日本競馬会
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日本競馬会(にほんけいばかい)とは、1936年5月29日に公布された旧競馬法に基づき、11の競馬倶楽部と帝国競馬協会を統合する形で成立した特別法人である。初代理事長は松平頼寿。
誕生の背景には馬政改善を目指した軍部の意向があり、日本競馬会は軍部による政策的な要望に応えつつ競馬開催をとりおこなった。また安田伊左衛門理事長のもとクラシック5大競走を確立するなど、レース体系の整備にも取り組んだ。
太平洋戦争の戦況悪化により、1944年は勝馬投票券の発売を伴わない能力検定競走を東京競馬場・京都競馬場・阪神競馬場で開催。同年12月以降は能力検定競走の開催地を北海道および東北地方に移すこととなった。終戦直前の同年8月と終戦直後の同年10月には両地方でごく小規模な能力検定が実施された。
日本競馬会主催の競馬は戦争終結後の1946年10月に再開されたが売り上げは振るわず、さらにGHQ経済済科学局公正取引課によって独占禁止法に抵触すると判断された。
1948年6月、日本競馬会の解散が決定し、同年9月、新たな競馬法に基づき日本の競馬は国営競馬、更に日本中央競馬会(JRA)へと移行した。
[編集] 競馬場
()内は競馬を開催した期間
- 札幌競馬場(1937年-1943年、1947年-1948年)
- 函館競馬場(1937年-1943年、1947年-1948年)
- 福島競馬場(1937年-1943年、国営競馬により1950年に再開)
- 新潟競馬場(関屋)(1937年-1943年、日本中央競馬会により1965年に豊栄町(現 新潟市)で再開)
- 中山競馬場(1937年-1943年、1947年-1948年)
- 東京競馬場(1937年-1944年、1946年-1948年)
- 横濱競馬場(1937年-1942年、再開されず1994年に正式廃止)
- 京都競馬場(1937年-1944年、1946年-1948年)
- 阪神競馬場(鳴尾)(1937年-1944年、国営競馬により1949年に良元村(現 宝塚市)で再開)
- 小倉競馬場(1937年-1943年、1947年-1948年)
- 宮崎競馬場(1937年-1943年、再開されず1994年に正式廃止)
[編集] 日本競馬会により創設された競走
競走名は創設時のもの。()内は創設年等。
- 阪神優駿牝馬(1938年・現 優駿牝馬(オークス))
- 京都農林省賞典四歳呼馬(1938年・現 菊花賞)
- 中山四歳牝馬特別(1939年・現 桜花賞)
- 横浜農林省賞典四歳呼馬(1939年・現 皐月賞)
- 京都記念(1942年)
- セントライト記念(1947年)
- カブトヤマ記念(1947年・のちに2003年限りで廃止)