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ジャッキー・チェン - Wikipedia

ジャッキー・チェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャッキー・チェン
Jackie Chan

空母キティホークの甲板にて(2002年
本名 陳港生
(家系図上での本名は房仕龍)
別名 元樓、陳元龍
生年月日 1954年4月7日(54歳)
出生地 香港 ビクトリアピーク
民族 漢民族
ジャンル 映画俳優監督製作
歌手
活動期間 1962年 - 現在
配偶者 林鳳嬌1982年- )
主な作品
ドランクモンキー 酔拳
プロジェクトA
ポリス・ストーリー
レッド・ブロンクス
ラッシュアワー
受賞
Best Action Choreography
1998年フー・アム・アイ?
淀川長治賞(2004年
ジャッキー・チェン
成龍
各種表記
簡体字 成龙
繁体字 成龍
ピン音 Sing4 Lung4広東語
Chéng Lóng(北京語
和名表記 ジャッキー・チェン
発音転記 シン ルン(広東語)
チェン ロン(北京語)
英語名 Jackie Chan
ポータル テンプレート ノート

ジャッキー・チェン(英語表記:Jackie Chan、繁体字表記:成龍、本名:陳港生(家系図上での本名は房仕龍)、1954年4月7日 - )は中華人民共和国(本籍は山東省臨淄区)の映画俳優。身長173cm。血液型はAB型。父親の房道龍は国民党軍の退役軍人で、シェフ。香港での英語名を日本欧米での芸名としている。日本では当初「ジャッキー・チャン」として活動する予定であったが、諸事情により日本のみ「ジャッキー・チェン」で活動することとなった。息子の苗字は「チャン」となっている。また、唐代の宰相房玄齢の子孫を自称している。

京劇中国武術で鍛えた身体能力を活かして、それまで暗い復讐劇が多かったカンフー・アクション映画の世界に、ハロルド・ロイドバスター・キートンなどのコメディ映画の要素を取り入れた、コミカルで明るい作風のカンフー映画を送り込み、一躍アジア圏で有名になる。その後ハリウッドにも進出し数多くの映画に主演。50歳を越えた現在でも自らアクションスタントをこなすことで知られる。代表作は『プロジェクトA』など多数。愛称は「大哥」(タイコー、大兄貴の意)[1]1994年文盲であることを告白したが、現在は克服している。広東語北京語英語に堪能である。

妻は、台湾の元女優林鳳嬌(リン・フォンチアオ)。息子は同じく俳優のジェイシー・チャン(房祖名)。息子の初主演作『花都大戦/ツインズ・エフェクト2』で共演をした。

日本ではあまり知られていないが、中華圏ではスキャンダルや問題発言が多く、その言動が物議を醸すこともある。

目次

[編集] 経歴

[編集] 幼少期・香港時代とブルース・リー

ジャッキー・チェンは1954年に香港・ビクトリアピークにて、国共内戦難民であるチャールズ・チャンとリリー・チャン(Charles and Lee-Lee Chan参照)の間に「陳港生(香港生まれ、の意)」として生まれた。生まれた時の体重は5,680グラムもあり、母親のお腹の中に12か月程度いたとされる。

7歳から約10年間、中国戯劇学院にて京劇を学び、学院の閉鎖後、映画のエキストラやスタントマンを務めた。彼の生い立ちは、メイベル・チャン監督の『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』(2002年)に詳しく、ジャッキー本人も知らない兄弟の存在など複雑な家庭環境を持ったことが紹介され、本名は陳港生ではなく房仕龍であると明かされている。また、彼の青春時代については、同じくメイベル・チャンが製作総指揮・脚本を担当したアレックス・ロー監督『七小福』(1989年)で厳しい京劇の学校での生活と、最後に香港映画界へと進む姿が描かれている(ただしジャッキー・チェン本人は出演していない)。

