八代将軍吉宗
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『八代将軍吉宗』(はちだいしょうぐんよしむね)は、1995年1月8日~12月10日にNHKで放送された連続テレビドラマで、第34作目のNHK大河ドラマである。放送期間は同年。平均視聴率は26.4%、最高視聴率は31.4%関東地区・ビデオリサーチ調べ)。
NHK大河ドラマ | ||
通番 | 題名 | 放映期間 |
第33作 | 花の乱 | 1994年4月3日 ~1994年12月25日 |
第34作 | 八代将軍吉宗 | 1995年1月8日 ~1995年12月10日 |
第35作 | 秀吉 | 1996年1月7日 ~1996年12月22日 |
目次 |
[編集] 概要
江戸時代中期、御三家・紀州徳川家の三男として生まれ、徳川将軍となり享保の改革を行い江戸幕府中興の祖とされている徳川吉宗の生涯を描く。将軍綱吉時代の元禄期から吉宗の晩年までを扱い、江戸時代中期の政治劇を扱う作品は『樅ノ木は残った』(1970年)以来25年ぶりである(但し忠臣蔵関連作品を除く)。脚本は1987年の大河ドラマ『独眼竜政宗』や連続テレビ小説『澪つくし』を手がけたジェームス三木で、二度目となる。『政宗』では原作小説を元に書かれたが、本作はオリジナルとなる。
ご当地となる和歌山県や栃木県の日光江戸村においてロケが行われ、NHKスタジオには江戸城大広間や豪奢な名古屋城、江戸市街などのセットが再現された。音楽は池辺晋一郎が全編を担当し、テーマ曲では『独眼竜政宗』の時と同様にオンド・マルトノを用いるなど、新手法を取り入れた特徴のある曲となった。大河ドラマのテーマ曲にしては珍しく、明るく楽しい曲調だった(それでいて元禄時代を彷彿とさせるメロディーだった)点も特徴的だった。また、タイトルバックにはCG映像が使用され、屏風絵や見返り美人を動かすなどの斬新な映像が展開された。同様の手法は1999年の『元禄繚乱』でも使われた。さらに本作品はアバンタイトル前に仲代達矢書の「八代将軍吉宗」の大きな文字が画面に出、オープニングの最初はサブタイトルで始まるという珍しい構成を採っている。2006年6月、時代劇専門チャンネルで全話が再放送された。 本作以降の大河ドラマは基本的に1年間49回の放送である[1]
[編集] 超豪華俳優陣
主演は、8回目の大河ドラマ出演となる西田敏行で、『翔ぶが如く』に続く主役抜擢。津川雅彦・大滝秀治・小林稔侍・石坂浩二・中井貴一・滝田栄・草笛光子・藤村志保など大河主演経験者や出演回数が多く、日本を代表する俳優陣が多く出演した点もドラマの魅力であった。一方で、放送当時それほど知名度が高くなかった俳優にも注目が集まり、中でも吉宗の長男で言語障害がある九代将軍・家重を演じた中村梅雀の、涙を流したりよだれを垂らしたりする迫真の演技は多くの反響を呼び、中村自身の知名度ばかりか、それまで徳川将軍の中では影が薄かった徳川家重の知名度をも上げる結果となった。
[編集] チャンバラのない時代劇
前3作(『琉球の風』『炎立つ』『花の乱』)は大河ドラマにおいて未開拓の時代や地域を扱うことを試み視聴率は低迷していたが、本作品は江戸中期を扱っていながら高視聴率を記録した。時代背景が江戸中期という泰平の世であり、山場となる合戦などのスペクタクルシーンもなく、戦国や幕末と違ってドラマとしては政治劇が中心で劇的な展開を持ち込む事が難しかったにも関わらず、それを逆手にとって「将軍家のホームドラマ」という展開に仕立てあげ、ある時はコミカルに、ある時はシリアスに吉宗の生涯を描き見事に魅力溢れるドラマに仕立て上げた。当時テレビ朝日で放送されていた「暴れん坊将軍」との比較も話題になった。
[編集] ナビゲーター・近松門左衛門
江守徹演じる近松門左衛門がナレーションと史実を解説させるキャラクターとしている試みが最大の特色で、家系図や享保改革などについてパネルや表などを使い、時には「パーティ」「ドラマ」など現代語も交えてわかりやすく説明させている。同様の手法は2000年の『葵徳川三代』でも用いられている(この時は中村梅雀演じる徳川光圀が語り・解説役)。近松は吉宗在世中の享保9年(1724年)に死去しており、以降は「幽霊」として登場。最終回では天国で吉宗と吉宗の父・光貞に1995年当時までの日本の世相を教えた。「さればでござる」のセリフが近松のキャッチフレーズであった。最終回から一週間後の12月17日には「さればでござる・全て見せます大河ドラマ」という特別番組が放送され、これまでの大河ドラマの歴史を振り返り、さらに翌年の大河ドラマ「秀吉」の主演・竹中直人によるミニコントなども放送された。番組のナビゲーターはタイトルからも分かるとおり、近松役の江守徹と、近松家の少女(お梶)役・遠野凪子が務めた。
