丹波国
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丹波国(たんばのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の京都府中部と兵庫県東辺の一部、および大阪府高槻市の一部・大阪府豊能郡豊能町の一部にあたる。丹後国とあわせて、あるいは単独で丹州(たんしゅう)と呼ばれることがあった。延喜式での格は上国、近国。
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[編集] 沿革
丹波ははじめ「たには」と呼び、古くは田庭・谷端・旦波とも書いた。5世紀ころ四道将軍の遠征により大和朝廷に服属したとされる。
丹波国南部の亀岡盆地は太古は大きな湖であり、風が吹くと美しい丹色の波が立ったところから、このあたりを丹のうみ・丹波と呼ぶようになったとされており、出雲神話で有名な大国主命が亀岡と嵐山の間にある渓谷を切り開いて水を流し土地を干拓して、切り開いた渓谷を妻神「三穂津姫命」の名前にちなみ「保津川・保津峡」と名付けたという伝説も残っており、出雲大神宮(亀岡市千歳町)の祭神となっている。[1]事実、湖だったことを示す地層も明らかになっている[2]。
6世紀ころには「丹波」の名のつく女性が天皇の后となっていることから古代より丹波の名称はあったらしい。7世紀に丹波国が成立したときの領域は、現在の京都府の中部と北部、兵庫県の北部および中部の東辺に及んでいた。この時は現在の丹後、但馬も同国に含まれている。現在では丹波・丹後・但馬を三丹と総称することもある。
年号不明であるが北西部を但馬国、その後、和銅6年(713年)4月3日に北部5郡を丹後国として分離し、後世まで長く続く領域が定まった。
丹波国は大まかに言って亀岡盆地、由良(福知山)盆地、篠山盆地のそれぞれ母川の違う大きな盆地があり、互いの間を山地が隔てている。このため、丹波国は甲斐や尾張、土佐のように一国単位で結束した歴史を持ちにくい性質があり、丹波の歴史を複雑化した。地域性として亀岡・園部の南丹(口丹波)地方は山城・摂津、福知山・綾部の中丹は丹後・但馬、篠山・氷上の兵庫丹波は但馬・摂津・播磨に密接に係わっている。
丹波国は古くより京都の出入口に当たる地理的条件から各時代の権力者から重要視され、播磨や大和などと並んで鎌倉時代の六波羅探題や江戸時代の京都所司代などの支配を受けた。ただそれだけにひとたび都で戦乱が起こった時は戦乱にすぐ巻き込まれた。そして篠村(亀岡市篠町)では、鎌倉時代末期には足利尊氏が挙兵し、安土桃山時代にも丹波亀山城主の明智光秀が本能寺の変へと向う際にそれに倣ったとされるなど、時代変革の舞台ともなった。さほど有名ではないが、戦国時代に八上城の波多野氏は丹波諸豪族をまとめると、これを率いて山城など周辺諸国に進出したこともある。
江戸時代は一国を有する大名は出なかったものの一国7藩(丹波亀山藩、園部藩、綾部藩、山家藩、篠山藩(八上藩)、丹波柏原藩、福知山藩があった。そのうち、丹波亀山藩と篠山藩については松平氏や青山氏を中心として譜代大名による移封が多く、藩主が老中や寺社奉行、京都所司代、大坂城代を歴任するなど徳川幕府の重視する藩であったことがわかる。
明治維新の際、桑田郡山国郷(現在の京都市右京区京北)で勤皇を標榜する山国隊が、桑田郡馬路村(現在の亀岡市馬路町)では弓箭隊が結成され、山陰道鎮撫総督西園寺公望に従って各地を転戦した。このとき、弓箭隊の郷士の息子である中川小十郎(後の立命館大学の創立者)が西園寺と出会うことになる。
廃藩置県後の明治4年(1871年)11月2日の第1次府県統合により、桑田郡、船井郡、何鹿郡は京都府に、天田郡、氷上郡、多紀郡は豊岡県に分けられた。さらに、明治9年(1876年)8月21日の第2次府県統合により豊岡県は廃止され、天田郡が京都府に、氷上郡、多紀郡の二郡が兵庫県に編入されることとなった。その後、昭和33年(1958年)4月1日の市町村合併により、京都府南桑田郡樫田村が大阪府高槻市に、京都府亀岡市西別院村の牧、寺田地区が大阪府豊能郡豊能町に編入されている。
[編集] 国府、一宮など
国府は桑田郡にあり、現在の亀岡市千代川遺跡または南丹市八木町屋賀(旧船井郡八木町屋賀)または亀岡市三宅町(国衙との説もある)にあてる説があるが、未だ確定していない。
延喜式神名帳には大社5座4社・小社66座65社の計71座69社が記載されている。大社は全て名神大社で、以下のものである。
- 桑田郡 出雲神社(現 出雲大神宮、京都府亀岡市)
- 桑田郡 小川月神社(京都府亀岡市)
- 船井郡 麻気神社(現 摩気神社、京都府南丹市)
- 多紀郡 櫛石窓神社二座(兵庫県篠山市)
一宮は出雲神社(出雲大神宮)で、二宮以下は存在しない。総社は京都府船井郡八木町(現南丹市)の宗神社とみられる。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
