浦和競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦和競馬場(うらわけいばじょう)は、埼玉県さいたま市南区に所在する地方競馬の競馬場。主催者は埼玉県浦和競馬組合(埼玉県とさいたま市で構成される一部事務組合)。SPAT4加盟競馬場。
戦前の大宮競馬場の流れを汲み、終戦直後にいわゆる闇競馬(馬匹組合などによる法的根拠のない競馬開催)として短期間開催された粕壁競馬場の移転という形で1947年(昭和22年)10月5日に設置された。初開催は1948年(昭和23年)4月19日。戦後の現行競馬法に基づいて、地方自治体の主催として最初に開催された地方競馬の競馬場である。
目次 |
[編集] コース概要
- 馬場:1周 1200m 左回り平坦
- 直線(4コーナーからゴール板まで):220m
- 距離設定:800m、1300m、1400m、1500m、1600m、1900m、2000m
- コース幅:16m(向正面)、24m(正面)
- 最大出走頭数(フルゲート):1300m、1400m、1500mは12頭、それ以外は11頭である。
[編集] 発売する馬券の種類
○…発売 ×…発売なし
単勝 | 複勝 | 枠番連複 | 枠番連単 | 馬番連複 | 馬番連単 | ワイド | 3連複 | 3連単 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
[編集] 場外発売所
詳細は大井競馬場#場外馬券売場を参照。
他
[編集] 主な競走
[編集] ダートグレード競走
[編集] 重賞競走
- 桜花賞(SI)
- ニューイヤーカップ(SIII)
- 埼玉栄冠賞(SIII)2007年度まで「埼玉新聞杯」として施行。
- オーバルスプリント(SIII)2007年度まで「テレビ埼玉杯」として施行。
- しらさぎ賞(SIII)
- ユングフラウ賞(準重賞)桜花賞トライアルの準重賞だが前日発売がある。2008年度より重賞昇格予定。
- プラチナカップ(準重賞)東日本交流。
[編集] 休止競走
- ゴールドカップ 2008年度よりSIIIの重賞競走として再開予定。
[編集] JRA2歳認定競走
- JRA認定2歳新馬(認定初出走:1着2,000,000円)
- JRA認定2歳選抜馬(認定未勝利:1着1,500,000円)
[編集] 所属騎手
[編集] 野田トレーニングセンター
厩舎はさいたま市内東部の緑区上野田の野田トレーニングセンターにあり、そこで調教が行われている。
- 野田トレセンは1969年に設置され、それまで競馬場とその周辺に置かれていた厩舎群は集約移転された。競馬場周辺のかつての厩舎跡地は住宅地や競馬場の駐車場などに転用されている。
- トレーニングセンターのコースは厩舎棟区画の北側にあり、1周1050m。
- 土地形状の都合から極めてコーナーのきついコースで、コーナーでは馬を全力で走せる事が難しく、この事が浦和所属馬の強化の妨げになっていると言われる。
- 近隣に東北自動車道が開通して以降、通過する車両の激増により、野田トレセン周辺の大気条件が設置当初と比較して著しく悪化、これが浦和所属馬の低迷に追い打ちを掛けているとも言われている(東北道上りの野田周辺は、少し南側に浦和本線料金所が所在する関係で、通年に渡り渋滞の発生が慢性化しているポイントである)。
[編集] 備考
- 競馬開催時の入場料は100円(場外発売時は入場無料)。
- 入場門は西門と北門があるが、指定席券は西門でのみ販売。競馬新聞も北門側には売店が無い。送迎バスは西門に発着。北門には隣接して駐車場があるが、本場開催中は関係者・馬主専用となる(駐輪場は一般使用可)。
- スタンドはゴール前から1号、2号、3号の3棟のスタンドがあるが、2008年4月現在ゴール前の1号スタンド(1959年竣工)は老朽化の為に一般客の観戦・立ち入りが制限されている(スタンド外部での観戦は可)。場外発売時は最も新しい3号スタンドにて場外発売が行われる。
- 南関東4競馬場中、売上規模・レベルとも最下位という評価が定着している。また小回りのコース形態で敷地も小さめ。だが場内に入れば各所に南関東の他の各競馬場には無い、独特のローカルムードを味わうことができる。
- 中央地方指定交流競走(現在のダートグレード競走)のスタート以来、浦和競馬場の交流重賞では地元馬の勝利がなく、一般の重賞競走を勝てる馬も中々出てこない。これら重賞競走で勝利できる馬を作り出す事が競馬場の活性化にとっても大きな課題となっている。
