国鉄キハ58系気動車
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国鉄キハ58系気動車 | |
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キハ58形596(高岡駅)
(2006年3月31日) |
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最高速度 | 95km/h |
最大寸法 (長/幅/高) |
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機関出力 | DMH17H(180ps/1,500rpm) |
駆動方式 | 液体変速式 |
台車形式 | 金属ばね台車 DT22(動力台車) |
ブレーキ方式 | 自動空気ブレーキ |
保安装置 | |
備考 |
国鉄キハ58系気動車(こくてつきは58けいきどうしゃ)は、旧日本国有鉄道が1961年に開発した急行形気動車である。
1969年まで大量に増備され、1960年代から1980年代にかけて、幹線・ローカル線を問わず日本全国で急行列車に投入された。
なお、「キハ58系」という表記は、同用途の同系車体をもつ国鉄気動車を趣味的もしくは便宜的に分類したものであり、国鉄が定めた正式のものではない。
目次 |
[編集] 概要
1960年代、蒸気機関車牽引列車を置き換え、スピードアップと居住性改善を図る無煙化を目的に大量製造され、日本全国で急行列車を中心に運用された。
明るく見通しの良い広い車内と大きな1段上昇窓を備え、蒸気機関車の引く旧来の客車とは一線を画した『速くゆとりのある旅』を乗客に提供した。幹線・ローカル線の別なく、全国に気動車急行列車網を完成させた車両である。その朱とベージュの塗色は地方の風景に溶け込む秀逸なデザインであり、1990年代初頭まで長きにわたり、ローカル線の点景として欠かせない存在でもあった。
1970年代以降、幹線電化の著しい進展に伴い、急行列車の電車化、さらには特急格上げが進められたことから、気動車急行列車は徐々にその運用域を狭めた。キハ58系も1980年代以降はローカル線の普通列車用として多くが転用されている。
後継形式の増備に伴って大幅に在籍数は減少したものの、2007年時点でも北海道を除く各地域で若干が運用されているが、残存車についても老朽化に伴う廃車が急速に進行している。
[編集] キハ58系の主要形式
一般に「広義のキハ58系グループ」として扱われるのは、北海道用の耐寒耐雪型キハ56系、信越本線用の空気ばね台車装備車キハ57系、本州以南向けの標準型であるキハ58系の3系列である。これらの系列全体の製造両数1,823両は、日本のディーゼルカーとしては史上最多で、一時は国鉄在籍気動車の3割を占めたこともあった。
本項目では主に狭義のキハ58系について記述し、キハ56系、キハ57系についてはキハ58系との共通点のみを記述、詳細は各項に記載する。
普通車 (2エンジン) |
普通車 (1エンジン) |
グリーン車 (1エンジン) |
グリーン車 (2エンジン) |
備考 | |
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キハ56系 | キハ56形 | キハ27形 | キロ26形 | - | 北海道向け 耐寒耐雪仕様 二重・小型客室窓 |
キハ57系 | キハ57形 | - | キロ27形 | - | 信越本線用 横軽・アプト区間対策車 ディスクブレーキ装備・空気ばね台車付 |
キハ58系 | キハ58形 | キハ28形 | キロ28形 | キロ58形 | 本州以南向け 一般型 |
上記の他、郵政省所有の郵便車キユ25形、余剰のキロ28形、キロ58形の走行装置を流用してキハ40系並の車体を新製した郵便荷物車キユニ28形、荷物車キニ28形、キニ58形が、国鉄末期にはグリーン車の利用の減少に伴い、半室を普通車に改造したキロハ28形が、両運転台化改造により、キハ53-200、キハ53-500、キハ53-1000の各型が登場した。のちに四国にはキロ28を格下げしたキハ28 5000番台、キロハ28 1を格下げしたキハ28 5301、四国と九州にはキロ28 2000番台を格下げしたキハ28 5200番台が存在した。
また、広義のキハ58系をお座敷列車や欧風列車(いわゆる「ジョイフルトレイン」)に改造したものの一部は、キロ29形、キロ59形、キハ29形、キハ59形となっている。
[編集] 開発の経緯
1950年代後半以降、気動車による準急列車が日本各地で運転を開始し、スピードアップや居住性改善に大きな効果を上げると、非電化主要幹線の急行列車についても、蒸気機関車の牽引する列車から気動車に切り替えようという動きが起きた。当時の準急列車用気動車キハ55系は、走行性能面では当時必要な水準を満たし、一部はいち早く急行列車に使用されたものの、急行用としては設備のグレードが低かった。そこで、急行列車として十分な内容を持った気動車の開発が目論まれることになる。
急行形気動車の開発過程では、1959年に試作された大出力エンジン気動車キハ60系や、1960年に登場した日本初の特急用気動車キハ80系での経験がフィードバックされている。
全体としてはキハ55系と同等の走行性能を持たせつつ、欠点を改善したものとなっている。以下にキハ58系の主な仕様を記す。
