グラスワンダー
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グラスワンダー | |
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1999年12月26日、中山競馬場 | |
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現役期間: | {{{現役時期}}} |
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英字表記: | {{{英}}} |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1995年2月18日(13歳) |
死没: | (現役種牡馬) |
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登録日: | {{{登}}} |
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父: | Silver Hawk |
母: | Ameriflora |
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生国: | アメリカ合衆国 |
生産: | フィリップ スレーシング パートナーシップ &ジョンフィリップス |
生産: | {{{生産者}}} |
馬主: | 半沢有限会社 |
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調教師: | 尾形充弘(美浦) |
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厩務員: | 大西美昭 →佐々木力 |
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競走成績 | |
生涯成績: | 15戦9勝 |
獲得賞金: | 6億9164万6000円 |
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グラスワンダー(1995年2月18日 - )は、アメリカ合衆国で生産され、日本で調教された競走馬(外国産馬)である。愛称は「グラス」、「怪物」など。有馬記念連覇、宝塚記念などGIを4勝し活躍した。
主戦騎手は的場均(現調教師)。最後のレースとなった2000年の宝塚記念のみ、蛯名正義が手綱をとった。
競走馬引退後は種牡馬生活を送っている。
目次 |
[編集] キーンランドのセプテンバーセールで購入される
1996年9月キーンランドで行われたセリ市(セプテンバーセール)で馬体のバランスの良さが日本の調教師尾形充弘の目に止り、尾形と同行していた伊藤純一(半沢有限会社[1]の社長)が25万ドルで落札した[2]。その後、半沢有限会社の名義で所有され、日本で競走馬としてデビューすることとなった。
[編集] 競走馬時代
[編集] 1997年
9月13日、中山競馬場の新馬戦(芝1800メートル)でデビュー。続くアイビーステークス、京成杯3歳ステークスと、いずれも2着馬を0.5秒以上離す内容で3連勝を飾った。
圧倒的1番人気に支持されたGI朝日杯3歳ステークスでは、レース史上初めて1分34秒の壁を破る1分33秒6のレースレコードで優勝し、実況したフジテレビの三宅正治アナウンサーが「マルゼンスキーの再来です!」と叫ぶほどであった。この3歳時のパフォーマンスは実に素晴らしいもので、同年のJRA賞ではJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞した(三宅アナの他にも大川慶次郎が杉本清との対談において、「ついに出てきたね、マルゼンスキー級が」と語り、この馬に対する並々ならぬ期待感を表していた)。 この頃には陣営は翌年秋のアメリカ遠征の青写真を想い描いていた。
[編集] 1998年
当時外国産馬にクラシックレースへの出走権はなかったため、陣営はNHKマイルカップを前半シーズンの最大目標とした。しかし前哨戦のニュージーランドトロフィーを目前に控えた3月に右第3中足骨の骨折が判明し、前半シーズンの全休を余儀なくされた[3]。以後、グラスワンダーは常に脚部不安と戦い続けることとなった。
復帰戦は秋の毎日王冠。グラスワンダー不在のNHKマイルカップを同馬の主戦騎手でもあった的場均を背に快勝したエルコンドルパサー、1歳年上の稀代の快速馬サイレンススズカと対戦。的場はエルコンドルパサーもお手馬にしていたが、グラスワンダーに騎乗した。これは当初からエルコンドルパサーの騎乗はグラスワンダーが復帰するまでという約束があったためである[4]。このレースはGIIとしては異例の盛り上がりを見せた。レースではやや出遅れたものの、すぐに持ち直し、予想通りハイペースで飛ばすサイレンススズカをエルコンドルパサー同様徹底的にマークする形で進んだ。グラスワンダーは第4コーナーあたりからまくりをうち、サイレンススズカを負かしに行こうとするも、出遅れ、ハイペース、東京の長い直線の影響もあって5着に敗れた。 実力が折り紙つきとはいっても、骨折、休養明けの馬にはもちろん、そうでない馬だとしても非常に強引な戦法だったと言える。 結局、最も重い斤量を背負いながら快調に飛ばしたサイレンススズカに1.5秒、 自らのレースに徹したライバル、エルコンドルパサーには1.1秒も離される惨憺たる結果になった。
