平石洋介
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平石 洋介 東北楽天ゴールデンイーグルス No.33 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県杵築市 |
生年月日 | 1980年4月23日(28歳) |
身長 体重 |
175cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト7巡目 |
初出場 | 2005年3月27日 |
経歴 | |
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平石 洋介(ひらいし ようすけ、1980年4月23日 - )は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手である。背番号は33。大分県杵築市出身。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
- 中学時代に名門硬式野球クラブ「八尾フレンズ」に入るため、生まれ育った大分から大阪へ移り住む。「八尾フレンズ」では関西選抜の主将となり世界一を経験。
- PL学園に進学。1年夏から肩の具合が悪く、2年時に左肩手術。その後も体調万全とはいかずキャッチボールさえできない時期もあった。しかしそんな中でも3年時には主将としてチームを引っ張り、春・夏の甲子園に連続出場。3年春の甲子園では松坂大輔率いる横浜高校の前に敗れベスト4。3年夏の甲子園では準々決勝で再び横浜高校と対戦し、延長17回の激戦の末敗退した(後述)。高校時代のポジションは外野手、背番号は13。
- 同志社大学に進学。1年秋に肩を完全に治すためリハビリ入院をする。4年時に日本代表に選抜され第1回世界大学野球選手権に出場。大学通算打率3割5分、本塁打10本。関西学生リーグでベストナインを4度受賞。
- トヨタ自動車に入社し、同野球部に2年間在籍。1番・センターとして、第74回都市対抗野球大会、社会人野球日本選手権大会に出場する。またハーレム国際大会の日本代表に選抜される。社会人通算打率3割3分以上、本塁打10本。
- 2004年度のドラフトにて、東北楽天ゴールデンイーグルスより7巡目指名を受け入団。
[編集] プロ入り後
- 2005年、チーム内の新人でただ一人、開幕1軍入りを果たす。同じ大学出身の田尾安志監督の元、「田尾二世」と呼ばれ期待をかけられる。3月30日のソフトバンク戦でプロ初安打、4月1日の本拠地開幕戦でプロ初打点を記録。序盤はスタメン起用もあったがその後は結果を残せずファーム落ちする。最終結果は一軍戦25試合出場で打率.178。フレッシュオールスター出場。
- 2006年、イースタンリーグで69試合に出場し、出塁率.429で最高出塁打者賞を受賞。また打率.328も同リーグ2位の成績。一軍戦は2試合の出場。前年に続きフレッシュオールスター出場。
- 2007年、一軍出場なし。2軍戦は67試合に出場し、打率.268。
[編集] エピソード
- 走力があり、強肩で守備範囲も広い。ポジションは外野の他一塁も守る。
- 日本テレビアナウンサーの上重聡とは高校野球部時代の同期である。
- 入社1年目の2003年、トヨタ自動車は第74回都市対抗野球大会に出場し、1回戦でシダックスと対戦。トヨタは2万人を超える応援団を結成、球場には都市対抗では珍しく42000人の観衆が集まった。結果はシダックス・野間口貴彦投手の前に敗れたが、試合後、平石は悔しさをあらわにし、「グランドスラム」誌(社会人野球専門誌)に「おとなしい選手が多い中で異彩を放つ選手」と評される。
- 趣味はゴルフ、音楽。
- ラジオ番組「We are Eagler」がzepp仙台で公開録音された際に、チームメートで同じPL学園出身の後輩である朝井秀樹に「(平石は)このような場では静かにしている」とコメントされる。
- ブログ「僕は僕らしく…平石洋介ブログ」を開設している。
- 好きな言葉は「自分自身の色で輝け」。
[編集] 甲子園・延長17回
1998年夏の甲子園の準々決勝で松坂大輔擁する横浜高校と対戦した。試合は松坂大輔の好投もあり、延長17回の稀に見る死闘となる。平石は主将兼三塁コーチャーとして出場。松坂攻略の糸口が掴めないまま回は進むが、平石は松坂の球種を捕手・小山良男の構えから読みとり、これをきっかけにして試合は動いた。平石は松坂がストレートの時は「行け」、変化球は「狙え」と大声でサインを叫び味方打線に伝えた。
