京急1500形電車
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京急1500形電車 | |
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京急1500形(品川-北品川間にて撮影) |
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編成 | 4・6・8両 |
起動加速度 | 3.5km/h/s 界磁チョッパ車の6M2T編成は3.3km/h/s |
営業最高速度 | 120km/h |
設計最高速度 | 130km/h |
減速度 | 4.0km/h/s(常用最大) 4.5km/h/s(非常) |
車両定員 | 140人 座席定員 52(先頭車48)人 |
全長 | 18,000mm |
全幅 | 2,798mm アルミ車2,830mm |
全高 | 4,030mm パンタグラフ搭載車は4,050mm アルミ車のパンタグラフ無は4,040mm |
車両重量 | 35t アルミ車 31t アルミ車の先頭車 31.5t VVVF車のM1c 32t、M1車31.5t Tu車 24.5t、Ts車 25.5t |
軌間 | 1,435(標準軌)mm |
電気方式 | 直流1,500V (架空電車線方式) |
モーター出力 | 100kW×4 VVVF車 120kWx4 |
主電動機 | 補償巻線付直流複巻電動機 VVVF車はかご形三相誘導電動機 |
歯車比 | 82:15 (5.47) VVVF車 83:14 (5.93) |
駆動装置 | たわみ板式継手 |
制御装置 | 界磁チョッパ制御 VVVFインバータ制御 |
ブレーキ方式 | 回生制動併用電気指令式電磁直通空気制動(応荷重装置付) |
保安装置 | 1号型ATS |
製造メーカー | 東急車輛製造 川崎重工業 |
備考 | 営業最高速度以外は新製時のデータ |
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京急1500形電車(けいきゅう1500がたでんしゃ)は1985年(昭和60年)4月1日[1]に営業運転を開始した京浜急行電鉄の通勤形電車。
目次 |
[編集] 概要
旧1000形の老朽取り替えを目的に、第2世代の東京都交通局(都営地下鉄)浅草線・京成電鉄・北総開発鉄道(→北総鉄道)への乗り入れ車両として製造が開始され、乗り入れ協定に基づき、京急で初めてT型ワンハンドルマスコンを採用した。1985年(昭和60年)・1986年(昭和61年)20両は普通鋼製、1988年(昭和63年)製以降の車両はアルミ製車体。1970年代~1980年代の輸送形態の変化に頻繁な編成替で対応した1000形と同様、柔軟な運用が出来るよう補機を含めて2両1ユニットで構成されている。1971年製の1000形から採用していた電装品の共通設計は本形式では採用されず、三菱電機製と東洋電機製で使用機器が異なるが、両者を混成して編成を組むこと、ユニットを組むことが出来る。 本形式が登場した1985年には既にVVVFインバータ制御車が出現していたが、当時はまだインバータ容量が小さいなどの技術的黎明期にあり、本形式は当初技術的に確立していた界磁チョッパ制御を採用、増備途上の1990年からVVVFインバータ制御を採用した。
[編集] 外観
車体外板は赤、窓下に幅150mmの白帯を引いた京急標準色。正面には京急で初めてスイング式プラグドアを採用、800形以降採用されていた正面窓周りを一段くぼませるデザインに加え、窓周囲を黒く塗装することで3枚の窓、各幕窓を一体的に見える様処理されている。前照灯、尾灯は2000形同様一体のケースに収められ、この時期各社で採用が始まったLEDの尾灯を採用した。ほぼ同時期製造の南海10000系とこのケース形状が酷似していることが登場時話題となった。ほぼ車両全幅にわたるアンチクライマを設けたこと、製造当時の京急車標準の車体断面を採用したことから、従来車と大きく異なるデザインながら京急らしさを漂わせる。京急初の両開き3扉車となり、車端部とドア間で幅の異なる2連式のバランサ付1枚下降窓を採用、2000形で廃止された戸袋窓が設けられたが、アルミ車体を採用した車両からは廃止された。800形以降の各形式では側面の白帯が運転台扉で切れているが、本形式では運転台扉を超えたところまで白帯がある。中間車妻部に後退角があることが外観上の特徴のひとつで、これはアルミ車体の車両も同様である。
[編集] 内装
