ジャッキー・チェンの醒拳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャッキー・チェンの醒拳 龍騰虎躍 Fearless Hyena II |
|
監督 | チェン・ツァン |
---|---|
製作総指揮 | ロー・ウェイ |
製作 | スー・リーホワ |
脚本 | 米奇 |
出演者 | ジャッキー・チェン ワイ・ティンチー ハン・クォツァイ ジェームズ・ティエン |
配給 | 東映 |
公開 | 1983年 1986年3月1日 |
上映時間 | 90分 |
製作国 | 香港 |
言語 | 広東語 |
allcinema | |
Variety Japan | |
IMDb | |
ジャッキー・チェンの醒拳(-せいけん)は、1983年に製作された香港映画。
羅維影業有限公司制作。上映時間80分(日本版)。日本で最初にビデオリリースされたときのタイトルは『ジャッキー・チェンの新・クレージーモンキー大笑拳』。
目次 |
[編集] 概要
1980年に数シーンの撮影のみで未完になり、過去の作品(特に「クレージーモンキー 笑拳」)からのシーン流用やダミー俳優による追加撮影でローが完成させた作品だが、ジャッキー・チェン本人は自作とは認めていない(詳細は後述)。
シーン流用やダミー俳優という方式はブルース・リーの『死亡遊戯』を連想させるが、主演俳優が死亡していない状況では異例である。この事から、当時アジアでのジャッキー・チェン人気がいかに高かったかを窺い知る事が出来る。
[編集] 経緯
[編集] ロー・ウェイとの関係
1974年に『少林門』に出演後、一時期映画界を退いていたジャッキー・チェンは、1976年にロー・ウェイ(羅維)が立ち上げた映画会社・羅維影業公司と10本の映画出演契約を結び『新精武門』の主演で再デビュー、続けて『少林寺木人拳』『成龍拳』他数本に立て続けに出演するが、興行成績は今一つであった。当初ジャッキーはブルース・リーの後釜的な扱いで、シリアス路線で売り出しを図られていたのだったが、ジャッキーのシリアス作品は配給会社が買い渋ったためなかなか公開されないという状態が続き、それでも同じような作品を録り続ける強引なローにジャッキーは当初から不満で、対立は深刻であった。
そんなときに当時新進気鋭のプロデューサーであった呉思遠に貸し出される形で2本の映画に主演した。それが『スネーキーモンキー 蛇拳』(1976年)と『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)で、ジャッキーの本来のキャラクターであるコミカルな面を活かしたのが功を奏し大ヒット、ジャッキーはようやく香港でスターダムにのし上がる。これによりロー・ウェイも方向転換をせまられ、『拳精』、『カンニングモンキー天中拳』等コミカル路線で映画製作されたものの、ローの手にかかった作品は依然配給会社が手を付けず、俳優としては苦しい状態にあった。
[編集] ジャッキージャック事件(二重契約のトラブル)
- 詳細はジャッキー・チェン項目内「トラブル」の項を参照のこと。
ジャッキーは、1979年に親友であり自身のマネージャーでもあるウィリー・チェンと共同で個人プロダクション「豊年影業公司」を設立、監督も兼任した『クレージーモンキー笑拳』を完成させた。その後、事実上ロー・ウェイとの契約は終了していたが、スターに育ててくれた義理もあり、『醒拳』の出演契約を結び、『―笑拳』に続いて監督も兼任する事になった。だが前述のとおりローが制作するジャッキー作品は配給会社が買わなくなっており、ジャッキーとウィリーは「このままローの元へ戻ったら俳優として危ない」と判断。またジャッキーにはゴールデン・ハーベストから破格の契約金を提示され、かつて憧れの存在だったブルース・リーも所属し、海外へも進出を始めていたという点に魅力を感じ、ウィリーや、ゴールデン・ハーベスト社長のレイモンド・チョウらと、本格的にローから離脱してゴールデン・ハーベストに移籍する計画を画策する。
しかしローはジャッキーを逃さないために契約書を改ざんするという卑怯な行為に出ており、ジャッキーはローの元から逃れられない状況にあったが、ローに命じられて契約書を改ざんした社員が翻身してジャッキー側についたことから、ジャッキーは「裁判沙汰となればローの悪事を証明出来る」と判断、「醒拳」のプロモーション用スチル数枚を撮影した後は同作品の制作を放置し、ゴールデン・ハーベスト社と契約を結び『ヤング・マスター』(1980年)の契約を締結監督・主演、続いて『バトル・クリーク・ブロー』(1980年)『キャノンボール』(1981年)出演の為に渡米した。これらの行動はほぼ極秘裏に進められた為、香港ではジャッキーが「『醒拳』をドタキャンして行方不明」になったとして「失踪事件(ジャッキージャック事件)」騒ぎになった。
ロー・ウェイはこれに激怒し、暴力団を使ってジャッキーに追い込みをかけるなど事態は最悪の状況に陥りつつあったが、結果的に香港黒社会と深いつながりのある香港映画界のドン、ジミー・ウォングがロー、ジャッキー、暴力団の間を取り持って最終的に和解という形になった。
結局ジャッキーに去られたローは、「醒拳」を、ジャッキーの許可なく「クレージーモンキー笑拳」のフィルムを無断流用し、さらにはジャッキーのダブルを使用するなどしてストーリーの不足部分を補い、作品を完成させてしまった。
[編集] ジャッキー・チェン本人の認識
本作についてはジャッキー自身は自伝『I am Jackie Chan(邦題『僕はジャッキー・チェン』近代映画社刊)において、「ローは、僕がわずかに撮影したシーンと、『クレージーモンキー笑拳』の没フィルムや、僕のそっくりさんを使って追加撮影し、つぎはぎした作品を作って儲けようとした」「劇中で僕の容貌を称して『小さな目』『大きな鼻』『猿のような長い髪』などと、僕を侮辱する会話を録音している」「あまりにも粗末なので裁判沙汰にしようと思った」と憤然やるせない怒りを率直に綴っている。
[編集] キャスト
- ジャッキー・チェン 成龍
- ワイ・ティンチー 惠天腸
- ヤム・サイクン 任世官
- ジェームズ・ティエン 田俊
- チェン・ホエロウ 陳慧樓
- ディーン・セキ 石天
- リン・インチュ 林銀珠
- ハン・クォツァイ 韓國材
[編集] スタッフ
- 監督:チェン・ツァン 陳全
- 製作総指揮:ロー・ウェイ 羅維
- 製作:スー・リーホワ 許麗華
- 脚本:米奇
- 武術指導:シュウ・シャオホン 徐小洪