ショーン・バーグマン
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ショーン・バーグマン Sean Bergman |
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基本情報 | |
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出身地 | アメリカ合衆国イリノイ州 |
生年月日 | 1970年4月11日(38歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年 (MLB) |
経歴 | |
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ショーン・バーグマン(Sean Bergman;1970年4月11日~ )は日米のプロ野球選手(投手、右投げ右打ち)である。
アメリカ・イリノイ州出身。南イリノイ大学から1991年にデトロイト・タイガースに入団。その後サンディエゴ・パドレス、ヒューストン・アストロズ、アトランタ・ブレーブス、再びアストロズ、ミネソタ・ツインズを経て2000年オフにロサンゼルス・ドジャースにトレード。
2001年シーズンに入り、メジャー昇格まであと少しという時期に、ドジャース副社長であり、日本の大阪近鉄バファローズスペシャルアドバイザーであるトミー・ラソーダ氏から日本行きを打診(半ば命令?)され、来日した。
当時の近鉄は投手陣が壊滅状態にあり、3点取られたら打線が5点を取り返す野球で何とか上位に踏みとどまっていた。そんな中、バーグマンには右のエースとして大きな期待がかけられた。
バーグマンはこれに応え、長身(193cm)から投げ下ろす威力のあるストレートでたちまち右のエースに成長。10勝をあげ、特にオリックス戦では5勝をあげ、オリックスキラーとして活躍。チームの優勝に貢献した。
2002年はチームの開幕投手に指名された。だが、元々球種のバリエーションが少ない投手で、他球団に研究されたのもあり、わずか4勝止まり。得意だったオリックスにも攻略されるようになり、期待を裏切る成績だった。
2001年の同時期に来日したパウエルは若いことと、いわゆる「伸びしろ」があることから2003年以降もチームに残留したが、バーグマンは2002年シーズン限りで解雇となった。
解雇後は米球界に復帰し、2003年にはフロリダ・マーリンズ傘下のAAAチームに、2004年にはボルチモア・オリオールズ傘下のAAAチームに所属し、シーズンオフにフリーエージェントとなるが獲得球団はなく、そのまま引退している。
[編集] 日本における一軍通算成績
在籍2年、実働2年(背番号42)
- 試合 34
- 完投 2
- 勝利 14
- 敗戦 10
- セーブ 0
- 勝率 .583
- 投球回 195
- 被安打 219
- 被本塁打 24
- 四死球 62
- 奪三振 116
- 自責点 100
- 防御率 4.62