壁面と袖仕切りは格子模様の薄ベージュ色、シート色は青、床面はグレー。天井レイアウトは2000形同様車体全長にわたるアルミ押し出し材の冷気吹き出し口を採用、空気攪拌用にラインデリアを設けたが、照明カバーがないこと、吹き出し口が2000形のゴールド調に対しアルミ地色の違いがある。窓枠は800形・2000形と同様にFRP一体成型品を採用、ロールアップカーテンを設けたがカーテンは途中で止めることが出来なかった。
[編集] 主要機器
- 主制御器
- 主電動機
- 界磁チョッパ車:KHM-1500(東洋製TDK-8700Aおよび三菱製MB-3291ACの総称、出力100kW、端子電圧375V、電流300A、分巻界磁電流28A、定格回転数1,460rpm)
- VVVFインバータ制御車:KHM-1700(東洋製TDK-6160Aおよび三菱製MB-5043Aの総称、出力120kW、端子電圧1,100V、電流84A、周波数50Hz、定格回転数1,455rpm)
- VVVF改造車:東洋TDK6162-A(出力155kW、端子電圧1,100V、電流108A 周波数55Hz、定格回転数1,620rpm)[2]または三菱MB-5121-A(出力155kW、端子電圧1,100V、電流110A、周波数55Hz)
- 補助電源用静止形インバータ(SIV、偶数号車の山側に搭載)
- 鋼製車:三菱GTO-SIV
- アルミ車:東洋ブースター式(SVH-85-461A-M)SIVまたは三菱チョッパインバータ式(NC-FAT-75A)SIV、75kVA。
- 空調装置(製造時)
- 集電装置
- 東洋製PT-4323S-A-M形菱形パンタグラフ
- 台車
- TH-1500M、T(空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持方式)
[編集] バリエーション
[編集] 鋼製車体・界磁チョッパ車
このグループ20両は車体の材質が普通鋼製であり、前面が丸みを帯びている。補助電源用静止形インバータ(SIV)と回生ブレーキ使用時のパンタグラフ離線対策として浦賀寄りから3号車にはパンタグラフ2基を搭載していたが、デハ1507で1986年はじめから、デハ1515で新製直後から浦賀寄り1基を降下して長期試験を実施、問題がないことが確認された後、1989年(昭和64年/平成元年)ごろ各編成浦賀寄りのパンタグラフを撤去した。撤去されたパンタブラフの配管はそのまま残され、更新工事後もそのままとなっている。戸袋窓があることが外観上の特徴だった。当時4両編成で運用されていた旧1000形初期車の置換用として製造されたため、8両編成が登場するまでは専ら普通列車に運用されていたが、1986年秋の休日に4連2本を併結して快速特急に運用されたほか、同じころ平日朝の急行に2本併結して運用されるなど優等列車に運用されることもあった。
[編集] 1985年3月製造車
太字は東急車輛製、細字は川崎重工製。「電装品」は主電動機、主制御器の製造者を示す。以下各製造時で同じ。
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1501 | 1502 | 1503 | 1504 | 東洋 | 1985年3月 |
1505 | 1506 | 1507 | 1508 | 東洋 | 1985年3月 |
1509 | 1510 | 1511 | 1512 | 三菱 | 1985年3月 |
1500形として最初に製造されたグループ。川崎重工製1509編成が最初に入線、営業運転を開始した。
[編集] 1986年7月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1513 | 1514 | 1515 | 1516 | 三菱 | 1986年7月 |
1517 | 1518 | 1519 | 1520 | 東洋 | 1986年7月 |
前回製造車とほぼ同仕様だが、中央扉を締切る戸閉半減回路が追加された。1986年度に製造された800形21両中15両を東急車輛製としたため、このグループ全8両が川崎重工製である。
[編集] アルミ車体・界磁チョッパ車
1987年(昭和62年)度製の車両からは車体の材質がアルミ合金製となり、車体幅が若干広くなったが、壁厚が増しているため車内幅は若干狭くなっている。戸袋窓が廃止され、窓幅が若干広くなったほか、雨樋が型材で押し出された側板と一体構造となったこと、車側灯がLEDとなったことが外観上の特徴である。前面窓ガラス上部の青色ぼかし幅が広くなり、貫通扉窓にも設けられた。