無名時代、ブルース・リーの映画『ドラゴン怒りの鉄拳』では、門下生の中のエキストラや重要なスタントマンを務め、『燃えよドラゴン』ではブルース・リー本人に首を折られるエキストラ役としても出演した。ある日の事、ジャッキーが休日に一人でボウリングでも洒落込もうと道を歩いていると、前から偶然ブルース・リーと遭遇。「何処へ行くんだ?」とリーに聞かれ「ボウリングに行きます。」と言うと「じゃ俺も行く。」と仲良くボウリング場へと足を運び、リーはジャッキーのプレイを後ろから見るだけで「じゃ、用事があるからこれで…。」と言い残し、直ぐに帰って行った…という知る人ぞ知る伝説のエピソード話がある。一旦オーストラリアに移住し、映画業界から離れるが、のちに香港へ戻り、映画会社ゴールデン・ハーベスト社と契約し、多数の映画に出演した。

当時の香港映画界は、ブルース・リーの夭折で低迷期にあり、ブルース・リーのそっくりさんを使った作品や、クオリティの低い二番煎じ的なカンフー映画が乱発されていた。ジャッキーも、初期作品ではブルースの後継者として期待され、シリアスな役まわりが与えられることが多かったが、大成功には至らなかった。そうした反省も踏まえ、ジャッキーは制作側に注文し、ストーリーやアクションにコミカルさを交え、自身のキャラを生かした作品を作ることを目指す。これが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1978年)といったヒット作の誕生につながった。また、自ら命懸けのスタントをこなす姿勢も評価され、人気を得ていった。

一時期、批評家からの声に刺激され文芸路線を手がけたこともあったが、興行的な不振とファンからの要望を受け、再びエンターテイメント路線に復帰した。

[編集] ハリウッド進出

元々、アメリカ映画界進出の意欲は高く、『バトルクリーク・ブロー』、『キャノンボール』、『プロテクター』など米国作品に主演・出演してきたが評価は高まらなかった。しかし、1995年公開の香港作品『レッド・ブロンクス』が全米興行収入初登場1位というアジア映画初の快挙を成し遂げ、再びハリウッドへの道が開けた。

そして1998年の『ラッシュアワー』の大ヒットで、ハリウッドスターとしての地位を築いた。このラッシュアワーシリーズの続編『ラッシュアワー2』は全世界興行成績で驚異的な大ヒットを記録する。その後『シャンハイ・ヌーン』『シャンハイ・ナイト』『タキシード』『80デイズ』など、立て続けにアメリカ映画作品に主演。アメリカを中心に世界各国での知名度が上がり、アカデミー賞のプレゼンターとしても登場するなど、世界を代表する東洋人ハリウッドスターとなった(ただし近年のジャッキー主演ハリウッド映画は、地元・香港をはじめとするアジア各国ではいずれも不入りをかこっている)。

2007年には日本の真田広之工藤夕貴も出演する『ラッシュアワー3』が公開され、公開週で全米No.1を獲得するヒットとなった。また、2008年には李連杰(ジェット・リー)との初共演作『ドラゴン・キングダム(The Forbidden Kingdom、功夫之王)』が公開される。

[編集] 日本での大ブレイク

1970年代の日本は、ブルース・リー映画の大ヒットの影響で、千葉真一志穂美悦子主演の空手やカンフーの映画が多数制作され、とくに東映は香港のカンフー映画の輸入に熱心だった。そんな中、1979年に東映のドル箱映画シリーズ『トラック野郎』との2本立てで公開された『ドランクモンキー 酔拳』が大ヒット、トラック野郎の恩恵も有り配給収入は約9億3000万円を記録。『トラック野郎』より『酔拳』が話題となり、続けて『スネーキーモンキー 蛇拳』『クレージーモンキー 笑拳』も公開され、日本でのジャッキーフィーバーが巻き起こった(しかし配給収入は『酔拳』の半分にも満たなかった)。また、『少林寺木人拳』や『蛇鶴八拳』なども話題を集めた。

その後『ロードショー』誌の「好きな俳優」投票において6年間連続1位を獲得(2008現在、この記録は破られていない)するなど、1980年代の日本でのジャッキーフィーバーは凄まじく、当時の少年たちのスーパーアイドルであった。映画はテレビでも続々と放映され、とくに石丸博也吹き替えが、同じ東洋人であるだけに分かりやすく共感を呼び、好評を博した。いまだに「ジャッキーの声は石丸博也。字幕には馴染めない」という人は多いが、日本語の吹き替えに拒否反応を示す根強いファンも少なくない(以前、香港映画は、言語が広東語であっても、出演者本人の声ではなく、吹き替えの場合が多かったが、最近は、ジャッキーも含め、出演者本人が吹き込むことが主流となっている)。