[編集] 車体構造
特急形気動車同様、浮床構造を採用した広幅車体となり(キハ55系に比して10cm拡幅)、車体裾は絞り込まれている。
正面形状は、踏切事故に備えて高運転台構造となり、急行形電車並みに貫通路上に列車種別表示窓を設けた。前照灯はその両脇に振り分けられ、小型のシールドビーム2灯式となった。ただし、急行形電車で標準となったパノラミックウィンドウとスカートは、コストダウンのため採用されなかった(一等車を除いて全車運転台付車である58系気動車の場合、運転台周りの装備追加に伴う大量増備時のコスト上昇を配慮せねばならなかった。のち末期のマイナーチェンジ型で採用されているが、この頃になるとパノラミックウインドウが電車で広く普及していた事情がある)。
更に、曲線区間での雨どいの張り出しを無くすため、国鉄車両としてはあまり例のない張り上げ屋根構造を採用し、全体の形態はキハ55系より格段に洗練されている。
客ドア幅もキハ55系よりも拡大され、850mmとなった。またキハ55系ではトイレを車端部においていたが、キハ58系ではデッキが車端部に配置され、トイレは車室側に置かれた(キロ28形のうち最終製造車である2309~2314、2509~2518はデッキ外に設置)。
[編集] 客室設備
キハ58系では水平シリンダー型エンジンを採用することで床下でのエンジン整備が可能となり、車室内の点検蓋は廃止された。これにより静粛性、居住性は高まっている。床の表張りは本州以南向けはビニール張りだが、北海道用のキハ56系のみは木板張りとして保温性と耐久性を高められた。また従来、車室中央壁面で立ち上げられていた排気管を、車体両端に移設して車内見付を良くしてもいる。これらの改良は、先に開発された特急形のキハ80系に準じたものである。
二等車は向かい合わせの4人掛けクロスシート(ボックスシート)を10窓分備える(運転台側戸袋部のみ2人掛け1列があり、合計定員84名)。車体幅が広がったことで、急行形電車同様、窓側に肘掛幅分のスペースが確保され、窓枠下には栓抜き付きの小型テーブルと大型灰皿が設けられた。従前、気動車では一般に白熱灯が照明に用いられてきたが、58系では40W蛍光灯が用いられ、車内を明るくした。
1等車(1969年以降グリーン車)については、急行列車用1等客車では標準となっていたリクライニングシートを導入、併せて急行型電車同様の1段下降式の2連型側窓を採用して、高級な仕上がりとなっている(キロ26形のみは防寒のため単独の小型・二重窓)。
従来型の気動車の暖房装置は軽油燃焼式温風ヒーター(温気式暖房機。三国ウェバスト式ないし五光式)で熱量が不足するケースもあったが、1958年の北海道用気動車キハ22形で温水暖房方式が実績を上げたことから、本形式でも温水暖房方式を採用し、暖房効率と静粛性の改善を図った。車室内足下に放熱パイプを配置、エンジン冷却水を通している。この暖房用放熱器によって窓側の足下スペースはやや圧迫された。
[編集] 主要機器
1960年に特急列車用として開発された水平シリンダー型のDMH17H(180ps/1,500rpm)ディーゼルエンジンを搭載し、これに従来からの標準型液体変速機である振興造機TC-2Aないし新潟コンバータDF115Aを組み合わせた。エンジン出力・変速機はキハ55系後期型と変わっておらず、走行性能も同等である。水平シリンダー方式自体は斬新だったが、基本構造は在来の垂直シリンダー型と同じく無過給の予燃焼室式で、1961年の時点でも既に陳腐化していた。
台車もキハ55系後期型同様、標準型金属ばね台車のDT22(動力台車)・TR51(付随台車)である。空気ばね台車が既に標準だった同時期の国鉄急行形電車に比較するとグレードが落ちるが、地方路線向けに大量生産せねばならない事情から、コストダウンを優先した結果である。但し、当時アプト式が採用されていた信越本線の横川-軽井沢間を通過させるために製作されたキハ57系に限っては、アプト式区間におけるラックレールと機器の干渉を回避する目的で、例外的に枕ばねに一定の高さを維持可能なベローズ式空気ばねが採用されることとなり、キハ80系用のDT27・TR67をベースとしつつディスクブレーキ装備に設計変更したDT31・TR68が採用された。
ブレーキ装置は、当時の気動車用標準型であるA動作弁によって車体装架ブレーキシリンダーを制御するDA1自動空気ブレーキを基本とするが、キハ57系に限っては前述の通りディスクブレーキが採用されたため、DA1系ブレーキシステムに中継弁を付加して台車シリンダー方式としたDAR1系(運転台付車両はDAR1、運転台のないキロはDAR2)自動空気ブレーキを採用した。
[編集] 主な改良
1961年度中に3系列の急行形気動車が急行列車として営業運転を開始した。
この年4月にキハ56系が根室本線急行「狩勝」に、続いて7月にはキハ57系が信越本線急行「志賀」ほかに、そして10月にはキハ58系が中央東線急行「アルプス」ほかにそれぞれ投入されたものである。これらは利用客からおおむね好評を得た。
以後、キハ58系(およびキハ56系)は毎年100両~200両単位での大量増備が続けられたが、その期間中には随所に絶えず改良が加えられた。この改良は多岐に及び、枚挙に暇がないが、その中でも代表的な事項を以下に示す。
[編集] 800番台車(修学旅行用)
1962年から1963年にかけ、東北・九州地区からの修学旅行列車用に製造されたグループ。キハ58形801~819、キハ28形801~813の合計32両が製造された。