[編集] 1988年1月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1521 | 1522 | 1523 | 1524 | 東洋 | 1988年1月 |
M1c | M2 | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1601 | 1602 | 1603 | 1604 | 1605 | 1606 | 東洋 | 1988年1月 |
1607 | 1608 | 1609 | 1610 | 1611 | 1612 | 三菱 | 1988年1月 |
京急で初めてアルミ車体を採用したグループ。全車電動車の4両編成1本と6両編成2本が製造され、4両編成は普通鋼車体の続番、6両編成は1600番台に区分された。6両編成のM1'車にはパンタグラフ2個が装備できるよう配管が設置されていたが、浦賀寄りのパンタグラフは搭載されていなかった。1521編成の補助電源用静止形インバータ(SIV)は混載、(デハ1522は三菱電機製、デハ1524は東洋電機製となっている。)1601編成の補助電源用静止形インバータ(SIV)は三菱電機製。デハ1523、デハ1524には冬季出庫時の暖房効果を高めるため、セラミックヒータが試験的に座席下に設置された。
[編集] 1988年6月・7月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1525 | 1526 | 1527 | 1528 | 東洋 | 1988年6月 |
1529 | 1530 | 1531 | 1532 | 東洋 | 1988年6月 |
M1c | M2 | M1' | M2' | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1613 | 1614 | 1621 | 1622 | 1615 | 1616 | 1617 | 1618 | 三菱 | 1988年7月 |
4両編成2本と8両編成1本が製造された。8両編成は6両編成の続番とされたが、浦賀寄りから3両目と4両目は次回製造の1619編成の中間車となる予定で付番されている。このときから屋根の防水処理が塗り屋根に変更された。8両編成はM1'車が2両とも2個パンタグラフとされ、編成中6個のパンタグラフをもつ編成となった。今回製造の4両編成2本はシートの色が赤色だったが、10年程度で他車と同じ青色に交換されている、
[編集] 1989年3月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1533 | 1534 | 1535 | 1536 | 東洋 | 1989年3月 |
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
____ | ____ | 1901 | 1902 | ____ | ____ | ____ | ____ | 三菱 | 1989年3月 |
1619 | 1620 | 1903 | 1904 | ____ | ____ | 1623 | 1624 | 三菱 | 1989年3月 |
1625 | 1626 | 1905 | 1906 | 1627 | 1628 | 1629 | 1630 | 東洋 | 1989年3月 |
前回製造の1613編成と組み合わせて6M2Tの8両編成2本とするための8両と4両編成、8両編成各1本が製造された。1625編成の補助電源用静止形インバータ(SIV)は三菱電機製。今回初めてサハ1900形が製造され、浦賀寄りから3両目、4両目に組み込まれ、M1'車の浦賀寄りのパンタグラフはサハ1900形の補機への給電用とされた。今回編成単位で製造された車両からデハ1523、デハ1524で使用されたセラミックヒータが設けられた。その他の車両についても蹴込み板に穴があけられ、ステンレス製の板でふさがれた。
[編集] 1989年6月・7月製造車
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
____ | ____ | 1907 | 1908 | ____ | ____ | ____ | ____ | 三菱 | 1989年7月 |
____ | ____ | 1909 | 1910 | ____ | ____ | ____ | ____ | 三菱 | 1989年7月 |
1631 | 1632 | 1911 | 1912 | 1633 | 1634 | 1635 | 1636 | 東洋 | 1989年6月 |
1637 | 1638 | 1913 | 1914 | 1639 | 1640 | 1641 | 1642 | 三菱 | 1989年7月 |
