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京急400形電車 - Wikipedia

京急400形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

400形電車(400がたでんしゃ)は、京浜急行電鉄に在籍していた通勤形電車。 ただし、第二次世界大戦前期より戦後にかけての製造であるため、その外観は差異の幅が大きい。

目次

[編集] 概要

3扉ロングシート釣り掛け駆動車を、1965年昭和40年)の形式整理によりデハ400形、サハ480形の2形式に統合した車両群であり、その製造年次から以下のバリエーションがある。また同車は戦後の京急車両の規格規範となった。同形式とはいえ、出自・形態にあわせて番台区分されており、車番と形態の相関把握は容易である。

いずれのグループも、1970年代初頭に実施された徹底した更新修繕により、特に室内は1000形等、更新当時の新車に遜色無いものとなっていた。また、誘導無線アンテナ設置により、電動車パンタグラフの連結面寄りへの移設と一部の撤去が実施されていた。

更新が実施された70年代初頭までは、快速特急から普通まで種別を問わず重用され、主力の一角をなしていた。長編成での運用も多く、とりわけ朝ラッシュ時には本グループ及び共通運用であった500形を混成した10輌編成の特急が存在したほか、夏季海水浴シーズンには増発特急に駆り出されることもあった。特異な例としては1978年(昭和53年)の都営地下鉄ストライキに際して、車輌需給の都合から

420-420+420-420+460-480-480-460+500-550-550-500→品川

の12連特急が出現した記録がある。(但し後部4輌は金沢文庫→神奈川新町間のみ。)

高加速・高速性能確保や先頭電動車主義など、京急は独自の思想展開で知られるが、その影響は本形式も例外ではなく、登場当初は制御車だった車両も後年電動車もしくは中間付随車への改造が施された。この結果電動車デハ400形が64輌に対し付随車がサハ480形が僅か14輌と、電動車比率が高く、電動車のみの編成であっても使用されている主電動機出力は115kW(150馬力)と大きい。付随車連結の編成では150kW(200馬力)のものを使用していた。このため、実際の運用では後年までカルダン駆動の他形式に伍して最高100km/hの本線高速運用にも充当された。これは1980年代に入って釣り掛け車を多用していた他社のうち、支線区各停用・低速高加速ダイヤの東急は94kWクラスの2M1T、本線優等用・高速低加速ダイヤの名鉄は110kWクラスの1M1Tを標準としていることを考慮すれば特異であり、前述した高加速と高速運転の双方を満たすための、京急ならではの事象といえる。

とはいえ、常にギヤやアクスルメタルへの給油点検を要する釣り掛け駆動装置の保守はもとより、MM'ユニット編成ではないため、主制御器等は電動車各車に搭載され、電気ブレーキを持たないため高速域から停止まで鋳鉄制輪子による空気ブレーキを使用することになるなど、保守上からは歓迎されざる要素が大きい車輌でもある。ただし後年一部の車両は制動力の安定するレジン製制輪子に交換された。また、消費電力が大きいため、10輌編成時には付随車連結の編成を組み込み8M2Tとすることなど、長編成時には組成上の制約が存在した。前述の更新が実施されたにも関わらず、これらの問題からさほど長く運用されないまま営業運転から撤退することとなった。

1978年秋のダイヤ改正で普通列車の性能曲線が1000形基準となったため、その後は主に6連で川崎-逗子海岸間急行(逗子急行)や3連で空港線で運用された。デハ400・440グループは3連組替と同時に空港線専用となった。デハ460・470グループは500形と共に150kW主電動機を装備していたが、これらは付随車を外して電動車比率を上げ、加速力を確保する意味合いもあったといわれる。実際組替後しばらくは3+3の6連で逗子急行に充当された。以後、800形の増備で本線から捻出された車輌が空港線で運用されている一代前のグループを置き換えてゆく、ということを繰り返し、デハ400・420グループの2連やデハ470グループを除き、大半が空港線を最後に旅客運用から離脱した。最後まで使用されたのは460グループで、1986年(昭和61年)、500形と交替に廃車となった。

[編集] グループ各説

以下、デハ400形・サハ480形として整理後の各グループに分けて解説する。

[編集] デハ400グループ

1942年(昭和17年)に東急デハ5300形として20輌が新製された、車体長17.5m車幅2.7m級の半鋼製車。この車体寸法が、その後の京急ばかりか、都営浅草線や京成グループの標準寸法の元となった。そもそも発注時は京濱デ201形・湘南デ251形の予定であったが、完成時には両社は大東急に併合されており、この形式は幻に終わった。先に車体が完成したが電気部品が調達できず、しばらく車庫で待機し、電気部品が手に入ったところで営業運転を開始した。京浜急行電鉄成立後はデハ300形を名乗った。また、京急で唯一、18m級の両運転台車両でもあった。後述の更新前に前照灯のシールドビーム化、尾灯の角形化が施された。1965年から1966年(昭和41年)にかけて片運転台化、貫通路の設置をした上でデハ400形に統合された。1000形に準じた室内更新、アルミサッシ化、一部の4両固定化に伴う中間車化改造とパンタ撤去、列車無線アンテナ新設とパンタの連結面移設、方向幕設置等、度重なる改造が実施されたが、1979年(昭和54年)、3連化のうえ230形に代わり投入されていた空港線を最後に旅客運用から外れ、6両は小改造のうえデワ40形貨車となった。

