保津峡駅
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保津峡駅 | |
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駅舎 |
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ほづきょう - Hozukyō | |
◄嵯峨嵐山 (4.0km)
(3.8km) 馬堀►
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所属事業者 | 西日本旅客鉄道 |
所属路線 | ■山陰本線(嵯峨野線) |
キロ程 | 14.3km(京都起点) |
所在地 | 京都府亀岡市保津町* |
電報略号 | オサホツ |
ホーム | 相対式 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
260人/日(降車客含まず) -2006年- |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)8月17日 |
備考 | 無人駅(自動券売機 有) *実際は京都市西京区にも跨る |
保津峡駅(ほづきょうえき)は、京都府京都市西京区と亀岡市保津町にまたがる、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線(嵯峨野線)の駅。旧保津峡駅の所在地は京都市西京区であったが、現在の駅はホーム中央部の直下を市境界の保津川(桂川)が流れているため、ホームの一部と駅舎が亀岡市側にあり、所在地表記は亀岡市保津町になる。 駅名電略は「オサホツ」。
ただし、駅開設および移転の経緯から、長距離運賃の特定都区市内発着による特例運賃計算の対象であり、営業上は利用実態のとおり「京都市内の駅」に含まれている。
ICOCA・Jスルーカード利用可能駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。但しJスルーカードについては、簡易改札機による対応のため複数枚の処理不可。
目次 |
[編集] 駅構造
相対式ホーム2面2線の無人駅だが、券売機(近距離区間)、簡易型自動改札機(ICOCA等ICカード対応)あり。馬堀駅寄りに地下歩道があり、反対側のホームへの移動はこの歩道を使うことになる。
ホームからの保津川、および保津川下りの遊覧船の眺めは格別。(ホームの一部は橋上にあるため真下を船が通過する)
駅舎はかなり小さく、ホームも狭い。なお、新線切り替え後も、現駅舎と駅前整備の完成以前に駅業務が旧保津峡駅で行われていた時期があり、そのため旧山陰本線を伝い新駅ホームの東端へ繋がる通路が整備されていたが、現在では閉鎖されている。
大晦日の終夜運転時の臨時列車は、普通列車であっても当駅を通過する。
1 | ■嵯峨野線(上り) | 嵯峨嵐山・二条・京都方面 |
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2 | ■嵯峨野線(下り) | 亀岡・園部・福知山方面 |
※一見、駅構内にはどこにものりば番号が書かれていないように見えるが、実は駅掲示の時刻表で上記のように案内されている。
[編集] 利用状況
2006年度の1日あたりの乗車人員は約260人である。(京都府統計書より)
[編集] 駅周辺
駅自体が保津川渓谷の中にあり、周辺に人家はない。北 約4kmに、近年 柚子風呂で有名な水尾集落があり、自治会バスが運行されている。(一日に4本)
- 屏風岩
- ライオン岩
- トロッコ保津峡駅(嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線)
- ※両駅は距離にして約1100m離れている。連絡交通機関はなく、道路は水尾川の谷を迂回しているため徒歩で約15分の連絡となる。なお、移転当時は新駅舎が未完成であったために保守用通路(旧線・軌道上の仮通路)を介して旧駅から出入りしていた(当時の旧線は廃線で、トロッコ列車はまだ計画のみであった)。
なお、現在この通路は一般人の通行は禁止されている。
[編集] 歴史
- 1929年(昭和4年)8月17日 - 国鉄の松尾山信号場開設。
- 1936年(昭和11年)4月15日 - 駅に格上げし、保津峡駅として開業。旅客取扱を開始。現在のトロッコ保津峡駅付近。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
- 1989年(平成元年)3月5日 - 嵯峨駅~馬堀駅間が新線に切り替え。同時に現在の場所に移転。
- 1991年(平成3年)4月27日 - 旧駅がトロッコ保津峡駅として再開業。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
嵯峨野線(山陰本線) |
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京都 - 丹波口 - 二条 - 円町 - 花園 - 太秦 - 嵯峨嵐山 - 保津峡 - 馬堀 - 亀岡 - 並河 - 千代川 - 八木 - 吉富 - 園部(>>綾部・福知山方面) |