8両編成2本と、1988年1月製造の1601編成、1607編成に組み込まれるサハ1900形2両が製造された。1601編成、1607編成のM1'車はサハ組み込み時に浦賀寄りにパンタグラフを搭載した。今回製造車で8両編成が7本となり、1989年(平成元年)7月5日のダイヤ改正から都営線・京成線への乗り入れに充当された。[3]
[編集] 1990年2月・3月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1537 | 1538 | 1539 | 1540 | 東洋 | 1990年3月 |
1541 | 1542 | 1543 | 1544 | 東洋 | 1990年2月 |
1545 | 1546 | 1547 | 1548 | 三菱 | 1990年3月 |
4両編成3本が製造された。客室内の非常通報装置に通話機能が追加された。1537編成の補助電源用静止形インバータ(SIV)は三菱電機製。
[編集] 1991年2月製造車
M1c | M2 | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1549 | 1550 | 1551 | 1552 | 三菱 | 1991年2月 |
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1643 | 1644 | 1915 | 1916 | 1645 | 1646 | 1647 | 1648 | 東洋 | 1991年2月 |
1649 | 1650 | 1917 | 1918 | 1651 | 1652 | 1653 | 1654 | 三菱 | 1991年2月 |
界磁チョッパ車の最終増備車。4両編成1本と8両編成2本が製造された。前年にVVVFインバータ制御車(1701編成)が登場していたが、今回製造分は界磁チョッパ車とされた。1701編成に合わせ、車内スピーカーの増設が行われた。
[編集] アルミ車体・VVVFインバータ制御車
京急初のVVVFインバータ制御車となったグループ。電動車は1700番台となったが、付随車はサハ1900形の続番とされた。台車形式、補助電源装置などに変更はない。前面に排障器(スカート)を装着したことが外観上の特徴。制動方式が「新遅れ込め方式 (MBS-A) 」と呼ばれるものに変更され、回生ブレーキが効いている間すべてのブレーキ力を回生ブレーキが負担する。接客設備では空調制御が全自動化され、車内スピーカーが増設された。誘導電動機化されたことで主電動機整流子の点検は不要となり、室内床面の主電動機点検蓋は廃止された。駆動装置の点検蓋は存置されたが、点検蓋の開閉頻度が少ないため、騒音防止のため蓋はボルトで固定されている。これは600形(3代)と2100形も同様であり、その後の新1000形では点検蓋は設置されていない。制御器などの詳細は主要機器の項を参照。このグループで4両編成は製造されなかった。
[編集] 1990年8月製造車
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1701 | 1702 | 1919 | 1920 | 1703 | 1704 | 1705 | 1706 | 東洋 | 1990年8月 |
量産に先行して製造されたグループ。サハ1900形は1989年製造車から4両分飛ばして付番されており、次回製造が界磁チョッパ車となることが暗示されていた。登場後しばらく営業運転に使用されず、営業投入後もしばらくは限定運用、他社線乗り入れには使用されなかった。
[編集] 1992年2月製造車
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1707 | 1708 | 1921 | 1922 | 1709 | 1710 | 1711 | 1712 | 東洋 | 1992年2月 |
1713 | 1714 | 1923 | 1924 | 1715 | 1716 | 1717 | 1718 | 三菱 | 1992年2月 |
VVVFインバータ制御の量産車。座席がバケットシートとなった。1713編成のVVVFは東洋電機製。
[編集] 1993年1月・2月製造車
M1c | M2 | Tu | Ts | M1' | M2' | M1 | M2c | 電装品 | 製造年月 |
1719 | 1720 | ____ | ____ | 1721 | 1722 | 1723 | 1724 | 東洋 | 1993年2月 |