なお、本形式の相方としてクハ5350形となる予定であった5両は、永福町車庫の空襲被災で深刻な車両不足となった井ノ頭線(現・京王井の頭線)に投入され、デハ1710形となった。最終的には京王線に転属し、軌間は異なるがデハ1700形と共に長軸台車が活かされることとなった。

[編集] クハ480→サハ480グループ

1947年(昭和22年)、岡山県の三井玉野造船所で、木造車両の改造扱いとして10輌製作された。戦後の分離以前に登場した同仕様の増備車で、大東急分離以前であったため東急デハ5400形として竣工した。このデハ5400形は当時の東京急行電鉄品川支局初の片運転台、1500V単電圧車両であった(当時は600/1500Vの複電圧車と600Vの単電圧車のみだった)。京浜急行電鉄成立後はデハ400形(初代)を名乗る。車体寸法は前記の5300形と同じだったが、いかにも造船会社の製作らしいリベットの目立つ一種独特の車体外観であった。

戦後間もない時代の粗悪な部材に加え、それまで鉄道車輌製造の経験が無いメーカーによるものであった為か早期に状態不良となったものが多く、他車に先駆けて1965年から1966年にかけて1000形に準じた前後対称の車体に載せ変え、サハ480形となった。番号対比は下記のとおり。

デハ460グループの中間車として使用されたが、1980年(昭和55年)、奇数号の車両が加速性能向上のため抜き取られた後、廃車され、残った偶数号の車両も相手のデハと共に1986年(昭和61年)までに廃車された。末期には先に廃車となったデハ470グループから台車を転用し、旧デハ400形時代の面影は完全に失われていた。

なお、余剰となった三井造船製車体はスクラップ扱いで西武建設が購入、西武鉄道所沢工場で再生のうえ、新車扱いで弘前電鉄(現:弘南鉄道大鰐線)、総武流山電鉄、近江鉄道、伊予鉄道に売却された。

Mc401~Mc410 → T481~T490

[編集] デハ420グループ

1949年(昭和24年)京浜急行電鉄成立後に初めて製造された、運輸省規格型車体を持つもので、当初はデハ420形を名乗った。そのため車体長はやや短く、このグループのみ17.0mだった。15輌と半端な輌数であったことから、デハ436のみこれを埋め合わせる目的で1956年(昭和31年)に新製されたが、車体形状は他の15輌と殆ど相違無く、新製当時の塗色も黄と赤のツートンであった。後年貫通路が設置されている。規格型新製当時の粗悪鋼材によるものか更新修繕はデハ400グループよりも徹底され、原形を残しながらも外板は全面張替えとなり、ノーシル・ノーヘッダ、全金属車体化されたが、中間車化等は行われなかった。末期は主に川崎-逗子急行に充当されたが、1982年(昭和57年)に全廃された。

[編集] デハ440・デハ470・サハ490グループ

1953年(昭和28年)500形の3扉・ロングシート版として製造され、当初は初代600形(デハ600形-クハ650形)を名乗った。現在まで続く白帯塗色を用いた最初の形式である(帯の幅など細かいところは後に変遷がある)。客室部の窓配置が全体に乗務員室寄りに偏っている前後非対称配置である。このため中間車化されたものは旧乗務員室部には狭幅の窓が新設された。当初は半鋼製であったが、1974年(昭和49年)までにデハ612以降と同様の全金製車体に更新された。また、1973年(昭和48年)に更新された下記の※のものは側窓を1段下降式とし、あわせて自動種別・行先表示器を正面・側面共に採用した。これらは1983年(昭和58年)までに全廃されている。

以下に改番表を示すが、便宜上デハをMc、Mに分けている
Mc601-Tc651 →  T492※・ T491※
Mc602-Tc652 →  T494※・ T493※
Mc603-Tc653 →  M451・ M450(110kW電動機使用)
Mc604-Tc654 → Mc471※・Mc472※(150kW電動機使用)
Mc605-Tc655 → Mc473※・Mc474※(150kW電動機使用)
Mc606-Tc656 →  M443・ M442(110kW電動機使用)
Mc607-Tc657 → Mc437・Mc438(110kW電動機使用)
Mc608-Tc658 → Mc441・Mc444(110kW電動機使用)
Mc609-Tc659 → Mc445・Mc448(110kW電動機使用)
Mc610-Tc660 → Mc449・Mc452(110kW電動機使用)
Mc611-Tc661 →  M447・ M446(110kW電動機使用)
  • ※印は更新時に1段窓に改造・デハ470・サハ490グループに。