車体構造は基本的に通常のキハ28・58形に準じているが、車内は同時期の修学旅行用電車、155系・159系電車の流れをくんだ設備となっている。
通常のキハ58系同様、1ボックスが4人掛けであり、網棚もレール方向であるが、それ以外の、デッキ補助席、客室内速度計、着脱可能な跳ね上げ式の大型テーブル、レール方向に3人が並んで使える大型洗面台、客室端の座席引き出し式の急病者用簡易ベッドなど、修学旅行用電車で好評であった設備はそのまま踏襲された。
また、車体色も塗り分けこそ通常型に準じていたが、黄5号に窓回りや裾を朱色3号と、155系・159系電車のそれを反転させたもので、修学旅行用に共通の意匠とされた。
これらを用いた修学旅行専用列車は、東北地区発東京方面行きは「おもいで」、九州地区発関西方面行きは「とびうめ」の愛称で運転された。閑散期には臨時列車などにも用いられたが、1970年代後半から塗色はそのままで他のキハ58系あるいは他系列気動車と混用されて急行列車や普通列車に転用された。冷房化は施行されることなく1987年までにすべて廃車となりJRには承継されなかった。
[編集] 長大編成対応車
国鉄気動車は、制御回路を低圧直流電源に、またブレーキを空気圧作動の自動ブレーキにそれぞれ頼っていた。このため長大編成を組むと空気圧・電圧の低下で、先頭運転台から後方車両までの制御の応答性・確実性に問題が生じ、キハ58系も当初はその例に漏れなかった。長大編成を頻繁に組む急行形気動車では11両17エンジンに制限され、特に深刻な問題であった。
そこで1963年度以降に製造されたグループからは制御回路・ブレーキ系統の中継装置を設置し、最大15両の長大編成を組めるようになった。ブレーキシステムも各車のA動作弁直近に応答性能に優れる電磁給排弁が付加され、各運転台のM23系ブレーキ制御弁が電磁給排弁への指令を可能としたME23B弁に交換されることでDAE1(運転台付車両)及びDAE2(運転台のない中間車両)電磁自動空気ブレーキに仕様変更された。これらの改良により15両23エンジンまで制御可能となった。
この改良を伴って製造された車両については新規区分番台が起こされ、キハ58形は400番台、キハ28形は300番台、キロ28形は100番台となった。これに対しキロ58形は全車が新造時より長大編成対応であったため、基本番台のみとなっている。これら以前の車両についても、1965年から1971年にかけて全車同仕様に改造されている。
[編集] 末期増備車(パノラミックウィンドウ車)
1968年から翌年にかけて製造された、キハ58系の最終形である。後の冷房化工事を考慮した設計変更が行われているため、冷房準備車もしくは略して冷準車という呼び方もされる。
DMH17系を核とした構成の陳腐化、また、電化の進展や特急列車の増発による気動車急行列車の減少が予測されたため、同時期の他の気動車同様、製造両数は少ない。
暖地向けとしてキハ58形1101~1143号とキハ28形1001~1024号が、また本州内寒地向けとしてキハ58形1501~1534号とキハ28形501~504号および1505~1510号が製造された。
1966年から増備されていた近郊形気動車キハ45系に追随する形で、運転台前面窓をパノラミックウインドウに変更、運転台下部にも排障器(スカート)を採用し、従来形に比して洗練度が増した外観となった。冷房装置の搭載を前提に、屋根部の形状も従来よりフラットで高さも抑えられており、外観の印象は大きく変化している。
冷房時には窓やベンチレーターが締め切りになることを想定し、客室の換気対策として強制換気方式が採用された。その吸気口が客室端部の裾に備わった。
1エンジン車の車体窓柱部には、3両分の冷房電源を賄うための大型の「4VK型発電セット」用の吸気口が設けられた。
冷房搭載準備済車は天井にAU13形ユニットクーラーをボルトオンで簡単に装着できる構造になっていたが、その後全車が冷房化された訳ではなく、実際には中部地方以西に配置されていた車齢の高い非冷房車への冷房改造工事が優先された。2007年時点でも東日本旅客鉄道(JR東日本)盛岡地区に、非冷房のキハ58冷準車が残存する。
なお、暖地向けのパノラミック車は2007年現在でキハ58 1114(JR西日本・高岡鉄道部)・キハ28 3014(JR西日本・広島運転所)の2両のみが在籍する。
[編集] 冷房化・出力不足の問題
[編集] 冷房化
国鉄の列車冷房は1960年代前半まで、特急列車や優等車両に限って装備されていたが、1966年頃からは急行列車の二等車(普通車)にも搭載対象が広げられた。
キハ58系列の冷房改造に当たっては、まず、九州と四国において、1等車(グリーン車)試作冷房車が登場した。この試作車は、45PSのバス・トラック用4気筒ディーゼルエンジンにより直接圧縮機を駆動する方式で、客車時代にもマロ55形等に試験的に施工されていたが、キハ58系共々一般化はしなかった。
気動車における直接駆動冷房方式はこの時点では本格採用されず、実際の本格的な冷房改造車では、特急・急行形電車等と同じ電動式の分散式クーラーを屋根上に搭載することとなる(当初はAU12形冷房装置が用いられたが、のちAU13形が主流となる)。