1980年代には、コロコロコミックにて、ジャッキーをパロディー化したキャラクター「ジャッキーちゃん」が主人公のギャグ漫画『あほ拳ジャッキー』(作・ぜんきよし)が連載された。ちなみに同作品にはブルース・リーリー・リンチェイのパロディーキャラも登場している。

1995年、日本のゲームメーカー、カネコが製作したアーケード用対戦格闘ゲーム「カンフーマスター ジャッキー・チェン」に出演。このゲームのキャラクターはグラフィック画ではなく、実際の俳優を撮影し、画像を録り込んで使用していることから、ジャッキー本人がゲーム画面のキャプチャ撮影を行った。なおこのゲームにおいてジャッキーはプレイヤーキャラクターではなく、なんと最終ボスとして登場する敵役である。登場する服装は数パターンあり、クンフーの稽古着や『プロジェクトA』内で着装した警察の正装で戦う。

2005年には、家庭用体感ゲームの事業にも参加している。同年秋にゲーム事業のイベントで来日した際には、関係者から『スパルタンX』がゲーム化されていることを初めて聞き、無言で手を差し出す(権利料を払え、の意)という行為を行い、場が凍りつくハプニングがあった。直後にジャッキーは満面の笑みでジョークであることをアピールし事なきを得た。

2006年西陣よりパチンコ機「CRジャッキー・チェン」、2007年には藤商事により「CRプロジェクトA」が製作された。

来日した際には日本のテレビ番組にもゲスト出演する事が多い。近年では、日本テレビの『ザ!鉄腕!DASH!!』でTOKIOのメンバーと数回にわたり様々なゲームで対決をしている他、テレビ朝日の『内村プロデュース』などにも出演している。

2007年秋には、上戸彩とともにオロナミンC大塚製薬)のCMに出演。

[編集] その他の活動

俳優だけではなく、歌手としても活動している。1980年代には親友の西城秀樹と共に東洋の2大スーパースターと称された。陳淑樺(サラ・チェン)とのデュエット「明明白白我的心」は中華圏ではよく知られている。

日本での本格的歌手デビューは、五輪真弓による「マリアンヌ」でシングルレコードによる発売。

ファースト・ミッション』(1985年)日本公開版では、オープニング、エンディングとも日本語のオリジナル曲(チャイナブルー、東京サタデーナイト)を本人が歌った。

現在、香港政府観光局の観光大使を務め、2003年夏に行われた自身のファンクラブツアーで香港に来たファンを機内で自ら出迎える、というサービスも行っている。

[編集] 今後の活動

以前は自分自身が中心であることへのこだわりを見せていたが、アクションスターとして第一線から退くことを示唆している。2000年代に入ってからは、若いスターの発掘やプロデュースに積極的に進出しており、最近の発言でも「次世代を育てることに力を入れていく」ことを明言している。近年は、事あるごとに引退を示唆する発言をしている。