[編集] あらすじ
紀州藩主・徳川光貞の四男・源六(後の吉宗)はいたずら好きのわんぱくっ子として育ちながらも、その頑強さから父の期待を一心に集める。しかし母・お紋の出自は卑しく、長幼の序の慣例から将来は部屋住みの身分として一生を終えるものと決め込んでいた。
ところが長兄・綱教が早々と亡くなり、後を追うように父・光貞、次兄・頼職も亡くなる。綱教にも頼職にも跡継ぎはなく、遂に吉宗は五代紀州藩主になるべくして収まるが、江戸では五代綱吉、六代家宣、そして幼い七代将軍・家継までもが次々と逝去。
時代は吉宗を八代将軍に推し上げようとしていた。
[編集] スタッフ
- 作:ジェームス三木
- 音楽:池辺晋一郎
- 語り:江守徹
- テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
- テーマ音楽指揮:高関健
- 演奏:東京コンサーツ
- 時代考証:大石慎三郎
- 建築考証:平井聖
- 風俗考証:原島陽一
- 衣装考証:小泉清子
- 能楽指導:喜多六平太
- 所作指導:猿若清三郎
- 殺陣・武術指導:林邦史朗
- 茶道指導:鈴木宗卓
- 邦楽指導:本條秀太郎
- 題字:仲代達矢
- タイトル映像:島正博
- 撮影協力:和歌山県和歌山市、山梨県小淵沢町(現・北杜市)
- 資料提供:国立歴史民俗博物館、名古屋市立博物館、徳川美術館
- 協力:猿若清三郎 社中、米川裕枝 社中、望月喜美 社中、喜多六平太 社中、本條秀太郎 社中、東京楽所
- 浄瑠璃:竹本織太夫
- 三味線:鶴澤清治
- 人形遣い:吉田簑太郎、吉田玉女
- 笛:藤田大五郎
- 小鼓:鵜沢寿
- 太鼓:金春惣右衛門
- 大鼓:柿原崇志
- 地唄:栗谷菊生
- 琴:朝比奈敏文、朝武親百美
- 制作統括:高沢裕之
- 美術:小林喬、青木聖和、清水猛
- 技術:渡辺秀男、佐藤博
- 音響効果:山本浩、田中正男、石川恭男
- 記録・編集:徳島小夜子、小林明子
- 撮影:佐藤彰、永野勇、後藤晋哉、溜昭浩
- 照明:佐野鉄男、竹内信博
- 音声:坂本好和、太田進溌、大塚茂夫、山中義弘、渡部義孝、奈良孝弘
- 映像技術:横瀬公男、芹沢瑛紀、小山雅典、末永隆雄
- 美術進行:金田有司、近藤智司、松谷尚文、小林大介
- 演出:大原誠、清水一彦、尾崎充信、内藤愼介、伊勢田雅也、木村隆文、大橋守
[編集] キャスト
[編集] 将軍・将軍家
- 源六→新之助→松平頼方→徳川吉宗(8代将軍):青柳翔→尾上松也→阪本浩之→西田敏行
- 鷹狩り等の武芸を好むが学問や和歌は苦手、声も体も大きい無骨な大丈夫として描かれている。君主としての明確なビジョンを持ち、幕政改革に挑む。本作では、個性が全く異なる三兄弟の悩める父親としての姿も描かれる。
- ※吉宗が少年から大人になる際に疱瘡に罹患したという設定が与えられ、少年期の吉宗役であった阪本の顔面を包帯で覆い、疱瘡から快癒し包帯を解くと吉宗役が西田になっているというユニークな演出がなされた。
- 鷹狩り等の武芸を好むが学問や和歌は苦手、声も体も大きい無骨な大丈夫として描かれている。君主としての明確なビジョンを持ち、幕政改革に挑む。本作では、個性が全く異なる三兄弟の悩める父親としての姿も描かれる。
- 徳川綱吉(5代将軍):津川雅彦
- 徳川家宣(6代将軍):細川俊之
- 徳川家継(7代将軍・家宣長男):中村梅枝
- 能が大好きで無邪気な少年として描かれている。何気ない一言に周囲の大人たちが思わず面食らう事も。
- 徳川家重(9代将軍・吉宗長男):平野一真→荘田優志→池田貴尉→中村梅雀
- 体が弱く、酒色に耽り、臆病者、狷介な性格の上、言語不明瞭なため次期将軍として各方面から憂慮されるが、心優しい面も描かれた。
- 徳川家治(10代将軍・家重長男):伊勢裕樹→いしいすぐる
- 父と違い聡明で、祖父・吉宗の期待を一心に受ける、吉宗最愛の孫。
- 徳川宗武(吉宗次男):広瀬斗史輝→嶋田伸亨→徳山秀典→山下規介
