JR四国2000系気動車
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JR四国2000系気動車 | |
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2000系2000形
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最高速度 | 120km/h
130km/h(N2000系) |
最大寸法 (長/幅/高) |
21,300mm/2,839mm/3,385mm(2200形) |
定員 | 68人(座)(2200形2202~) |
機関出力 | SA6D125H形 330ps×2
SA6D125H-1形 355ps×2(N2000系) |
駆動方式 | 液体式 |
変速段 | 変速1段・直結2段 TACN22-1601 |
台車形式 | S-DT56
S-DT61(N2000系) |
ブレーキ方式 | 電気指令式空気ブレーキ 機関ブレーキ・排気ブレーキ併用 |
保安装置 | ATS-SS |
備考 |
※TSEの受賞 |
2000系気動車(2000けいきどうしゃ)は、四国旅客鉄道(JR四国)と土佐くろしお鉄道の特急形気動車。 製作年度により以下の3種類がある。この3種類は相互に連結して運転することが可能であり柔軟に運用ができる。
目次 |
[編集] 試作車両「TSE」
四国島内の高速道路網整備に伴い、特に四国山地を横断し急勾配・急カーブが続く土讃線において、特急列車の速度向上を目的としてJR四国と鉄道総合技術研究所(鉄道総研)が共同で開発し、1989年(平成元年)に富士重工業で2001・2201・2101の3両が製作された。ちなみに、試作車の愛称“TSE”は、“Trans Shikoku Experimental”(四国横断実験)の略である。
西暦2000年を目前に開発されたことから、『2000系』という日本国有鉄道(国鉄)式の「キハ」等の文字を使用せず四桁数字だけで表記する私鉄車両のような形式称号が付与された [1]。 以後、JR四国の新型車両は1000形気動車、7000系電車、8000系電車、6000系電車、5000系電車、1500形気動車と四桁数字だけの形式称号を名乗ることとなった。
エンジンから台車への動力伝達の反作用から困難とされてきた振り子式気動車を、2つのエンジンから生じる回転力を相殺させることにより実現し、また遠心力による車体傾斜に先行して機械的に車体傾斜を生じさせ乗り心地の改善を図る制御付自然振り子が採用された。振り子機構はコロ式。振り子作用時の車体最大傾斜角は5°で、曲線半径600mで本則+30km/hの120km/hの運転を可能とした。最高運転速度は120km/h。
エンジンはコマツ製の直噴式SA6D125H形で出力は330ps。JR四国での社内制式名称はないが、東日本旅客鉄道(JR東日本)ではこのエンジンにDMF11HZという社内制式名称を与えている。新潟コンバータの直結2段式液体変速機TACN22-1601との組み合わせで、25パーミル上り勾配での均衡速度は95km/hを達成している。
ブレーキシステムは電気指令式空気ブレーキで、制動距離の短縮のために機関ブレーキ、排気ブレーキを併用している。重心を下げるため車輪径を810mmに小径化し、客用扉部分のステップをなくす(TSEおよび量産車導入に際しホーム高さの低い駅はかさ上げが行われた)とともに、ステンレス製の車体外板に1.2mm厚(通常の軽量ステンレス車は1.5mm、他はJR東日本209系0番台車に例がある程度)の薄いものを使用して車体の軽量化を図っている。連結器は密着自動連結器が採用された。
客用扉にはプラグドアを採用。キハ185系に合わせて片側2箇所となっており、これは量産車や8000系電車も同じである。また、客用扉が開いたまま動き出しても、5km/hを超えると自動的に閉まるようになっている。
座席、冷房吹き出し口はキハ185系の流れをくんでいたが、AV装置を搭載して前面展望の映像を流したり、座席は少し窓側を向くように固定できるようになっているなど、団体専用列車としても使用できるような設備とされていた。また座席の前後間隔はキハ185系より40mm拡大した980mmとしている。また連結面の幌の内側には化粧板パネルが設けられていた。テープ式の自動放送装置やLED式車内案内表示装置、行先表示器(2201を除く)を備えている。
振り子式気動車としては世界初、制御付振り子式車両としては日本初で、鉄道友の会「ローレル賞」「日本機械学会賞」を受賞した。
- 1989年に高松運転所に配置され、特急「南風」「しまんと」の臨時列車として運用開始。特に臨時の「南風」は大幅な時間短縮が実現し、本系列の俊足ぶりが際だっていた。