1725 | 1726 | ____ | ____ | 1727 | 1728 | 1729 | 1730 | 東洋 | 1993年2月 |
1731 | 1732 | ____ | ____ | 1733 | 1734 | 1735 | 1736 | 三菱 | 1993年1月 |
1500形の最終増備車。6両編成3本が製造され、既存の界磁チョッパ車6M2T編成から抜き取ったサハ1900形各2両を浦賀寄りから3両目、4両目に組み込んで8両編成で出場した。サハ1900形には電動車に合わせるため、座席、非常通報装置の変更、制動方式の改造が施された。1719編成には1601編成から抜き取ったサハ1907、サハ1908が、1725編成には1607編成から抜き取ったサハ1909、サハ1910が、1731編成には1637編成から抜き取ったサハ1913、サハ1914が組み込まれた。同様に界磁チョッパ車6M2T編成すべてのサハ1900形を1700番台新造車に組み込む予定だったが、その後の増備が600形に移行したため、今回限りとなった。1719・1725編成の電動車の電装品は東洋電機製だが、付随車の補助電源用静止形インバータは三菱電機製となっている。1731編成は初の三菱電機製VVVF車となった。
[編集] 改造工事
登場後各種の改造工事が施されている。
[編集] 界磁チョッパ車全車電動車化
1993年(平成5年)から界磁チョッパ車6M2T編成のサハ1900形2両を新造された1700番台編成に組み込む工事が開始されたが、その後の増備が600形に移行したため、1回限りとなった。サハ1900形を抜き取られた1601編成の浦賀寄りから3両目、4両目に1607編成の中間車デハ1609-デハ1610を組み込み、8両編成化、1607編成は4両編成化、1637編成はサハ1900形を抜いた6両編成のままとされ、1500形唯一の6両編成となった。M1’車は当初浦賀寄りのパンタグラフを残し、降下して運用されていたが同年10月までに撤去された。
[編集] ADL設置工事
1990年代に唯一の6両編成だった1637編成を対象に、梅屋敷駅ではみ出し停車(ホームの有効長が、4両編成分しかないため)を行う際に浦賀方2両のドアを締切るADL(自動ドアロック)を装備した。同様に、ドアを締切る浦賀方2両のドアには、梅屋敷駅でドアが開かないことを知らせるステッカーを貼り付けている。その後本工事は6両編成化された各編成にも都度施工されている。
[編集] 120km/h対応改造
1995年(平成7年)4月のダイヤ改正より120km/h運転を一部列車・区間で実施することに伴い、120km/hからの非常制動時の停止距離を600m以内とするための改造工事がアルミ車体・全車電動車の界磁チョッパ車4両・8両編成を対象に行われた。元空気溜圧力を増加させたため、通称「増圧ブレーキ」と呼ばれる。その後2001年(平成13年)9月15日のダイヤ改正で日中の都営線直通快特を120km/h運転することしたため、対象を6M2Tの界磁チョッパ車8両編成にも拡大した。VVVFインバータ制御車には登場時から増圧ブレーキが装備されていた。普通鋼車体車は更新工事の際に増圧ブレーキを装備する予定だったが、その資材を6M2Tの界磁チョッパ車の8両編成に転用した。このため、鋼製車は現在も増圧ブレーキを装備せず、日中は本線の普通電車や大師線を中心に運用している。
[編集] 更新工事
2001年(平成13年)度より鋼製車の更新工事(1517編成から)、翌2002年(平成14年)度よりアルミ車の更新工事が行われている。界磁チョッパ車の更新工事は2008年(平成20年)3月出場の1549編成で終了、1500形のスカートなし編成は姿を消した。本工事は、全て京急ファインテックにて行われている。
[編集] 外観
- 1500・1600番台にスカートを設置した。一見すると1700番台と同じタイプだが、連結器部分の切り欠きの形状に違いがある(1700形は角が丸い)。
- 鋼製車の戸袋窓が埋め込まれた。
- 2100形と同じタイプの外幌を新設の台座を介して設置とそれに伴う妻窓の埋め込み。
- 冷房装置をCU-71E-G1に交換。ただし1533・1701編成のみはCU-71E-R6搭載している。その後1701編成のデハ1704のみCU-71E-G1に交換された。
- 後部標識・戸閉灯はLED式だったが、経年変化による輝度低下が激しいため、電球式に交換した。外されたLEDのうち状態が良いものは久里浜工場で修繕される都営浅草線用5300形の照度調達用として使用した。