- 聡明で武芸・学問はもちろん、芸術にも秀でた非の打ち所のない次男として描かれている。家重の対抗馬として諸方面から次期将軍と期待されるが、それが兄との不仲へつながり、ドラマの終盤では一時蟄居させられるなど不遇な目に遭わされた。また、やや八方美人すぎる傾向が見られた。田安家の祖。
- 徳川宗尹(吉宗三男):小林伊織→佐野泰臣→宍戸開
- 徳川重好(家重次男):小野瀬輝
[編集] 将軍家・大奥の女性達
- 桂昌院(綱吉生母):藤間紫(山田五十鈴の予定だったが、事故で降板)
- 綱吉に子が出来ないのを憂い、「生類憐みの令」を作らせた張本人。いくつになっても子離れできない母親として描かれている。
- 鷹司信子(綱吉正室):松原智恵子
- 綱吉の治世に真っ向から異を唱えた事もある勝気な正室。一方で綱吉後嗣の決定には冷静・公平な立場に立つなど、他の時代劇の役柄(例えば『大奥』など)とは違う扱いをされている。
- 右衛門佐(大奥上臈):中田喜子
- 綱吉時代の大奥上臈として絶大な権力を振るった人物。
- お伝の方(綱吉側室):夏木マリ
- 綱吉の唯一の子・鶴姫の生母として権勢を振るう。
- 鶴姫(綱吉息女・綱教正室):斉藤由貴
- 将軍家のアイドル的存在。義弟の吉宗を可愛がり、吉宗と綱吉を引き合わせるきっかけを作った。存命する綱吉の唯一の子であるため、綱吉に溺愛されている。夫婦仲が良く、綱教の将軍就任を後押ししたが、流産の後、若くして死去。
- 大典侍(綱吉側室):床嶋佳子
- 京都から輿入れした若い側室。晩年の綱吉に姪を養女にしたいと願い出てかなえられる。それが竹姫。
- 新典侍(綱吉側室):飛田恵里
- 竹姫(綱吉養女):関友香→森口瑤子(宮崎ますみの予定だったが、出産のため降板)
- 定子(吉保正室):姿晴香
- 吉保の権力保持のため、夫を立て、多くのことに目をつぶる。
- 染子(吉保側室):芦川よしみ
- 綱吉の寵愛めでたい絶世の美人。
- 正親町町子(吉保側室):西山知佐
- 右衛門佐の要請により本当なら綱吉の側室となるべくして京から連れてこられ、吉保の屋敷に滞在していた公家の姫。しかし、綱吉の興味を引かず、そのまま吉保の側室になる羽目に。綱豊(家宣)に献上した側室「お須免の方」の推薦人。
- 近衛煕子→天英院(家宣正室):草笛光子
- 大奥の首座に君臨し、にらみを利かせる江戸城のご意見番。吉宗を立て、一歩引いた目でその治世を見守る。八代将軍継承に置いては独自の構想を持って行動し、その真意が読めないことで周囲から恐れられる。九代将軍には暗愚な家重より夫・家宣に似ている宗武を密かに押し、親族の森姫を正室に迎えさせる。
- お喜世の方→月光院(家宣側室・家継生母):名取裕子
- 七代家継の生母として権勢を振るった、家宣の側室。家宣死後はその美貌で吉宗と懇ろな仲に陥る。天英院の遺言により宗武を九代将軍にしようとする。
- 蓮浄院(お須免・家宣側室):根本りつ子
- 綱吉の命により家宣側室となった公家・櫛笥家出身の姫。柳沢吉保の側室・正親町町子の従兄弟に当たるため推薦された(史実は園池家出身)。楚々とした性格で、月光院とは正反対のタイプとして描かれる。
- 江島(大奥御年寄):あべ静江
- 月光院の罪をかぶり、自らが下手人として名乗り出た人物として描かれる。
- 須磨(吉宗側室・家重生母):賀来千香子
- 紀州で吉宗に見初められた女性。元は頼職のお付になるはずだったが、吉宗が一目ぼれして強引に自分の側室にしてしまった。
- 真宮理子(吉宗正室):山崎直子
- 無骨な吉宗とは不釣合いなほど、おしとやかで優しい女性。生きてきた世界や価値観がまるで違う吉宗に面食らうが、やがてその真っ直ぐな人柄に惹かれるようになる。しかし流産が元で若くして逝去。その後、吉宗は生涯正室を娶らなかった。
- 古牟(吉宗側室・宗武生母):細川ふみえ
- お梅(吉宗側室・宗尹生母):海野圭子
- 久免(吉宗側室):黒木瞳
- 淨圓院の紹介で江戸入りした女性。若いころはそのえくぼが吉宗のお好みだったが、年を重ねるにつれておっちょこちょいな性格が現れ出す。吉宗と最も永く連れ添った側室。
- 比宮培子(家重正室):畠田理恵
- 京都から来た伏見宮家の姫。家重の子を懐妊するが、流産が元で死去。
- お幸(家重側室・家治生母):松原千明
- 公家・梅渓家出身。培子の御付女中であったが、培子の死がきっかけで家重の手付きとなる。姉さん女房である事に吉宗は難色を示すが、世子・家治を産み、側室として認められる。しかし後に、気まぐれな家重の命で隠居所である二の丸に別居させられる。
