野大輔が3番に置かれ、守備面では左翼手としてスタメンに出場したり、チームの若返りの構想から守備で勝る牧田明久にスタメンを奪われることも増えた。野村監督も礒部を守備には付かせたくなかったようなのだが、DHにはこのシーズン絶好調だった山崎武司がおり、結果的にシーズン後半は6番以降や代打で出ることが多くなった。 シーズン末に出場機会を求めてFA権の行使をする動きも見られたが「野村監督を胴上げしたい。」と2006年に続き残留。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 |
打 率 |
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1997年 | 近鉄 | 22 | 62 | 147 | 133 | 15 | 31 | 7 | 0 | 0 | 38 | 6 | 3 | 2 | 6 | 2 | 5 | 1 | 23 | 1 | .233 |
1998年 | 118 | 359 | 320 | 43 | 93 | 22 | 4 | 4 | 135 | 31 | 2 | 4 | 5 | 5 | 26 | 3 | 32 | 7 | .291 | ||
1999年 | 130 | 384 | 336 | 42 | 78 | 20 | 0 | 4 | 110 | 27 | 1 | 0 | 16 | 2 | 26 | 4 | 24 | 11 | .232 | ||
2000年 | 94 | 359 | 318 | 41 | 99 | 18 | 5 | 6 | 145 | 33 | 6 | 0 | 10 | 2 | 26 | 3 | 26 | 9 | .311 | ||
2001年 | 8 | 140 | 604 | 537 | 82 | 172 | 42 | 4 | 17 | 273 | 95 | 7 | 7 | 6 | 5 | 52 | 4 | 59 | 19 | .320 | |
2002年 | 117 | 444 | 396 | 44 | 107 | 19 | 1 | 3 | 137 | 30 | 6 | 1 | 7 | 2 | 36 | 3 | 43 | 10 | .270 | ||
2003年 | 135 | 516 | 444 | 56 | 128 | 26 | 3 | 12 | 196 | 72 | 9 | 5 | 8 | 5 | 55 | 4 | 60 | 17 | .288 | ||
2004年 | 120 | 529 | 457 | 82 | 141 | 22 | 1 | 26 | 243 | 75 | 7 | 4 | 5 | 3 | 62 | 2 | 69 | 19 | .309 | ||
2005年 | 楽天 | 122 | 534 | 484 | 65 | 128 | 22 | 2 | 16 | 202 | 51 | 2 | 6 | 4 | 2 | 42 | 2 | 100 | 15 | .264 | |
2006年 | 96 | 382 | 346 | 37 | 95 | 13 | 1 | 4 | 122 | 36 | 5 | 1 | 3 | 4 | 28 | 1 | 69 | 16 | .275 | ||
2007年 | 123 | 486 | 441 | 43 | 122 | 20 | 2 | 5 | 161 | 48 | 5 | 3 | 5 | 5 | 33 | 2 | 72 | 16 | .277 | ||
通算成績 | 1257 | 4744 | 4212 | 550 | 1194 | 231 | 23 | 97 | 1762 | 504 | 53 | 33 | 75 | 37 | 391 | 29 | 577 | 140 | .283 |
[編集] 守備成績
年度 | 外野 | 二塁 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1997 | 17 | 41 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
1998 | 71 | 103 | 1 | 2 | 1 | .981 | - | |||||
1999 | 114 | 199 | 8 | 2 | 1 | .990 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
2000 | 34 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2001 | 140 | 278 | 5 | 2 | 2 | .993 | - | |||||
2002 | 114 | 190 | 8 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||
2003 | 131 | 209 | 7 | 3 | 2 | .986 | - | |||||
2004 | 120 | 208 | 8 | 1 | 3 | .995 | - | |||||
2005 | 120 | 238 | 7 | 8 | 1 | .968 | - | |||||
2006 | 95 | 176 | 2 | 4 | 0 | .978 | - | |||||
2007 | 117 | 198 | 6 | 2 | 3 | .990 | - | |||||
通算 | 1073 | 1858 | 55 | 24 | 23 | .972 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
年度 | 捕手 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 捕逸 | 阻止率 | |
1997 | 33 | 121 | 9 | 0 | 0 | 1.000 | 18 | 15 | 3 | 7 | .167 |
1998 | 70 | 254 | 39 | 2 | 2 | .993 | 50 | 34 | 16 | 1 | .320 |
2000 | 87 | 489 | 26 | 3 | 4 | .994 | 55 | 49 | 6 | 3 | .109 |
通算 | 190 | 864 | 74 | 5 | 6 | .995 | 123 | 98 | 25 | 11 | .203 |
[編集] タイトル
- ベストナイン・2001年
[編集] 記録
- 初出場:1997年4月9日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(大阪ドーム)、9回裏に水口栄二の代走として出場。そのまま捕手の守備につき、11回裏に園川一美の前に凡打。