陣営は続くアルゼンチン共和国杯で必勝を期したが、勝ち馬から0.6秒差の6着に敗れた。陣営にはこの敗戦が非常にショックだったという。夏負け(夏の暑さに馬が参ってしまうこと)の影響があったとも報道されているが、前走からのあまりにふがいない敗戦が続いたため限界説や早熟説も飛び出した。
しかし復活をかけて暮れのグランプリ・有馬記念にファン投票14位で出走。 尾形調教師は「単勝オッズもファン投票の順位くらいだろう」と考えていたが、その通りに14.5倍でファンは復活を願い4番人気に支持していた。 そしてレースでは同期の二冠馬セイウンスカイ、女傑エアグルーヴ、天皇賞(春)優勝馬メジロブライトらを退け、見事鮮やかな復活を飾った。 この勝利は外国産馬としては初、史上最短キャリアでの有馬記念制覇となった。 また尾形調教師は、骨折でこの一年間をほぼ棒に振ったことを理由に翌年の国内専念を宣言した。
[編集] 1999年
産経大阪杯での始動を目指したが、直前になって馬房で暴れたのが原因で左眼瞼部裂創を負い回避した[5]。尾形調教師は血を流すグラスワンダーを見たとき、「またやったか」と肩を落としたという。
仕切り直しの一戦となった京王杯スプリングカップでは直線一気の豪脚でエアジハードを差し切り優勝。満を持して臨んだ続くGI安田記念では単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に推されたが、道中ムータティールに接触するアクシデントもあって[4]前走下したエアジハードの強襲を許し、タイム差なし、ハナ差の2着に敗れた。ドリーム競馬内において、最後の直線で手前を替えることができなかったことも指摘され、骨折の影響も残っているのではないかと分析された。そんな不安が残る中、続いて春のグランプリ宝塚記念に出走した。
このレースでは、前走天皇賞(春)を勝った同期のダービー馬スペシャルウィークとの初顔合わせであった。人気面ではスペシャルウィークに続く2番人気であった。しかしレースが始まると終始スペシャルウィークをマークする形から同馬に0.5秒、3馬身差の差をつけ優勝し、前年の有馬記念に続くグランプリ連覇を達成した。さらにスペシャルウィークと3着のステイゴールドの差が7馬身ということもあってグラスワンダーの強さが際立つ結果となった。スペシャルウィークを管理する白井調教師も、「瞬発力が違いすぎる」と完敗を認める程の内容であった。なお、スペシャルウィークには同レース後、凱旋門賞遠征プランがあったが、この敗戦により白紙撤回した。
秋シーズン初戦の毎日王冠は後続を引き付けてから突き放す作戦であったが、引き付けてから突き放すどころか逆に格下馬であるメイショウオウドウに詰め寄られるという予想を裏切る辛勝となった。このあたりから「グラスワンダー左回り不安説」が浮上した。これについて的場均は安田記念の接触事故が原因になって左回りを苦手とするようになってしまったとしている[4]。
次走に予定していたジャパンカップは左肩の跛行[6]を理由として回避[7]し、有馬記念に出走。宝塚記念で見せたパフォーマンスからか、前走が不甲斐無い内容だったにも関わらず、秋GI連勝中のスペシャルウィークを抑え1番人気に推される。臨戦過程の問題や12キロの馬体重増に加えコズミ(筋肉痛)が抜けないなどの不安要素も多かった中のぞんだレースは、グラスワンダーをスペシャルウィークが徹底的にマークするという宝塚記念とは逆の展開になり、最後の直線では引退の花道を飾ろうとするスペシャルウィークの一世一代の末脚にゴール前で差し切られたように見え、ウイニングランをする武とスペシャルウィークを尻目に負けたことを確信し引き上げていこうとしていた[8]が、写真判定の結果わずか4cm差でスペシャルウィークとのレース史上に残る接戦を制していたことがわかり、なんとかグランプリ競走3連覇・有馬記念2連覇を達成。
同年の年度代表馬こそ海外で活躍したエルコンドルパサーに譲ったが、JRA賞特別賞をスペシャルウィークとともに受賞した(詳細については1999年度JRA賞年度代表馬選考を参照)。
[編集] 2000年
1999年の競馬界をともに牽引したスペシャルウィークやエルコンドルパサーは引退し、グラスワンダーは世代を代表する現役馬となった。
陣営は年初から凱旋門賞への挑戦プランを表明[9]。またグランプリ4連覇や天皇賞(春)(この年から条件付きながら外国産馬に開放された)制覇も視野に入れていた[10]。
年明け初戦の日経賞へは馬体重増が指摘された有馬記念よりさらに18kg増の状態で出走。勝ち馬から0.9秒差の6着に敗れ、尾形調教師は調整失敗を認めている[11]。この敗戦により天皇賞(春)への出走は断念。そして続く京王杯スプリングカップでは一気に20キロ減で挑んだが0.6秒差の9着とまたも大敗。デビュー以来グラスワンダーを担当していたベテラン厩務員の大西が前年の有馬記念を最後に引退(定年退職)し、若い佐々木に変わったことで調整がうまくいかなかったともいわれる[4]。