- お逸(家重側室・重好生母):寺島しのぶ
- 父の出自が浪人であるため、側室に迎えることを吉宗から大反対される。しかし次男・清水重好を産み、側室として認められる。
- 瀬川(紀州藩女中→大奥上臈):鷲尾真知子
- お紋の方付きだった女中で、江戸への偵察役として久免と共に江戸城入り、大奥の上臈となる。幼少時の吉宗に廊下で鉢合わせになり光貞に出すお膳をすべてぶちまけたことがあり、上臈となってもかなりそそっかしい。
[編集] 紀州藩・吉宗家臣
- 徳川光貞(二代紀州藩主・吉宗の父):大滝秀治
- 吉宗に武士としての誇りを徹底的に叩き込んだ厳格な父。元気で活発な吉宗に大いに期待をかけた。老齢にもかかわらず、すぐ女性に手を出してしまう。最終回、天国で己の治世を悔いる吉宗を、「卑怯な振る舞いがなかったならばそれでよい」と励ました。
- 加納久通(吉宗家臣):小林稔侍
- 吉宗の傅役として生涯を吉宗にささげた男。弱気になる吉宗を時に殴りつけるなど、吉宗を厳格に育て上げた。家重の廃嫡論に真っ向から異を唱え、吉宗を翻意させる。ちなみに小林稔侍は本作の中で一話から最終話まで全話に出演している唯一の人物であり、影の主役とも言える。
- 有馬氏倫(吉宗家臣):すまけい
- 御用取次ぎ役として吉宗に仕える。久通とはライバルで、何かと喧嘩し吉宗に怒られる。本音がすぐ顔と言葉に出るひょうきんな性格だが、お庭番を総括するなど幕府の威光を保つため、時に厳格な一面も覗かせる。
- お紋(淨圓院、光貞側室・吉宗の母):山田邦子
- 極めて慎み深い、無欲な女性として描かれる。百姓の娘で、百姓の心を常に吉宗に説き、吉宗が米将軍と呼ばれるまでに農政に執着したきっかけを与えた。
- 松平頼純(伊予西条藩主・光貞の弟):藤岡琢也
- 吉宗も慕う気さくでひょうきんな叔父。だが嫡男・頼雄を廃嫡にするなど厳格な一面ものぞかせた。
- 徳川綱教(三代紀州藩主・光貞長男):辰巳琢郎
- 聡明で武芸にも秀で、綱吉からも一目置かれた人物。そのため綱吉の次の将軍の座を大いに期待されるも、志半ばでこの世を去る。他の女には目もくれず、妻の鶴姫を生涯愛し続けた。
- 松平頼職→徳川頼職(四代紀州藩主・光貞三男):荒木計志郎→木村直雄樹→野口五郎
- 父・光貞を非常に慕う孝行息子でありながら、家臣や女中を足蹴に扱うなど暗愚で偏屈な行動をみせ、極端な性格の男として描かれる。自分を立てようとしない吉宗を大いに嫌った。自分の侍女になるはずだった須磨を吉宗に奪われた際は、吉宗と大喧嘩を繰り広げる。水野重上の諫言も聞かず、危篤の父の看病に帰国する途中で急に容態が悪化、和歌山で変死。
- 松平頼致→徳川宗直(頼純次男・六代紀州藩主):戸田都康→柄本明
- 三浦為隆(紀州藩家臣):竜雷太
- 紀州家に長年使えた家老。吉宗の将軍就任の折も、あえて紀州を離れず、家老として生涯を全うした。
- 水野重上(紀州藩家臣):黒沢年男
- 紀州家の家臣。生真面目な性格だが、相当な笑い上戸でもあり、ひときわ大きい声で笑う。
- 加納政直(吉宗養父・紀州藩家臣):牟田悌三
- 加納久通の父。幼少の吉宗の養父として吉宗を育てる。吉宗元服時の烏帽子親にもなった。
- 松平頼雄(頼純長男):寺泉憲
- 豊島半之丞→土岐朝治:福田豊土
- 紀州家の古家臣だが、吉宗の将軍就任に際し江戸詰めとなる。家重の養育係を拝命される。
- 小笠原胤次(紀州藩家臣):森田順平
- 紀州家に長年仕え、吉宗の将軍就任に際し江戸詰めとなる。しかし環境の激変で精神を病み、まもなく隠居。
- 中条平助:藤森一朗
- 聞是院の甥・吉宗近習番。
- 伏見宮照子→天真院(光貞正室):藤村志保
- しとやかで優しい、光貞の正室。わんぱくな吉宗を温かく見守る。
- 志保→真如院(光貞側室・頼職生母):三林京子
- 大柄で勝気な女性。お紋・吉宗母子と折り合いが悪く、光貞に何かと悪口を告げ、光貞によく怒られる。吉宗が藩主になってからも難題を言って吉宗を困らせるが、それは息子を亡くして寂しかったからだった。
- 千草→聞是院(光貞側室):かとうれいこ
- 若い美女で光貞にひいきされる。志保とは犬猿の仲。
- 栄姫(光貞長女・上杉綱憲正室):五大路子
- 吉宗が初めて江戸に行ったときに初対面したかなり歳の離れた姉。赤穂事件の時に夫と共に紀州藩に加勢を要請するが、断られてしまう。
- 育姫(光貞次女):小田茜
