三菱・ミニカ
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ミニカ(Minica)は三菱自動車工業の軽ボンネットバン。乗用モデルは軽乗用車として最も歴史の長い車種であった。
[編集] 概要
初代は1962年に三菱自動車初の軽乗用車として登場する。現行型は1998年に軽自動車規格改正を受けてフルモデルチェンジされた8代目にあたり、現在は商用車登録となるバンタイプのみとなっている。2007年6月までは乗用車登録となるセダンタイプも存在した。乗用モデルは軽乗用車で最も長命で8代45年を誇る車種であった。また、軽自動車全体では1960年初代発売のハイゼット、1961年初代発売のサンバーに次いで3番目の長寿車種となっている。
利便性に優れた軽トールワゴンタイプ全盛の時代においても、良い意味で昔ながらの運転のしやすいボディ形状により、主婦の買い物の足、お年寄り層の日常の足、果ては法人ユーザーの営業用の足として、根強い需要を誇っていた。しかし近年では、その需要はセミトールワゴン型のeKシリーズやミッドシップエンジンを用いたトールボーイハッチバックセダンの
[編集] 歴史
[編集] 初代(LA20/21/23、1962年-1969年)
先年に登場した軽ライトバン、三菱・360をベースに、グリルのデザインを変えた以外、ほぼ共通のプレスを用いて乗用車に仕立てられた。センターピラーから後ろをノッチバックスタイルに変更、リアウィンドウを垂直に立てることで、乗用車としてのヘッドルームをかせいでいた。駆動方式も共通のFR。このおかげで、RRが一般的だった当時の軽自動車の中では、最も広いトランクを備えていた。その堅実なつくりは、信頼性と実用性が高いものであった。エンジンはME21型2サイクル空冷直列2気筒359㏄で最高出力は17馬力を達成していた。
- 1964年11月にマイナーチェンジされ、エンジンがME24型となる。リードバルブ管制方式および分離給油方式(オートミックス)の採用によりエンジンの出力が18馬力へとアップ。
- 1966年12月に「スタンダード」追加。従来型は「デラックス」と呼称。
- 1967年5月にマイナーチェンジされエンジンの出力が21馬力へとアップ。
- 1968年10月には2G10型2サイクル水冷直列2気筒359㏄エンジン搭載車「スーパーデラックス」が追加。最高出力は23馬力だった。
[編集] 2代目(A100・A101・A100V・A101V・H-A104/105V・J-A106V 1969年-1973年(乗用タイプ) 1969年-1981年(商用タイプ))
- 1969年7月登場。それまでの“堅実的だがどことなく田舎臭い”というイメージのあった初代(更には三菱製自動車全般も含めて)から、若者受けする内容に大変身した。1970年代をリードする軽自動車という意味を込め、ミニカ'70という名称で発売された。駆動方式は従来通りFRだったが、懸架装置はフロントがストラット、リヤは5リンクリジッドに変更された。“ウィング・フローライン”と名づけられたボディはクラス初の3ドアとなっており、更にリヤシートが前倒れするなど、バン的な要素も兼ね備えていた。もちろん、この機構はコルト1000Fの3ドア車での経験を踏まえたものである。
- エンジンは従来型を踏襲し、2サイクル2気筒の空冷(ME24E型。スタンダード、デラックスに搭載。形式はA100)と水冷(2G10-1型。スーパーデラックス、スポーティデラックスに搭載。形式はA101)の2機種を用意、同年12月には、ツインキャブの水冷エンジンを搭載したGSSとSS、空冷シリーズの最上級版であるハイデラックス、また三菱360バンに代わる商用タイプとしてCピラーを垂直気味にして、テールゲートの開口部を大きく取ってスペースユーテリティを増したミニカバン(A100V。空冷のみ)を追加し、一気にバリエーションが充実した。
