毛野国
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毛野国・毛国(けのくに、けぬくに、けぬのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。単に毛野(けの、けぬ)とも。
律令制下では武蔵国と上野国、下野国が置かれ、合わせて、あるいはどちらかを毛州(もうしゅう)と呼ぶ。合わせて両毛(りょうもう)とも言うが、現代ではこの語は上野と下野の境界付近の狭い地域を指すことが多い。
[編集] 沿革
古墳時代、毛野国は毛野川(現在の埼玉県を中心に)流域一体に勢力を有し、一つの文化圏・毛野王国を形成していた。
毛野国の名称の由来は諸説ある。主なものを以下に挙げる。
この地は豪族毛野氏(けぬし)が治めていた。毛野氏は豊城入彦命の後裔とされる。吉備氏、筑紫氏と並ぶ大豪族だった。
毛野国は後に上毛野国(かみつけぬのくに、後の上野国)と下毛野国(しもつけぬのくに、後の下野国)に分けられたとされる。534年(安閑天皇元年)、上毛野国(太田天神山古墳)は武蔵国造の乱で敗れた。一方、下毛野国では下毛野朝臣古麻呂が大宝律令の選定に参加して、大和朝廷の誕生に大きく関与した。