- 吉宗の姉で幼い吉宗をよく可愛がった。佐竹義苗に嫁ぐがまもなく死去。
- お常(吉宗養母・加納政直側室):丘みつ子
- 幼い吉宗の養母として吉宗を育てる。お紋を説得し、和歌山城にお紋を引き入れた。
[編集] 尾張藩
- 松平通春→徳川宗春(七代尾張藩主・綱誠十九男):中井貴一
- 吉宗の質素倹約制度に真っ向から異を唱え、奢侈贅沢を奨励した、吉宗最大のライバル。しかし放蕩がたたって尾張藩の財政破綻を導いた責により蟄居謹慎を申し付けられる。
- 徳川光友(二代尾張藩主):根上淳
- 綱誠の将軍擁立を目指し光貞に対抗するが、早くに綱誠を亡くし、痴呆も進むなど失意の中逝去する。吉通・継友・宗春の祖父。
- 千代姫→霊仙院(光友正室):中村メイコ
- 光友の正室で綱吉の姉でもある。夫を尻に敷いているため、綱吉も思わず光友をねぎらってしまう。甲高い声が特徴。
- 徳川綱誠(三代尾張藩主・光友長男):中山仁
- 綱教のライバルとして君臨するが、草苺に食当たりし、志半ばで逝去する。吉通・継友・宗春の父。
- 本寿院(綱誠側室・吉通生母):五月みどり
- 若い家臣と逢瀬を重ねる稀代の悪女。尾張藩の治世にいちいち口を挟み、家臣達から疎まれる。
- 徳川吉通(四代尾張藩主・綱誠九男):高橋政洋→堤真一
- 聡明の藩主であったが、将軍継承騒動で翻弄された上、母・本寿院にも振り回され、深酒がたたり、突如吐血して変死する。
- 徳川五郎太(五代尾張藩主):伊藤公紀
- 吉通の変死に伴い跡を継ぐが、早世。
- 徳川継友(六代尾張藩主・綱誠十一男):羽賀研二
- 吉宗と将軍継嗣を争うが敗北。以後は逸る宗春を制しつつ、吉宗に従順な姿勢を見せる。
- 徳川宗勝(八代尾張藩主):新藤栄作
- 宗春の従兄弟。宗春の蟄居謹慎をもって八代藩主に就任。
- 宣楊院(綱誠側室・宗春生母):八千草薫
- 子の宗春とは正反対の性格の、慎み深い女性。
- 成瀬隼人正(尾張藩家臣):寺田農
- 宗春の忠実な家臣であるが、吉宗に尾張藩乗っ取りの動きがあるのを知って懸命に奔走、ピンチを救う。
- 竹腰正武(尾張藩家臣):誠直也
- 成瀬隼人正とともに宗春の家臣として従順に振舞う。
- 星野織部(宗春小姓→側用人):石橋保
- 早くから宗春に忠実に仕えてきた家臣。宗春を思う余り、竹腰、成瀬の家老に口答えすることも。
[編集] 水戸藩
- 徳川光圀(二代水戸藩主):長門裕之
- 将軍の前でもずけずけと物を言う、江戸城きっての論客にして御意見番。その直言には綱吉も閉口してしまう。六代将軍に早くから綱豊(家宣)を推していた。
- 徳川綱條(三代水戸藩主):山本圭
- 光圀の甥で、養子となり、水戸家を継ぐ。吉宗の将軍擁立に協力。
- 徳川宗堯(四代水戸藩主):西村和彦
- 徳川宗翰(五代水戸藩主):長瀬優秀→小栗旬
[編集] 幕閣
- 土屋政直(老中):名古屋章
- 綱吉~吉宗時代初期の老中。紀州藩と昵懇で、吉宗の将軍就任をサポートする。
- 大久保忠朝(老中):久米明
- 綱吉時代の老中。鶴姫とともに、吉宗と綱吉を引き合わせるきっかけを作った人物。
- 阿部正武(老中):久富惟晴
- 綱吉時代の老中で元禄期の幕政をリードした。阿部正能の長男で、正喬の父。
- 柳沢吉保(側用人):榎木孝明
- 綱吉の側用人として絶大な権力を振るう実力者。家宣の将軍就任により失脚。
- 秋元喬知(老中):滝田裕介
- 綱吉~家宣時代の老中。甲府藩主となった柳沢に代わり、川越藩の藩主となる。家宣~吉宗時代に老中を務めた戸田忠真の兄。
- 久世重之(老中):山本學
- 綱吉~吉宗時代初期の老中。土屋政直と共に吉宗の将軍就任をサポート。その後も吉宗が嫌っていた新井白石と親交を持つなど気骨のある人柄に描かれていた。江戸城中で脳卒中により急死。
- 井上正岑(老中):石濱朗
- 綱吉~吉宗時代初期の老中。妻が松平頼純の娘(光貞の姪)であったことから、吉宗の藩主就任時の根回しを要請される。
- 荻原重秀(勘定奉行):中島久之
- 綱吉時代の勘定奉行として財政再建に励むが、新井白石との対立により失脚。
- 松平輝貞(側用人):谷村昌彦
- 綱吉の側用人だが、綱吉時代は柳沢吉保の陰に隠れ、家宣時代は間部・新井のコンビに追われて失脚。吉宗の時に間部・新井への当てつけのように元の地位を回復するが、加納・有馬が活躍する中でやはり影は薄かった。後、老中へのご意見役となる。
- 牧野成貞(側用人):可知靖之