- この3種類のエンジンは、エアクリーナーケースに各々色が塗られており、エンジンにはその色に準じたペットネームが付けられていた。
- イエローエンジン ME24E型 26馬力
- レッドエンジン 2G10-1型シングルキャブ 28馬力
- ゴールドエンジン 2G10-2型ツインキャブ 38馬力
- 1970年10月、ミニカ'70シリーズがマイナーチェンジ、イエローエンジンが30馬力(ME24F型)、レッドエンジンは34馬力(2G10-4型)にアップした。同時にGSS譲りのフォグランプ内蔵の丸4灯ライトや8トラックステレオを標準装備、テールランプの意匠を変更したシリーズ最上級版のGLが登場、車名がミニカ70となりSSのみ廃止された。
- 1971年2月、車名がミニカ71に変更と同時に、水冷のお買い得グレードである、ファミリーデラックスが追加された。
- 1971年5月、派生モデルでクーペタイプのミニカスキッパー登場。ゴールドエンジン搭載車のGSSは廃止された。
- 1971年9月、マイナーチェンジで車名をミニカ72へと変更。グリルやテールランプ、インパネなどスキッパーのイメージを導入する事が主目的だった(リアのターンシグナルランプが橙色となり、安全性がさらに増した)。同時にツインキャブエンジンのスポーティDX/SS/GSSは廃止された。
- 1972年10月、全車水冷のレッドエンジンになり車名もミニカ73となる。同時に空冷だったバンシリーズも全車水冷化され、A101Vへと形式変更された。共に搭載するのは、31馬力へディチューンされたレッドエンジン(2G10-5型)。ミニカ73はミニカF4の廉価版として2サイクルエンジンが搭載され、STDとDXに車種整理で1973年10月まで継続。1973年10月にはバンにフォグランプ内蔵の丸型4灯ライトを装備するカスタムを追加。ナンバープレートの大型化に対応した改良(1975年頃)と排ガス規制による4サイクル化(1976年5月)による排気量アップ(500cc~550cc)とバンパーの大型化を経て、ミニカ5バン~ミニカ55バンに名称変更され、1981年のエコノ登場まで発売された。
[編集] 3代目(A103A、C-A104A、1972年-1977年)
- 1972年10月、フルモデルチェンジ。車名をミニカF4(A103)へと変更。全体のプロポーションはミニカ'70と余り変わらないが、黄金虫シェルと呼ばれたスタイルは全体的に丸みを帯びた物となり、リヤのテールゲートはガラスハッチタイプに変更された。
- エンジンは新開発の2G21型4サイクル直列2気筒SOHC359㏄。通称バルカンエンジンで従来からの2サイクルエンジン[1]は4サイクルに移行した。シングルキャブとツインキャブの2タイプが用意され最高出力はそれぞれ32馬力と36馬力となっている。
- 1973年10月、廉価版グレードはフロントグリルのデザインが変更される。同時に36馬力仕様は廃止。
- 1974年12月、バランサーシャフト(のちにサイレントシャフトに改名)を搭載し、排ガス対策の為、最高出力が30馬力となる。同時にグレードが4グレードに縮小され、スーパーDXのフロントグリルがフォグランプ内蔵の丸型4灯式に変更。同時に現在の黄色いナンバープレートに対応した改良が行われる。
- 1976年5月にマイナーチェンジ、同年1月に実施された軽自動車の新規格(全長3.2m×全幅1.4m以内、エンジン排気量550㏄)対応されミニカ5(A104A)に車名変更。バンパーを大型化しエンジンも30馬力を発揮する2G22型直列2気筒SOHC471㏄エンジンに換装。ミニカ・アミ55までの暫定的な存在となる。
ミニカ5登場と同時に、商用車のミニカ5バン(A104V)が発売された。このモデルは端的に、2サイクル360規格のミニカ70シリーズにおけるバン仕様(A100/101V)をベースに、4サイクルエンジン(商用仕様の為、ミニカ5よりディチューンされた2G22型を搭載)を搭載したモデルだが、大型バンパーを採用し、ミニカ5と共通性を持たせた外観となっていた。