その後安田記念もパスし、海外遠征を賭けて宝塚記念に臨むこととなった。レースではデビューから一貫して手綱をとってきた的場騎手から蛯名正義へと乗り変わり再起をかけたが、レース中に左第3中手骨々折を発症[12]し、1着のテイエムオペラオーから0.9秒も離された6着と惨敗し、同時に引導を渡された。この故障が原因となって競走馬を引退した[13]。
引退式は12月24日、中山競馬場で行われた[14]。
[編集] 競走成績
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム (上り3F) |
タイム 差 |
勝ち馬/(2着馬) | ||
1997 | 9. | 13 | 中山 | 3歳新馬 | 10 | 8 | 9 | 1.5(1人) | 1着 | 的場均 | 53 | 芝1800m(良) | 1:52.4(35.6) | -0.5 | (ビルトシェーン) | |
10. | 12 | 東京 | アイビーS | OP | 9 | 8 | 8 | 1.4(1人) | 1着 | 的場均 | 53 | 芝1400m(良) | 1:21.9(34.0) | -0.8 | (マチカネサンシロー) | |
11. | 8 | 東京 | 京成杯3歳S | GII | 9 | 2 | 2 | 1.1(1人) | 1着 | 的場均 | 54 | 芝1400m(良) | 1:21.9(34.7) | -1.0 | (マチカネサンシロー) | |
12. | 7 | 中山 | 朝日杯3歳S | GI | 15 | 6 | 11 | 1.3(1人) | 1着 | 的場均 | 54 | 芝1600m(良) | R1:33.6(35.4) | -0.4 | (マイネルラヴ) | |
1998 | 10. | 11 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 9 | 6 | 6 | 3.7(2人) | 5着 | 的場均 | 55 | 芝1800m(良) | 1:46.4(36.3) | 1.5 | サイレンススズカ |
11. | 7 | 東京 | アルゼンチン共和国杯 | GII | 18 | 7 | 13 | 3.0(1人) | 6着 | 的場均 | 57 | 芝2500m(良) | 2:33.5(35.3) | 0.6 | ユーセイトップラン | |
12. | 27 | 中山 | 有馬記念 | GI | 16 | 1 | 2 | 14.5(4人) | 1着 | 的場均 | 55 | 芝2500m(良) | 2:32.1(35.3) | -0.1 | (メジロブライト) | |
1999 | 5. | 15 | 東京 | 京王杯スプリングC | GII | 18 | 3 | 5 | 2.1(1人) | 1着 | 的場均 | 58 | 芝1400m(良) | 1:20.5(33.3) | -0.1 | (エアジハード) |
6. | 13 | 東京 | 安田記念 | GI | 14 | 5 | 7 | 1.3(1人) | 2着 | 的場均 | 58 | 芝1600m(良) | 1:33.3(35.2) | 0.0 | エアジハード | |
7. | 11 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 12 | 5 | 5 | 2.8(2人) | 1着 | 的場均 | 58 | 芝2200m(良) | 2:12.1(35.1) | -0.5 | (スペシャルウィーク) | |
10. | 10 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 10 | 7 | 8 | 1.2(1人) | 1着 | 的場均 | 59 | 芝1800m(良) | 1:45.8(34.7) | 0.0 | (メイショウオウドウ) | |
12. | 26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 14 | 4 | 7 | 2.8(1人) | 1着 | 的場均 | 57 | 芝2500m(良) | 2:37.2(34.6) | 0.0 | (スペシャルウィーク) | |
2000 | 3. | 26 | 中山 | 日経賞 | GII | 10 | 7 | 7 | 1.3(1人) | 6着 | 的場均 | 59 | 芝2500m(良) | 2:36.3(36.1) | 0.9 | レオリュウホウ |
5. | 14 | 東京 | 京王杯スプリングC | GII | 18 | 4 | 8 | 2.4(1人) | 9着 | 的場均 | 59 | 芝1400m(良) | 1:21.6(34.5) | 0.6 | スティンガー | |
6. | 25 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 11 | 8 | 11 | 2.8(2人) | 6着 | 蛯名正義 | 58 | 芝2200m(良) | 2:14.7(36.5) | 0.9 | テイエムオペラオー |
※1 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
※2 Cはカップ、Fはフューチュリティ、Sはステークスの略。
※3 格付けは全てJRAグレードである。(競馬の競走格付けを参照)
[編集] 引退後