- また、1600mのスタート地点(ポケット)は3コーナー途中にあり、本コースに出るにはちょうど直角に曲がらねばならず、『枠1つ外に行く毎に半馬身の距離ハンデ』と形容される程に外枠は不利とされる。とある中央競馬の騎手はこれを指して「日本一難しいスタート地点」と評している。故に「1600m戦での枠順の有利不利を無視した予想は無謀」とは場内の公認予想屋たちも言う程である。
- 落馬事故がやや多いきらいがあるといわれており、騎手が殉職する事故も2000年以降に2件発生している。直線が短い事から3コーナーでの位置取りがレース上極めて重要なポイントとなるため、競走馬の能力と同時に騎手のレース中の駆け引きや競走馬の操縦にも一際高い技術が要求される、浦和のコース形状も要因となっている。
- 着順確定の時にファンファーレが鳴る。
- 競馬場コース内を一級河川の藤右衛門川が3コーナー(北西)から2コーナー(南東)へと向正面に平行して流れており、コース上には橋が2ヵ所存在する。前述の1600m戦も、3コーナー過ぎの橋の上からスタートする。
- 2005年度からは薄暮競走を実施している。
- 2005年は8月8日から8月10日までの3日間(最終競走は18:00発走)開催された。
- 2006年は6月21日から23日と7月17日から19日まで(2開催計6日間)開催された。
- 2007年は4月23日から9月11日まで(6開催計21日間)開催された。
- 2008年は4月から8月まで(5開催21日間)開催される。
- 準重賞は例年はユングフラウ賞のみである為、準重賞用ファンファーレはあるものの年に1回しか使用されないが、2007年7月18日に東日本交流競走準重賞であるプラチナカップが開催されるため準重賞のファンファーレが使用された。
- 地方競馬としては現在は南関東のブロックに属しているが、開設当初は現在廃止となっている北関東の宇都宮競馬場・足利競馬場・高崎競馬場・古河競馬場などとも人馬の交流が行われていた。昭和20年代には調教師や馬丁(現在でいう厩務員)が馬を曳き、徒歩で北関東の各競馬場まで遠征していた。
- コース内を通過する一般道が2本通っており、競馬非開催日にはコースを横断して通り抜けることができる。もちろん競馬開催期間中は通行止めとなる。
- また、コース内には公園や芝生のグラウンドがあり、競馬非開催日には利用することが出来る。グラウンドでは浦和レッドダイヤモンズの選手たちをコーチ役に招いての子供向けサッカー教室などのイベントが行われたこともある。また、非開催日ならば馬がいないため、花火大会などを行うことも可能である。
- 災害など緊急時のためのヘリポートがコース内に備えられている。これは競馬場内の設備としては全国初のものであった。
- 開設当初は田畑の中の競馬場であったが、現在は住宅密集地の真っ只中という立地条件になっており、メインスタンドからフェンス越しに民家が見える。周辺住民の要望もあり、屋外の場内放送はやや小さめの音量で行われている。又同じ理由でナイター設備も無い(光害、虫害の原因になる)ため、南関東の他の競馬場で行われているナイター競走開催に代わり先述の薄暮競走が導入されている。その代わり、ナイター競走の場外発売は他場に先駆けて行われており、特に大井競馬場開催では年間を通じて浦和競馬場開催時に匹敵するか、それを上回る来場者がある(場外発売時にはコース内の一部区画やスタンド前、北門駐車場も一般駐車場として使用されるため、駐車場の収容能力が大幅に上がる事も一因である)。
- 場内には母子福祉売店が設置されており、売り上げの一部が母子家庭など厳しい環境におかれた児童・幼児やその保護者の生活の扶助改善に役立てられている。なお、同様の趣旨の店舗は同じ県内の川口オートレース場にも存在する。
- 場内の名物はアジフライ(150円)と天ぷらつきおにぎり(300円)である。また、キュウリ(※塩漬けのキュウリを1本そのまま割り箸に突き刺したもの)やカレーライス、コロッケなども競馬関係の読物では紹介される事が多い。
- かつて、テレ玉の公営競技情報番組「BACHプラザ」で当日に行われたレースのダイジェストや翌日開催のレース展望が放送されていたが、都合により2008年3月31日をもって番組のスポンサー提供とレース情報の案内を終了した。