国鉄キハ185系気動車
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国鉄キハ185系気動車 | |
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「しおかぜ」(高松駅、1986年)
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最高速度 | 110km/h |
最大寸法 (長/幅/高) |
21,300mm×2,903mm×3,845mm |
質量 | 39.0t(キハ185 0番台) |
定員 | 60名(キハ185 0番台) |
機関出力 | 250ps/1,900rpm(DMF13HS×2 キハ185) |
駆動方式 | 液体式 |
変速段 | 変速1段・直結1段(TC2A/DF115A) |
台車形式 | DT55(動力台車)/TR240(付随台車) |
ブレーキ方式 | 電磁自動空気ブレーキ(CLE) |
保安装置 | ATS |
備考 |
キハ185系気動車(キハ185けいきどうしゃ)[1]は、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、現在は四国旅客鉄道(JR四国)と九州旅客鉄道(JR九州)が保有する特急形気動車。
製造メーカーは、日本車輌製造、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)・富士重工業である。
目次 |
[編集] 車両概説
国鉄の分割民営化を控えた1986年に、四国地区向けに製造された車両の一つである。
従来四国の特急列車に用いられていたキハ181系の代替車ではなく、老朽化した急行形のキハ58系・キハ65形の置き換えと同時に急行列車の特急格上げを行い、経営基盤の脆弱が予想されるJR四国の経営安定化を図る目的で開発された。
また、短編成での小単位輸送に用いることを念頭に置いて設計されているほか、更に徹底したコストダウンも図られた。
[編集] 構造
※以下は製造当初の仕様に基づいて記述する。
[編集] 短編成化への対応
本系列は、運転台付き普通車のキハ185形と、運転台なしグリーン・普通合造車のキロハ186形の2形式から構成され、キハ181系・キハ183系のように普通車の中間車が存在しないのが特徴である。
それまでの国鉄特急形気動車では、専ら長大編成を組むことを前提としており、編成内の特定車両床下にディーゼル発電機を搭載し、冷暖房電源や食堂車調理電源等をまかなっていた。これは長大な固定編成を組む長距離列車には相応に適した手法であったが、反面、電源供給システムによる編成構成の制約があり、四国のように輸送単位が小さく、波動的な輸送量の変動が大きい地域では、ことにフレキシビリティを欠くきらいがあった。
キハ185系ではこの問題点を解消するため、固定編成前提の設計から脱却した。特急形気動車ではあるが、電気式冷暖房など一般形気動車とは異なったいわば「特別な構造」を用いることを中止し、一般形気動車に近い機器構成とされた。また冷房装置にはバス用既製品を使用し、キハ185形は走行用エンジンで、キロハ186形は専用の小型エンジンで、それぞれコンプレッサーを直接駆動する方式(機関直結式)を採用した。この結果、従来特急形気動車にあった機械室の廃止と冷暖房の1両単位での制御が実現し、編成の自由度が大幅に向上した[2]。しかし、編成が6両より長くなるとキハ181系よりも座席定員が少なくなるという問題はあったが、当時の特急は短編成化の傾向が強く、編成の自由度が向上することによるメリットの方が重視されたため、長大編成時の定員減少は問題視されなかった。
[編集] 車体
車体はステンレス製軽量構造で、軽量化とメンテナンスフリーを両立させた。側面窓の上下寸法は従来の車両より拡大し、74cmとされた。また急行形気動車の代替車であり、当初より普通列車での使用が考慮されていた[3]ため、乗降口が在来形特急気動車の1両1箇所と異なり、各車両とも急行形並みに前後2箇所に設けられている。JR四国発足後に登場する2000系気動車、8000系電車も乗降口はやはり前後2箇所とされた。 車体外観は国鉄時代に製造された38両(キロハ186-1~8・キハ185-1~18・1001~1012)は地色を無塗装とし、緑色の帯を巻いていたが、JR移行後に製造された14両(キハ185-19~26・1013~1018)はJR四国のコーポレートカラーである水色の帯となった[4]。