電動式の冷房装置には大容量の交流電源が必要となるが、気動車の走行用エンジン付属のオルタネーター(発電機)は機関始動、制御、保安、照明、放送等の電源を賄う程度しか考慮しておらず、エンジン自体にもさらに容量の大きな(負荷の高い)発電機を駆動する余力はなかった。このため最終的には、小型軽量の4DQ-11P形 ディーゼルエンジン(三菱日本重工製)とDM72形発電機をセットで搭載し、自車1両分の冷房電源を確保することとした。この工事は一等車のキロ26・27・28形に順次施工されている。なお、キロ28形139号以降については、当初より冷房車であった。
1969年から実施された2等車冷房改造に際しても、当初バス用の小型エンジン直結型冷房が検討されたが、結局従来からの発電式とすることになった。2等車用としてダイハツ製4VK形ディーゼルエンジン(V型8気筒90PS)とDM83形発電機による発電ユニットが開発された。この発電ユニットは自車を含めて3両分の冷房電源を供給できた。欠点は、甲高くけたたましい騒音を発することである。
- これ以前にも、AU12形クーラー3基(通常は20m級1両あたり5~6基搭載が標準)を搭載して、一等車の4DQ電源装置から限られた電源を受けて使用する「簡易冷房」が、高温多湿の四国や九州において、苦肉の策として施工されていた(1969年度から1973年度までにかけて全車通常の冷房装置に換装済み)。
4VK電源装置は、当初、中央本線用の一等車キロ58形を冷房するために、キハ28形1505~1510に改造で搭載された。これはキロ58形が2基エンジンであり自車に4DQを搭載することができないためである。キロ28形については、4VK搭載で新製された2309~2314、2509~2518を除き当初は全車が4DQを搭載して冷房化されたが、1976年から1982年にかけて一部の車両が4DQを4VKに交換されている。4VKを装備した車両は、キハ28形・キロ28形とも、番号が原番号+2000となっている(キロ28 2309~2314、2509~2518はそれぞれ300番台、500番台にあたる。キハ28 1505~1510は1971年にキハ28 2505~2510に改番。キハ28形5000番台は5200番台に編入)。
なお、北海道用のキハ56系普通車(キハ56・キハ27)には冷房化は施工されておらず、北海道旅客鉄道(JR北海道)に移譲後、ジョイフルトレイン化されたグループと、キハ56・キハ27形のごく一部が冷房化されたにとどまった。
[編集] 出力不足
4VK電源装置の開発で、キハ58系の冷房化は一定の進展をみた。ただしこの発電セットは、2エンジン車には床下スペースの問題で搭載できず、1エンジン車のみ搭載可能だった。従って、全車両を冷房化するには3両に1両の割合で1エンジン車を連結する必要があった。
発電セットの搭載と、編成出力の確保は常にトレードオフとならざるを得なかった。このため冷房化後のキハ58系急行列車には、前身となったキハ55系準急列車よりも編成内の2エンジン車比率が下がって、速度低下を余儀なくされる例も生じた。中央本線の連続勾配区間では、編成出力不足により「5ノッチ5分」(DMH17系機関搭載車は、マスコン最終段の5ノッチでの高負荷運転が長く続くと、排気エキゾーストマニホールドの過熱により火災に至るため、これを防ぐために時間制限を設けた)の規定を満たせなくなり、1等車にまで2エンジン化が要請され、専用車として2エンジン搭載1等車であるキロ58形が登場している。このような編成では当然、冷房化はできない。
キハ58系に搭載されていたDMH17H形ディーゼル機関は、信頼性・耐久性・静粛性の面では一応の水準に達していたが、いかんせんその基本を1940年代に遡る旧式設計ゆえに出力180PSと、重量に対し非力であり、これを2台搭載した気動車でも、性能は電車に及ばなかったのである。
この問題の根本的解決には、新開発のDML30HS系500PS級エンジンと冷房用電源装置を併せ持つ新型気動車キハ65形の就役開始(1969年)を待たなければならなかった。その65形も投入両数は限られており、気動車急行列車の出力不足問題が完全に解決するまでには至らなかった。
1990年代以降、日本の鉄道車両は(北海道地域を除くと)普通列車用車両も含めてほとんどが冷房化されるに至ったが、普通列車用に転用されたキハ58系には、急勾配路線での運用のためにいまだ冷房化できないケースもある。
盛岡車両センター所属のキハ58形は、ジョイフルトレインと訓練車に改造されたものを除き、非冷房車である(急行「陸中」の運用があった頃は冷房車も在籍していた)。これらが運用される花輪線は豪雪地帯を通過する路線で、なおかつ松尾八幡平駅付近から赤坂田駅付近までの約20km区間の多数に急勾配が存在し、松尾八幡平駅と安比高原駅間には33.3‰の区間がある。普通列車に多い旧型気動車2両程度の短編成では、2両中1両が1エンジン車であっても、出力不足と駆動軸不足で登坂時に空転をきたしかねないため、2エンジン車のみ2連を組成せざるを得ない。電源確保もできない状態で冷房搭載車を運用する意義は乏しく、結果として非冷房車がこの地域に転用され、残存する結果となった。
[編集] 現代に至るまで
[編集] 退潮期
1970年代以降、幹線電化の著しい進展に伴い、急行列車の電車化、さらには特急格上げが進められた。気動車急行列車は徐々にその運用域を狭めて行く。グリーン車については1970年代中期に早くも余剰となり、一部は荷物車・郵便荷物合造車へと改造された。またグリーン車は一段下降窓を備えていたが、雨水の浸入による車体の腐食が顕著に見られるようになり、後に大部分が上段下降・下段上昇式のユニット窓に交換されている。