[編集] デハ460グループ

1957年(昭和32年)初代700形の3扉・ロングシート版として当初から全金属車体で製造された、600形増備車。側面は1000形に似ているが、客室部の窓配置が全体に乗務員室寄りに偏っている前後非対称配置である。また、600形(Ⅱ)と同様、車体高さが低い特徴を持つ。

以下に改番表を示す
Mc612-Tc662 → Mc463・Mc464(150kW電動機使用)
Mc613-Tc663 → Mc461・Mc462(150kW電動機使用)
Mc614-Tc664 → Mc465・Mc466(150kW電動機使用)
Mc615-Tc665 → Mc467・Mc468(150kW電動機使用)
Mc616-Tc666 → Mc469・Mc470(150kW電動機使用)

[編集] 編成表

[編集] 更新・改番当初の編成

【440形(110kW電動機搭載車)】

Mc .Mc
437-438
Mc .M  .M  Mc
441-442-443-444
445-446-447-448
449-450-451-452

【460・470形(150kW電動機搭載車)】

Mc .T  T  .Mc
461-481-482-462
463-483-484-464
465-485-486-466
467-487-488-468
469-489-490-470
471-491-492-472
473-493-494-474

[編集] 各グループ晩年の編成

【440形(110kW電動機搭載車)】

Mc .Mc
437-438
Mc .M  Mc
441-442-444
445-447-448
Mc .M  .M  M  .M  Mc
449-450-443-446-451-452

【460・470形(150kW電動機搭載車)】

Mc .T  .Mc
461-482-462
463-484-464
465-486-466
467-488-468
469-490-470
471-492-472
473-494-474

[編集] 改造車・譲渡車

  • 譲渡車
    大規模な更新修繕が行われ車体状態は良好であったものの、東急5000系小田急2200形等狭軌カルダン車の廃車・譲渡が始まっている中で、重量が軽いとはいえない釣り掛け式の中型標準軌車とあって引き取り手は無く、譲渡車は前述のクハ480形三井玉野製旧車体を西武所沢で再生したもののみに留まっている。全ての譲渡先で旧型国電用などの1067mm台車に換装されている。京急残存車よりも長く使用されたものも少なくないが、いずれの譲渡先でも全車が廃車となり既に解体されている。
  • 弘前電気鉄道モハ108…両運転台化、前面貫通化された。右側運転台が特徴。弘南鉄道に合併された後も大鰐線で継続使用。東急7000系入線に伴い1989年(平成元年)廃車。
  • 総武流山電鉄モハ1101…外板の全張替えによるノーシル・ノーヘッダ化、前面、側戸袋窓のHゴム支持化等、徹底的な更新が行われ、更に両運転台化された。京急400系列最後の残存車であったが1994年(平成6年)廃車。末期には密着連結器と元京王井の頭線デハ1900形用のKBD107台車を装備し、構内入換車となっていた。
  • 近江鉄道モハ135形・クハ1210形…台車を旧型国電用DT10に換装し、車体を2扉・全長14mに短縮改造し、ベンチレータはおわん型に変更された。モハ136は貫通路を塞ぎ、乗務員室用扉をつけて両運転台化した。
  • 伊予鉄道モハ120形クハ420形…総武流山同様、外板の全張替えが行われ、デハ420グループ末期を彷彿とさせる外観となった。こちらは前面窓がアルミサッシとなっている。京王5000系を改造した700系入線に伴い1989年廃車。
  • 改造車
    デハ400グループ6両が1979年(昭和54年)、事業用貨車デワ40形に改造された。外見上の改造は貫通路がふさがれ、作業照明が取り付けられ、ナンバーが変更され、内装面ではドアエンジンと吊革が撤去された程度である。主にデワ40形2両の間にホッパー車のホ50形、レール運搬車のチ60形を挟んで使用され、旧客室は作業員輸送・休憩用として使用されたが、1985年(昭和60年)にホ50形(国鉄のホキ800形貨車に近い砂利輸送貨車)と共にデワ45・46が廃車され、以後デト11・12形、デチ15・16形に置き換えられ、連結使用されたチ60形(レール運搬貨車)共々1988年(昭和63年)にデワ41・42が、1989年にはデワ43・44が廃車され、形式消滅した。

これらを含め、京急400系列の現存車は全く存在しない。

[編集] 外部リンク


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