新潟競馬場
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新潟競馬場(にいがたけいばじょう)は、新潟県新潟市北区笹山にある競馬場。日本中央競馬会 (JRA) が運営している。
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[編集] 概要
2001年7月、日本の競馬場として初めての芝の直線コース(1000m)を開設して全面リニューアルオープンした。またその際に以前の右回りから左回りへと変更されている。最後の直線距離は芝・外回りで659mとなっている。
開催時期は4~5月の1開催、7~9月の2開催で合計年間3開催24日間。下記のように振替GIの開催や新設重賞の設置、更には直線コース導入で、全国的な注目を集めつつある。
なお、夏期7~9月開催で行われる薄暮競走は現在行われていない(通常とほぼ同じ編成だが、メイン競走の発走は15時台後半となる)。
[編集] コース概要
[編集] 距離設定
- 芝:1,000m 1,200m 1,400m 1,600m 1,800m 2,000m 2,200m 2,400m *3,000m *3,200m
- 芝2,000mは3歳未勝利戦のみ内回りコース、その他の条件の競走では外回りコースで行われる。
- ダート:*1,000m 1,200m *1,700m 1,800m
- 障害:2,850m *2,890m 3,250m *3,290m(2,890m、3,290mはBコース使用)
※*印の距離の競走は、2006年現在施行されていない。
[編集] フルゲート(出走可能頭数)
- 芝コース:Aコース18頭、Bコース(Aコースから4m外側に仮柵を設置)16頭
- ダートコース:1,000mは12頭、1,700mは13頭、1,200mと1,800mは15頭
[編集] 歴史
- 1906年 新潟市内の関屋地区(現在の信濃町・浜浦町・文京町付近)に競馬場が開かれる。
- 1937年 日本競馬会(中央競馬の前身)の競馬場となる。
- 1943年 戦争の激化に伴い開催を廃止。
- 1949年 新潟県(後に新潟県競馬組合)が、当時の所有者である国から競馬場の施設を借り新潟県競馬(以下、県競馬)の開催が始まる。当時の馬場は4角形であった(国土地理院ホームページ「国土変遷アーカイブ」のUSA-R286-No1-77)。
- 1964年 信濃川の関屋分水路を開削するにあたる代替地捻出のため競馬場を廃止(12月)。跡地はその後、工事に伴う代替住宅地として再開発された。新潟競馬場で行われる中央競馬の重賞競走「関屋記念」はこの旧・新潟競馬場にちなむものである。また、JR越後線・関屋駅周辺には「競馬町踏切」「競馬町マーケット」など、往時を匂わせる名称が僅かながら残っており(競馬町マーケットは2007年6月をもって閉鎖、建物自体は2008年2月に撤去された)、跡地に作られた関分公園内に「新潟競馬場跡の碑」が建てられている。
- 1965年5月14日 郊外の豊栄市笹山(現在地、現住所:新潟市北区笹山)に移転した。競馬場及び厩舎等の敷地全体は、新潟市にもまたがっていたため、移転に伴い新たに豊栄市が競馬場所在市区町村として開催権を得たが、新潟市の競馬場所在区市町村としての開催権も存続した。同時に中央競馬主催による開催が復活。県競馬の開催もスケジュールを調整し、引き続き行われることとなった。
- 1999年 馬場、スタンドの改修工事に着手(2001年完成)。
- 2002年 県競馬が1月の開催をもって、事実上廃止撤退(これに伴い三条競馬場は廃止)。
- 東京競馬場の改修工事に伴って、従来の東京開催のすべてが中山競馬場で施行されたため、スプリンターズステークスが新潟競馬場で開催。同競馬場としては初めてのGI級開催となった。
- 2004年の新潟県中越地震&2007年の新潟県中越沖地震
- 競馬場に被害は無かったが、その後は震災復興記念競走として共に開催した。
[編集] 主な競走
(太字は芝直線1000mで行われる競走)
- JpnIII
- J・GIII
- 特別競走
[編集] アクセス
- 電車・バス
- 万代シテイバスセンター3番線より「新崎経由新潟競馬場」行、万代シテイバスセンター前(秋田銀行前)より「下山・松浜経由新潟競馬場」行で「新潟競馬場前」下車すぐ
- 開催時・場外発売日は新潟駅南口(バイパス経由片道540円、開催時は往復1000円、所要時間約30分)、新発田駅(所要時間約30分)、豊栄駅南口(所要時間約15分)から臨時バスが運行されている。
- 車
- 国道7号(新新バイパス)・競馬場ICから約1分
- 日本海東北自動車道・新潟空港ICからは新潟県道16号新潟亀田内野線・新新バイパス・一日市IC経由で約10分
- 電車・バスでのアクセスがあまりよくないことから、競馬場周辺には大型駐車場が多数整備されている。JRAの競馬場の一般客向けの駐車場としては、唯一無料で駐車可能である。
[編集] 周辺
[編集] その他
- 直線1000メートルのレースによる特別競走は全て「速さ」を連想させるような名前をつけている(駿風ステークス、鏑矢特別、はやぶさ賞、飛竜特別、邁進特別、疾風特別、アイビスサマーダッシュ、閃光特別、驀進特別、稲妻特別)。
- 新潟競馬場では2000年の走路改修工事の際、障害専用の襷コースを廃止したため、障害レースは芝コースの8箇所に置き障害が置かれた状態で行われる。その為、落馬発生の確率は他の競馬場より低いと言われている。
- 当競馬場でデビューした馬で東京優駿を制したのは、1983年7月23日に初出走し、翌1984年に史上初の無敗三冠馬となったシンボリルドルフただ1頭である。
- 一般に旧住所は豊栄市と言われているが、一部施設は旧新潟市であった。(敷地が両市に跨っていた)
- かつて行われていた地方競馬では、ダート1200mの競走において、2コーナーを抜けたところから手前内側に分岐する引込み線を使った、中央競馬の同距離とは異なるスタート地点を使用していた(右回り時代も同様)。これは本来のダート1200mのスタート地点が芝コース上にあり、地方競馬では芝コースの使用が出来なかったためである。地方競馬開催のなくなった現在でもこの引込み線は残されているが、最大出走可能頭数の問題などもあり、中央競馬の競走では引き続き使用していない。なお、テレビ中継などではこの引込み線に障害競走で使用されているものと同じ置き障害が置かれている様子が映し出される事があることから、現在は障害練習などで使用されているようである。