しかしながら1980年頃に至っても、キハ58系急行列車は各地に運転されていた。複雑な分割併合を行う多層階立て列車がまだ盛んに運転され、金沢~青森間「しらゆき」、奥羽本線「おが」、中央西・篠ノ井・信越本線「赤倉」等のように全線電化された区間を走る列車も残存した。だがそれらの列車は、1960年代から速度や普通車には冷房が無い車両がある等、設備水準が改善されておらず、時代の潮流に取り残されつつある存在であった。
その多くがキハ58系で運行されていた東北・上信越方面の気動車急行は、1982年の東北・上越新幹線開業に伴い、ほとんどが整理・廃止されている。
一方、四国では1980年10月改正で島内の気動車急行列車のグリーン車が廃止され、グリーン車が普通車指定席車両に格下げされた。1985年3月改正では九州でも同様の施策が実施されている。また国鉄末期~JR初期にかけて、九州、四国などで車内のアコモ改良として座席を転換クロスシートや回転クロスシート、リクライニングシートを配置した車両が登場し、気動車急行列車で使用された。
しかし、1990年代以降2000年代初頭にかけ、全国ほとんどの気動車急行列車が廃止または特急格上げで消滅した。キハ58系を用いて運行された最後の定期急行列車は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の芸備線「みよし」であったが、これも2007年7月1日のダイヤ改正で廃止され、キハ58系の急行運用は消滅している。
[編集] 普通列車等への転用
余剰となったキハ58系は、1980年頃の時点でもまだ車齢20年足らずであり、十分な耐用年数を残していた。それ以前から一部が普通列車に用いられていたが、1980年代以降はローカル線の普通列車用として多くが転用された。
当時、老朽化したキハ10系気動車の代替車として増備されていたキハ40系気動車は低出力で勾配路線に向かなかった。これに対し、キハ58系は2基エンジン車主力の系列で勾配路線へ投入しやすく、急行用で設備水準もそれなりであった事情がある。
キハ58系は、乗務員や検修員にも扱いに習熟した者が多く、またすでに冷房を搭載した車両も多かったことから、1980年代中期以降ジョイフルトレインに改造される例が多数生じた。特に民営化当初は多数のキハ58・28が斬新な形状に改造され、団体専用列車を中心とした運用に用いられている。
また普通列車で運用する事を前提に出入口付近のクロスシートをロングシートに改造した車両や、さらにはデッキと車室の仕切やトイレ・洗面所設備をも撤去した車両も登場した。小海線では、国鉄末期に全面広告車が登場している。JR移行後はワンマン運転対応車も登場している。JR西日本では通勤輸送を考慮し、ロングシート化改造されたキハ58・28系5500番台が出現、末期は姫新線・播但線で運用された。
[編集] 両運転台改造車
国鉄末期の1986年からJR化後の1988年にかけて、5両のキハ58形が両運転台化改造された。改造は車体の後位を切断して廃車の運転台を接合する方式で施行され、外観は富士急行キハ58003(のち有田鉄道移籍。こちらを参照)に似ているが、窓配置に違いがある。形式は既にキハ45系に存在したキハ53形とされ、既存車との重複を避けるため新番台区分が起こされた。同趣旨の改造としては、キハ56形を改造したキハ53形500番台があるが、こちらについては、キハ53形500番台(501~510)を参照されたい。
- 200番台
- 1000番台
[編集] 訓練車への改造
1991年に、キハ28-2102を改造し1両(キヤ28形1号)が登場した。外観は国鉄色に白線2本と「訓練車」の文字が追加されている。現在も盛岡車両センターに所属している。
[編集] 更新工事
[編集] JR東日本
1988年に発生したジョイフルトレイン『サロンエクスプレス アルカディア』の火災事故を受け、1989年から火災対策工事を行い、エンジンを新潟製やコマツ製に交換した。また、車両更新工事も行い、多くの車両がセミクロスシート化している。「よねしろ」など優等列車運用に就く車両はリクライニングシートへ交換されたものもある。
[編集] JR東海
快速「みえ」用の3両がカミンズ製エンジンと新潟コンバータ製変速機に換装され、台車も110km/h対応のためキハ82系気動車の廃車発生品の空気バネ台車に交換された他、座席もリクライニングシートに取り替えられ、3000番台となっている。リクライニングシートは東海道新幹線0系電車の廃車発生品。塗装もJR東海の当時の気動車標準色に変更された。
[編集] JR西日本
エンジン換装は行わなかったものの、多くの車両が延命工事を受けた。「能登路」や「みよし」などローカル急行運用に就く車両はシートの取替え、塗装変更を行った。ローカル運用に就く車両はワンマン運転対応工事、セミクロスシート化したものも多い。改番を伴う改造には以下があった。
- 5500番台
- 播但線などのローカル輸送のため、座席をロングシートへ改造したもの。
- 6000番台
- 急行「たかやま」に使用するため、座席をリクライニングシートへ交換したもの。暖房は電気暖房となっている。
- 7200番台
- 急行「丹後」「砂丘」に使用するため、座席をリクライニングシートへ交換したもの。このうち「丹後」の7202と7208はキハ28 3021とともに臨時列車「いさり火号」へ転用されている。