[編集] 4代目(A105A/A106A/A107A・V、1977年-1984年)
- 1977年6月、フルモデルチェンジ。車名をミニカ・アミ55(A105A)へと変更。全体の印象はミニカ5と変わらないが、新規格に対応し全幅は10㎝拡大、全長は規格に余裕を残した3175mm(XL仕様)まで延長された。エンジンはミニカ5の2G22型をストロークアップした2G23型を搭載。最高出力は31馬力と、数値的な目新しさは無いがトルクUPに伴い、実用性能が格段に向上した。同時に、ミニカ5バンも550CC化[2]され、アミ55と同じ2G23型[3]を搭載するミニカ55バン(A105V)へと車名変更されている。
- 1978年9月、53年排ガス規制に適合すべくG23B型へ換装(MCA-JET化、ジェットバルブが追加されたと同時に、二次空気供給装置及び酸化触媒の廃止、静粛性向上のためタイミングチェーン駆動からタイミングゴムベルト駆動に変更、ロッカーアームがアルミ製になるなど動弁系の軽量化も施される。名称「バルカンII」)。
- 1979年4月、一部変更でバンを含む全車のエンジンが54年の騒音規制が施される/ミニカ55バンは54年排ガス規制適合。
- 1980年8月、アミ55に脱着式ガラスサンルーフ仕様追加。
- 1981年2月、アミ55に超低価格の518000円で発売の「ユーティリカ」追加。
- 1981年9月、ミニカ・アミL(A107A)、またミニカ55バンのビッグマイナーチェンジ版として、商用登録のミニカ・エコノ(A107V)が登場。今回のビッグマイナーチェンジは乗用と商用で車体を共通化。[4]全長を規格一杯まで伸ばしてホイールベースを50mm延長。更に全高を30mm高めて居住性の向上を図った。エンジンは、アミLはアミ55のG23B型(最高出力は変わらないが、カムプロフィールの変更により、よりマイルドな味付けとなる)を、エコノは55バンの2G23型を各々踏襲。セミATをアミL/エコノ全車に設定。
- 1981年12月 エコノ2シーターを追加。
- 1982年5月 エコノに女性向けの内外装を持った「マリエ」と新車価格498000円のSスペシャルを追加。
- 1982年12月 アミLにリモコンミラーとカセットステレオを追加したCXを追加。既存モデルはフロントグリルにMMCマークが付く。
- 1983年3月、軽自動車初となるターボエンジン搭載モデルを追加した。ターボチャージャーを搭載した546cc SOHC 2気筒(G23B型)エンジンの性能はグロス 39ps/5.5kgf-m。キャブレター式ターボであったため、加圧式キャブレターが装着されていた[5]。全車全グレードとも、4輪ドラムブレーキ(前輪・2リーディングドラム/後輪・リーディング&トレーリングドラム)、4速MT/2速セミAT(ターボは4速MTのみ)、内蔵エアコンは無く外付けクーラーのみで、基本設計が古く装備としては旧式化していた。
[編集] 5代目(H11A・V/H12V/H14A・V/H15A・V、1984年-1989年)
- 1984年2月にフルモデルチェンジ。先代のウィークポイントであったFRゆえの居住性の悪さを改善すべくFF方式に変更。タイヤを出来るだけ四隅に追いやり、『ライバルはリッターカー』をキャッチフレーズとする広い室内空間をアピールポイントとしていた。初の5ドアとなったセダンは再び「ミニカ」に戻り、バンは「ミニカエコノ」を継承し、「マリエ」(mariee)や「パセリ」があった。当初はインタークーラー付ターボ車に限り、12インチフロントディスクブレーキが標準で装備されていたが、後年の一部改良等でノンターボ車のFFモデルの上級グレード「XL」にも12インチフロントディスクブレーキが標準で装備される。
