有馬記念
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有馬記念(グランプリ) | |
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開催地 | 中山競馬場 |
施行日 | 2008年12月28日 |
格付け | GI |
1着賞金 | 1億8000万円 |
距離 | 芝2500m |
出走条件 | サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)[1] |
負担重量 | 3歳55kg、4歳以上57kg (牝馬2kg減) |
第1回 施行日 |
1956年12月23日 |
有馬記念(ありまきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場の芝内回り2500mで施行する中央競馬の重賞(GI)競走である。
正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会賞。
このレースはJRAプレミアム対象レースとなっている(同日に開催される中央競馬の全競馬場の全特別競走もJRAプレミアムの対象レースとなっている)。
目次 |
[編集] 概要
1955年まで、暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが、東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにと、ファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式を導入。プロ野球のオールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法(他に推薦委員会による推薦馬選出方法)であった。[2](のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)。第1回中山グランプリは1956年12月23日に中山競馬場の芝外回り2600mで開催された[3]。なお、八大競走の中では唯一開催地変更が無いレースでもある。
しかし、第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月10日に提唱者の有馬が急逝したため、その数々の功績を称えて、第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。
また、出走メンバーの豪華さや夢のあるレースを目標に創設されたことから、ドリームレースや競馬の実力日本一を決めるレースなどとも言われる。その異名に違いはなく、これまでも中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでいる。中央競馬の一年間を締めくくる総決算として、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる一日となる。但し、有馬記念を最大目標にしてくる陣営は少なく、たいていは秋のGIシリーズ(菊花賞、天皇賞(秋)、ジャパンカップ等)に最大目標を定め何回かレースに出走してくる馬が多いのが特徴である。
競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。
なお、地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回有馬記念では初めて12月28日に行われた。
1996年の第41回競走で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス・ワールド・レコーズに認定・登録されている。
現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。
[編集] 選出方法
- ファン投票は公式投票用紙(競馬場、ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能だが、1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と、郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
- ファン投票上位10頭が優先的に出走権利を獲得(中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、『アラブの怪物』の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたものの、アラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。)。
- 残り(フルゲート16頭)は過去1年間の収得賞金額などを加味して決定される(地方競馬所属馬もこの方法で選出される)。