[編集] JR九州
急行用車両は座席のリクライニングシート化・床板の取替え、普通列車用車両は客室近郊化工事を施工した。
[編集] 改造
一部に電磁弁が装着されている。
[編集] 譲渡
本系列は、ほとんどが晩年まで国鉄→JRで使用されたことから、日本国内の鉄道事業者への譲渡は、北近畿タンゴ鉄道へ譲渡された4両が唯一例である。この他に、部品取り車として有田鉄道へ1両譲渡された例があるが、車両として入籍はされていない。日本国外ではロシアやタイ国鉄に例がある。
[編集] 北近畿タンゴ鉄道KTR1000形、KTR2000形
北近畿タンゴ鉄道へは1989年度に、KTR001形「タンゴエクスプローラー」を補完する特急用車両として、キハ28 2198,2314およびキハ58 591,102の4両が入線しており、それぞれKTR1000形(1001,1002)、KTR2000形(2001,2002)となった。形式は旧キハ28形のKTR1000形が1台、旧キハ58形のKTR2000形が2台エンジンを搭載していることにちなむ。旧所属は、1001,2001が国鉄清算事業団、1002,2002がJR西日本である。
特急用として相応しい設備とするため、JR西日本鷹取工場において、座席の回転リクライニングシートへの交換、KTR1000形のトイレ、洗面所の撤去・物置化等の改造が行なわれた。第2編成(1002,2002)については、「エーデル丹後」と同様の展望席が設けられた。外板塗装は、4両とも銀色に北近畿タンゴ鉄道を象徴する濃緑と深紅の帯を窓下に巻いたものとなった。
これらは、「レインボーリゾート」と命名され、第2編成単独のほか、第1編成(1001,2001)を中間に組み込んだ3両または4両編成による運行やJR線内への直通運転も実施され、第1編成は線内の定期普通列車でも運用された(急行「丹後」に併結されたこともある)。1996年に、KTR8000形「タンゴディスカバリー」が新製されたことにより、その代替で廃車された。
[編集] 海外への移出
キハ58系はその汎用性と両数の多さから、廃車後に無償で日本国外へ譲渡された車両が存在する。1993年にJR東日本がロシア・サハリン州へ譲渡。1997年からJR西日本がタイへ譲渡を始めた。更に2005年にはJR西日本車がミャンマーに譲渡された。
サハリンでは耐寒設備不十分ながら、現地のローカル列車運用の主力となった。一方で到着して間もなく3分の1ほどが解体され、残る車両のうちさらに半数ほどはほとんど使われることなく長期間留置された末廃車され解体されている。実際には、部品不足で運用休止中だった既存ディーゼルカー(日本製)の代車という位置づけであったようで、在来車復帰後は倉庫になったものや鉄道博物館に入れられた一部を除いて解体されている。
タイでも当初は優等列車として運用されたものの、2~3年もすると客車代用として使われるようになり、現在では運転台・エンジンを完全に撤去している。冷房も使用されていない。
- 運転台が現地の標準とは逆なので使い勝手が悪かった
- 元々車齢が高く、老朽化が進んでいた
- 編成の組み方がバラバラで適切な運用ができなかった(冷房の使用停止もこれに起因する)
などの原因があったようである。
タイでは運転台の撤去と同時に、ドアの移設など大掛かりなリフレッシュ工事が施され、2005年現在ではグレーに青と白のグラデーション(妻面は黄一色)に塗装変更し、バンコク首都圏の客車列車に繋がれて運行されている。
ミャンマーに移った車両は低屋根化、冷房装置の撤去などの改造工事が施工されている(軌道を越える橋梁などに接触しないようにするための改造で、1両あたりおよそ3ヶ月かかっている)。これらは当初急行列車に利用されていたが、現在はヤンゴン近郊列車に使われているようである。
一時はジョイフルトレイン「フェスタ」のタイ譲渡も計画されていたが、これはタイ側の事情で中止になっている。
- 参考サイト:タイ国鉄友の会
[編集] 現状
1987年4月の国鉄民営化時に旅客JR全社に計1198両が引き継がれたが、急行列車の廃止・統合や車両の老朽化に伴い、2008年現在では60両程度までに減少した。JR北海道、JR東海からは2002年までに全廃(JR東海にはキロ28形1両が保存目的で在籍していたが、2008年に廃車)、JR九州では観光用列車を除いて2007年3月までに全廃されている。残るJR東日本、JR西日本、JR四国でも急速に数を減らしている。
- JR東日本では新潟地区でのみ定期運用があるが、同地区にもキハE120形が導入されてキハ52と共に置き換えられる予定。東北地区では2008年3月14日をもって定期運用を終了しており、盛岡車両センターの車両は訓練車とジョイフルトレインを残してすでに全車廃車となっている。秋田車両センターの車両は臨時用に残っているが、いずれ廃車になる予定。ジョイフルトレインについては今のところ、具体的な置き換え計画はない。
- 急行列車廃止後の数少ない58系優等列車運用であった快速列車「南三陸」は、小牛田運輸区所属のキハ58・キハ28を使用し、大船渡線盛駅まで乗入運転を行っていたが、陸羽東線へのキハ110系投入に伴う58系大量廃車で、2エンジンのキハ58は1両を残して廃車となり、「南三陸」は冷房付1エンジンのキハ28を主体とした運用となった。