[編集] アクション

  • ジャッキーのアクションシーンは、格闘家や元スポーツ選手、スタントマンで構成された『成家班(ジャッキーズ・アクション・チーム)』(ロー・ワイコン、マース、ロッキー、ブラッドリー・アラン、ロッキー・ライ、ダニー・チュウ、ベニー・ライ、タイ・ボー、ポール・ウォンなど)の仲間に支えられている。成家班はジャッキー作品映画に脇役・悪役で出演し、アクション(殺陣)を作り上げている。
  • ジャッキーはハリウッド進出を目指し『キャノンボール』(1981年)に出演したが、ジャッキー自身は端役での出演であった。しかし、この『キャノンボール』のエンディング・ロールでNGシーンを流していたことがジャッキー自身の心にとまり、『プロジェクトA』以降必ずといっていいほどジャッキー作品のエンディング・ロールにNGシーンが使われるようになった。『キャノンボール』の日本での配給収入は20億円を突破し、同年公開の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』、『ロッキー3』を上まわる興行収入を記録した。日本以外の国でもヒットしたが、ジャッキーの地元・香港ではまったくあたらなかった。
  • 一般的にジャッキー・チェンは自分自身でしかアクションを演じないと思われているが、実際はジャッキーが監督していない作品によっては、黒子(ダブル)が代わって演じる場合があり、1988年に作られた『サイクロンZ』(サモ・ハン・キンポー監督作品)ではクライマックスシーンの殺陣でベニー・ユキーデ扮する悪役にトドメの一蹴りを加えるシーンでスタントによるカットを使用されている。
  • 1990年代頃までの過去の作品はジャッキーの肉声ではなく、別の役者によって吹替えられている。これはジャッキー作品特有のものではなく、当時の香港映画界では、声優の職場確保のため、劇映画は撮影時に音声の録音をせず、後からプロの声優によって北京語・広東語・英語音声の音源が作られるというシステムになっていたことによる。
  • 『七小福』時代からの仲間であるサモ・ハン・キンポーとの仲は実はあまり良くなかったようで(両人とも自己主張が強いため、サモ・ハン・キンポーの横暴に反発を抱いていた等)、断絶時代もあったが、『プロジェクトA』ではユン・ピョウの計らいにより関係修復し共演が実現した。互いの監督作品にも出演し、1983年~1985年に多くの共演作品が日本でも公開された。同時期に制作された両者の監督作品は、ジャッキー監督は『プロジェクトA』『ポリス・ストーリー』の2作品、サモハン監督は『スパルタンX』『福星』シリーズ等5作品。両者は作品に対する取り組み方が違う。ジャッキー監督はアクション(特に美しさ)に対する拘りが強く、サモハン監督は娯楽性に重点が置かれる傾向の作品が多い。再び空白期間を迎えるが、現在は、香港電影金像奨での功労賞の同時受賞、香港の年越しイベントでの『七小福』での共演、お互いのスタントチームの共有をしている。
  • シャンハイ・ヌーン』では馬術アクションを披露。数々のアクションを自らこなしてきたものの、当時は乗馬が初めてであり、手なづけることに非常に苦労を重ねていた。

[編集] 時計台落下シーン

日本でも大ヒットした1983年作品『プロジェクトA』でのワンシーン、25メートルの時計台から地面に落下するアクションはまさに命がけスタントであった。未だにこの時計台落下はジャッキー映画ファンの間では語り草となっている。ちなみに、この時計台落下シーンは喜劇王ハロルド・ロイドの『要心無用』からヒントを得ている。ジャッキーはこのシーンの為に3回時計台から落下し、全てのカットが本作で見ることができる(本編に使われたのは2つで、落下の仕方が異なっている。残る1つは落下失敗で、エンドクレジットのNGシーンで採用。頭から地面に落ちたこのカットは非常に衝撃的で有名なものとなった)。

[編集] 人物

[編集] トラブル

[編集] ジャッキー・ジャック事件

売出し中の俳優であったロー・ウェイの個人プロダクション時代からローとは折り合いが悪く、この仲違いの末、ジャッキーは当時のゴールデン・ハーベスト社長レイモンド・チョウ、自分のマネージャーであり親友のウィリー・チェンらと図り、ローのプロダクションから半ば強引に離脱した。この顛末をジャッキーは自伝『僕はジャッキー・チェン』で詳細に述懐しており、その内容を以下に要約する。

他社にレンタル出向して制作された『スネーキーモンキー 蛇拳』『ドランクモンキー 酔拳』が大ヒットした際、ジャッキーと彼のマネージャーであるウィリー・チェンは「ローの制作するジャッキー作品は、(いずれも全くヒットしなかったため)配給会社が警戒して買わなくなっており、このままローの元に戻ったら駄目になる」と決心し、ローへ退社を申し出た。ところがローはジャッキーの契約書の解約違約金の項目を、10万香港ドルから「1000万香港ドル」に改ざん、ジャッキーを逃さない手を打っていた。しかしその後、ローの契約支配人がジャッキー側に翻身し、ローが契約書を改ざんしたことの証人となることを約束したため、ジャッキーはゴールデン・ハーベスト社で新作『ヤングマスター 師弟出馬』の制作を開始する。