- 2001(2000形=下り方先頭車、振子制御装置を搭載)は流線型で前面に大きな連結器カバーを備えており、登場時のインパクトは大きかった。行先表示器、トイレと洗面所設置。定員46名。
- 2201(2200形=中間車)には業務用室、車販準備室、車掌室、テレホンカード式の公衆電話をそなえた電話室も設置されていた。定員54名。
- 2101(2100形=上り方先頭車)は2001とは異なり平面的な前面であるが貫通扉が設置され、2分割式のプラグドアになっていた外側貫通扉にはのちに板式のヘッドマークが取り付けられた。またキハ185系と併結できるような仕様になっていたが、実際に連結されて営業運転されたことはなかった。運転台がない車端寄りに線路方向に座席を配したソファースペースが設けられていた。行先表示器、トイレと洗面所設置。定員は座席36名、ソファー7名。
- 1990年(平成2年)、鉄道友の会「ローレル賞」授賞式に合わせて、2001の前面中央部に大型の、2101運転席上部に小型横長の「'90 LAUREL PRIZE」と表記されたステッカーが貼付された。その後量産化改造を受けて、松山運転所に転出したあともステッカーはそのままであったが、再度高松運転所に転入後しばらくして撤去された。
- 1990年に編成ごと方向転換されて量産車と仕様を合わせる改造がなされ、松山運転所に転出し、主に岡山~松山間で「しおかぜ」増結車として使われた。
- 2001の連結器カバーの撤去、2101のソファースペースを通常座席に変更、2001、2101の運転台側の連結器変更(密着自動連結器→密着連結器+電気連結器)、2101の運転台側に幌取り付けと外側貫通扉撤去、各車両AV装置撤去、AV装置(テレビ)前に座席のなかった2001、2201に座席を設置、幌内側の化粧板撤去が施工された。この結果、座席定員は2001、2101が48名、2201が56名となった。
- 2001、2201の座席は増設部も含めて全面モケット張りの同じ座席だが、2101の座席は元ソファースペースを含む4列が量産車と同じバックシェルタイプ(後述)の座席とされた。この改造で座席は少し窓側を向く位置では固定できなくなった。
- 1993年(平成5年)に予讃線特急に8000系電車が投入されたことにより、再度高松運転所に配置された。ニ度目の方向転換や自動放送装置をテープ式から量産車と同じ音声合成式へ交換、2101の運転台側の幌撤去、外側貫通扉の代替とされる板の設置などが施工された。この板にはヘッドマーク掛けがないため、以後はヘッドマークは掲出されていない。
- 2003年(平成15年)10月に再度松山運転所に配置され、2200形1両を組み込んだ4両編成で特急「宇和海」のほか2005年(平成17年)3月までは朝の高松発宇和島行1本と夜の松山発高松行1本の特急「いしづち」でも運用されていたが、2006年(平成18年)3月18日改正からはTSEとして落成した車両のみの3両編成に減車し、一部の「宇和海」で運用されている。
[編集] 量産車
試作車両「TSE」での性能試験を経て1990年から富士重工業で量産された車両である。最高運転速度は120km/h。
非貫通のグリーン・普通合造車(2000形2002-2011)はこのときから登場している。またグリーン車非連結の運用に対応するため、2100形と同じスタイルで振子制御装置を搭載した2150形(2151-2157)が追加された。先頭車には字幕式の列車愛称表示器が設けられたほか、前面ブラックフェイス化による昼間時の遠方視認性低下を考慮して、前照灯・尾灯ユニット付近に警戒色(黄橙色)が入れられた。TSEの座席は在来特急車両と同じく全面モケット張りであったが、量産車では背面をFRP製化粧板で覆ったバックシェルタイプとされた。座席の前後間隔はグリーン車はキハ185系より10mm拡大した1170mm、普通車はTSEと同じ980mmとしている。TSEにあった各席の荷物棚下の冷風吹き出し口はなくなった。またLED式の号車番号表示器が設置され、車内の仕切扉の機構はTSEの空気式から電気式に、連結器はTSEの密着自動連結器から密着連結器+電気連結器に、自動放送装置はテープ式から音声合成式にそれぞれ変更された。土佐くろしお鉄道所有の4両(2030、2130、2230、2231)は車体中央に土佐くろしお鉄道のロゴマーク(TKT)が、2030と2130は車端に高知県のロゴマーク(国民休暇県高知)がそれぞれあること以外はJR車と同じ仕様で製造され高知運転所に配置された。車両番号は十位を3として区別している。