2000年に引退が決まると、すぐに13億8000万円の種牡馬シンジケートが組まれた[15]。翌年の2001年から北海道早来町の社台スタリオンステーションにて種牡馬として供用される。2003年から2006年までの4シーズンは、日本がシーズンオフになる夏から秋にかけてシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種牡馬生活を送った。2007年より北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションに移動して種牡馬として繋養されている。
[編集] 種牡馬成績
2004年度新種牡馬ランキング4位、2歳リーディング7位。2005年度総合リーディング22位、2歳リーディング8位(いずれも中央のみの集計結果)。なお、初年度産駒から3世代目産駒まで続けて中央重賞勝ち馬を送りだしている。
[編集] 主な産駒
- 2002年産
- オースミグラスワン(新潟大賞典(2006年、2008年))
- フェリシア(フェアリーステークス)
- マルカラスカル(中山大障害、中山グランドジャンプ)
- 2003年産
- 2004年産
- マイネルレーニア(京王杯2歳ステークス)
[編集] 特徴
[編集] 競走馬としての特徴
- 勝ったGI競走は全て右回りの競馬場である。
[編集] 競走馬名および愛称・呼称
[編集] エピソード
- 上記の通りキーンランドで行われたセールで競り落とされた当馬だが、その際に競り合いとなった相手は世界的に有名な馬主のアラブ首長国連邦(UAE)のシェイク・モハメドである。高額での競り合いが予想されたものの、価格が25万ドルに上乗せされたところでモハメドがセリを降りた(当時のレートで2500万円前後)。潤沢な資金を持つはずのモハメド陣営が、キーンランドセールではそれほど高額でもないこの価格で降りた理由は今もって不明。
- 前述の通りマルゼンスキーとしばしば比較されていた事で有名。ただしマルゼンスキーは先天的な脚部不安から生涯通して目一杯追われた事がなかったという関係者の証言があり、単純に走破タイムなどから「グラスワンダーの方が上」と位置づける事は難しいという意見も多い。また、1990年代と1970年代とでは馬場の質が全く異なるという点も考慮すべきである。
- 同期にはエルコンドルパサーやスペシャルウィーク、セイウンスカイ、アグネスワールド、エアジハード、マイネルラヴ、キングヘイロー、ウイングアロー等のGI馬がおり、近年稀にみるレベルが高い世代の一頭といわれている。
[編集] 血統表
グラスワンダーの血統 (ロベルト系/Nearco4×5=9.38%) | |||
父
Silver Hawk 1979 鹿毛 アメリカ |
Roberto 1969 鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Gris Vitesse 1966 芦毛 アメリカ |
Amerigo | Nearco | |
Sanlinea | |||
Matchiche | Mat de Cocagne | ||
Chimere Fabuleux | |||
母
Ameriflora 1989 鹿毛 アメリカ |
Danzig 1977 鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | ||
Petitioner | |||
Graceful Touch 1978 鹿毛 アメリカ |
His Majesty | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Pi Phi Gal | Raise a Native | ||
Soaring F-No.12-c |
[編集] 近親
- 全妹のワンダーアゲイン(Wonder Again)はアメリカでGIを2勝している。
[編集] 脚注
- ^ 半沢有限会社の会長は1970年代の名馬グリーングラスの馬主である半沢吉四郎の双子の弟にあたり、勝負服も同じである。
- ^ 『競馬名馬&名人読本』p21-22
- ^ 競馬ブックの記事
- ^ a b c d 的場均『夢無限』(流星社) ISBN 4947770035
- ^ 競馬ブックの記事
- ^ 脚を引きずるなどの歩行異常のことで、骨、腱、関節、筋肉、神経などの異常が原因とされる。
- ^ 競馬ブックの記事
- ^ もともと的場は勝っていたとしても、まず先に騎乗した馬を気遣い、無事に止めて休ませることを優先していたため、ウイニングランもガッツポーズもしない騎手として知られていた。ライスシャワーが天皇賞(春)を制した時も同様であった。
- ^ 競馬ネットmagazine第306号
- ^ 競馬ブックの記事
- ^ 『競馬雑誌馬劇場』
- ^ 『競馬ブック』の記事
- ^ 『競馬ブック』の記事
- ^ 『競馬ブック』の記事
- ^ 『競馬ブック』の記事
- ^ 『競馬名馬&名人読本』p22
- ^ 『競馬名馬&名人読本』p22
[編集] 参考文献
- 的場均『夢無限』 流星社、2001年
- 『競馬名馬&名人読本』 宝島社、1998年
[編集] 外部リンク
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