- 1985年8月、セダンに3ドアの復活。エコノにはミニカ史上初のパートタイム4WDが加わった。ターボ車および、ほぼ同期に開発された同社のミニキャブ同様12インチフロントディスクブレーキが標準で装備されておりホイールのPCDはFFモデルの100mmに対し、こちらは114.3mmとかなり異なっている。同時に3ドアターボに特別仕様車「ジャッカル」が限定700台で発売。オプションのホワイトパッケージ、アルミホイール(ホワイト)、ブロンズガラス、イエローハロゲンヘッドランプを特別装備。
- 1986年2月、3ドアターボ特別仕様車「ジャッカル」が再び700台限定で発売。内容は1985年8月発売の「ジャッカル」にAM/FMカセットステレオが追加された程度だが、年式変更によるマイナーチェンジを受けシート地が黒/白のチェック柄に変更されている。また、エコノに特別仕様車「ライラ」(限定6000台)と「Gエクストラ」(限定1000台)を発売。
- 1986年4月、3ドアセダンに手動開閉式のキャンバストップ仕様車[6]を追加。同時にセダン・オープントップターボ特別仕様車「スカイジャック」を限定500台で発売。これは1985年の東京モーターショーに出品された「ミニカ・ランナバウト」をモデル化した物で、脱着可能な「カプセルルーフ」を装備。しかしショーモデルにあったエアロバンパー、サイドストライプの装着は無かった。
- 1986年6月、特別限定車「パセリ」[7]をエコノに追加。
- 1987年1月のマイナーチェンジでエンジンが従来の2気筒(G23B型・バルカンII)から新開発の3気筒(3G81型・サイクロン)に換装され静粛性や動力性能が向上した。これに伴いATはこれまでの2速から3速へ変更。5ドアセダンには4WDが設定される。
- 1987年4月、エコノターボに「XR」追加。エアロバンパー、大型ドアミラー、チルトステアリングが装備される。
- 1987年8月にはミニカエコノターボをベースに、1000台限定の特別仕様車「JACKAL」(ジャッカル)が発売された。
- 1987年9月にはエコノにビスカス式フルタイム4WDが追加。翌年1月にはパートタイム4WDが消滅。
- 1988年1月、ミニカエコノターボをベースに、特別仕様車「ZEO」(ゼオ)が発売された。スズキのアルトワークス、ダイハツのミラターボXXの対抗馬として発売されたが、当時の馬力戦争において、他車64馬力に対しZEOは50馬力であったため、販売台数は少なかった。そのため、新たな対抗馬として翌年のモデルチェンジの折、サイクロン・3G81型5バルブECIマルチDOHCインタークーラー付ターボエンジンを搭載する「DANGAN」(ダンガン)が登場。1年間という短い生産期間に終わった。同時にエコノおよびセダンに充実装備のお買い得な特別仕様車「tico」(ティコ)[8]シリーズや5ドアセダン専用の最上級グレード[9]「EXCEED」(エクシード)も発売。
- 1988年9月、エコノティコGに88年ソウルオリンピック記念車を限定発売。
[編集] 6代目(H21A・V/H22A・V/H26A・V/H27A・V、1989年-1993年)
- 1989年2月にモデルチェンジで角が取れた直線主体のボディラインになる。車名はミニカに統一され、3ドアのバンと3ドア・5ドアのセダンが用意される。
このモデルには、スズキ・アルトワークスやダイハツ・ミラTR-XXの軽スポーツに対抗し、国内の四輪車ではクラス初であり市販車初となる5バルブ直列3気筒DOHCターボエンジン(NAエンジンも有。シングルキャブレター仕様とECIマルチ(電子式燃料噴射)仕様が混在。
- 1989年2月、フルモデルチェンジ。当初は乗用登録のセダンは5ドア、商用登録のバンは3ドア・4ドア(厳密は1:2ドア+リヤゲート)をラインアップ。
- 1989年4月、消費税導入を睨んでセダンに3ドアを追加/1:2ドアのレタスはセダン化。
- 1989年9月、これまでバン登録であったダンガンZZが乗用登録となり4WDが追加される/セダンのラインナップを見直しでエアコン標準装備車が増え、自然吸気仕様のDOHC5バルブエンジン搭載車を追加。