- 2002-2011、2030(2000形=下り方先頭車、振子制御装置を搭載) グリーン・普通合造車。定員はグリーン席18名(3列×6)・普通席16名(4列×4)。行先表示器、トイレと洗面所設置。グリーン室の荷物棚には当初蓋が設置されていたが、蓋の落下事故があり、全車通常の荷物棚に改修された。また車販準備室とカード式公衆電話が普通席側デッキに設置されていたが、後にいずれも撤去され車販準備室跡には清涼飲料水の自動販売機が設置された。
- 2102-2123、2130(2100形=上り方先頭車) 普通車。定員52名。行先表示器、トイレと洗面所設置。2101から前面デザインが変更され、貫通扉も一般的な片開き式になった。機器配置の見直しで、2101より定員が増えた。一部の車両では洗面所を撤去し喫煙ルームが改造により設置されている。
- 2151-2157(2150形=下り方先頭車、振子制御装置を搭載) 普通車。定員52名。行先表示器、トイレと洗面所設置。2100形と同じ形態である。
- 2202-2219、2230、2231(2200形=中間車) 普通車。定員68名。2201にあった業務用室、車販準備室、車掌室、電話室がなくなったため、2201より定員が増えた。
当初のねらい通り、従来キハ181系やキハ185系により運行されていた岡山発着の「しおかぜ」「南風」の大部分を置き換え、運転開始当初は、宇多津~高松間には入線しなかった。1989年に瀬戸大橋上での騒音対策との関係でキハ181系、キハ185系の特急列車は神道山トンネル-北備讃瀬戸大橋中央付近までの区間は65km/hに減速し、所要時間増加を抑えるため減速区間以外(児島駅-神道山トンネル、北備讃瀬戸大橋中央部付近以南)は最高運転速度(キハ181系では120km/h)までスピードアップした上で、児島駅を一部通過とし、西日本旅客鉄道(JR西日本)とJR四国の乗務員交代は多度津駅で行われるか、または岡山駅まで直通していた。2000系は減速区間は65km/hだったが、曲線通過速度や最高運転速度が引き上げられたことにより従来より最大で40分近く短縮された。ちなみに2000系を電車と同様95km/hで減速区間を通過することにし、特急列車で児島駅を全列車停車とし、JR西日本とJR四国の乗務員交代がすべて児島駅で行われるようになったのは、「うずしお」を除いて1993年の8000系電車投入のダイヤ改正から、「うずしお」は1998年(平成10年)のダイヤ改正で岡山直通列車がN2000系とされてからであった。
キハ181系は8000系電車量産車が投入された1993年に全車が廃車された。キハ185系は20両が九州旅客鉄道(JR九州)に譲渡され、JR四国に残った32両のうち一部は普通列車仕様(3000番台、3100番台)に改造されたが、その詳細については「国鉄キハ185系気動車」を参照。
2007年(平成19年)現在、松山運転所・高知運転所・高松運転所に59両が在籍するが、グリーン・普通合造車の2000形および中間車の2200形は高松運転所には配置されていない。その内訳は以下の通り。
- 高松運転所 2150形3両、2100形6両の合計9両。
- 松山運転所 2000形2両、2150形4両、2200形10両、2100形7両の合計23両。
- 高知運転所 2000形8両(うち1両は松山運転所との共通運用)、2200形9両、2100形10両の合計27両(土佐くろしお鉄道所有の4両を含む)。
特急「しおかぜ」「いしづち」「宇和海」「南風」「しまんと」「あしずり」「うずしお」「ミッドナイトEXP高松」「ウィークエンドEXP高知」で使用されている。
土佐くろしお鉄道所有の2000系は1990年11月の運用開始時は4両が同じ運用に入っていたものの、少ししてバラバラで運用されるようになっていたが、ピンク色の「アンパンマン列車」となった後は、4両固定編成で運用されている。
本系列の「アンパンマン列車」は2000年(平成12年)10月14日にブルー(2007+2212+2203+2104)が土讃線に登場し、2001年(平成13年)3月3日にピンクの2号(2030+2230+2231+2130)、2001年10月1日予讃線に11両(ばいきんまん号2004、ドキンちゃん号2005、カレーパンマン号2107、しょくぱんまん号2109、クリームパンダ号2110、メロンパンナちゃん号2113、、ロールパンナ号2152、おむすびまんトリオ号2204、どんぶりまんトリオ号2208、あかちゃんまん号2210、パンこうじょうのなかま号2217)が登場した。数回のリニューアル後、現在は車内をアンパンマンの内装にし、車内チャイムもオルゴールの「アンパンマンのマーチ」に変更する改造が実施された。2203は運用の変更で「アンパンマン列車」から外れた。
2007年ごろには、大半の車両の客用扉が窓ガラス面積の小さいものに交換され、2008年からは同年3月15日の完全禁煙化に先行して、すでに喫煙車として運用されない車両では肘掛けの灰皿の撤去も行われている。