- だがその結果、出力不足と駆動力不足に伴い、霧雨時や紅葉の季節の落ち葉で大船渡線飯盛峠(上鹿折駅~陸前矢作駅間)の急勾配で空転が多発し、ダイヤの乱れが頻発した。ダイヤ修正で時間余裕を持たせたもののあまり効果がなく、「南三陸」の大船渡線乗入も廃止となり、気仙沼~盛間は一ノ関運輸区所属のキハ100系気動車による普通列車に気仙沼駅で接続する形に変更された。その後も気仙沼以南での「南三陸」キハ28運用はしばらく続いたが、最終的には2007年に運用から撤退し、キハ110系気動車に置き換えられた。
- 秋田地区では2008年3月15日のダイヤ改正で701系電車やキハ110系気動車にそれぞれ置き換えられた為、運用を終了した。但し、2008年5月運転の「津軽路りんごの花号」や同年6月運転の五能線「海彦山彦号」の運転計画があることから、しばらくは波動用として残る見込みである。
- 新潟地区では2008年度後半に新型気動車(キハE120形)の導入計画が発表され、その頃までは残存する予定である。
- JR西日本では2008年3月15日現在、高山本線富山~猪谷のみ定期運用がある。これは2006年10月21日から始まった高山本線の列車増発実験に伴うもので、保留車となっていた高岡車を富山鉄道部に転属させて使用している。その他は基本的に保留車もしくは波動用車両となっている。また、ジョイフルトレインにおいても老朽化に伴う廃車が進行しており、現在は米子支社所属のほのぼのSUN-IN(3両)が残るのみとなっている。
- JR四国ではローカル運用に就いていた車両が後継車両(1000形や1500形)の導入によって少しずつ数を減らし、2008年3月15日ダイヤ改正で予讃線高松口の運用が消滅したが、2008年秋を目途にキハ28・58・65系の定期運転を全て終了すると発表された。[1]
- JR九州では「あそ1962」などの観光用列車を除いて、2007年3月18日ダイヤ改正で全車が運用を離脱した。
[編集] アスベスト問題
2005年以降、日本では工業製品に使用されていた石綿(アスベスト)の発ガン性問題が表面化し、多方面で問題になっている。古い時代の鉄道車両には内装や走行機器にアスベストを使用していた例が多く、鉄道業界でも乗客・乗務員・検修員への悪影響が取り沙汰されている。
58系気動車も例外ではなく、車体、エンジンガスケットなどでアスベストが多く使用されている。アスベスト飛散防止工事を施工することも可能ではあるが、車齢が高く老朽化が進行しているために飛散防止工事を図ってまで延命することは有利と言い難く、急速な廃車進行の一因となっている。
[編集] 富士急行のキハ58系
1962年から富士急行線の起点大月駅から中央本線の急行「アルプス」に併結して新宿駅まで乗り入れる急行「かわぐち」が運行を開始した。
「かわぐち」用の車両は、「かわぐち」の運行区間の富士急行線内および中央本線の大月駅から新宿駅までの区間は電化路線であるため、電車を用いることができるが、併結する急行「アルプス」が非電化路線(当時、中央本線の甲府駅以西は未電化、1965年に松本まで電化が完成)を走行するため国鉄キハ58系気動車で運行されることから、それにあわせて同形のキハ58系気動車が「かわぐち」用として導入された。
これは南海電気鉄道におけるキハ55系と類似するが、富士急行は1961年と1963年に、国鉄キハ58系による中央本線急行「アルプス」に大月駅で併結して新宿まで乗り入れをおこなうため、計3両のキハ58形を自社発注した。中央線および富士急行線は急勾配路線であり、全車が2基エンジン仕様である。
形式は全て「キハ58形」であるが、その表記は国鉄の旧型電車のような5桁数字となり、58001~58003とされた。58001・58002はキハ58形オリジナルと全く同一の片運転台車であるが、予備車兼用の58003は001・002のいずれとも連結可能なよう、便所・洗面所省略の両運転台仕様で製造された。58003の増設側運転台寄り戸袋窓は、客室窓そのままのサイズの広幅なのが特徴である。
1975年、富士急行線直通の急行「かわぐち」は電車化される形で「アルプス」に統合され、キハ58形は富士急行での運用を失った。
このため3両は有田鉄道に譲渡され、同鉄道のキハ07形を置き換えた。なお入線の際に全車エンジン1台を撤去している。有田鉄道は平坦線のため、1基エンジンでも支障はなかった。001・002は便所・洗面所も撤去している。
長らく有田鉄道での運用が続いたが、利用客の減少が続いた後年には専ら両運転台・単行運転可能な58003のみで運用をまかなうことになった。これにより58001・58002は徐々に稼動する機会を失い、早くに廃車となった。後に樽見鉄道からレールバスのハイモ180が入線してからは、58003も予備車の扱いとなったが、同鉄道の廃止まで在籍し、現存する。
[編集] 製造所(メーカー)
[編集] 現時点の在籍状況
[編集] JR北海道
- キハ56形やキハ27形が在籍していたが、2002年までに全車両廃車
[編集] JR東日本
※一般車両は2007年3月18日のダイヤ改正でキハ110系の導入により花輪線、奥羽本線での運転を終了。同年11月24日限りで山田線での運転も終了し、全車が定期運用を失った。この内、キハ58 1504・1514・1528はミャンマーへ譲渡された。残りの車両は盛岡駅構内に留置されていたが、2008年3月までに全車が土崎工場へ廃車回送されており、このまま解体処分される予定。キハ58 1504,1513,1523,1524,1525,1528は2001年より国鉄色に塗り戻されて運用していた。