ジャッキーに契約破棄状態で逃走されたローは、「トライアッズ」と呼ばれる当時の香港芸能マフィアを利用してジャッキーの強制連れ戻しを図る。トライアッズはジャッキーを拉致してローの面前へ引き出し、ローはジャッキーに再契約を迫る。もっともトライアッズは「儲からない者は助けない」のであり、ローにとってもトライアッズを利用するということは、もしジャッキーとの交渉が決裂すれば自身に危害が及ぶ危険性があることでもあった。ウィリー・チェンは状況打開のため各方面と交渉し、まずローの1000万ドル契約については(虚偽の契約であるが)ゴールデン・ハーベスト社のレナード・ホーが「ジャッキーに対する投資」名目で解決することとなり、ローはジャッキーの契約及び未公開作品の権利をゴールデン・ハーベスト社に売却した。最も厄介なトライアッズの件は、黒社会との繋がりの深い元祖香港映画のドン、ジミー・ウォングに間を取り持って一件を手打ちにし、ジャッキーはトライアッズに狙われることはなくなり、ローもまたトライアッズと手を切ることができた。これにてジャッキーは事なきを得ている。もっともその義理立てとして、ジャッキーはジミーの主演作品『ドラゴン特攻隊』『炎の大捜査線』に準主演級で出演しており、これらの作品に出演したことについてジャッキーは「両方とも酷い作品だったが、借りを返すこと以上に重要なことはない」などと説明している。

この一連の事件について、当時はジャッキーら当事者からプレス向けに事情説明がほとんどなく「ゴールデン・ハーベストがジャッキーを強引に引き抜いた」などと言われ、「ジャッキージャック」とゴシップとなる。日本においては、『クレージーモンキー 笑拳』初公開時のパンフレットにおいて、映画評論家の日野康一氏が「ジャッキー・チェンをめぐる二、三の事情」と題して初めてこのトラブルに言及しているが、この中では「恩師ロー・ウェイからゴールデン・ハーベスト社に無理矢理さらわれてしまった かわいそうなモンキー」といった内容となっている。

なお、1980年代から1990年代の香港映画黄金期の頃は黒社会系列の映画会社が数多く跋扈しており、その後ジャッキーは香港映画界からの黒社会マフィア)追放キャンペーンでは陣頭に立っている。

[編集] 台湾に関する発言

ジャッキーは2004年3月28日に親善大使として上海を訪問、演説を行った。しかし、演説の草稿を無視し、台湾の選挙直前に起こった三一九台湾総統・副総統銃撃事件を「天大的笑話」(大きなジョーク)とし、中国と台湾が統一したほうが中国を更に強大にすると発言。このことで、台湾のメディアや民衆の強烈な反感を買った。行政院新聞局局長である姚文智氏は彼が「中国に媚びている」と批判。このことで、ジャッキーの人気は台湾で一気に下落し、彼の新作映画の興行に影響を及ぼした(『80デイズ』(台北市1014万台湾円)、『THE MYTH/神話』(台北市1100万台湾円)『香港国際警察/NEW POLICE STORY』(台北市900万台湾円))。また、王丹などの民主運動家がジャッキーに民主選挙を尊重するよう要求した。

その後、ジャッキーは台湾を愛してるからこそ、そのようなコメントをしたと述べ、妻の林鳳嬌も台湾人なので、台湾には依然として特別な感情があると説明した。しかしながら、台湾における活動は一部のクレームなどにより減少した。2年後の2006年9月19日に香港映画の『プロジェクトBB』のプレミアに出席し、メディアに台湾総統陳水扁に対する抗議についてどう思うかという質問に、「だから僕が言ったことは間違っていなかった。2年前僕が言った『大きなジョーク』は、2年後の今日になって、国際的ジョーク、否、宇宙のジョークとなった。(台湾のことを)かわいそうだと思うし、香港も大陸も(台湾のことを)かわいそうだと思っている。」と答えた。更に、台湾の政治が混沌としているので、2年前の「大きなジョーク」発言は取り消さないと加えた。