- 1000試合:2005年7月16日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、1番・右翼手として先発出場
- 初安打:1997年4月26日、対オリックスブルーウェーブ2回戦(大阪ドーム)、5回裏に高橋功一から
- 1000本安打:2006年4月28日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に清水直行から
- 初本塁打:1998年6月16日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(藤井寺球場)、3回裏に竹清剛治から
- 初打点:1997年5月25日、対福岡ダイエーホークス12回戦(北九州市民球場)、1回表に田之上慶三郎から
- 初盗塁:1997年7月15日、対オリックスブルーウェーブ11回戦(大阪ドーム)、8回裏に二盗
[編集] エピソード
- 1997年~1999年にかけて、外野手・捕手と併用されながらも毎年3割前後とそこそこ良い盗塁阻止率を記録していた。2000年には梨田昌孝新監督(現・北海道日本ハムファイターズ監督)の希望により捕手に専念となったが、盗塁阻止率が急に1割9厘まで低下した。2001年のキャンプでは梨田監督の現役当時の背番号8を譲り受け、強打の捕手として期待され直々に指導を受けていたが、結局オープン戦で8度盗塁を許し一度も阻止できず、捕手失格の烙印を押されて開幕前日に監督から外野手へ専念することを言い渡された。しかし、結果的にはこの外野へのコンバートが成功。主に右翼手として守備は無難にこなしている。このことについて、梨田は週刊ベースボールで自身が連載していたコラムの中で、「捕手としての礒部は送球の際にテークバックを大きく取るクセがあり、この分の時間のロスでランナーを刺せなかった。どう指導しても直らなかった。」と語っている。
- 1997年は捕手、1998年は外野手&捕手、1999年は外野手、2000年は捕手、2001年以降は外野手とメインのポジションが頻繁に変化し、更に打撃成績も1年ごとに良い悪いを繰り返した。(2000年までは)打撃成績はともかくポジションがこうも毎年変わった理由には、レギュラー捕手であった古久保健二や的山哲也のバッティングが悪く、毎年2割前後の打率しか残さなかったことが大きく影響している。
- 外野手専任が決定した2001年シーズン、礒部はシーズン半ばまでは吉岡雄二と5番か6番を、シーズン後半は5番に固定され打率.320、17本塁打、95打点、リーグ一の得点圏打率.417を記録してその年「最強の5番打者」と言われた。また右投手より左投手からの方が打率が高かったが、日本シリーズ第1戦で左投手の石井一久に完全に抑え込まれ、結局このシリーズ無安打に終わり「逆シリーズ男」の烙印を押されてしまった。その後、打撃フォームを変えたためか、日本シリーズがトラウマとなったのかは不明であるが、対左投手の打率が下がってしまった。
- 1996年11月のドラフト3位で近鉄に指名されたが、礒部は当初オリックス・ブルーウェーブ志望であった。しかし、当時の監督佐々木恭介がヘリコプターで近鉄の指名選手中一番先に礒部に会いに行き、その結果説得された礒部は近鉄入団を決意した。
- 2004年11月、球団合併による選手分配ドラフトの際、礒部ら近鉄の一部の選手は、労使妥結の前提となった「申し合わせ」を引き合いに、近鉄を吸収する側であるオリックスのプロテクト(選手優先保有)を拒否。オリックスも、近鉄のエースであった岩隈久志投手を除いてこれを認め(結果的には岩隈も楽天に移籍)、楽天が彼らを獲得した。「申し合わせ」の経緯や内容の詳細が今なお明らかにされていないことから、礒部・岩隈はじめ彼らの移籍を「わがまま」と批判する意見も一部に存在する(オリックスの選手らも当初は批判していたが、川越英隆・谷佳知ら主力はあくまで球団の対応など成り行き自体に不満をもっていたのであって、同情的な立場であった。なお、礒部はこの際、谷らに電話で直接事情説明を行っている)。
- 2005年に自身選手歌を近鉄から楽天に移籍後は別の現選手曲に変わっているが、オールスター戦では選手歌をオリックスの応援団が近鉄時代の選手歌を使用している。ちなみに2005年の阪神甲子園球場で実際にあった。
[編集] 登場曲
- 「三十路ボンバイエ」ケツメイシ(2007 - )
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
---|
19野村克也 |
コーチ |
78橋上秀樹(ヘッド)|71紀藤真琴(投手)|76杉山賢人(ブルペン)|77池山隆寛(打撃)|81関川浩一(打撃補佐) 80西俊児(内野守備走塁)|75佐竹学(外野守備走塁)|70山田勝彦(バッテリー)|73野村克則(バッテリー) |
二軍監督・コーチ |
87松井優典(監督)|82吉田豊彦(投手)|86星野おさむ(打撃)|89永池恭男(内野守備走塁) 85広橋公寿(外野守備走塁)|90芹澤裕二(バッテリー)|84高村祐(育成/投手)|74米田慶三郎(育成/野手) |
投手 |
0佐藤宏志|11一場靖弘|13小倉恒|14牧野塁|16山村宏樹|18田中将大|20長谷部康平|21岩隈久志|22愛敬尚史|26有銘兼久 28片山博視|29林恩宇|30永井怜|34渡邉恒樹|36朝井秀樹|40吉崎勝|41青山浩二|43寺田龍平|45川井貴志|47松崎伸吾 49インチェ|50ドミンゴ|51川岸強|53石田隆司|54木谷寿巳|56戸部浩|57小山伸一郎|59菊池保則|60石川賢|65松本輝 |
捕手 |
27河田寿司|31藤井彰人|37嶋基宏|39井野卓|44中谷仁|48伊志嶺忠|52山本大明|58木村考壱朗|67銀次 |
内野手 |
1塩川達也|2渡辺直人|3吉岡雄二|4高須洋介|6西谷尚徳|7山崎武司|12草野大輔 17フェルナンデス|32沖原佳典|35大廣翔治|38山下勝充|55リック|66西村弥|68枡田慎太郎 |
外野手 |
00森谷昭仁|8礒部公一|9鷹野史寿|23聖澤諒|24山崎隆広|25横川史学 33平石洋介|46鉄平|61憲史|62高波文一|63牧田明久|64中島俊哉 |
育成選手 |
121内村賢介(内野手)|126中村真人(外野手) |
近鉄バファローズ 1996年ドラフト指名選手 |
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1位:前川克彦 / 2位:大塚晶文 / 3位:礒部公一 / 4位:中濱裕之 / 5位:斎藤義典 / 6位:大久保秀昭 / 7位:岩村敬士 |