シダックス野球部
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チーム名 | シダックス |
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加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
創設年度 | 1994年 |
チーム名の遍歴 | シダックス軟式野球部(1991年~1993年)→シダックス硬式野球部(1994年~2006年)=廃部 |
オーナー | 志太勤 |
運営母体 | シダックス |
監督 | 田中善則 |
タイトル | 都市対抗:0回、日本選手権:1回 |
優勝年度 | 都市対抗=なし、日本選手権=1999年 |
シダックス野球部(しだっくすやきゅうぶ)は、東京都調布市に本拠地を持ち、日本野球連盟に所属していた社会人野球チーム。
2006年9月6日に、2006年度限りで部の活動を停止することが発表された。今後は少年野球普及のために「K-BALL指導普及部」として活動するという。静岡県伊豆市には自社グラウンド「志太スタジアム」があるが、チーム廃部後は少年野球指導や大学チームの合宿所として利用される予定。
発足当初から積極的な選手獲得を行い、1994年にはキューバ革命後の日本球界で初めてキューバ選手を加入させた。
目次 |
[編集] 設立・沿革
- 1991年 軟式野球部創設
- 1993年 硬式野球部に改編
- 1990年代末にはキューバ選手のほか、吉井憲治投手、坂田精二郎捕手らの活躍で全国大会で好成績を収めるが、一時停滞する時期を迎える。
- 1994年 都市対抗野球大会に初出場
- 1996年 日本選手権に初出場
- 1999年 日本選手権初優勝
- 2002年秋、南海・ヤクルト・阪神で監督を務めた野村克也がシダックス会長でチーム総監督の志太勤に招聘されて監督兼GMに就任し、注目を集めた。2006年シーズンから野村が東北楽天の監督としてプロに復帰することが決まり、一時は部の存廃まで取りざたされたが、当面の間、野球部は存続することとなった。
- 2006年9月6日に、2006年度限りで部の活動を停止することが発表された。今後は少年野球普及のために「K-BALL指導普及部」として活動するという。
- 2006年10月に行われた社会人野球日本選手権関東予選でチームは初戦敗退し、14年間の硬式野球部の活動に幕を下ろした(関東選抜リーグでは好成績を残していたため、千葉市長杯争奪野球大会に出場することが可能だったが、出場を辞退した)。
- 2006年11月20日、日本野球連盟に廃部届が提出され、名実ともにシダックス硬式野球部は姿を消した。翌日行われたドラフト会議では、育成選手も含め、以前在籍していた選手もあわせて3選手が指名を受け、シダックス最後のプロ輩出者となった。
[編集] 主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会 出場7回、準優勝1回(2003年)
- 日本選手権 出場4回、優勝1回(1999年)
- JABA京都大会 優勝1回(1999年)
- JABAベーブルース杯争奪大会 優勝1回(2003年)
- JABA新潟大会 優勝1回(1998年)
[編集] 主な出身プロ野球選手
- 須藤力外野手(1997年アメリカ独立リーグ)
- 金本浩司投手(1998年アメリカ独立リーグ)
- 松田匡司外野手(1999年阪神ドラフト7位→福岡ダイエー→大阪近鉄)
- 森本学内野手(2002年ダイエードラフト6巡)
- 庄田隆弘外野手(2003年阪神ドラフト6巡)
- 野間口貴彦投手(2004年巨人自由獲得枠)
- 矢島正徳投手(2005年アメリカ独立リーグ)
- 武田勝投手(2005年北海道日本ハム大学生・社会人ドラフト4巡)
- 小山桂司捕手(2005年北海道日本ハム大学生・社会人ドラフト5巡)
- 森福允彦投手(2006年福岡ソフトバンク大学生・社会人ドラフト4巡)
- 芦沢明内野手(2006年巨人育成ドラフト5巡)(退部後の指名)
- 中村真人外野手(2006年東北楽天育成ドラフト2巡)
[編集] 元プロ野球選手の競技者登録
- 野村克也監督兼GM(元南海、ヤクルト、阪神監督。東北楽天監督就任に伴い退部)
- 小林国男コーチ(元ヤクルト、退部)
- 北川哲也投手(元ヤクルト、退部)
- 進藤実投手(元巨人、退部)
- 佐藤二郎内野手(元ヤクルト、廃部によりヤマハに移籍)