[編集] その他

2006年7月10日、ジョナサン・リー(李宗盛)のコンサートに特別ゲストとして出演、しかし泥酔したジャッキーはリーとデュエットを要求。野次を飛ばす観客に腹を立てたジャッキーは観客の前で暴言を吐いた[2]。この様子がファンの持っていた携帯電話で撮影され動画がインターネットに流出した。

2007年4月、スタントマンのブルース・ローが自身のブログで、「過去にジャッキー・チェンのスタントを務めた」ということを語ってネット上で論議を呼んだ[3]

チベットに弾圧を行う中国に対して世界規模で抗議がある中、北京五輪に反対することは不公平であるとした。[4]

[編集]

  • 2006年の日本のテレビ番組SMAP×SMAP』では、中華料理をよく食べるわけではなく、魚卵が苦手で、また、食事は量を少なく注文すると語った。「最近の人はたくさん注文して残す。良くない。」と述べた(中国では完食ではなく残す程度が礼儀とされている)。
  • ファーストフード系の中華料理店「ジャッキーズ・キッチン」を展開しており、トイレに行くとジャッキー自らトイレの作法についてレクチャーするというサービスがある。
  • 嫌いな食べ物はアサリ

[編集] 女性関係

  • かつてジャッキー・チェンは若い頃、テレサ・テンと恋愛をしていた。しかし、価値観の違いや仕事の忙しさなどが原因で2人は別れることになる。その後、ジャッキーは台湾女優の林鳳嬌と結婚。テレサは1995年に気管支喘息の発作の為亡くなった。テレサの死後も、ジャッキーの彼女に対する思いと悲しみは消えることなく、ジャッキーの第2弾レコードには、テレサとのデュエットを収録した。
  • 自伝『愛してポーポー』では、一時期ギャンブル中毒で身を持ち崩し、婚姻を解消したことを告白している。
  • 一時河合奈保子との恋愛が噂された。
  • 共演者の女優は、惚れ込んで起用することが多く、一時期共演が多かったアニタ・ムイマギー・チャンとは公表はされなかったものの、恋愛関係にあったことが非公式ではあるが伝えられ、その後の共演者とも浮名が流された。ただし、ミシェル・ヨーだけは、「俺より目立つ」という意味であまり良い感情は持ってないようである。
  • ジャッキーは今の妻である林鳳嬌との間に、息子の房祖名をもうけた。正式に結婚したのはあくまで息子の将来のためだという。このせいか、多くの女優や女歌手との間でスキャンダルを起こした。1999年, 女優の吳綺莉が、ジャッキーの子を身ごもったことを認め、同年11月19日に一女(吳卓林)をもうけた。その当時、ジャッキーは何鴻燊の名台詞である「只是風流, 但並不下流」(女たらしではあるが、猥褻ではない)を引用し、更にメディアに「犯了全天下男人也會犯的錯」(天下の男が犯す間違いをしただけ)という口実で自分を正当化した(この発言は多くの男性の反感を買った)。作家の李怡はこの発言について、「風流者到處留情, 下流者(淫蟲)到處留精」(女たらしはどこでも情を残すが、猥褻者はどこでも精を残す)とコメントした。

[編集] 収入

  • 2005年12月29日付の中華民国の中央社は香港メディアの報道「台湾・香港芸能人の2005年年収ランキング」によると推定2億3000万香港ドル(日本円で約30億円)である。
  • 2006年、10億香港ドル(約150億円)と言われる全財産の半分を慈善事業に寄付するよう遺言を作成したと発表された。

[編集] 三菱自動車との関係

[編集] 映画での三菱車の使用

ジャッキー・チェン出演作品、特にゴールデン・ハーベスト作品内では『キャノンボール』を除いて多くの作品で三菱自動車工業の車両協力を受けている。 特にランサー、ミラージュ、パジェロ、ギャランが多い