[編集] 室町幕府
- 1336年~1343年 - 仁木頼章
- 1343年~1351年 - 山名時氏
- 1351年~1352年 - 仁木頼章
- 1352年~1353年 - 高師詮
- 1354年~1359年 - 仁木頼章
- 1359年~1360年 - 仁木頼夏
- 1360年~1363年 - 仁木義尹
- 1363年 - 足利直冬
- 1364年~1371年 - 山名時氏
- 1371年~1391年 - 山名氏清
- 1392年~1397年 - 細川頼元
- 1397年~1426年 - 細川満元
- 1426年~1429年 - 細川持元
- 1429年~1442年 - 細川持之
- 1442年~1473年 - 細川勝元
- 1473年~1506年 - 細川政元
- 1506年~1507年 - 細川澄之
- 1507年~1508年 - 細川澄元
- 1508年~1520年 - 細川高国
- 1520年 - 細川澄元
- 1520年~1525年 - 細川高国
- 1525年 - 細川稙国
- 1525年~1531年 - 細川高国
- 1532年~1552年 - 細川晴元
- 1552年~1563年 - 細川氏綱
[編集] 郡
- 桑田郡(くわだ:1879年以降は北桑田郡と南桑田郡に分割)
- 船井郡(ふない:京丹波町、南丹市日吉町・園部町・八木町のうち旧北桑田郡神吉村(1955年に編入)を除く地域)
- 何鹿郡(いかるが:綾部市、福知山市のうち旧佐賀村)
- 多紀郡(たき:篠山市)
- 氷上郡(ひかみ:丹波市)
- 天田郡(あまだ:福知山市のうち旧何鹿郡佐賀村、旧与謝郡雲原村(1902年以降は天田郡)、旧加佐郡大江町を除く地域)
[編集] 行政上の呼称
1.京都府内
- 南丹または口丹(くちたん:全域丹波)=亀岡市・南丹市(旧船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町)・船井郡
- 中丹(ちゅうたん:丹波と丹後にまたがる地域)=福知山市・綾部市・舞鶴市(旧天田郡・旧何鹿郡・旧加佐郡)
2.兵庫県内
- 丹波(兵庫丹波)=丹波市・篠山市
[編集] 京都丹波・兵庫丹波
丹波の範囲は、現在の兵庫県側は篠山市及び丹波市で人口・面積ともに全体の2割弱、京都府側は亀岡市、南丹市、船井郡京丹波町、綾部市、福知山市であるので、兵庫県部分より京都府部分のほうが広大。 兵庫丹波・京都丹波と分類することは現在の行政区分により丹波が2府県にまたがるためである。
そもそも丹波は、中央集権体制を進める明治政府の大久保利通らにより、但馬・丹後を含め似通った地域性を無視して2府県に分けられた。亀岡市及び旧船井郡園部町、八木町を除き府県庁所在地から遠くはなれ、両府県および国の施策からは重きを置かれずにいたので、高度経済成長期にいっそうの過疎化が強まった。 なお、1871年(明治4年)11月2日~1876年(明治9年)8月21日の約5年間は、桑田、何鹿、船井3郡および山城が京都府、氷上、多紀、天田3郡および但馬、丹後が豊岡県と言う構成であった。豊岡県を二分し、天田郡と丹後が京都府、氷上、多紀2郡と但馬が兵庫県に編入されることになったのは旧出石藩士の桜井勉氏の案であるが、当初桜井氏は豊岡県全域と飾磨県(播磨)との合併を進言したようである。
丹波の名を広めたのは旧丹波国全域であり、「丹波黒豆」や「丹波松茸」などの丹波ブランドを確立したと自負している篠山市に加え[3]、京都府内の綾部市長からも反対の声があったにも関らず[4]、2004年(平成16年)11月、旧氷上郡が町村合併で周囲の反対を押し切る形で丹波市を名乗った。2004年当時、丹波町(京都府)が存在していたが、市町の違いがあるので、競合そのものに法律上の問題はなかったが、丹波町が周辺の町と合併して京丹波町が発足した2005年(平成17年)10月11日をもって、丹波市・丹波町の並存は解消した。
[編集] 丹波と丹後・但馬
丹波と丹後をあわせて両丹(りょうたん)、丹波と但馬をあわせて但丹または丹但(たんたん)、丹波と丹後、但馬をあわせて三たん(さんたん)と呼ばれる。「柏原の厄除大祭は三たん一のお祭り」などと表現される。
なお丹但は、但馬と丹後に用いられる場合もある。
[編集] 関連項目
- 丹波町(京都府)
- 京丹波町(京都府)
- 南丹市(京都府)
- 丹波市(兵庫県)
- 令制国一覧
- 丹後国
- 但馬国
- 播磨国
- 丹波弁
- たんば : 京都駅~福知山駅間を山陰本線経由で運行する特別急行列車。
- 北近畿_(列車)#福知山線優等列車沿革 : 福知山線経由で新大阪駅・大阪駅~城崎温泉駅・豊岡駅・福知山駅・天橋立駅間を運行した急行列車「丹波」が掲載されている。
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