- 種別・行先表示器を交換した。行先表示器は(久里浜・川崎・蒲田→)『京急○○』や(八景・文庫→)『金沢○○』、(新町→)『神奈川新町』など従来省略表記としていた駅名を正式表記とした。
- 2003年(平成15年)度施行車からは同年新造の新1000形で採用したローマ字表記を併記し、行先表示器の字幕表地を従来の黒から白とした。その後、2002年度に更新工事を施した1521・1601・1607編成も黒地幕から白地幕に変更した。
- 車端部の「KHK」のロゴを「KEIKYU」に変更。
[編集] 内装
- 床材を張り替えた。色は黄色に近いクリーム系統。
- 座席を2000形や新1000形と同じバケットシートに交換。優先席は青色の座席表地となった。シート間には手摺りを設置。また、アルミ車は運転室後部を除き座席を片持ち式とした。
- 座席端部の仕切り(袖仕切り)を東日本旅客鉄道(JR東日本)のE231系の色違いのタイプに交換した。従来は「つや消し」だったが、2005年(平成17年)度の更新からは車内の明るさや清潔感を増やすために「つやあり」のものに変更した。
- 化粧板を張り替え。
- 車いすスペースを両先頭車に設置。
- 天井を張り替え。これにより冷房吹き出し口の羽根がなくなった。
- ドア上部にチャイム付きLED式の車内案内表示器を設置。筐体はクリーム色であるが、車内(内装)雰囲気が明るいため、2100形よりも少し明るい色調となっている。ドアチャイムは京急では初採用である。当初の音色は東海旅客鉄道(JR東海)313系類似であったが、のちに新1000形と同一のものに変更された。
- 窓枠を交換した。これにより、カーテンを固定する器具が露出していて1段引き下ろしだったのが枠内に収められ、フックを増設した。 なお、一部鋼製車では、カーテン先端の金属製の取っ手に、小さなプラスチック製の取っ手が付いている。
- 2005年度施工車からは、火災時の延焼防止、煙拡散防止のため号車間を仕切る扉を新1000形の4次車と同様に各号車の浦賀寄りに増設した。 ただし新1000形のように縦長窓や傾斜式のものではない。
- 放送装置を羽田空港向けの英語対応機種へ更新し、簡易自動放送装置の音声を変更。
- 運転台に緊急スイッチを設置。
[編集] VVVF化改造工事
2006年(平成18年)度から界磁チョッパ制御車をVVVFインバータ制御に改造する工事が実施されている。新1000形6次車以降と同様の主電動機(155kW)、主制御器が採用された。本工事は6M2Tの8両編成の浦賀寄りから6両目、7両目を抜き取ってM車をVVVFインバータ制御に改造の上4M2T化し、抜き取られた中間車2両の順序を入れ替えて界磁チョッパ制御の4両編成または6両編成に組み込み、こちらを界磁チョッパ、全電動車の6両編成または8両編成とする形で行われている。VVVF化改造後の主制御器・主電動機メーカーは界磁チョッパ時代と同一である。施工車には前述の更新工事と同時に施工されたものと、更新工事後に別途施工したものがある。主電動機点検蓋は同様の改造を行った他社車両には廃止した例もあるが、本工事ではそのまま残っている。VVVF化改造工事は更新工事並施の1649編成から開始され[4]、従来の1500形の6両編成は全電動車を基本としていたが、VVVFインバータ制御に改造することで4M2Tでも同等の性能を確保した。歯車比は82:15(5.47)のままである。その後1643編成にも更新並施でVVVF化改造工事が、VVVF化単独工事が1613編成・1619編成に実施された。1649編成から抜き取られたデハ1652-デハ1653は1545編成に組み込み、1643編成から抜き取ったデハ1646-デハ1647は1541編成に組み込んで6両編成化された。1613編成から抜き取られたデハ1616-デハ1617と1619編成から抜き取られたデハ1622-デハ1623はそれぞれ1601編成、1607編成に組み込まれて8両編成化されている。
[編集] その他の改造工事
- 1601編成のデハ1601には架線観測装置を搭載していたが、更新工事に伴い600形605編成の605-1に移設した。
- 1549編成は冷房能力向上のための試験で屋根を白く塗装している。
- 1997年(平成9年)4月7日に安針塚駅~京急田浦駅間で、がけ崩れによる脱線事故に巻き込まれた1533編成のうち、損傷のひどかったデハ1536の車体は載せ替えられ、2代目となっている。
[編集] 運用
8両編成は主に優等列車に使用され、都営浅草線、京成線、北総線への乗り入れ運用が中心となっている。6両編成は自社線内の普通電車に、4両編成は普通電車や自社線内の優等列車の付属編成に使用されているほか、大師線の運用も行っている。高砂以遠への運用は稀だが、京成本線の上野や成田空港にも入線したことがある。
