保津峡
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保津峡(ほづきょう)は、京都府亀岡市から京都市右京区嵐山の渡月橋に至る大堰川(保津川)の景勝地。保津川は渡月橋から桂川となる。府立保津峡自然公園に含まれる。
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[編集] 概要
保津峡は江戸時代の1606年(慶長11年)に角倉了以が、丹波の産物を京都に運搬するために造った水路である。保津川は蛇行を繰り返す激流で大きな岩が無数にあったが、人力で引っ張ったり火薬を使って発破作業を行ったりしながら、高瀬舟の通れる水路を約5か月で完成させたという。それ以後、保津川は丹波と京を結ぶ産業水路として発展した。近世になって主要な運搬物であった木材の需要が減り、同時に鉄道網が発達すると舟運の役目は終え水路は廃れた。
[編集] 保津川下り
景勝地である嵯峨・嵐山に近いことから観光化の道を進み、1885年(明治28年)に観光客を対象とした遊覧船による川下りが行われるようになった。この風流な保津川下りは夏目漱石の『虞美人草』を始め、水上勉、薄田泣菫、大町桂月、三島由紀夫など幾つもの文学作品に登場した。当時は、京都から人力車にのって老の坂を越え、篠町王子を経て保津川の亀岡盆地から保津峡への入り口にあたる山本浜(現在のトロッコ亀岡駅辺り)から乗船した。ルーマニア皇太子やイギリス皇太子などの賓客も興じたことから、王子から山本浜までの道のりは『異人道』と呼ばれた。
その後、川下りは大衆的なものとなり、また、乗船場もJR嵯峨野線亀岡駅近くに移された。1960年代は阪急電鉄が経営にあたっていたことがある(乗船場付近にある旧亀岡商工会館は「保津川観光会館」と名付けられた阪急の観光ホテルだった)。阪急が5年間で経営から撤退した後は保津川遊船企業組合が経営にあたっている。現在の保津川下りは、春のツツジ(亀岡市の花)や秋の紅葉などを楽しもうと、四季折々多くの観光客が訪れる。途中の景勝地には地蔵ヶ淵、小鮎の滝瀬、宮の下の瀬などの名所がある。
かつては、一旦荷物を積んで川を下った高瀬舟は、人に曳かれて保津川を遡っていた。保津川の右岸には舟曳路が造られ、人夫が川に浮かべた船を曳きながらここを川上へ歩いていた。遊覧船もかつてはこの道を使い川を溯らせて亀岡まで戻していた。現在では、遊覧船を積んだトラックを国道9号線で見かけることができる。一方、船頭は嵯峨野線の嵯峨嵐山駅から亀岡・園部方面行きの電車で、“保津川を溯って”亀岡へ戻っている。
[編集] 嵯峨野観光線・トロッコ列車
保津峡で保津川下りと並んで有名なのが嵯峨野観光鉄道が運行している嵯峨野観光線のトロッコ列車である。保津峡を縫うように走り、景観に優れる。元々は山陰本線の旧線の一部で、嵯峨駅(現在は嵯峨嵐山駅と改名)から馬堀駅までの複線化に伴い、トンネル経由の新線に切り替えられたため、カーブが多く複線化も困難だった旧線は一旦廃線となったが、保津峡の優れた景観を惜しむ声も多かったため、それを活用するためにJR西日本の完全子会社の手により1991年から営業を開始以来、多くの観光客を集めている。
[編集] ラフティング
近年、主に若年層の間で人気を集めているのがラフティング(コマーシャルラフティング)による保津川下りである。保津川下りとほぼ同じコースをゴム製のラフト(ゴムボート)で下るラフティングは、一般的には観光川下りよりもスリルが味わえ、かつ「自分で操作する」という満足感を味わえるために人気が高まり、複数の業者が開催している。時間帯によっては観光川下りの舟よりもラフトの方が多いこともある。