- 綱吉の側用人として君臨するが、しだいにその座を吉保に奪われる。
- 荻生徂徠(儒学者):津嘉山正種
- 綱吉と吉宗の治世に数々の助言を与えた儒学者。ただ、勉強嫌いの吉宗にとって徂徠の話は理解が難しかったようだ。
- 林信篤(儒学者):鈴木瑞穂
- 長年に渡り幕府のお抱え儒学者として奉職。吉宗の信頼も厚かった。
- 阿部正喬(老中):秋野太作
- 家宣~吉宗時代初期の老中であったが、鷹狩りを止めるよう諫言したことで吉宗の不興を買い、失脚。その後も度々江戸城に登城し加納久通に老中再任を要求するなど、未練がましい性格の人物に描かれていた。なお、史実では吉宗は老中の更迭はしておらず、正喬は藩政に専念するために辞任したとされる。
- 戸田忠真(老中):矢野宣
- 家宣の代から仕えている老中。吉宗のやり方には否定的。年齢のせいかろれつが回らず、有馬につっこみをいれられている。
- 間部詮房(側用人):石坂浩二
- 吉保に成り代わり、家宣・家継二代の側用人として君臨。吉宗の将軍就任により失脚。
- 新井白石(儒学者):佐藤慶
- 家宣のお抱え学者として正徳の治をリードする論争の鬼。吉宗将軍就任により失脚。不遇な余生を過ごすはめに。
- 成島道筑(儒学者):江幡高志
- 室鳩巣(儒学者):橋爪功
- 加賀藩からスカウトされた吉宗のお抱え学者。家重の筆頭教育係も任される。結構吉宗の痛いところもズバズバ突くタイプに描かれていた。
- 大岡忠相(江戸町奉行):滝田栄
- 井伊直該(大老):児玉謙次
- 水野忠之(老中):石立鉄男[2]
- その明晰さをもって吉宗に迎えられた老中。しかし万事にやり方が苛烈なため諸臣と衝突することが多かった。後、宗堯逝去の責任をとり辞任する(史実では1731年に没している)。
- 安藤信友(大坂城代→老中→西の丸家重付老中):仲谷昇
- 上方の事情に詳しく、心中物の禁止に一役買ってしまった人物。その結果、商売の種を失った近松を嘆かせることに。
- 松平乗邑(老中):阿部寛
- 冷静沈着でかつ豪腕な、吉宗の治世に数々の貢献を果たした老中。幕府の行く末を案じ、家重廃嫡・宗武擁立を試みる。しかし家重廃嫡の計画が公になり、失脚する(史実では次男の宗武を将軍に推挙していた)。
- 松平信祝(老中):西岡徳馬
- 豪胆な手腕が評価され水野忠之の後任に登用された老中。吉宗の治世に大いに貢献する。
- 本多忠良(西の丸家重付き老中→老中):仲恭司
- 吉宗の命でお幸の方を京に帰そうとするが、家重の怒りを買って蟄居。見かねた松平乗邑によって本丸老中に引き抜かれる。後に、乗邑と共に宗武擁立派となる。
- 大岡忠光(家重付小姓):天宮良
- 家重の幼少時よりその側で仕え、そのわがままに耐え抜く苦労人。言語不明瞭な家重の言葉を唯一理解できる人物。
- 神尾春央(勘定奉行):ささきいさお
- 吉宗時代の後期に勘定奉行として活躍。
- 松平武元(二の丸老中):香川照之
- 戸田忠昌(老中):稲垣昭三
- 綱吉時代の老中。忠真の父。
- 小笠原長重(老中):坂口芳貞
- 本多正永(老中):真弓田一夫
- 大久保常春(老中):池上尚吾
- 大久保忠増(老中):小瀬格
- 松平乗賢(老中):鶴田忍
- 酒井忠寄(老中):刀坂悟
- 酒井忠音(老中):高岡建治
- 堀田正亮(老中):板倉哲
- 酒井忠恭(老中):草川祐馬
- 本多正珍(老中):山田敦彦
- 堀田正亮、酒井忠恭、本多正珍は家重が将軍になるに当たって吉宗によって苦心の末抜擢された老中だが、やったことと言えば吉宗生涯の念願であった上洛を取りやめさせたことぐらいで、恒に家重のわがままに振り回され、最後には吉宗に泣きつく。酒井に至っては家重に諫言したあげく「将軍の威勢を示すため」に簡単に罷免されるなど、無能に描かれていた。
- 田沼意行(旗本、意次の父):志村東吾
- 井上正之(寺社奉行):石井愃一
- 仙石久尚(大目付):阿部六郎
- 田沼意次(旗本、家重小姓→吉宗取次役):小林健[3]
- 家重付きの小姓として家重の日常生活をサポートする。後、加納久通の推挙により吉宗最晩年の取次役となる。
- 吉良義央(高家):柳生博
- 紀州藩と遠縁に当たる高家。浅野長矩に江戸城で傷つけられ、幕府に大論争を巻き起こす。
- 松平定行(小姓組頭):有川博
[編集] その他
- 隆光(僧侶):磯部勉
- 桂昌院の寵愛を受け、絶大な権力を持った祈祷師。「生類憐みの令」を作った張本人の一人。