このエピソードはNHKの特集番組や、朝日新聞出版の文庫本でも紹介され反響を呼んだ。しかし本人によれば、実際はこの通りではない[1]。コーチボックスから叫んでいたのは打者に対してのサインではなく、相手捕手を混乱させリードに影響をださせるため。自分が叫んだ声は観客の声援にかき消されて打者までは届かなかっただろう、と語っている。
また三塁コーチだけではなく、主将としても役割を果たした。緊迫した試合となり、延長時のピンチを迎えた際には泣きだす選手もいたが、「次の守備もあるぞ」と選手を鼓舞し続けた。また味方の打者大西宏明(現・横浜)がツーアウト二塁1点ビハインドの場面で打席に入った時も、二塁ランナーの平石は「靴紐を結びなおす」といってタイムを取り平常心を取り戻させようとし、最後まで主将としてチームをまとめた。
※試合詳細はPL学園対横浜延長17回の項目に記載。
[編集] 記録
- 初出場:2005年3月27日 対千葉ロッテ戦(千葉マリンスタジアム) 9番・中堅手として。
- 初安打:2005年3月30日 対福岡ソフトバンク戦(福岡ヤフードーム) 8回に吉武真太郎から。
- 初打点:2005年4月1日 対西武戦(フルスタ宮城)6回に正津英志から。
[編集] 獲得タイトル・表彰など
- イースタンリーグ最高出塁打者賞(2006年)
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 安打 | 得点 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 犠打 | 犠飛 | 盗塁 | 三振 | 打率 |
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2005 | 東北楽天 | 33 | 25 | 45 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 12 | .178 |
2006 | 2 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | .143 | ||
2007 | 一軍出場なし | |||||||||||||||
通算(3年) | 27 | 52 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 15 | .173 |
[編集] 脚注
- ^ 楽天イーグルス公式サイト「Featured Players.vol6」より
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
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19野村克也 |
コーチ |
78橋上秀樹(ヘッド)|71紀藤真琴(投手)|76杉山賢人(ブルペン)|77池山隆寛(打撃)|81関川浩一(打撃補佐) 80西俊児(内野守備走塁)|75佐竹学(外野守備走塁)|70山田勝彦(バッテリー)|73野村克則(バッテリー) |
二軍監督・コーチ |
87松井優典(監督)|82吉田豊彦(投手)|86星野おさむ(打撃)|89永池恭男(内野守備走塁) 85広橋公寿(外野守備走塁)|90芹澤裕二(バッテリー)|84高村祐(育成/投手)|74米田慶三郎(育成/野手) |
投手 |
0佐藤宏志|11一場靖弘|13小倉恒|14牧野塁|16山村宏樹|18田中将大|20長谷部康平|21岩隈久志|22愛敬尚史|26有銘兼久 28片山博視|29林恩宇|30永井怜|34渡邉恒樹|36朝井秀樹|40吉崎勝|41青山浩二|43寺田龍平|45川井貴志|47松崎伸吾 49インチェ|50ドミンゴ|51川岸強|53石田隆司|54木谷寿巳|56戸部浩|57小山伸一郎|59菊池保則|60石川賢|65松本輝 |
捕手 |
27河田寿司|31藤井彰人|37嶋基宏|39井野卓|44中谷仁|48伊志嶺忠|52山本大明|58木村考壱朗|67銀次 |
内野手 |
1塩川達也|2渡辺直人|3吉岡雄二|4高須洋介|6西谷尚徳|7山崎武司|12草野大輔 17フェルナンデス|32沖原佳典|35大廣翔治|38山下勝充|55リック|66西村弥|68枡田慎太郎 |
外野手 |
00森谷昭仁|8礒部公一|9鷹野史寿|23聖澤諒|24山崎隆広|25横川史学 33平石洋介|46鉄平|61憲史|62高波文一|63牧田明久|64中島俊哉 |
育成選手 |
121内村賢介(内野手)|126中村真人(外野手) |
東北楽天ゴールデンイーグルス 2004年ドラフト指名選手 |
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自由獲得枠:一場靖弘 / 2巡目:渡邉恒樹 / 4巡目:西谷尚徳 / 5巡目:塩川達也 / 6巡目:大廣翔治 / 7巡目:平石洋介 |