京成上野駅
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京成上野駅 | |
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京成上野駅正面口(2007年8月撮影) |
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けいせいうえの - Keisei-Ueno | |
◄- (-km)
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所属事業者 | 京成電鉄 |
所属路線 | 京成本線 |
キロ程 | 0.0km(当駅起点) |
所在地 | 東京都台東区上野公園 |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗降人員 -統計年度- |
48,000人/日 -2006年- |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月10日 |
備考 | 1953年に上野公園駅から改称。 |
京成上野駅(けいせいうえのえき)は、東京都台東区上野公園にある、京成電鉄本線の駅である。
旅客向け案内では、「京成」を省略して上野とすることが多い[1]。
京成本線の起点駅、京成電鉄の東京側のターミナル駅の一つとなっている。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム2面4線を有する地下駅。上野公園の真下に位置する。
1973年の駅改修時に「スカイライナー」を10両編成で運行することが計画されていたことから、ホーム有効長は10両分ある。
地上への出入口は、駅本屋に併設しているアメ横口、上野公園への入口に近い正面口のほか、池之端口(2か所)の計4か所が存在している。過去には朝日生命ビル前に広小路口[2]と上野公園内の駅直上に公園口[3]も存在していた。また、アメ横口はヨドバシカメラ自社ビル建設中のため一時的に閉鎖されている。なお、他に京成上野駐車場経由で地上に出られる出入口がいくつか存在する。
東日本旅客鉄道(JR東日本)や東京地下鉄銀座線・日比谷線の上野駅と地下通路により改札外でつながっており、乗り換えが可能であるが、JRへは正面口出口(地上出入口)を出るよう案内サインによって表示されており、地下通路で両駅がつながっていることは京成・JRの両社では案内していない。
成田空港に到着した外国からの旅行者が最初に訪れる東京の場所の1つであることから、東京都の「東京観光情報センター」京成上野支所が置かれており、内外からの旅行者向けに観光案内を行っている。年中無休で9時30分から19時30分まで営業している。
構内の旅行代理店「京成トラベル」では、米ドル、ユーロ、豪ドル、韓国のウォン、中国の人民元の外貨自動両替機を設置している。
当駅の地下通路の一つには「京成上野ステーションギャラリー」があり[4]、通路の壁を利用して写真や絵画などの展示スペースとして貸し出されている(見学無料)。
1990年代後半に自動改札機が更新・増設された時は、中央の有人改札口がAE100形の先頭車をモチーフにした「スカイライナー」専用改札口に変わっていた。その後、完全自動改札化された時に幅広型の自動改札機を2台設置した。
開業時の駅本屋(現在のアメ横口)は旧京成電鉄本社ビル[5](京成聚楽ビル、別名「軍艦ビル」)だったが、老朽化により2006年に取り壊された。このビルは1969年から1977年まで「上野京成ホテル」として使われていた。跡地にはヨドバシカメラが自社ビルが建設された。将来的には地下通路で結ばれる予定である。
[編集] のりば
1 | ■■ | 本線 | 普通(一部「スカイライナー」・「イブニングライナー」) | 青砥・京成津田沼・成田空港・東成田線 東成田・芝山鉄道線 芝山千代田・ 金町線 京成金町・千葉線 京成千葉方面 |
2 | ■■ | 本線 | 普通(一部「スカイライナー」・「イブニングライナー」) | |
3 | ■■ | 本線 | 日中は主に成田空港行快特・特急発着 | |
4 | ■■ | 本線 | 日中は主に成田空港行快特・特急発着 |
[編集] 利用状況
2007年度の1日平均乗降人員は47,561人で、京成線内64駅中第8位である。
[編集] 駅周辺
東方にはJR・地下鉄の上野駅があり、駅前から南東方はいわゆる「上野の町」が広がる。当駅は上野公園と繁華街の間にある。
上野も参照
- 上野駅 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)、東京地下鉄銀座線・日比谷線。地下通路でつながっている。
- 上野恩賜公園(上野公園) - 当駅はこの公園の南端の地下にある。
- アメヤ横丁
- アメ横センタービル
- 鈴本演芸場
- お江戸上野広小路亭
- 台東区立下町風俗資料館
- ヨドバシカメラマルチメディア上野
- マルイシティ上野 - 地下道経由地下鉄上野駅前
- 上野駅前郵便局
- ABAB上野店
- 上野松坂屋
- 東京地下鉄銀座線上野広小路駅・東京都交通局(都営地下鉄)大江戸線上野御徒町駅 - 地上経由で出入口まで徒歩約5分。現在、当駅から両駅までを結ぶ地下通路と地下駐車場を建設中。2009年3月完成予定[6]。
[編集] 路線バス
正面口付近に「京成上野駅」と「上野公園山下」の2つのバス停が存在するほか、上野駅周辺にバス停が散在する。詳細は上野駅#バス路線を参照。
[編集] 歴史
- 1933年(昭和8年)12月10日 - 「上野公園駅」として開業。開業時は2面4線(4両編成)。
- 1945年(昭和20年)6月10日 - 運輸省接収命令により営業休止。
- 1945年(昭和20年)10月1日 - 営業再開。
- 1953年(昭和28年)5月1日 - 「京成上野駅」に改称。
- 1967年(昭和42年) - 6両編成運転開始に伴い1番線を閉鎖してホームを延長し、2面3線となる。
- 1972年(昭和47年) - 10月25日 「スカイライナー」運行開始に伴う改良工事を開始。開業時の形態に縮小。6両編成は日暮里駅で折り返し。
- 1973年(昭和48年)6月16日 - 全面改装のため、半年間営業休止(その間は全列車日暮里駅で折り返し)。
- 1973年(昭和48年)12月16日 - 完成した1面2線を使用して営業再開。
- 1976年(昭和51年) - 京成で2番目の自動改札機を設置。
- 1976年(昭和51年)7月 - 1面2線を増設して改装完成、現在の形態となる。
[編集] 備考
上野公園地下線建設時の条件として「公園の樹木、特に桜の根を損傷してはならない。寛永寺などの建造物に影響を及ぼしてはならない」などの厳しい条件を付けられたことは有名で、後年の大改装の時も公園の環境保全には特に神経が払われている。
太平洋戦争末期に陸運統制令による強制収用で当駅~日暮里間の営業を休止し、三線軌条化した上で地下線内に国鉄車両を搬入して指令設備などが置かれたが、実際にはあまり使用されなかったようである。また、上野駅構内を軍需工場に転用するための検討が行われ、機材の配置図面作成や条件交渉が行われているうちに終戦を迎えたという。なお、文献によっては、省電の避難場所や学童疎開列車の発着場所として使われたなどといった記述[7]もあるが、真偽ははっきりと分かっていない。
[編集] 隣の駅
- 京成電鉄
- ■■本線
- ■快特・■特急・■通勤特急・■快速・■普通
- 京成上野駅 - 日暮里駅
- ■快特・■特急・■通勤特急・■快速・■普通
- なお、当駅 - 日暮里間には博物館動物園駅や寛永寺坂駅が存在していたが、前者は2004年4月1日(1997年4月1日に休止)、後者は1947年8月21日に廃止された。
- 当駅(京成上野駅)から隣の日暮里駅までの停車間距離最高速度(種別毎に定められた駅同士の間の最高速度)は全列車共通で50km/hだが、地下区間は35km/hであるため、わずか1.5kmを5分近くかけて走っている。
[編集] 参考文献
- 石本祐吉「京成電鉄“不思議発見”」『鉄道ピクトリアル』632号、電気車研究会、1997年1月
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
京成本線 |
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