- 生島新五郎(歌舞伎役者):堀内正美
- 月光院の望みにより大奥に入った歌舞伎役者。
- 石田梅岩(思想家):岩下浩
- 丹羽正伯(本草学者):浅野和之
- 柳沢吉里(吉保の子):森田剛
- 小川笙船(小石川養生所医師):河原崎長一郎
- 山下幸内(浪人):北村和夫
- 前田綱紀(加賀藩主):高松英郎
- 「名君」「ご意見番」として歴代将軍も一目を置く第4代加賀藩主。竹姫を前田吉徳の後妻にしようという吉宗の申し出を見事な弁舌で断った(史実とは異なる)。
- 上杉綱憲(米沢藩主):速水亮
- 妻は徳川光貞の娘・栄姫。その縁で元禄赤穂事件の際には紀州藩の支援を願い出るが、綱教の将軍継承に影響を出るのを嫌った頼純に断られてしまう。
- 浅野内匠頭(赤穂藩主):隆大介(『峠の群像』より流用)
- 大石内蔵助(赤穂藩城代家老):江守徹(『元禄太平記』より流用、ただ顔は映っていない)
- 松平重富(福井藩主):前田賢
- 一橋宗尹と正室・一条俊姫(一条兼香の娘)の間に生まれた嫡男でありながら、家重の命により無理矢理他家に養子に出される。
- 成瀬正親(犬山藩主):武内亨
- 浅野吉長(広島藩主):矢島健一
- 毛利師就(長府藩主):千田悟
- 柳生俊方(柳生藩主):勝光徳
- 土岐頼稔(沼田藩主):内山森彦
- 松平武雅(館林藩主):河田祐幸
- 松平頼渡(西条藩主):中崎達也
- 松平頼貞(守山藩主):守田比呂也
- 島津継豊(薩摩藩主):森永健司
- 島津益之助(薩摩藩世子):宮本大輝
- 近衛基煕(関白):菅原謙次
- 天英院煕子の父。娘の縁でたびたび江戸に下向。天英院の回想によると、吉宗の和歌を詠んであまりの下手さに公衆の面前でふいたことがあるらしい。
- 紀伊国屋文左衛門(商人):小西博之
- 吉宗に吉原でおごった事もある大商人。綱吉の治世におおっぴらに文句を言った。
- 芸人:ストロング金剛
- お勢:篠倉伸子
- 出羽国長瀞村農民・弥次郎:蔵野孝洋
- 出羽国長瀞村農民・九助:ぜんじろう
- 伊豆甚(両替商):宮尾すすむ
- 三井(両替商):北村総一朗
- 天一坊(自称吉宗の御落胤):京本政樹
- 吉宗が紀州で部屋住みの頃に山伏の娘に産ませた子と自称。吉宗本人は心当たりがあると言うが、周囲は全く似ていないという事で磔にされる。
- 春日野(吉原の花魁):伊牟田麻矢→吉川十和子
- 吉原の道路で花売り行商をしていた身よりのない少女。松平通春(後の徳川宗春)が拾い、馴染みの女郎屋に預けて吉原一の花魁に成長させた。源氏名「小式部」を名乗っていたが、宗春の諱をもらい「春日野」と改名。後、宗春に身請けされて側室に。
- 町人:大島蓉子
- その他:山崎満、森康子、加藤治、月見恭子
- 竹本義太夫(浄瑠璃師):津村鷹志
- 近松家の少女→お梶(近松のアシスタント):遠野凪子
- 語り部・近松の娘(史実とは異なる)。アシスタントとしてフリップを示したり、小道具を運んだりし、劇中でのセリフは2度しかなかった。
- 近松門左衛門(浄瑠璃作家・語り):江守徹
- 大河ドラマ史上最もインパクトを与えた語り役。語り役になったきっかけは、自らの作品が幕府から規制されだしたため、「将軍家のお家事情をつまびらかにし、頭の堅い役人に一泡吹かせる」という憂さ晴らしである。死後は幽霊としてあちこちに神出鬼没し、物語をさらに盛り上げた。本作になくてはならない人物である。尚江守が語りであるからか、赤穂浪士の討入りの場面は江守が大石内蔵助に扮した元禄太平記のシーンが流用されている(顔は映っていない)。視聴者から「何故大石が出ないのか」という質問が来た際、アヴァンタイトルで近松が「この時の大石はそれがしだからでござる」と説明した事もある。余談だが近松自身も宝永三年(1706年)、この事件を題材にした浄瑠璃碁盤太平記を著している。
[編集] 放送日程
※第10回のみ出演者多数のためオープニングが10秒程度長かった。
※7月23日は参議院選挙速報のため休止
放送回 | 放送日 | 題 | 演出 |
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第1回 | 1995年1月8日 | 母の肖像 | |
第2回 | 1995年1月15日 | お犬さま | |
第3回 | 1995年1月22日 | 将軍の娘 | |
第4回 | 1995年1月29日 | 殿様の子 | |