2100形、600形、新1000形、2000形とも連結可能である。
[編集] 編成
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4両編成(4M)(鋼製車)・・・ただし行先表示器の字幕は黒幕のまま
- デハ1501-デハ1502-デハ1503-デハ1504
- デハ1505-デハ1506-デハ1507-デハ1508
- デハ1509-デハ1510-デハ1511-デハ1512
- デハ1513-デハ1514-デハ1515-デハ1516
- デハ1517-デハ1518-デハ1519-デハ1520
4両編成(4M)(アルミ車)
- デハ1521-デハ1522-デハ1523-デハ1524
- デハ1525-デハ1526-デハ1527-デハ1528
- デハ1529-デハ1530-デハ1531-デハ1532
- デハ1533-デハ1534-デハ1535-デハ1536
- デハ1537-デハ1538-デハ1539-デハ1540
- デハ1549-デハ1550-デハ1551-デハ1552
6両編成(6M)・・・ADL(自動ドアロック)装備
- デハ1541-デハ1542-デハ1647-デハ1646-デハ1543-デハ1544
- デハ1637-デハ1638-デハ1639-デハ1640-デハ1641-デハ1642
6両編成(4M2T)(VVVFインバータ換装車)・・・ADL(自動ドアロック)装備。
- デハ1613-デハ1614-サハ1901-サハ1902-デハ1615-デハ1618
- デハ1619-デハ1620-サハ1903-サハ1904-デハ1621-デハ1624
- デハ1631-デハ1632-サハ1911-サハ1912-デハ1633-デハ1636 ※6両に組み替え、VVVF化改造?
- デハ1643-デハ1644-サハ1915-サハ1916-デハ1645-デハ1648
- デハ1649-デハ1650-サハ1917-サハ1918-デハ1651-デハ1654
8両編成(8M)
- デハ1545-デハ1546-デハ1653-デハ1652-デハ1635-デハ1634-デハ1547-デハ1548
- デハ1601-デハ1602-デハ1603-デハ1604-デハ1617-デハ1616-デハ1605-デハ1606
- デハ1607-デハ1608-デハ1609-デハ1610-デハ1623-デハ1622-デハ1611-デハ1612
8両編成(6M2T)
- デハ1625-デハ1626-サハ1905-サハ1906-デハ1627-デハ1628-デハ1629-デハ1630
8両編成(6M2T)(VVVFインバータ車)
- デハ1701-デハ1702-サハ1919-サハ1920-デハ1703-デハ1704-デハ1705-デハ1706
- デハ1707-デハ1708-サハ1921-サハ1922-デハ1709-デハ1710-デハ1711-デハ1712
- デハ1713-デハ1714-サハ1923-サハ1924-デハ1715-デハ1716-デハ1717-デハ1718
- デハ1719-デハ1720-サハ1907-サハ1908-デハ1721-デハ1722-デハ1723-デハ1724 ※現在、更新工事中
- デハ1725-デハ1726-サハ1909-サハ1910-デハ1727-デハ1728-デハ1729-デハ1730
- デハ1731-デハ1732-サハ1913-サハ1914-デハ1733-デハ1734-デハ1735-デハ1736
※太字は未更新編成。
[編集] 脚注
- ^ 『京急ファン』1985年4月号に掲載された記事による。『写真で見る京急100年の歩み』によるとアルミ車の営業運転開始は1988年(昭和63年)1月11日、VVVFインバータ車の運転開始は1990年(平成2年)10月5日。
- ^ 東洋電機技報第115号、2007年3月発行による
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1989年11月号に掲載された記事による
- ^ 出場まで半年近く掛かっていたが、2006年7月下旬に通電されていたことが確認された。出場してからも長らく久里浜工場の試験線で教習を実施していた。これは誘導障害防止の結果を明らかにする目的がある為であり、各種試験をクリアしたのち同年9月9日頃から営業運転に復帰した。
[編集] 外部リンク
- 京浜急行電鉄
- 東洋電機製造
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