[編集] 主要機器
[編集] エンジン・変速機・逆転機
エンジンはキハ38形と同一の新型直噴式機関であるDMF13HS(250ps/1,900rpm) を1両につきキハ185形には2基、キロハ186形は1基搭載している。
その一方で、国鉄時代に製造された車両については製造コスト削減を目的として、変速機や運転台機器など一部の機器は、在来形気動車の廃車発生品を整備・手直しの上で流用している。このため、TC2A/DF115Aを変速機として使用し、かつ250ps級機関を1基ないしは2基搭載することから、機構が複雑になりやすい1台車2軸駆動方式は採用されず、逆転機は従来通り台車のトランサムと2本のリンクで結合されるシンプルな機構とされ、駆動軸も在来型気動車の2エンジン車と同様、各動力台車のエンジン寄り1軸とされている。
キロハ186形が250psエンジン1基搭載であるため、これを組み込んだ編成あたりの総出力はキハ181系よりやや小さくなるが、軽量ステンレス車体の採用による大幅な自重軽減でキハ181系とほぼ同等の加速性能が確保されている。
当時の四国の各線区は最高速度が幹線でも95km/hにとどまっており、設計最高速度は将来の高速化を考慮して110km/hとした。
[編集] 台車
台車は同時期に北海道向けに新製されたキハ183系500番台と同様に、205系電車で初採用されたDT50を基本とする当時最新の円錐積層ゴム支持式ボルスタレス台車である、DT55(動力台車)およびTR240(付随台車)が新規設計された。
ただし、前述の通り逆転機が台車装架であることや、ヨーダンパ取り付け準備工事の有無などの仕様の相違のため、別形式が起こされており、結果的にこのDT55・TR240は日本国有鉄道が新規開発した最後の台車形式となった。
なお、ブレーキシュー(制輪子)は当初鋳鉄製を採用していたが、後にレジン(合成樹脂)製に交換されている。
[編集] 接客設備
本系列では車内の座席などの接客設備も大幅な改良が図られている。車内の仕切扉は空気式の自動扉とされた。キハ185形では背面に大形テーブルを設けたフリーストップ式リクライニングシートを採用した。座席の前後間隔はキハ181系より30mm拡大した940mmとしているが、機器室を省略した分、キハ181形(定員52名)よりも定員が多くなっている。キロハ186形のグリーン室は1列4人掛けのフリーストップリクライニングシートで、やはり背面に大形テーブルを持つほか、フットレストや中肘掛、側面テーブルを設置し、座席間隔を従来のグリーン車と同じ1,160mmとしている。普通室は0系新幹線の発生品である転換クロスシートが1,020mmの座席間隔で設置され、グループ客の利用を想定して折り畳み式の大型テーブルを設置した。
冷暖房装置やドアエンジン等にはバス用の汎用部品を活用し、更に徹底した部品点数の削減を行っている。冷房装置はバス用の直結式冷房機を流用したAU26で、観光バス車両などに用いられているような、各自で風量・風向の調節が可能な冷風吹き出し口を各席の荷物棚の下に設けている。
[編集] 個別形式
- キハ185形0番台 (Mc)
- キハ185形1000番台(Mc')
- 片運転台を持つ普通車。トイレ無し、18両製造。定員64名、車重38.3t。なお、JR九州所属車は全車「九州横断特急」仕様となっている。
- キロハ186形 (Mhs)
- 中間車両でグリーン席・普通席の合造車。前記したように落成時の当形式の普通席は転換クロスシートであったが、その後大型テーブルは撤去され、リクライニングシートに取替えられている。冷房装置の動力は2エンジン搭載で出力に余力があって機関直結とされたキハ185形と異なり、床下に裝架された専用の小型エンジンから得ている。行先表示器設置。8両製造。定員グリーン席24名、普通席32名、自重33.7t。
