北九州市民球場
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北九州市民球場 Kitakyushu Municipal Baseball Stadium |
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施設データ | |
所在地 | 福岡県北九州市小倉北区三萩野2-10-1(三萩野公園内) |
開場 | 1958年 |
所有者 | 北九州市 |
管理・運用者 | 北九州野球(指定管理者) |
グラウンド | 内野:クレー舗装 外野:天然芝 |
照明 | 照明塔:6基 |
設計者 | |
使用チーム • 開催試合 | |
福岡ソフトバンクホークスが準本拠地として使用 福岡レッドワーブラーズ(四国・九州アイランドリーグ、2008年~)が主催試合を開催 |
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収容能力 | |
27,111人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 | グラウンド面積:12,320m² 両翼:92 m、中堅:121.9 m |
フェンス | m |
北九州市民球場(きたきゅうしゅうしみんきゅうじょう)は、福岡県北九州市小倉北区の三萩野公園内にある野球場。施設は北九州市が所有し、北九州野球株式会社が指定管理者として運営管理を行っている。
目次 |
[編集] 歴史
当時の小倉市内には小倉豊楽園球場があり、西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)を中心にプロ野球の試合が年間10試合前後開催されていたが、国鉄小倉駅の移転により取り壊しが決まったため、豊楽園に代わる新しい球場として、1958年4月5日に開場。当時の名称は小倉市営野球場(こくらしえいやきゅうじょう)。こけら落としは西鉄ライオンズ対阪急ブレーブス1回戦。同年春は平和台野球場が改装工事を行っていたため、これが西鉄の開幕戦となった。試合は7-2で西鉄が勝った。また球場初本塁打は4月7日の同カードで、西鉄・仰木彬が阪急・梶本隆夫から放った。1963年、合併による北九州市発足に伴い北九州市営小倉野球場(きたきゅうしゅうしえいこくらやきゅうじょう)に改称。その後も長らく西鉄(球団名はのちに太平洋クラブ、クラウンライターと変遷した)の準本拠球場として年間20試合近くを開催してきた。
1978年秋、ライオンズは埼玉県に本拠地を移転し福岡を去った。この影響でプロ野球公式戦の開催数が激減したが、1988年秋にダイエーが南海ホークスを買収し、福岡に本拠地を移転する旨を発表。これを受けて北九州市は小倉球場を大規模改修し、翌1989年から球場名も現名称に改称した。同年以降、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)が準本拠地として年間5試合前後の主催公式戦を開催してきた。
しかし、スタンドの収容人員が少ないことや、2002年に西武・和田一浩が外野フェンスに激突し大怪我を負ったこと、さらには試合終了後に観客の一部がフィールドに乱入するなどマナーの悪化が見られ、安全面で不安な点が多々あった事などから、2004年・2005年シーズンはわずか1試合に激減した。
だが、2005年11月、球場の管理・運営を行ってきた北九州野球株式会社が市から球場の指定管理者に指名され(詳細は後述)、公式戦の誘致を積極的に行ったことから、2006年シーズンは公式戦の開催数が3試合に増加した。一軍公式戦はほとんどが福岡ソフトバンク主催で行われているが、二軍では読売ジャイアンツ・湘南シーレックスがイースタン公式戦、福岡ソフトバンクがウエスタン公式戦をそれぞれ年間1試合開催している。
球場の造りはかつての平和台野球場と類似している箇所が多い。球場に隣接するマンションなどからも試合を観戦することができる。
また、1997年まで全国高等学校野球選手権大会・福岡予選の県大会は、同球場と平和台野球場を隔年で使用していたが、このうち平和台が老朽化及び遺跡の発掘調査などのため閉鎖されたことに伴い、1998年から同大会の県大会は同球場の他に、大牟田市延命球場、春日公園野球場、久留米市野球場の4球場で受け持つことになった(南北各地区の年毎持ち回り制であるため、北部地区唯一の開催球場である北九州市民球場では二年に一回行われる)。
