細川氏綱
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細川 氏綱(ほそかわ うじつな、永正11年(1514年) - 永禄6年12月20日(1564年1月4日))は戦国時代前期の武将で室町幕府最後の管領。細川尹賢の子で細川高国の養子。弟に細川藤賢がいる。家綱。摂津守護。
復権をめざして1543年、細川晴元を討つため和泉で挙兵する。畠山氏や遊佐氏、筒井氏などの畿内の有力者や、将軍足利義晴の支持をえたものの、当初は晴元の強大な力の前に圧倒的に不利であったが、晴元の家臣・三好長慶が裏切って味方となったために形勢は一変(江口の戦い)し、1549年遂に晴元を近江へと追放することに成功した。
1552年、長慶とともに上洛し、管領に任じられたが、氏綱は長慶の傀儡でしかなく、実権は全く無かった。そして摂津の淀城に長慶の監視付きで居城を与えられた氏綱は、1563年に失意のうちに死去した。その後、後任の管領が任じられる事は遂に無かった。
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