- 1990年3月、新規格化対応(但しダンガンZZ、ZZ-4は旧規格のまま併売)。フロントバンパー大型化で+30mm・リヤボディー部分を延長で+70mmそれぞれ拡大。トールワゴンのミニカトッポ販売開始。
- 1990年8月、旧規格のままだったダンガンZZ、ZZ-4がようやく新規格化。
- 1991年5月、一部車種体制を見直し。
- 1992年1月、マイナーチェンジ/主にフロント部分の変更/30周年記念特別仕様車のミラノとピアチェを発売。
[編集] 7代目(H31A/H32A・V/H36A/H37A・V、1993年-1998年)
- 1993年9月にモデルチェンジ。ヘッドランプが丸型異形に変更された。先代に比べ質感、居住性が共に大幅に向上した。3ドアと5ドアを用意。先代に存在した1:2ドアのレタスはそのコンセプトを派生モデルのトッポに引き継ぐ形になり、またトッポ自体はフロント周辺のデザイン変更とホイールベースの若干の延長のみで大きな変化はない。エンジンは従来の3気筒(3G83型)に加え新開発の4気筒(4A30型)が新たに投入された。またファジイ制御(実際は電子制御)式4ATや軽自動車初でなお且つ世界最小となる4気筒DOHC20バルブターボエンジンおよび4気筒SOHC16バルブ自然吸気エンジン(ともにエンジン形式4A30)が用意された。UVカットガラスや鮮やかなボディカラーを用意した「グッピー」や、レトロ風ドレスアップの「アンティ」、トッポをベースにフロントバンパーに小型のグリルガード、バックドアの外側にスペアタイヤをそれぞれ装着したRV車風ドレスアップの「カラボス」、独特のキャラクターを持ち、出目金の眼のようにボンネットフードから大きくはみ出した丸型大口径のヘッドランプが特徴的な前述の「アンティ」の発展版にあたるレトロ風ドレスアップの「タウンビー」[11]、商用モデルに運転席のみの1シーター車など多彩にモデルが展開された。
[編集] 8代目(H42A/H47A、1998年-2007年・H42V/H47V、1998年-)
- 軽自動車の規格変更に伴い登場。曲面を多用した先代から直線的なラインを部分的に配し、合理的なデザインが特徴的である。デビュー当初から2001年モデルまでは全車3気筒3G83型SOHC12バルブ MVVエンジンを搭載されていたが、同社のekワゴン登場以降の2002年モデル以降からは全車通常版の3G83型SOHC12バルブエンジンに換装される。ただし、エンジンの最高出力と最大トルクの各スペックに関してはそのまま据え置かれた。
- 発売から2008年4月現在までおよそ10年を経過しているが、改良を重ねながら生産している長寿モデルである。登場後から、軽自動車の売れ筋は車内空間の広いトールワゴン型に移行し、タコメーターを持つスポーティー系グレードは派生車種であるトッポBJ及び後継車種のeKシリーズに移行し、それらが売れ筋となった。このため実用系グレードのみに絞った8代目ミニカの販売量は以前のモデルと比べて低迷している。
- 8代目のデビュー当初から乗用シリーズ(H42A/H47A)廃止直前の2007年6月までの販売比率では100%中およそ75%がバンで占められていた。
- 1999年12月には、ミニカをベースに1.1GDI -
ASG エンジンを搭載したピスタチオが50台限定で発売された。 - 2006年1月に新型軽自動車「
i 」が発売され、一時は同車の発売により生産終了という噂も流れたが、依然として法人・官公庁および高齢者層への需要が根強いことから、ミニカは4月12日にマイナーチェンジされ、引き続き生産・販売されている。このマイナーチェンジではセダン・バンに関わらず全車ヘッドランプが自由曲面 化および液晶式トリップメーター等の採用、またセダンの3ドア車が廃止されミッションは4速オートマチックが廃止。2001年1月以前の構成に戻る。バンタイプは5ドアを新たに設定したのに伴い、バンタイプは全てライラに統一される。事実上、ミニカ初の5ドアバンである。 - 2006年10月には、新触媒の採用などによる環境性能の向上が図られ、全グレードが平成17年排出ガス基準値の75%低減レベル(☆☆☆☆)を達成、一部グレードでは平成22年度燃費基準+10%および+20%を達成しグリーン税制対象車となった。このほか、Pcのシート生地がニット生地に変更された。