- 2000年から2006年までジャパンカップで優勝した外国調教馬にも出走権利が与えられ、該当馬が2頭いたがいずれも行使しなかった。
- 2007年からは国際競走となり外国調教馬は4頭まで出走可能となる。
[編集] 歴代ファン投票1位
[編集] 特別報奨金
2000年度から天皇賞(秋)、ジャパンカップとこのレースの秋季主要GI競走3競走を全て優勝した場合は1億円の特別報奨金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を贈呈する制度が取り入れられ、その年のテイエムオペラオーが早速それを達成して報奨金を獲得した。そして2004年、4年ぶりにゼンノロブロイが第2号の獲得馬になった。
[編集] 歴史
- 1956年 - 中山競馬場の芝2600m(外回り)の混合重賞競走「中山グランプリ」として創設。
- 1957年 - 名称を「有馬記念」に変更。
- 1959年 - この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
- 1965年 - シンザンが優勝し五冠達成。
- 1966年 - 馬場改修に伴い施行コースを芝2500m(内回り)に変更。
- 1970年 - スピードシンボリが史上初の連覇。
- 1977年 - テンポイントとトウショウボーイのマッチレース、テンポイントが優勝。
- 1984年 - グレード制施行によりGIに格付け。
- 1985年
- 1988年 - 3位入線のスーパークリークが進路妨害により失格。
- 1989年 - 1着賞金総額が1億円台となる。
- 1990年 - 平成のアイドルホースオグリキャップが優勝し、レース後場内が「オグリ」コールに包まれる。
- 1993年 - トウカイテイオーが約1年ぶりの出走で奇跡の復活を果たす。
- 1995年 - 特別指定競走に指定。
- 1996年 - 単独競走としての勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
- 1999年 - グラスワンダーが史上3頭目の連覇。
- 2000年 - テイエムオペラオーが優勝し、JRA古馬中長距離GI競走[4]完全制覇を達成。
- 2001年 - 愛子内親王御誕生慶祝の副称が当年のみにつく。
- 2003年 - シンボリクリスエスが史上4頭目の連覇。
- 2004年
- 2006年 - この競走で引退を表明していたディープインパクトが優勝し、史上3頭目のJRA・GI競走7勝を達成。
- 2007年 - 国際競走となり、外国調教馬が4頭まで出走可能となる。
[編集] 歴代優勝馬
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
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第1回 | 1956年12月23日 | メイヂヒカリ | 牡4 | 2:43 1/5 | 蛯名武五郎 | 藤本冨良 | 新田松江 |
第2回 | 1957年12月22日 | ハクチカラ | 牡4 | 2:49 0/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 西博 |
第3回 | 1958年12月21日 | オンワードゼア | 牡4 | 2:49 1/5 | 八木沢勝美 | 二本柳俊夫 | 樫山純三 |
第4回 | 1959年12月20日 | ガーネツト | 牝4 | 2:50.9 | 伊藤竹男 | 稗田敏男 | 畑江五郎 |
第5回 | 1960年12月18日 | スターロツチ | 牝3 | 2:44.5 | 高松三太 | 松山吉三郎 | 藤井金次郎 |
第6回 | 1961年12月24日 | ホマレボシ | 牡4 | 2:40.8 | 高松三太 | 稗田敏男 | 川口文子 |
第7回 | 1962年12月23日 | オンスロート | 牡5 | 2:44.4 | 山岡忞 | 中村広 | 田村喜志 |
第8回 | 1963年12月22日 | リユウフオーレル | 牡4 | 2:42.5 | 宮本悳 | 橋本正晴 | 三好笑子 |
第9回 | 1964年12月27日 | ヤマトキヨウダイ | 牡4 | 2:45.1 | 梶与四松 | 稲葉幸夫 | 門井みち |
第10回 | 1965年12月26日 | シンザン | 牡4 | 2:47.2 | 松本善登 | 武田文吾 | 橋元幸吉 |
第11回 | 1966年12月25日 | コレヒデ | 牡4 | 2:37.0 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 千明康 |
第12回 | 1967年12月24日 | カブトシロー | 牡5 | 2:39.7 | 大崎昭一 | 久保田彦之 | (有)志賀 |
第13回 | 1968年12月22日 | リュウズキ | 牡4 | 2:46.2 | 森安弘明 | 矢倉玉男 | 福井章哉 |
第14回 | 1969年12月21日 | スピードシンボリ | 牡6 | 2:35.1 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
