井上正之
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時代 | 江戸時代中期 | |||
生誕 | 元禄9年(1696年) | |||
死没 | 元文2年9月17日(1737年10月10日) | |||
別名 | 繁之助(幼名)、正伸、正如(別名) | |||
墓所 | 東京都豊島区南池袋の雑司ヶ谷墓地 | |||
戒名 | 顕明日輝耕雲院 | |||
官位 | 従五位下、河内守 | |||
幕府 | 江戸幕府奏者番兼寺社奉行 | |||
藩 | 常陸笠間藩主 | |||
氏族 | 酒井氏→井上氏 | |||
父母 | 父:酒井重英、母:小出有重の娘 養父:井上正岑 |
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妻 | 正室:本多忠次の娘 | |||
子 | 1男2女:井上正経(長男)、娘(森忠洪正室) |
井上 正之(いのうえ まさゆき)は、常陸笠間藩の第4代藩主。浜松藩井上家5代。
第2代藩主・井上正任の五男である旗本・酒井重英の長男として元禄9年(1696年)に生まれる。宝永元年(1704年)10月11日に、伯父である第3代藩主・井上正岑の養子となる。享保7年(1722年)、正岑の死去により家督を継いで第4代藩主となる。
享保9年(1724年)2月18日に奏者番に任じられ、享保13年(1728年)7月6日に寺社奉行を兼任する形で任じられた。元文元年(1736年)6月7日、病気により奏者番・寺社奉行の辞任を求めたが許されず、元文2年(1737年)9月17日に死去するまで在任することとなった。享年42。
後を長男・正経が継いだ。
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