- -2は2002年10月6日に運転開始した「剣山」・「うずしお」の「アンパンマン列車」用「ゆうゆうアンパンマンカー」とされた。専用塗装に変更し、グリーン室は車端寄りの座席1列を撤去してベビーカー置場にして、定員20名の普通車指定席とされ、普通席との仕切り扉を撤去し、普通席部分は座席を撤去してプレイルームを設置した。この結果、キロハ186形のオリジナルで残存しているのは、-1のみとなっている。
- また、-2はリニューアルを施して2007年10月6日から新しいラッピングで営業運転を開始した。
- キハ186形 (M)
- キロ186形 (Ms)
- キハ185形3000番台 (Mc)
- キハ185形3100番台 (Mc')
- キハ185形1000番台を在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様の改造車。松山運転所所属。行先表示器を前面に設置、トイレなし、8両改造。座席定員64名、車重38.3t。
- キハ185-1002・1003、1005~1007・1009・1010・1013→キハ185-3102・3103・3105~3107・3109・3110・3113(原番号+2100)
[編集] JR化後
キハ185系はJR移行後も14両が製造され、国鉄末期からJR移行後初期にかけて四国特急のフラッグシップ的存在となった。瀬戸大橋線開通後、騒音問題の対策としてキハ181系より車重が軽い本系列が多く瀬戸大橋線を経由する運用に変更されたが、騒音自体は両系列とも殆ど変わりなかったため、後に双方とも減速運転することになった。繁忙期の「しおかぜ」は岡山~松山間9両編成、松山~宇和島間8両編成で運用されたこともあった。しかしJR四国は1990年代以降、島内で急速に整備の進んだ高速道路への対抗策として、より高速運転が可能な振り子式気動車である2000系の開発と増備を進めた。
一方で、JR四国は2000系投入後、キハ185系の普通車のアコモ改良として座席のモケットを交換し、背もたれを取っ手付きにして形状を変更した。キロハ186形の普通室は折りたたみテーブルを撤去し座席を交換した。1996年には一部が徳島線特急「剣山」の運転開始にあわせて塗装変更が実施されている。また1998年と2003年には同年製造された予土線、土讃線・瀬戸大橋線(本四備讃線)のトロッコ列車(キクハ32形)の控車としてキハ185-20・26が緑帯の「疑似国鉄色」となった。本来の国鉄色は窓周りとライト周辺がダークグリーンであり、現在の「疑似国鉄色」とは違う。
またキハ185形の一部は、先述した「キハ58系・キハ65形を本系列により置き換える」目的を普通列車においても実行するために、ジャンパ栓を増設して在来の一般形気動車と併結可能にした普通列車仕様[6]に改造され、松山運転所に配置された。外観は「剣山」色と似ているが、濃紺帯がなく赤帯に変更され、前面行先表示器を設置したほか、車内設備は特急列車運用への充当をしない前提で収納式テーブルや灰皿の撤去、座席カバーのビニール化、リクライニング機構(バネ式)の固定[7]など、普通列車向けの簡略化・省力化の改造がなされた。前記したように3000番台が2両、3100番台が8両改造されたが、このうちの3000番台として使用されていた2両が2006年6月からの「むろと」の増発[8]に伴い、原仕様に戻されたうえで高松運転所に転出し、座席も8000系のリニューアルで捻出されたものに取り替えられた。
また先述したように、「アイランドエクスプレス四国II」や「ゆうゆうアンパンマンカー」に改造された車両もある。
[編集] JR九州への売却
2000系の増備でキハ185系は余剰気味となったことから、急行「由布」・「火の山」の車両置き換えを検討していたJR九州に20両が売却され、1992年に機関車牽引で小倉工場へ甲種輸送された。
JR九州へ売却された車両は「ゆふ」・「あそ」用に赤と銀を用いた塗色へと変更され、キハ185形の一部(-2、4、6、8、10、16)は電話室、車販準備室を設置した。また先述のように譲受したキロハ186形は豊肥本線や久大本線の勾配対策でエンジンを1基追加して2基搭載し[5]、グリーン席を廃止[9]したキハ186形に改造した。2004年には「あそ」の廃止と「九州横断特急」・「くまがわ」の運転開始により該当車両ではワンマン運転対応工事[10]が施工されるとともに、木材を主体とした客室内装への再リニューアル、フォグランプ設置、外板塗装の変更といった改装が施された。