第15回 | 1970年12月20日 | スピードシンボリ | 牡7 | 2:35.7 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
第16回 | 1971年12月19日 | トウメイ | 牝5 | 2:36.0 | 清水英次 | 坂田正行 | 近藤克夫 |
第17回 | 1972年12月17日 | イシノヒカル | 牡3 | 2:38.5 | 増沢末夫 | 浅野武志 | 石嶋清仁 |
第18回 | 1973年12月16日 | ストロングエイト | 牡4 | 2:36.4 | 中島啓之 | 奥平真治 | ハイランド牧場 |
第19回 | 1974年12月15日 | タニノチカラ | 牡5 | 2:35.9 | 田島日出雄 | 島崎宏 | 谷水雄三 |
第20回 | 1975年12月14日 | イシノアラシ | 牡3 | 2:38.1 | 加賀武見 | 浅野武志 | 石嶋清仁 |
第21回 | 1976年12月19日 | トウショウボーイ | 牡3 | 2:34.0 | 武邦彦 | 保田隆芳 | トウショウ産業(株) |
第22回 | 1977年12月18日 | テンポイント | 牡4 | 2:34.5 | 鹿戸明 | 小川佐助 | 高田久成 |
第23回 | 1978年12月17日 | カネミノブ | 牡4 | 2:33.4 | 加賀武見 | 阿部新生 | 角替光二 |
第24回 | 1979年12月16日 | グリーングラス | 牡6 | 2:35.4 | 大崎昭一 | 中野隆良 | 半沢吉四郎 |
第25回 | 1980年12月21日 | ホウヨウボーイ | 牡5 | 2:33.7 | 加藤和宏 | 二本柳俊夫 | 古川嘉治 |
第26回 | 1981年12月20日 | アンバーシャダイ | 牡4 | 2:35.5 | 東信二 | 二本柳俊夫 | 吉田善哉 |
第27回 | 1982年12月26日 | ヒカリデユール | 牡5 | 2:36.7 | 河内洋 | 須貝彦三 | 橋本善吉 |
第28回 | 1983年12月25日 | リードホーユー | 牡3 | 2:34.0 | 田原成貴 | 服部正利 | 熊本芳雄 |
第29回 | 1984年12月23日 | シンボリルドルフ | 牡3 | 2:32.8 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | 和田農林(有) |
第30回 | 1985年12月22日 | シンボリルドルフ | 牡4 | 2:33.1 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | 和田農林(有) |
第31回 | 1986年12月21日 | ダイナガリバー | 牡3 | 2:34.0 | 増沢末夫 | 松山吉三郎 | (有)社台レースホース |
第32回 | 1987年12月27日 | メジロデュレン | 牡4 | 2:33.9 | 村本善之 | 池江泰郎 | メジロ商事(株) |
第33回 | 1988年12月25日 | オグリキャップ | 牡3 | 2:33.9 | 岡部幸雄 | 瀬戸口勉 | 佐橋五十雄 |
第34回 | 1989年12月24日 | イナリワン | 牡5 | 2:31.7 | 柴田政人 | 鈴木清 | 保手浜弘規 |
第35回 | 1990年12月23日 | オグリキャップ | 牡5 | 2:34.2 | 武豊 | 瀬戸口勉 | 近藤俊典 |
第36回 | 1991年12月22日 | ダイユウサク | 牡6 | 2:30.6 | 熊沢重文 | 内藤繁春 | 橋本幸平 |
第37回 | 1992年12月27日 | メジロパーマー | 牡5 | 2:33.5 | 山田泰誠 | 大久保正陽 | (有)メジロ牧場 |
第38回 | 1993年12月26日 | トウカイテイオー | 牡5 | 2:30.9 | 田原成貴 | 松元省一 | 内村正則 |
第39回 | 1994年12月25日 | ナリタブライアン | 牡3 | 2:32.2 | 南井克巳 | 大久保正陽 | 山路秀則 |
第40回 | 1995年12月24日 | マヤノトップガン | 牡3 | 2:33.6 | 田原成貴 | 坂口正大 | 田所祐 |
第41回 | 1996年12月22日 | サクラローレル | 牡5 | 2:33.8 | 横山典弘 | 境勝太郎 | (株)さくらコマース |
第42回 | 1997年12月21日 | シルクジャスティス | 牡3 | 2:34.8 | 藤田伸二 | 大久保正陽 | 有限会社シルク |
第43回 | 1998年12月27日 | グラスワンダー | 牡3 | 2:32.1 | 的場均 | 尾形充弘 | 半沢(有) |
第44回 | 1999年12月26日 | グラスワンダー | 牡4 | 2:37.2 | 的場均 | 尾形充弘 | 半沢(有) |