なお、2005年3月2日に土佐くろしお鉄道宿毛駅構内で発生した列車衝突事故で、3両編成のうち先頭車(2008)および中間車両(2218)が大破した。宿毛駅復旧作業の開始により、当初は現地にて解体搬出の予定だったが、大型クレーンでつり上げて撤去された(2008と2218は同年3月31日付で廃車)。比較的被害の少ない最後尾の車両(2116)は編成から切り離され、多度津工場へ回送・修理された後に営業運転に復帰した。
宿毛駅の営業が再開した2005年11月1日以降、解体された2両の代替新造は果たされていないが、その代替分として松山運転所の2006が高知運転所配置とされ、続いて2006年3月18日付けで2206も同所に転入した。予備のすべての車両が高松運転所と松山運転所と高知運転所との共通運用となっている。
[編集] ギャラリー
アンパンマン列車「ばいきんまん号」 2004 |
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[編集] N2000系
高徳線において最高速度130km/h運転を行うために、本系列を基本に1994年(平成6年)に製造された智頭急行HOT7000系の技術をフィードバックして製造した改良型である。そのため、このグループはN2000系と通称される。在籍する16両のうち、編成を固定のうえで限定運用されるのは9両のみで、その他の車両は予讃線・土讃線でも運用される。全車が富士重工業で製造された。
搭載エンジンの出力は330馬力からHOT7000系と同一の355馬力(コマツ製SA6D125H-1)に増強され、基礎ブレーキ装置も量産車の踏面ブレーキからディスクブレーキに改められ、滑走防止装置が搭載された。また、環境問題を考慮して、冷房装置の冷媒には代替フロンが使用されている。客用扉のロック方式が量産車と異なり、5km/hを超えると「パスッ」の動作音とともにロックされる。
1995年(平成7年)に先行車2両(2400形2424号および2450形2458号)が落成、1997年(平成9年)に2500形が量産車として落成し、同年の年末年始繁忙期輸送で営業運転を開始した。1998年から量産車の先頭車が登場し最終的に量産車は3形式合わせ14両が製造された。2424のみ当初は高知運転所に配置されていたが、後に高松運転所に転属し、現在は全車両が高松運転所に配置されている。先行車は従来車と外観や座席はほぼ同じだが、量産車は前面もリニューアルされ、貫通型高運転台構造のスタイリッシュなデザインとされ、車体外装も紺色と赤のツートンカラーとされた。座席は全面モケット張りとされている。座席の前後間隔はTSE、量産車と同じ980mmとしている。グリーン・普通合造車はなく、2400・2450・2500の各形式があり、車両番号は従来車の続番+300とされた。
- 2424(2400形=上り方先頭車) 普通車。定員47名。行先表示器、洋式トイレ、小便所と洗面所設置車であり、また車椅子対応座席が設置されている。外装は貫通扉、客用扉の色が2100形とは異なり赤色とされている。また黄色の前面警戒色の帯は2100形より太く、前面助士席側窓下には「SHIKOKU」の文字が、乗務員室下側面に「N2000」の文字が表記されていた。
- 2458(2450形=下り方先頭車、振子制御装置を搭載) 普通車。定員52名。行先表示器、トイレと洗面所設置。2150形と同じ形だが、外装は2424と同じ。
- 量産車落成後、2424と2458は量産車と同じ外装に変更された。
- 2425-2429(2400形=上り方先頭車) 普通車。定員47名。行先表示器、洋式トイレ、小便所と洗面所設置車であり、また車椅子対応座席が設置されている。
- 2459-2463(2450形=下り方先頭車、振子制御装置を搭載) 普通車。定員52名。行先表示器、トイレと洗面所設置。カード式公衆電話がトイレ側デッキに設置されていたが、後に撤去された。
- 2520-2523(2500形=中間車) 普通車。定員68名。
特急「うずしお」「南風」「しまんと」「あしずり」「ミッドナイトEXP高松」「ウィークエンドEXP高知」、朝の伊予西条発高松行「いしづち4号」で使用される。ごくまれに「しおかぜ」としても運用される。
[編集] トイレについて
本系列に設置されているトイレは、2400形以外のすべてが和式である。従来、JR四国は地域性を理由に車内トイレの洋式化を見送っており、その理由により6000系電車では和式トイレが設置された。しかし、交通バリアフリー法制定後、1000形気動車に改造設置されたトイレは車椅子対応の洋式とされた。8000系電車のリニューアルでも5箇所中3箇所は洋式とされ(1箇所は落成時から洋式)ている。