1990年代後半には、小倉南区内に新たな野球場・陸上競技場を整備する計画があった。すでに具体化し着工に向けた準備も進められていたが、財政難から計画は事実上凍結され、その後は現球場を取り壊さずに改修しながら継続供用している。
なお、三萩野公園内の北九州市民球場をはじめ三萩野球場・三萩野少年野球場の3施設を管理する北九州野球株式会社は、地元企業47社の出資によって運営されている企業。以前から北九州市の委託を受けてプロ公式戦の興行や球場内レストランの運営など施設管理を行ってきたが、2005年11月に、翌2006年4月からの3年契約で指定管理者に指名されている。
2008年のシーズンより、四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズが主催試合の一部を開催している。
[編集] 主なエピソード
- 2000年8月18日に行われた福岡ダイエー対千葉ロッテマリーンズ19回戦の5回裏、福岡ダイエー・秋山幸二が千葉ロッテ先発・黒木知宏から左前安打を放ち、プロ野球28人目の通算2000本安打を達成した。奇しくもこの試合はプロ生活20年目を迎えた秋山の、通算2000試合目の出場試合。2000試合出場と2000本安打を同時に達成したのは日本プロ野球史上初めてのことだった。
- 2001年5月3日に行われたイースタンリーグ公式戦、読売ジャイアンツ対西武ライオンズでは、佐々木明義二塁手が隠し球に成功したり、本塁打を打つなど大活躍。また、投手である三沢興一が本塁打を打つなど二軍戦としては珍しくエピソードが多い試合となった。試合自体は、三井浩二の好投で西武が3-2で勝利を収めた。
- 2004年6月2日に行われた福岡ダイエーホークス対千葉ロッテマリーンズでは、ジョニーこと黒木知宏が1061日ぶりの勝利を飾る。15-5で千葉ロッテが快勝する。
- 2007年3月5日に行われた横浜ベイスターズ対読売ジャイアンツのオープン戦で、同年巨人から横浜に移籍した仁志敏久が古巣・巨人と初顔合わせで、1番・二塁で出場。初回に三塁打を放つ。他にも、地元福岡県出身の吉村裕基がタイムリーを放ったり、フリーエージェントで横浜から巨人へ移籍した門倉健の好投、同じくトレードで横浜から巨人へ移籍した小田嶋正邦が7番・三塁で出場、福岡ソフトバンクからトレードで巨人へ移籍した大道典嘉が6番・DHで九州に凱旋するなど話題が絶えない試合となった。結果は、3-2で横浜が巨人を下した。
- 2007年7月11日に行われた福岡ソフトバンク対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で福岡ソフトバンク先発・新垣渚が暴投を1つ記録し、1998年にヤクルトスワローズ・石井一久が樹立したシーズン最多暴投のプロ野球記録20に並んだ。その後新垣はプロ野球ワースト記録となるシーズン25暴投を記録している。
- 2008年4月2日に行われた福岡ソフトバンク対北海道日本ハムファイターズ戦では、大隣憲司が6回2/3、までノーヒットピッチングでプロ入り初完封で福岡ソフトバンクが9-0で勝利。一方のファイターズは、5年ぶりの北九州での公式戦も、地元・福岡県出身の吉川光夫が多村仁の3ランなどで4回途中で降板するなどいいところがなかった。また、試合終了後、ファンが大量にグラウンドに乱入した。
- 2008年5月29日の横浜対福岡ソフトバンク戦(横浜主催試合のためDHなし)では大隣憲司がレフト線へ本塁打を放った。前日には新大分球場でリック・ガトームソンが本塁打を放っており2試合連続でパ・リーグの同一チームの投手が本塁打を放つのは史上初のこと。
- ホークスの公式戦が終了するとその直後から、勝ち負けに関係なく、一部のファンがグラウンドに乱入し、警備員と追いかけっこになる光景が見られた(これは1990年代前半までの平和台球場でよく見られた光景でもあった。2005年に公式戦がわずか1試合しか行われなかった要因のひとつでもある)。このため、北九州野球が積極誘致をして公式戦開催数を増やした2006年からは、場内アナウンスや球場内のポスターで「ファンがグラウンドに乱入すると、二度と開催出来なくなる可能性があるため、おやめください」との告知がされているにも関わらず、グラウンドへの乱入は恒例行事化している。