第45回 | 2000年12月24日 | テイエムオペラオー | 牡4 | 2:34.1 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第46回 | 2001年12月23日 | マンハッタンカフェ | 牡3 | 2:33.1 | 蛯名正義 | 小島太 | 西川清 |
第47回 | 2002年12月22日 | シンボリクリスエス | 牡3 | 2:32.6 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第48回 | 2003年12月28日 | シンボリクリスエス | 牡4 | 2:30.5 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第49回 | 2004年12月26日 | ゼンノロブロイ | 牡4 | 2:29.5 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | 大迫忍 |
第50回 | 2005年12月25日 | ハーツクライ | 牡4 | 2:31.9 | C.ルメール | 橋口弘次郎 | (有)社台レースホース |
第51回 | 2006年12月24日 | ディープインパクト | 牡4 | 2:31.9 | 武豊 | 池江泰郎 | 金子真人ホールディングス(株) |
第52回 | 2007年12月23日 | マツリダゴッホ | 牡4 | 2:33.6 | 蛯名正義 | 国枝栄 | 高橋文枝 |
[編集] 有馬記念の記録
- レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ)
- 2着との最大着差 - 9馬身(第48回優勝馬シンボリクリスエス)
- 最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29回、第30回、第33回)田原成貴(第28回、第38回、第40回)オリビエ・ペリエ(第47回~第49回)
- 連続優勝騎手 - オリビエ・ペリエ 3連覇(第47回~第49回)
[編集] 特記事項
- 概要にも記されている通り、ファン投票による出走馬の選定を行うことは新しい試みであったが、レースの名称もファン投票によって選定しようとしたことも非常に画期的であった。当初、競馬会は「中山グランプリ」という名称にしようとしていたが当時「グランプリ」という名称は映画に関係する言葉として使われていたくらいで、まだ広く馴染んではいなかった。そこでファン投票用紙に出走させたい競走馬と同時に競走名を募った。その結果、一番多かった「中山大賞典」を始め17もの名称が集まった(競馬会が提唱していた「中山グランプリ(を可とする)」は第2位だった)。しかし、どの名称も名提案とまではいかなかったため、第1回はそのまま「中山グランプリ」で行われた。
- 有馬記念開催50周年を記念し、2005年にロゴマークの一般公募を行った。その結果、京都市在住の男性が制作した有馬(Arima)の"A"をモチーフに、金色の天馬の羽根と16個(有馬記念の最大出走可能頭数)の星(ファン投票で選ばれたスターホースの意味)をあしらったデザインが採用された。競走当日はグリーンチャンネルや全国の競馬場、ウインズで放送されるレースの映像にもこのマークが登場した(通常は中山のマスコットキャラクターである「ナッキー」)。このマークは2006年では使用されなかったが、2007年のファン投票用紙ではこのマークが使われた。
- 12月25日に本競走が開催される時には『クリスマスグランプリ』と言われる。2005年で50周年を迎えた本競走で、このクリスマスの日に本競走が開催されたのは過去5度。1966年の第11回が初開催。それ以降は1983年の第28回、1988年の第33回、1994年の第39回、そして2005年の第50回と施行されている。
- 2001年以降、主要なGI競走開催日において行われてきた入場券完全前売制による入場規制は行われなくなったが、2005年の第50回有馬記念では無敗の三冠馬として社会的な人気現象を引き起こしたディープインパクトが出走を表明し来場者の殺到が予測されたことから、6年ぶりに入場券は完全前売制となり、当日発売は行われなかった。前売り券は約19万枚発売され完売した。その日中山競馬場に訪れたのは約16万人であった。しかしその16万人の注目の的であるディープインパクトは2着に敗れた。
- 本競走の開催日は混雑などの混乱を避けるため例年全10競走で行われて、本競走は第9競走である(発走時刻15:25と早い。なお、通常GI&JpnIが行われる競馬場のレースが15時半以後に行われるが、12月開催のメインレース発走時刻は日没時刻の関係でジャパンカップダート(2008年から)及び阪神ジュベナイルフィリーズが阪神競馬場にて開催される日を除き全日15:25で、順序も東京or中山→第3場→京都or阪神である。ちなみに、ジャパンカップダート(2007年まで)及びジャパンカップの発走時刻は15時20分である。したがって通常の日程と勘違いして勝馬投票券を購入してしまう者もたびたびみられるので購入の際には注意が必要である。ただし、現在の有馬記念開催日の中山競馬場では「中山競馬第11競走」は存在せず、誤って第11競走の馬券を購入しようとしても発券機にマークカードを挿入したところでエラーが発生してしまうので、このことによる購入ミスは起きない(なお1980年代の一時期は全11競走立ての第10競走として施行された例があった)。