JR九州に売却された車両は、以下のとおりである[11]。いずれもJR四国の車籍抹消は1992年2月12日付、JR九州の再登録は同年7月15日付である。
- キハ185-1~8・10・15・16・1001・1004・1008・1011・1012
- キロハ186-3・5~7(譲受後全車キハ186形に改造)
[編集] 現行の主な運用
[編集] JR四国
特急仕様車の運用としては徳島県を中心に、主としてローカル線の特急で使用されている。なお、多客期などで「いしづち」が高松~多度津間の単独運転となるときに運用される列車があるほか、キハ185系使用列車については喫煙コーナーを設置するスペースがなく、また定期列車での岡山乗り入れがないため、2008年3月15日のダイヤ改正時に全面禁煙化された。ただし、2006年末の多客輸送から高松~多度津間を単独運転する「いしづち」はキハ185系についても先行して全面禁煙化された。 普通仕様車の運用は、予讃線(松山~宇和島)、内子線で使用されている。
- 特急列車
- 普通列車
- その他
[編集] 所有車両
[編集] 特急仕様車
- キハ185形0番台(Mc)定員60名
- 14両(14・17~19・21~25)
- キハ185形0番台(元キハ185形3000番台)(Mc)定員60名
- 2両(9・13)※0番台を3000番台に改造した車の再改造車
- キハ185形0番台(Mc)定員60名
- 2両(11・12)※洗面所・トイレの外装部のみアイランドエクスプレス四国II塗装
- キハ185形1000番台(Mc')定員64名
- 5両(1014~1018)
- キロハ186形(Mhs)定員56名
- 1両(1)
- キロハ186形(Mhs)定員20名
- 1両(2)※ゆうゆうアンパンマンカー
[編集] トロッコ列車控車仕様
- キハ185形0番台(Mc)定員60名
- 2両(20・26)
[編集] アイランドエクスプレス四国II仕様車
- キロ186形(元キロハ186形)(Ms)定員30名
- 2両(4・8)(改番なし)
[編集] 普通仕様車
- キハ185形3100番台(元キハ185形1000番台)(Mc')定員64名
- 8両(3102・3103・3105~3107・3109・3110・3113)(原番号-2100)
[編集] JR九州
山岳路線におけるローカル特急用で使用されている。喫煙コーナーを除き全席禁煙である。
- 全車大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)所属。ただし、運用は久大本線系統と豊肥本線系統で分離されている。また、喫煙コーナーを除き全列車全席禁煙である。
[編集] 所有車両
- キハ185形0番台(Mc)定員60名
- 5両(1・3・5・7・15)
- キハ185形0番台(Mc)定員52名
- 6両(2・4・6・8・10・16)※車販準備室と電話室を設置
- キハ185形1000番台(Mc')定員64名
- 5両(1001・1004・1008・1011・1012)
- キハ186形(元キロハ186形)(M)定員56名
- 4両(3・5~7)(改番なし)
[編集] 特異な運用
[編集] 国鉄時代・JR四国
- 1989年夏から1990年春の間、TSEこと2000系試作車が故障や試験、検査などで運用を外れたときに臨時列車の「南風」51号・52号、「しまんと」51号・52号に2両または3両編成で使用された。これに伴い「南風」5号が坪尻駅で「南風」52号の通過待ちをするなど、一部ダイヤの変更も行われた。
- 1991年頃、踏切事故の被害を受けたキハ185-8が中間車代用として使用された。前照灯、尾灯、排障器が撤去されており、運転席スペースは車販準備室として使用されていた。しばらくして元通りに復旧された。