- 花輪線直通奥羽本線快速列車で運用されていた。
- キハ58 23(現存するキハ58の最若番車),54,1502、キハ28 2047,2157 全車が旧よねしろ色でアコモ改造車
※仙台からの701系電車転属と運用の見直しに伴い、2008年3月15日のダイヤ改正と同時に運転を終了した。この車両は後日、廃車および解体される事が確定している。
※現在は全車が保留車となっているが、2008年5月・6月にそれぞれ五能線等で臨時列車の運転計画があり、波動用として残存。
- キハ40系定期列車予備運用および、団体・臨時列車での運用
- アコモ改造車:キハ58-414+キハ28-2174(修学旅行色に塗装変更)
※2007年7月までにキハ110系に置き換えられて定期運用を終了した。
- ジョイフルトレイン「こがね」
- キハ59-510+キハ29-506+キハ59-511(すべてグリーン改造車だが、運用上は普通車扱い)
※2008年度下半期にキハE120形8両が導入される予定であり、同所に在籍するキハ52と共に置き換えられて廃車になる可能性が高い。
[編集] JR東海
2002年以降、キロ28形2303号(保存車)のみが在籍していた(実車は美濃太田車両区に留置されていた)が、2008年3月31日付で廃車され、在籍車はなくなった。また、この結果キロ28形は形式消滅となった。
[編集] JR西日本
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- キハ58 1114+キハ28 2360(高岡色・越美北線での運用終了後に高岡へ復帰)
※暖地向け後期型のキハ58形はこの1114号機1両のみが残存する。(山陰本線でのキハ58系削減時に豊岡鉄道部から移籍)
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- キハ58 596+キハ28 2119(国鉄色、運用離脱中・現在は金沢総合車両所松任本所に留置)
- 豪雨災害で一部区間が不通だった越美北線の福井~一乗谷で車両不足による代走を行っていたが、越美北線全線復旧後は運用が消滅した。
- キハ58 1047+キハ28 2466(国鉄色、保留車・現在は金沢総合車両所松任本所に留置)
※上記2両は山陰本線からのキハ58系撤退時に鳥取鉄道部から移籍。
- キハ58 563+キハ28 2329
- 2007年10月、因美線の「みまさかスローライフ列車」に使用するため元所属の広島運転所から下関へ回送、国鉄色へ塗り戻しの後いったん広島所へ戻り、改めて岡山電車区へ転属回送された。雨樋が朱色に塗られている。
- ジョイフルトレイン「ほのぼのSUN-IN」の3両。この内、1両は元「ふれあいSUN-IN」の車両である(残りの2両(キロ59-506、キロ29-503)は既に廃車となっている)。タブレットキャッチャが残る。
- キロ59 505(元ふれあいSUN-IN、塗装変更は行われていない)
- キロ59 551+キロ29 551(ほのぼのSUN-IN)
※ジョイフルトレイン「ふれあいパル」が在籍していたが、2007年10月28日のさよなら運転をもって運用を離脱、その後廃車となった。
[編集] JR四国
JR四国では、2008年秋をめどに定期運用を完全に終了する見通しである。
- キハ28 2148・2152、キハ58 178・198・199が在籍している。
- 土讃線阿波池田~伊野で運用
- キハ28 2002は2007年時点で現存するキハ28の中で最若番車だったが、2008年3月31日付で廃車された。
[編集] JR九州
- 筑豊篠栗鉄道事業部所属のキハ58 716+キハ28 2444の2両が常駐し、臨時・団体列車で運用される。鹿児島総合車両所のキハ58系が廃車となったことで現存する九州標準色のキハ58系はこの2両のみとなった。
このほかに鹿児島総合車両所にも配置があったが、2007年3月18日で定期運用を離脱。その後川内駅に留置されていたが、現在は全車廃車となっている。
[編集] 関連商品
Nゲージ鉄道模型として、関水金属 (KATO) とトミーテック (TOMIX)から発売されている。Bトレインショーティーでも各地域色バリエーションをブラインド発売していた。
16番ゲージ鉄道模型として鉄道模型社、エンドウ、関水金属 (KATO)、フジモデル、小高模型から発売されていた。
[編集] 参考文献
- 石井幸孝『キハ58物語 津々浦々くまなく走ったディーゼル急行1900両』(JTB、2003年) ISBN 4533050077
- 交友社『鉄道ファン』
- 1990年3月号(通巻347号) 特集・急行形気動車30年の歩み
- 2002年1月号(通巻489号) 特集・キハ58系一族
- 斎藤幹雄「タイ国鉄へ渡ったキハ58系レポート」
- 交友社『鉄道ファン』2005年2月号 No.526 p168~p171
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』
- 1987年4月号 特集・キハ58系気動車
- 1991年12月号 No.552 特集・キハ58系の現状
- 2000年6・7月号 No.686・687 特集・キハ58系Ⅰ・Ⅱ
- 2008年3月号 No.801 特集・惜別キハ58系
[編集] 関連項目
- 日本国有鉄道(鉄道省)の気動車 ■Template ■ノート