- 中央競馬における「一年終わりの競走」として親しまれる有馬記念であるが、厳密にはその年最後の競馬ではない。中山競馬場の当日最終競走(第10競走)は「ハッピーエンドカップ」という条件競走であり、更にその直後に阪神競馬場で通常行われる第12競走「ファイナルステークス」がJRAの年間最後の競馬である。なお、この日に同時に開催される中京競馬場の最終第12競走は2006年より施行される「尾張(おわり)ステークス」というオープン特別競走である(2005年までは尾張特別だった)。
- 通常、GI(JpnI)当日のメインレースと最終レースとの間は40分確保されているが(それでも記念写真撮影、表彰式、勝利騎手インタビューなどのセレモニーが長引いて最終レースの発走時刻が遅れることが多い)、朝日杯フューチュリティステークスと有馬記念の2つのGI(JpnI)レースだけは35分と短い。そのため、ハッピーエンドカップの発走時刻が毎年のように遅れる。
- 1988年から1995年までの8年間、有馬記念の前座競走として第7競走にファン投票によって選抜された騎手が出場できるジョッキーズグランプリが施行されていた。ファン投票は、有馬記念の出走馬投票とともに同じ投票用紙(はがき)を使って行われた。
- 有馬記念を中継するフジテレビはこのレースを競馬中継の中で最高のレースに位置付けており、それにふさわしいアナウンサーが実況するという観点から、部長級の管理職のアナウンサーが代々実況を務めており、現在の三宅正治アナで5代目となる。またこのレースを実況するアナはその他のレースは実況しないという慣例があり、三宅アナも初めて担当した2005年こそジャパンカップの実況を担当したが、翌2006年からは慣例にならい、その他のレースの実況からは退いた。
[編集] 有馬記念フェスティバル
中央競馬のその年の締めくくりを飾るオールスター戦・有馬記念競走の気運を盛り上げようと、1981年から毎年開かれている日本中央競馬会主催の公開イベントである。
毎年有馬記念開催週の月曜日に東京都内の会場で開かれるこのイベントでは、その年の有馬記念に出走が予定されている有力馬の騎手・関係者をゲストに招いてレースへの意気込みを語るトークイベント、また騎手と競馬愛好家のタレントらを交えたクイズ・ゲーム大会やタレント・競馬マスコミ関係者総出演によるレース展望会が実施されている。2004年度は元JRA職員で現在プロ格闘家として活躍する小川直也がゲストとして招かれた。2005年度はダービーフェスティバル同様、主催者側の都合で行われなかった。
また各地でも有馬記念ウィークを中心にした関連のイベントが開かれており、新潟市において「有馬記念フェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場・新潟放送の共催で毎年行われ、その模様は新潟放送(ローカル)とグリーンチャンネルで放送される。2005年は大雪に伴う施設の停電のため開催されず、スタジオでレース展望を収録し放送した。なお、現在イベントの形で残っている有馬記念フェスティバルは、この新潟で行われているものだけである。
[編集] 脚注
- ^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である。
- ^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪(オールスター競輪)である。
- ^ この距離は現在でも設定されているものの、この距離でのレースは開催されていない。また、現在の中山競馬場の芝外回り2600mとは違うコースであった。
- ^ 天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
[編集] 関連記事
- 有馬頼寧
- 宝塚記念 - ファン投票で出走馬を決定する春のグランプリ競走
- 東京大賞典 - 地方競馬の一年間を締め括る競走
- 安田記念 - 日本競馬会初代理事長・安田伊左衛門を称えた競走
- 天皇賞(秋)
- ジャパンカップ
GI 競走 | JpnI 競走 | J・GI 競走 |
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フェブラリーステークス | 高松宮記念 | 天皇賞(春) 安田記念 | 宝塚記念 | スプリンターズステークス |
桜花賞 | 皐月賞 | NHKマイルカップ ヴィクトリアマイル | 優駿牝馬 | 東京優駿 |
中山グランドジャンプ 中山大障害 |
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皐月賞・東京優駿・菊花賞・桜花賞・優駿牝馬・天皇賞・有馬記念 |