  • スパルタンX』(快餐車):デリカ(欧州名L300)ベースのハイテク移動販売車(劇中に三菱自動車のネオンサインも映る)が登場。改造は007のボンド・カーも手がけている所によるものらしい。他に劇中のカーチェイスに巻き込まれる一般車として老婆の運転するスタリオンがジャンプするシーンがあるが、ジャンプ後の老婆の台詞が車の宣伝文句ともとれるものとなっている。
  • ファースト・ミッション』:三菱・ミラージュ。九竜から香港島の市街地においてパジェロなどと派手なカーチェイスを展開する。
  • サンダーアーム』:ミラージュ・スパイダー。ミラージュベースのコンセプトカー。敵組織のウェザリングが施された数台の三菱・パジェロとカーチェイスの末、爆破される。この車は、84年のマカオGPの「ジャッキー・チェン・トロフィー」においてジャッキーが乗るペースカーとしてお披露目されたところ、ジャッキーに気に入られ、劇用車として使用されることになった。三菱は劇中のメイン車輌としてガルウイングのオリジナル車、スタント&爆破用として簡略装備のスウィングドア車、緊急脱出シーン撮影のためのエンジンなし改造車の3台を提供したが、劇中ではスウィングドア車がメイン車輌として起用されており(ガルウイングを開けるシーンもなし)、三菱の意図とは裏腹にガルウイングに豪華装備のオリジナル車が爆破されてしまった。これはスウィングドア車輌が三菱に返却されたため判明したことであり、同車は現在も保存されているらしい。
  • 大福星』:新宿駅富士急ハイランド間をミニカでカーチェイス。リチャード・ン扮する念力の運転するデリカがマイクロバス(ローザ)に追突される。
  • ポリス・ストーリー/香港国際警察』:バラック街のカーチェイスでコルディア、犯人側の車にシャリオ(外国名:スペースワゴン)。麻薬王の秘書の車にギャランΣ。署長を人質にして逃げる時はミラージュ。この作品の後半ではホンダ・シビックを運転して派手な縦列駐車を決めている(この作品以外にも三菱以外でホンダや日産、マツダの車両が劇用車で登場している)。
  • ポリス・ストーリー2/九龍の眼』:三菱・ミラージュ。運転席のヒューズ線を使って爆弾解体。この他にギャランやホンダ・シビックの覆面車も確認できる。
  • キャノンボール2』:ハイテク改造を施したスタリオンで出走(前作はスバル・レオーネ
  • プロジェクト・イーグル』:あらゆる改造が施された三菱・パジェロが登場。この特別仕様車の外観は、初期のパリダカ仕様パジェロ、水陸両用可能な点はパジェロのコンセプトカーであるフォーリストラーダを髣髴とさせる。劇中冒頭で洋上に浮かぶこの車のルーフデッキで釣りをしているシーンがある。
  • ツイン・ドラゴン』:ラストの格闘シーンは三菱の自動車テスト場での設定になっている。他にもランサーやディアマンテが劇中に登場(4ドアセダンのランサーは日本ではミラージュの4ドア)。テスト場にはなぜか日産・ブルーバードがあった。ジャッキーが悪玉と格闘しランサーEXの衝突実験車に乗せてそのまま壁に衝突させランサーEXは大破し悪玉を即死させた。(衝突したスピードは速度300キロだった)
  • 新ポリス・ストーリー』:ミラージュと同じくギャランはジャッキー・チェンの作品に登場する。この作品はギャランΣのスタンダードクラスのGLでカーチェイスで大破。ランサーはジャッキーが汚れた服を、新しい服を着替える為にリヤハッチゲートを開けて着替えの為に行った。ランサーはミラージュの兄弟車にあたり、ジャッキー映画でも活躍する。
  • デッドヒート』:ランサーエボリューションIIIGTOでレースに出走。序盤のシーンで、トーステン・ニッケル扮するクーガーの駆る黒いR32スカイラインGT-RFTOでチェイスしている。また三菱自動車の施設(三菱自動車・岡崎工場,現三菱ふそうトラック・バス喜連川テストコース)で研修を受けるシーンもある。その他のレース車はシビック、ギャランVR-4、マツダ・RX-7トヨタ・スープラBMW・3シリーズ等で、その多くがレース中に大破、爆破される。
  • ファイナル・プロジェクト』:三菱・パジェロ三菱・FTO、最後のジャンプで船に突っ込む。
  • フー・アム・アイ?』:飛行機から墜落し、三菱の車でクロスカントリーラリーに参戦している日本人チームに出くわすことから物語が始まる。また南アフリカでBMWとのカーチェイスでランサーエボリューションが使われている。
  • 香港国際警察/NEW POLICE STORY』:犯人を追いかけていく過程にパジェロを使用。他にもランサーエボリューションなどが登場。
  • プロジェクトBB』:現金輸送車に牽引されていったベビーカーを追いかけるためにパジェロを借りる。乳児を狙うギャング団の車にグランディス。モク警部の捜査車両にランサー。大家の車はスバル・ドミンゴ
  • またハリウッド作品でも香港が舞台だった場合三菱車が登場していたこともある(例:「ラッシュアワー2」でジャッキー扮するリー警部の愛車がランサー(もしくはミラージュ)。
  • 『デッドヒート』のパンフレットで、レーシングドライバー中谷明彦は「本気でレーサーを目指したら強敵になるにちがいない」と語っている。