- 1993年10月に高徳線徳島駅から、高松駅までお召し列車に使用された。「うずしお」14号(普通車のみの4両編成)の前にキハ185形+キロハ186形+キハ185形を併結する形で運転された。
- 1997年7月28日から8月18日の間、臨時特急「I LOVE しまんと」が高知~宇和島~松山間を2日間で1往復するダイヤでで運転された。同年9月以降の運転は高知~宇和島間1日1往復になり1999年まで運行された。キハ185-9+キハ185-1016が専用車両とされ、前面にはかわうその顔が、側面にはアマゴ、とんぼなどが描かれ、車内天井、床面もペイントが施されていた。なお、宇和島寄り1号車が禁煙指定席(12席は自由席)、高知・松山寄り2号車が喫煙自由席であった。運転終了後もしばらくの間そのままの外装で主に団体専用列車や臨時運用で使用されていたが、JR四国色に戻された。
- 1998年3月14日から1999年3月13日の間、臨時特急「あい」が徳島~阿波池田間で3往復運転された。キハ185-12+キハ185-1002が専用車両とされ、前面にはたぬきの顔が、側面には阿波踊りを踊る女性のシルエットが描かれ、車内天井、床面もペイントが施されていた。徳島寄り1号車が禁煙指定席(12席は自由席)、阿波池田寄り2号車が喫煙自由席であった。運転終了後はJR四国色に戻された。
- 2003年8月から9月にかけて、土讃線土佐山田~窪川間で、特急仕様車が2両編成で普通列車として運用された。これはこのときに高知運転所配置のキハ28 3013が火災を起こし(同車は廃車)、車両不足が発生したことにも関係するが、JR側は「運用の都合」としている。
- ごく稀ではあったが2008年3月15日のダイヤ改正まで予讃線高松~土讃線阿波池田間のキハ58・65形で運用される普通列車(2007年3月現在では列車番号253D・255Dと折り返しの254D)に車両運用などの都合で本系列の特急仕様車を充当することがあった。
[編集] JR九州
- 1999年から2003年にかけて運行されていた大村線特急「シーボルト」の代走にも充当された[14]。代走での時期は閑散期がほとんどで、所定の4両編成から1両減車の3両編成で運転された。
- JR九州では、これまでに2回お召し列車に使用された。
[編集] 脚注
- ^ 本系列は新系列気動車として付番された3桁表記の「185系」である。しかし、慣習的なものや185系電車と混同する事から「キハ185系」と呼ぶことが多い。
- ^ これにより最低2両から編成を組成することが可能となった。
- ^ 1986年11月の営業運転開始から1987年3月改正までの間、1本のみ松山→宇和島間に付属編成2両を用いた普通列車運用が設定されていた。
- ^ 国鉄時代に製造された車両も1988年4月の瀬戸大橋線開業までに同色に変更された。
- ^ a b この改造により本系列の速度種別が若干上がった(A1→A12)。
- ^ トイレ設置の旧0番台が元の車両番号に+3000されて3000番台、トイレなしの旧1000番台が+2100されて3100番台とされた。
- ^ ただし、シート回転機能は存置されている。
- ^ このとき増発された阿南駅発着の列車は2008年3月15日のダイヤ改正で「ホームエクスプレス阿南」に改名。
- ^ 旧グリーン席の区画は通常は指定席扱いとし、座席やフットレストはそのままでモケット張替えのみ実施し、仕切りもそのまま残された。ただし、場合によっては、自由席となることがある。旧普通席の座席はリクライニングシートに交換された。
- ^ ただし、自動放送はワンマン普通列車用と同じであり、JR九州の在来線電車特急に特有の「3打点音で始まる自動放送」ではない。
- ^ ちなみに、JR四国特有のオルゴールは残置されており、「ゆふ」の手動放送時に聴くことができる。
- ^ 「ゆふDX」および「ゆふいんの森」の代走も含む。
- ^ 1984年2月1日より列車の運行はなかった。
- ^ 同列車に本来充当されていたキハ183系1000番台が1編成4両しか存在しなかったためである。
[編集] 関連商品
[編集] 関連項目
- JR四国の在来線車両 (■国鉄引継車を含む全一覧 / ■カテゴリ) ■Template ■ノート
- 日本国有鉄道(鉄道省)の気動車 ■Template ■ノート