第5回 | 1995年2月5日 | 江戸の迷子 | |
第6回 | 1995年2月12日 | 親の七光り | |
第7回 | 1995年2月19日 | 草いちご | |
第8回 | 1995年2月26日 | 綱引き | |
第9回 | 1995年3月5日 | 刃傷松の廊下 | |
第10回 | 1995年3月12日 | 恋ごころ | |
第12回 | 1995年3月19日 | 赤穂浪士 | |
第12回 | 1995年3月26日 | 鶴姫の死 | |
第13回 | 1995年4月2日 | 紀州の悲劇 | |
第14回 | 1995年4月9日 | 出世街道 | |
第15回 | 1995年4月16日 | 花嫁教育 | |
第16回 | 1995年4月23日 | はだか大名 | |
第17回 | 1995年4月30日 | 綱吉の薨去 | |
第18回 | 1995年5月7日 | 報復人事 | |
第18回 | 1995年5月14日 | 名君づくり | |
第20回 | 1995年5月21日 | 論争の鬼 | |
第21回 | 1995年5月28日 | 将軍は四才 | |
第22回 | 1995年6月4日 | 裏工作 | |
第23回 | 1995年6月11日 | 江島生島 | |
第24回 | 1995年6月18日 | へその曲げ方 | |
第25回 | 1995年6月25日 | 男の花道 | |
第26回 | 1995年7月2日 | 美女お断り | |
第27回 | 1995年7月9日 | 中間管理職 | |
第28回 | 1995年7月16日 | 大奥の首座 | |
第29回 | 1995年7月30日 | 勧農抑商 | 尾崎充信 |
第30回 | 1995年8月6日 | いろは四十七組 | |
第31回 | 1995年8月13日 | 目安箱 | |
第32回 | 1995年8月20日 | 心中禁止令 | |
第33回 | 1995年8月27日 | 法の矛盾 | |
第34回 | 1995年9月3日 | 近松昇天 | |
第35回 | 1995年9月10日 | 父の背中 | |
第36回 | 1995年9月17日 | 女難の相 | |
第37回 | 1995年9月24日 | 天一坊始末 | |
第38回 | 1995年10月1日 | 風雲児宗春 | |
第39回 | 1995年10月8日 | 自由にて候 | 大原誠 |
第40回 | 1995年10月15日 | 都鳥あわれ | |
第41回 | 1995年10月22日 | 八木将軍 | |
第42回 | 1995年10月29日 | 後継者 | |
第43回 | 1995年11月5日 | 君主の条件 | |
第44回 | 1995年11月12日 | 三兄弟 | |
第45回 | 1995年11月19日 | みかんの木 | |
第46回 | 1995年11月26日 | 決断 | |
第47回 | 1995年12月3日 | 大御所 | |
最終回 | 1995年12月10日 | 祭ばやし | 清水一彦 |
[編集] 総集編
- 第一部「紀州の殿様」
- 第二部「将軍の座」
- 第三部「祭ばやし」
[編集] 注釈
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1960年代 | 花の生涯 - 赤穂浪士 - 太閤記 - 源義経 - 三姉妹 - 竜馬がゆく - 天と地と |
1970年代 | 樅ノ木は残った - 春の坂道 - 新・平家物語 - 国盗り物語 - 勝海舟 - 元禄太平記 - 風と雲と虹と - 花神 - 黄金の日日 - 草燃える |
1980年代 | 獅子の時代 - おんな太閤記 - 峠の群像 - 徳川家康 - 山河燃ゆ - 春の波涛 - いのち - 独眼竜政宗 - 武田信玄 - 春日局 |
80年代・NHK新大型時代劇 | 宮本武蔵 - 真田太平記 - 武蔵坊弁慶 |
1990年代 | 翔ぶが如く - 太平記 - 信長 KING OF ZIPANGU - 琉球の風 - 炎立つ - 花の乱 - 八代将軍吉宗 - 秀吉 - 毛利元就 - 徳川慶喜 - 元禄繚乱 |
2000年代 | 葵徳川三代 - 北条時宗 - 利家とまつ〜加賀百万石物語〜 - 武蔵 MUSASHI - 新選組! - 義経 - 功名が辻 - 風林火山 - 篤姫 - 天地人 |
21世紀スペシャル大河ドラマ | 坂の上の雲 |
2010年代 | 龍馬伝 |