本人も車好きで、52台持ってたときもある(現在はその半分ぐらい)。

[編集] 映画外での関係

ジャッキー自身も三菱ふそう・ファイターのCMに出演したことがあるほか、香港-北京ラリーでは篠塚建次郎選手と日本全国の三菱ギャラン店ディーラーメカニックで構成する「ランサーディーラーチーム」の監督を務めた。プライベートでも三菱・パジェロを自ら運転している。香港社会においてジャッキーほどのスターが日本車に乗っているのは珍しい[要出典]

1980年代のマカオグランプリのサポートレースで、三菱ミラージュのワンメイクレースがあり「ジャッキー・チェン・トロフィー」と銘打って行われていた。公道での賭けレースやゼロヨンも若い頃やっていたが、映画会社から禁止されるほど車にはのめり込んでいた事がある。

大変な車好きで三菱の車以外にも多数の車を所有している。デビュー直後からポンティアック・トランザムなどのアメリカの車からホンダ・アコードプレリュードなどの日本車、ランボルギーニ・カウンタックフェラーリ数台と数多い高級車、スポーツカーを所持していた。

2007年4月に三菱は、中国におけるブランドキャラクターとしてジャッキーを正式に起用した。ジャッキーも「私自身が三菱自動車のクルマが好き」とコメントしている[5]

香港では風水などの思想を重視する為縁起の良いナンバープレートが高額で取引される事が良くある。
ジャッキーは数年前、「JC1」のナンバーを日本円にして約数億円で手に入れた。

[編集] 出演作品

タイトルは日本・中華圏・英語圏の順。※は監督兼任。

[編集] 1970年代

[編集] 1980年代

[編集] 1990年代

[編集] 2000年代

[編集] ドキュメンタリー作品

[編集] 現在撮影中の映画

  • 成龍計劃(プロジェクトジャッキーチェン)
    • 現在企画中。2008年春撮影開始
  • 新宿事件
    • 東京を舞台とした作品で、渡辺謙と共演。2007年11月撮影開始。
  • 酔拳3
    • トニー・ジャーと共演予定。(作品は企画段階。ジャッキーが60歳を越えた頃に撮るとか…)

[編集] CM

[編集] ゲーム

[編集] 脚注

  1. ^ 先輩であるサモ・ハン・キンポーの愛称は「大大哥」(タイタイコー/大大兄貴の意)であり先輩としての尊厳を損ねないよう差別化されている。さらに「哥哥」といえばレスリー・チャンの愛称である。
  2. ^ "ジャッキー・チェン、酔ってショーを台無しに?" cinematoday: 2006-07-18. 2007年4月12日閲覧.
  3. ^ "ジャッキーにスタントマンがいた!" スポニチ: 2007-4-6. 2007年4月12日閲覧.
  4. ^ 五輪反対論は「不公平」=J・チェン氏、人権批判に反論-香港 時事通信008/04/14-06:19
  5. ^ "プレスリリース:MITSUBISHI MOTORS JAPAN 三菱自動車、中国におけるブランドキャラクターとしてジャッキー・チェン氏を起用" 2007年4月20日. 2007年8月25日閲覧.

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