- 2007年6月をもってセダン(H42A/H47A)が生産終了および販売終了。同年7月以降は
商用 シリーズ(H42V/H47V)のみの販売となる。これにより、ミニカの乗用シリーズとしては8代45年の歴史に幕を閉じた。これは軽乗用車としてはもっとも長いものであった[12]。 - 2007年7月2日にはバンとしての最上級グレード「ナッティ」が追加。ボディは5ドアのみでトランスミッションは2WD、4WD共に3ATのみでエアコン、パワステのほかに前後開閉パワーウインドウや電動格納式リモコンカラードドアミラー、さらにパワーウインドウ開閉機能対応マルチモードキーレスエントリーなどを装備しており、バンでありながら既に廃止されたセダンシリーズの中核グレードであった「ヴォイス」に匹敵する内容や設備を持っている。また「ナッティ」に装備されている標準仕様のオーディオは1スピーカー・モノラル音声のFM/AMラジオが基本だがメーカーオプションでAM/FMラジオ付CDプレーヤー+フロント2スピーカーの設定がある。
[編集] 車名の由来
- 英語のMini Car(小さな車)またはMiniature Carを略した造語。
[編集] CM
[編集] CMキャラクター
[編集] CMソング
- 5代目
- 「Only You」 The Platters
- 6代目
- 「Saturday Night」ベイ・シティ・ローラーズ
- 7代目
- 「夢見るシャンソン人形」ブリッジ(前期型:フランス・ギャルのカバー)[13]
- 「この情熱はダイヤモンド」瀬戸朝香
- 8代目
[編集] キャッチコピー
- 3代目
- さわやか4サイクル
- 5代目
- 勝手に4WD。(4WDモデル)
- 6代目
- ハンパだったら、乗らないよ。
[編集] 脚注
- ^ 従来型のミニカ73/ミニカバンのみ引き続き2サイクルを搭載
- ^ 2代目ベースのため、車体幅は拡大されていない
- ^ 但し、商用仕様の為に若干ディチューン。
- ^ 後部ドアの開閉方式にセダンのアミLは今までと同じガラスハッチを装備。バンのエコノはバンパー上部から開くテールゲート
- ^ ミニカターボの登場で三菱は大型トラックから軽自動車までの「フルライン・ターボ」戦略を完成させ、乗用車ではデボネアを除く全車種にターボモデルの設定があった。
- ^ ミニカでは最初で最後の存在、後にエコノにも追加
- ^ マイナーチェンジでカタログモデルに昇格
- ^ エコノのティコMはエアコン付で発売当時のMT車で598000円。他にティコGもあった。5月にはエコノにティコGサウンドBOX、ティコF、5ドアセダンにティコを追加。他にもエコノ・ティコ・ピーター、ティコYu等のお買い得車もあった。
- ^ ミニカ初のパワーウインド・集中ドアロック・パワーステアリングを装備。エンジンは34馬力でエアコンを装備すると110万円近くした
- ^ RVRと同じく助手席側が5ドアタイプ・運転席側が3ドアタイプの非対称ドア配置。
- ^ 出目金ライトは当初、トッポベースの「タウンビー」シリーズのみだったが、モデル末期にはセダンベースの「タウンビー」シリーズにも採用されるようになった。
- ^ これにより、現在生産されているセダンタイプの軽乗用車で一時ブランド休止した車種(スズキ・セルボ、マツダ・キャロル、スバル・R2等)を除き最も歴史の長いものはスズキ・アルト(セダンとしては19年。バンを含めると通算29年)、次いでダイハツ・ミラ(セダンとしては19年。バンを含めると通算28年)となる。
- ^ 後にスズキ・MRワゴンのCMソングでも使われ、松本英子がカバーしている。